芳賀 功 師のお話から 主要テキスト:ヨハネ6章35〜40節
1.震災の意味 東日本大震災はニュースでもご存知のように、日本中を震撼させました。 自然災害ではありますが、信仰者にとっても内面を探られる出来事でした。 神は意味のないことはなさらないからです。 このような中で、主ご自身が直接語られるメッセージを考えさせられました。 ヨハネ6章35節、 「イエスは言われた。 『わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。・・・・』 」 イエスはご自分を“いのちのパン”であると、不思議なことを言われました。 パンは、日本的にいうと米のご飯であり、主食であります。 主食であるパンやご飯は、日常生活で欠くことができないものです。 同じようにイエスは、私たちの“いのちのパン”ですから、いつも食べなければならないと言われたのです。 いのちのパンであるイエスこそ、飢えることがなく、渇くことのない、いのちの主食なのです。
U.受け入れる この主食を食べるとは、35節 「・・・・わたしに来る者・・・・わたしを信じる者・・・・」 とあるように、いのちのパンであるイエスを信じて“自分のうちに受け入れる”ということです。 イエスは、5つのパンと2匹の魚で5000人を養われた奇跡の場におり、パンを食べた人たちに対して、27節では、 「なくなる食物のためではなく、いつまでも保ち、永遠のいのちに至る食物のために働きなさい。それこそ、人の子があなたがたに与えるものです。」 と語り、36節では、 「しかし、あなたがたはわたしを見ながら信じようとしない・・・・」 と答えています。 みことばを聞いたのですが、自分の事として結びつけようとしなかったのです。これが不信仰です。 イエスを信じるということは、みことばを自分に語りかけていると受け取る、みことばを受け入れる、これが信じるということの意味です。37節、 「・・・・そしてわたしのところに来る者を、わたしは決して捨てません。」 という約束は“わたしといういのちのパン”を食べに来る者を、決して天国から外へは締め出さず、必ず救って下さり、永遠のみ国に迎えいれるということです。なぜなら38節、 「わたしが天から下って来たのは、自分のこころを行なうためではなく、わたしを遣わした方のみこころを行なうためです。」 と言われています。 神のみこころは、第一に“主を信じる者がみな永遠のいのちを持つ”ということ。 第二に“信じた者の一人ひとりを終わりの日によみがえらせる”ということです。 なんのとりえもない小さな自分ですが、救いの恵みを頂いた者を終わりまで守ってくださるというのです。
V.いのち 父なる神は、こんな者のためにひとり子であるイエスを十字架につけて、わたしたちの罪を赦してくださいました。 よく考えれば、本当に恐れおおいことであります。 イエスを救い主として信じた者がいただいているいのちは、永遠につながっており、喜びに満ちたいのちなのです。 また、イエスは、まことのいのちであるご自身を与えるため、私たちを救うため、愛するために、天から下ってこられたたお方です。 神に与えられたいのちを大切にし、その信仰を堅く保つものでありたいと願う者です。
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