アポロ行政書士事務所

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2011/12/23 23:11:07|研究
支援の逆説。
これから、支援する者の資質というものを、実践の現場から考察したい。

そもそも「支援する」ということは何を意味するのか?

それを探るために、「支援」とは似ているが異なる概念を提示したい。

〇「支援」は「教育」の概念とは異なる。

教育は、教える側の価値観を教育を受ける者に押し付ける意味合いがある。

支援は支援する側の価値観の押し付けであってはならないのであれば、

必要なことは、支援する側は、価値中立的でなければならない、ということだ。

では、

〇支援を実践する者にとって、価値中立的であることは可能か?

そもそも人が人を支援又は援助することを、価値中立的に行うことは不可能に近い。

おそらく、「支援する」ことに、「支援しないこと」は含まれているし、ひょっとすると、「支援しない」ということは、「もっとも支援的な振る舞い」になるかもしれない。

〇支援者は情熱的であるべきか、冷静であるべきか?

おそらく、情熱的であったかいことが、だれかを支援することにとっては、逆効果にしかならないということは多い。

もっといえば、冷静で、冷たい印象を与える人格のほうが、支援にとって効果的である
ことのほうが多い。

〇頼りがいのある人間が、支援者になるべきか。頼りにならない人が支援者になるべきか?

頼りがいのある人が支援者になると、必ず依存の人間関係が生まれる。したがって、頼りがいのない人間が支援をしたほうが、支援としては効果的なことが多い。

したがって、価値中立的で、頼りがいがなく、冷静沈着で冷たい人が支援者に向いていると思われる。

ところで、こうした資質を豊富に持っている人達とはどういう人たちか?

私は、「当事者」であると考える。

実際、当事者が別の当事者と支援と被支援の関係を持ったほうが、専門職としての支援者を置くよりも効果的なことが多い

つまり、究極的には、支援の専門職など要らない。

もし、それでも支援の専門職が必要であるとすれば、当事者が専門職として働けば十分である。(資格免許状の有無はまた別の話である。)

当事者活動を直接的に支援するほうが、いろいろな意味で、効果的な福祉であるだろう。

職業的支援者などという存在は、その職業が消滅するように活動することを目的としていなければ、本来はおかしい。

当事者は、職業的支援者の餌食になっていてはならない。一体、どちらが本当の支援者だか分からない。支援者と称する彼らに働いて稼ぐための口実を与えてはならない。

以上の意見は、長期的に観れば正しい。

しかしながら、短期的に、暫定的に支援者が存在することは必要である。

それでもなお、支援される側が支援する側を支援している状況は看過することはできないだろう。

かくも、支援することには、哲学的な難問が横たわっていると言えるのだ。

したがって、支援を諦めるという態度は、もっとも支援的な振る舞いなのである。







2011/11/30 15:25:23|研究
法科大学院の役割を変えよ!
こんにちは。

小林宙です。

今回のテーマは「法科大学院の役割を変えよ!」です。

普通の人の感覚では、新司法試験の受験資格を得るために仕方がないので通う大学院という意味合いしかないと思います。

そして、ロースクールを卒業し、新司法試験に合格しても、就職先がなく、開業するにしても、その一歩を踏み出すことができない新司法試験合格者が多い、という状況があります。

このような問題を解決するためには、以下の改革が必要です。

〇新司法試験を合格した人や既に弁護士として活躍している人が自らの実務能力を高めるための大学院にすること。

つまりは、弁護士やこれから弁護士登録をする人が通うための大学院にすればよいということです。徹頭徹尾、実務的な内容しか教えないようにしましょう。

〇給費制、貸与制そのものをやめましょう。
なぜならば、この制度は、裁判官や検察官を選ぶためにあり、実務能力を鍛えることを目的にしているとは言い難いからです。裁判官や検察官を育てる目的の制度としてしまったほうが、税金もそれほど投入する必要はなくなるでしょう。

〇新人弁護士が、新規開業する場合は、弁護士会への会費を5年程度免除しましょう。
 月5万円程度の弁護士会会費を支払うことは、開業に踏み切るにあたって、実質的には参入障壁です。

これらの改革にさらに必要なことは、

〇司法試験予備試験を受けて合格することを必須とすること。
 大学院をでなければ、新司法試験を受験できないとしたり、予備試験を狭き門にしたりすることは、不公平です。新司法試験を質の高い試験にするために必要な予備試験という位置づけにしたほうが良いでしょう。

〇予備試験を受かれば、事務弁護士を名乗れるようにする。
 TPP参加の影響によって、このように改革することになるでしょう。








2011/11/29 19:12:44|研究
教科書検定制度を廃止せよ。
こんばんわ。

小林宙です。

今回のテーマは、「教科書検定制度を廃止せよ。」です。

前記の投稿には、私自身の理解に少し誤りがありました。

歴史教科書の検定については、「特定の歴史を公認する」という意味合いはないようです。

検閲と検定の違いについても、きちっと調べました。

そこで、検閲を認めない憲法の下では、検定は、なにものでもないことに気がつきました。

つまり、税金を投入してまで、教科書検定をする必要はないのです。

教科書検定自体が、学ぶものの便宜のためというよりは、教える側の便宜のために存在すると推察されます。

したがって、学ぶ者の便宜に立てば、教科書検定はいらない、という結論になります。

付け加えれば、歴史教科書を検定することもナンセンスだということです。







2011/11/29 3:03:37|その他
すべての歴史教科書を検定外にせよ。
こんばんわ。

小林宙です。

今回のテーマは、「歴史教科書はすべて検定外にせよ。」です。

その大前提となる命題は以下の通り。

○公教育は、宗教、政治、文化に対しては、中立である必要がある。

この命題は、一般には受け入れられていません。私独自の見解です。

一方で、

○宗教、政治、文化を無視しては、社会を認識することは難しい。

ですから、以下の結論を得ます。

○宗教、政治、文化に対しては、個人が個別に選択できるようにすることが必要だ。

補足すると、政治、宗教、文化は、いずれも芸術活動であり、したがって、自らが自発的に学習すればよい、というのが私のスタンスになります。つまり、生涯学習の分野ということです。

私は、政治、宗教、文化という芸術の領域で、個性を培い、天才性を育てればよい、と考えます。

そもそも、天才性は、自律的に学習することによって培うものであって、高度な教育を受動的に受けるだけでは、卓越性を身につけることはできても、才能を開花させることはできないと考えます。

したがって、

○公教育では、天才性を育てることはできないし、してはいけない。

ということになります。

○学校のカリキュラムは、ナショナル・ミニマムを追求し、基礎力の養成に心血を注ぐことが期待されます。

ところで、「社会科」という科目は必要でしょうか。
私は、「社会科」は、公教育に於いては、必要ないと考えます。
特に、「歴史」は科目としても存在してはならないと考えます。

○「歴史」は「政治」にすぎません。つまり、芸術活動の一環です。したがって、自発的な生涯学習によって研究され、知識を獲得・整理すれば十分だと考えます。

○教育の世界に現実の政治が関与するようになることは、避けなければなりません。「歴史教科書」は、政治的な関与を受けすぎています。

○歴史教科書は、「物語」の域を出ません。どうしても存続させたいならば、国語に吸収合併されてしまえば十分でしょう。

○検定は、検閲ではないことは明らかにされていますが、検定自体が、行政が採択するものであれ、結局は、政治が関与しているとしか言えない状況です。

○どの教科書を観ても、内容が政治的な意味合いをたぶんに含んでいる以上は、「新しい歴史教科書をつくる会」が発行するものだけを検定外とするのは、不公平だと思います。

よって、結論としては、「すべての歴史教科書は検定外とする。」というのが妥当であります。

以下は、蛇足です。

法律家にとっては、法律を理解するにあたっては、歴史を参照することが条文の存在意義を理解する上でとても役に立ちます。

したがって、「法律家のための日本史、世界史」というのは、法律を深く理解するために必要なので、こういった研究・出版が望まれます。







2011/11/19 20:47:54|その他
TPP参加後の未来
こんばんは。

小林宙です。

今回のテーマは、「TPP参加後の未来」です。

私は、「近代国家(=国民国家)」の終わりの始まりと認識しています。

2011年11月11日夕刻の事実上のTPP参加決定をもちまして、近代国家として存立できる保障はなくなりました。

日本は、アメリカによる実質的には傀儡政権といえる現内閣によって、米国に併合されたとも言えます。

日本は、国家体制的には、フィリピン化するでしょう。

国内経済的には、おそらく、ニュージーランド化するでしょう。

福祉国家的な制度は、ことごとくアメリカを標準とするようになるでしょう。(アメリカの福祉制度については、私の力では情報収集できません。)

では、TPP参加によって、傷がつかないかもしれない経済分野というのはあるでしょうか?

福祉の分野は小泉構造改革によって、いち早く改悪されましたので、現状のマイナーチェンジですむかもしれません。

ただし、入管法が大きく変われば、介護福祉士は、外国人が多くを占めることになるかもしれません。

社会福祉士や精神保健福祉士などのソーシャルワーカーは、地位が向上するかもしれません。

心理カウンセラー系の資格も国家資格化するかもしれません。

他に、長期的に観れば、農業は生き残るでしょう。

短期的には、農業は法人化し大規模化しますね。JAは相対的に地位を低下し、構成員の減少に歯止めがかからなくなるでしょう。

しかしながら、30年もすれば、短期的に増加した株式会社などは、ほとんど農業から撤退してしまうに違いありません。

30年後には荒れた農地を再び個人が耕すようになるでしょう。

30年後には、国力が大幅に低下してしまいますので、農産物を外国に依存することができなくなるでしょう。また、人口の増加によって、輸入できる食べ物がなくなっているものと思われます。

つまり、地球規模の人口増加による農産物の輸入の困難と日本の国力が低下することによる購買力の低下によって、皮肉なことに、農業は経済的に自立できるようになるでしょう。

30年後には、野田総理の言ったとおりの原風景である、貧困農業国家が成立していることは十分に考えられます。

したがって、これからは、福祉×農業でやっていくしかないと思われます。

ちなみに、巨大資本は、外国に全て逃げていってしまいます。

「ノアの箱舟」のとは、「多国籍企業」のことです。

多国籍企業に所属していない多くの日本の住民は、経済津波に飲み込まれてしまうということです。

産業の空洞化は、TPP参加によって加速することはあっても、減速することはないでしょう。

産業界がTPPを賛成する理由のひとつは、歴史的な円高を利用した、国際優良企業との合併や優良資産の買収がとてもやりやすくなるためだと思われます。

以上は、TPP参加後に起きる最悪に近い予測シナリオですので、参考になれば幸いです。

また、後日、別の形で、TPP参加後の将来予測をしてみたいと思います。