自我ってなんだろう? エゴとも言います。 コギトエルゴスムとして、我思うゆえに我あり。 デカルトですね。
ということは近代的理性の象徴でしょうか。 しかし、フロイトに言わせれば、 自我は超自我とイド(エス)の調整役程度の存在に過ぎないようです。
超然としたしっかりとした自我(=理性)の存在を疑っているわけです。
近代的自我は、人間が神様に代わる者として振る舞うように促しました。
全ては私のためにあるのです。
故に、他人の者は他人の者ということが認められません。
それが互いに認めることができないから闘いになり、 どちらかが支配しどちらかが支配されるまで戦いが止むことがないのです。
心理的に見れば、独占欲と独占欲の争いです。
実は、独占欲あるいは独占への誘惑に惑わされている経済が 資本主義ということになります。(モノポリー=独占)
自我を独占欲と捉えるなら、 その欲を脱ぎ捨てることができれば、 それは、資本主義を脱構築するに等しく 結果、世界は全く異なるものになります。
なぜなら、今の社会の原理的なルール変更を企図しているからです。
ミネルバのフクロウが飛び立つときです。
自分が変われば世界は変わります。 世界が変わるための必要十分条件は自分が変わることです。
むしろ自分さえ変われば、本当に世界など変わってしまうのです。 個人はそれだけの影響力を持ちうるのです。 そして、その影響を成す能力は各個人が本当はもっているのです。
社会は多面的ですから、各人の見る世界は一致しないことが通常です。 つまりお互いにあたかも矛盾した主張をしているように見えます。 しかし、実際は、社会を異なる面から見ているに過ぎませんから、 本当に矛盾しているわけではありません。 架構的に矛盾として語られているだけです。
今日はそんなところです。 ではまた。
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