「可能性の断捨離」という言葉をネットで見つけて、ちょっと考えた。
人生も正午を過ぎてくると、
自分自身に対して「可能性は無限大」とは、決して思えなくなるようだ。
まだまだ成長できる、ということは確かだが、次第に成長力は鈍化していき、
器用さや体力が低下するなどの基本的な能力の低下という成長とは
反対向きのベクトルの大きさが、次第に存在感を増してくるのだ。
そこで、やれないことはやらない、やれることをできるだけやって、
決して無理をしないことが肝心である。
やれないことは、人に任せるようにしなければ、むしろ、駄目である。
一人で何でもやったり、自分がやったほうが早く終わるなどと、
思わないほうが良い。
この当たり前のことが、なかなかできないのである。
無意識の自分は薄々気が付いていることがある。
自分は、仕事が碌にできなくなってきているということを、である。
それは、会社のような組織で、自分は不必要になってきた、
ということを暗示しているため、なかなか認めることができない。
不必要になっているからと言って、自分から去れば、
今までの生活は成り立たなくなるから認められないということでもある。
時間をかけて手に入れたものは、なかなか自分では手放すことかできない。
もっとも、今までの自分が築いた対外的な信用や組織内での信頼感まで、
断捨離する必要はない。
過去の頑張りが、今の自分を支えているのだから、その恩恵にあずかることが
悪いわけがない。
種をまいて、雑草をとってきた結果、収穫期を迎えているだけのことなのだ。
恵みの秋を迎えているだけのことである。
そうやって、今の自分を認めることが、すなわち、自分を許すことなのだ。
そして、許して、託して、諦めることから、
ほどほどの人生への門を初めてくぐることができるようになるのだ。
即ち、
ほどほどの人生の門は、十分にこころが成熟した大人にしか、
くぐることができない。
そして、この門をくぐった者は、幸福であろう、と思われる。
などと、考えてみたのだった。
もっとも、この門へと通じる道だけが、幸福への道ではないだろう。
それにも関わらず、こうした生き方は、今の自分には魅力的である。
だから、こうした生き方を目指したいものだ。
今日は、そんな気分でした。
ではまた。
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