神様。
実体があるのかないのかを知りえない対象ですが、
神様がただのコンセプトでしかないとしても、
考え方としては価値があるかもしれない、と思い至りました。
キリスト教では神様は「赦しの神」であるとされているようです。
どんな行いをしようが神様はひたすら赦すだけです。
そこでは、何らの価値判断も働かないのです。
それは、事態をあるがままに受け止めるということです。
何があっても見放さないで見守るということでもあるかもしれません。
必ず私のそばにいて、必ず私の味方をしてくれているようです。
こうした行いは、要するに「愛する」ということです。
言い換えれば、愛するということは神様を真似するということと同じです。
真理は、その辺の石ころのごとくありふれた知識として存在しています。
ゆえに誰でも手にすることができるはず。
ただ、行いとして実践することができるかどうかは、あなた次第です。
しかし、そんな迷える子羊であったとしても、神様は赦すのです。
そのありがたさに感謝の念さえ浮かんできますね。
ところで、
私はあらゆる宗教組織に所属していませんし、
今後も所属するつもりもありませんし、
何らかの宗教団体を率いるつもりもありませんので、
誤解のないようお願いいたします。
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