昨日は、ひきこもりの研修会に行ってきました。 研修会の内容とは全く関係ありませんが、 思っていることを綴ります。
ひきこもりの推定人口は、 40代以上に限れば、61万人だそうですから、 16万人の人口で考えれば800人くらい居そうですが、 栃木市で5万世帯を対象に調査した結果は100人に満たないようです。
おそらく、認知できていないケースが多いものと思われます。
しかし、引きこもりを問題にする社会には問題があります。
働かなくても生きていける人が200人に一人しかいないという社会は 本当に豊かと言えるのかどうか、と問題を転換したいと思います。
おそらく豊かな社会というのは、 誰もが働かなくても済む社会です。
資本主義のもとでは、生きるために働かざるを得ませんでした。 それに、働けば、少なくとも物質的には豊かになれたのでしょう。 場合によっては、経済的に成功できたのです。
そうした経験から、働かなくてどうする?という 強固な「常識」が出来上がりました。 しかし、それはやはり経験的な事実にすぎず、 今後も常識とされる認識ではありません。
社会の高度化・複雑化によって、 たとえ健康的な人間であっても、 その仕事に要求される能力水準を満たせないために、 働けないということはあります。
一方で、あまり能力を必要としない仕事をしていては、 全く食えるほどにお金を稼げないということもあります。
もし、社会が私が定義するように豊かになっていくとしたなら、 働くことを期待されない人たちがどんどん増加していくことになります。 むしろ、邪魔なので働かないでください、という時代が来るでしょう。
生産によって、量的な問題を解決できた日本社会は、 生産過剰によってデフレを引き起こしているわけです。 需要を増やさないならば、生産を減らすことでしか、 低価格・低賃金を脱却する方法はありません。
そうした生産の現場から排除されていく人々の 生存は保障されるべきでしょう。 そのための社会保障は最低限、国は備えなければなりません。
生産人口が減ってきても、 全体の生産力(=国民総生産)が下がらないような仕組みに 国が変化する必要があるし、それは考えればできるはずのことです。
脱生産者を次々に生み出していった先の社会が、 私が定義する意味での豊かな社会です。
もう、働くこと=お金を稼ぐことだけが、 価値ある行為とはされない社会になるのです。 働かないことは無価値で非倫理的な行為とはされないのです。
私は、なるべく働かない生活を送りたいと思います。 どうすれば働かないですむかを、今後は模索していきたいです。
他人のために時間を使うのではなく、自分のために時間を使うだけです。 そうした結果、かえって大金を得ることがあるかもしれません。 では、お楽しみに。 |