アポロ行政書士事務所

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2011/11/08 22:09:21|研究
TPP参加に反対する。
TPP(環太平洋パートナーシップ協定)参加に明確に反対する。

テレビや新聞の報道に騙されてはならない。

私は、日本農業協同組合を擁護するためにTPP反対を表明するのではない。

日本の農業分野は、その他の産業のあらゆる分野を個別撃破する計画を実行するための最初の矢面に立っている分野に過ぎない。

今は、農業(第1次産業)と製造業(第2次産業)の対立が表面化しているなどと、論点そらしもはなはだしい。

農業の次は、製造業、その後に、サービス業に代表される第3次産業を潰していくことを計画しているのは、火を見るより明らかである。

行政サービスも当然下がるし、社会保障はアメリカ並みになるだろう。

全て、アメリカの計画通りに事は運ぶのだ。

TPP参加により、ますます主権在民ではなくて、主権在米となり、結局は、全ての国民が米国に隷属することと等しい。

残念ながら、現在の報道はジャーナリズムとイコールではない。

ジャーナリズムを復権させるために、電波利権を剥ぎ取り、本当の民主主義を取り戻そう。

これは、擬似民主集中制の日本国へ、一日本国民からの挑戦状です。













2011/10/16 18:19:24|自己紹介
高部真友美さん。
こんばんは。

お久しぶりです。

小林宙です。

本日、栃木市の市民活動推進センターに行きました。

そこで、栃木県南地域を中心にスピリチュアル・カウンセリングをされている高部真友美さんが、知り合いの知り合いとして、来ていました。

最近、プライベートでいろいろな事が起きてしまいましたので、近くの喫茶店に行って、鑑定をしていただきました。

現在、未来、過去の順番で診ていただきました。身体の不具合についても診ていただきました。

今回は、主に手相を中心に診ていただきました。

現在の状態をずばり当てられてしまいました。

今はまだ、あまり詳しくは書けない事を、あっさりと見抜かれました。

なので、信じることにしました。

早速、将来について鑑定していただきました。

自分の好みのタイプを詳細にずばりと当てられてしまいました。

IT関係に行ったほうが良いとも言われました。

実は、就職を狙っている会社も当てられてしまいました。

税理士に向いているかどうかも鑑定していただきましたが、時々刻々と確実に変わっている現在の環境では、変化についていくことが難しくなるでしょうとも言われました。

過去についても診てもらいました。

20代に、非常に孤独だったことを当てられてしまいました。

25、6才の頃に、倒れている事も当てられました。

バイクに乗っていたことも見抜かれました。(郵便局の配達の仕事で、です。)

全体的な性格もはっきり当てられました。

身体については、内臓系で、胃と肝臓、十二指腸が炎症していることや、心臓が危ない事等を当てられてしまいました。  持病があって、睡眠薬のほうの薬が最近あっていないことも当てられてしまいました。

他にも沢山、当てられてしまいましたが、ここでは、書けません。

あえて書きますが、将来は、幸せな家庭を築いています、と言われました。

これは、確実に当たっていることを祈りたいと思います。












2011/09/18 21:29:13|人生をデザインする会
「私らしさ」の呪縛。
こんばんは。

人生を考える会の小林宙です。

今日は、宇都宮のアミークスで開かれた、摂食障害についてのフォーラムに行ってまいりました。

そこでの話を聴いた後に、私の考えを以下のように整理しました。

1.我々は生物の一種である。

2.我々は、性的に男性かあるいは女性である。(例外はあるが、話を簡単にするために男性と女性とに分ける。)

3.我々は、子どもから大人になる。(子どもと大人の区別は、近代以降に発生したらしいが、現代でも有効な区別と認める。)

おそらく、これらの信念体系に疑義をはさんだ場合、結果として我々は、何らかの障碍を持つに至る。

これらの前提の下に「私らしさ」について、検討してみよう。

たびたび、「私らしさ」は「男らしさ」や「女らしさ」を否定する。

「男らしさ」や「女らしさ」は「大人らしさ」でもあるので、「私らしさ」は、「子どもらしさ」と等しくなる。

ここで、「私らしさ」は一見「多様性」をもっているように見えるが、包括的には「大人らしさ」への拒否を意味している。

さて、我々は生物の一種であるため成長する。

つまり、性的に成熟し、やがて死ぬ。

この生物の必然に抗おうとすると何が起きるのか?

つまり、いつまでも「子どもらしさ」を保持しようとするとどうなるのか?

それは、生物としては不自然なため、やがて病気になる。それから症状が固定して障碍になる。

私は、誕生し、養育され、性的に成熟し、友人や恋人を持ち、結婚し、子どもを産み、育て、大人になるまで見守ること、こうした一連の出来事は、「エゴ」ではなく、「人間の業」であると考える。

私は、「人間の業」に抗うことを「エゴイズム」と定義したい。

しかしながら、20歳で子どもを産み、40歳のときに孫が生まれたとしたら、私は、その後の人生の一定期間を「私らしさ」の追求に当ててもいいのではないかと考える。

つまり、「個性化」を追及するのは、「人生の正午」と呼ばれる40歳を超えてからのほうが健全だろうと考える。

人生を80年とするならば、40歳以降に「私らしさ」を追及しても残り人生の半分を費やすことができるということだ。

人間の寿命が延びているのだから、「私らしさ」の追及が大きなテーマになるのは分かる。

しかし、それは、若い世代に押し付けるべき価値観ではない。

40代以降の人間の課題を、それ以前の世代の課題にしては酷というものだろう。

必要なことは、世代ごとに課題を検討できるようにすることだと思います。







2011/09/15 21:29:54|人生をデザインする会
6人目の参加者です。
こんばんは。

「人生をデザインする会」の小林宙です。

6人目の参加者です。

「かせ山」さん、です。

登山を趣味にされている方です。

「かせ」の字は、糸偏に忍ぶと書きます。

会への参加をお誘いしたところ、快く承諾していただきました。

ということで、「人生をデザインする会」は、まだ存続しておりますので、応援よろしくお願いいたします。







2011/09/15 1:12:02|研究
挫折の仕方。
こんばんは。

小林宙です。

本日のテーマは「挫折の仕方」とありますが、

私の個人的な挫折を取り上げたいと思います。

私は、福祉団体の理事兼職員をしていましたが、先々月の末日に退職いたしました。

基本的には、事務兼庶務でしたので、事業所の利用者さんとの心の触れ合いが十分に取れたとは言い難く、傍観者に近い振る舞いをしていたと思います。福祉関係の資格を何一つ持っていませんから、知識や技術に関して、不十分であることはご容赦ください。

この福祉の仕事というのは、理念と現実との乖離が大きくなりがちだと思います。もちろん、理念と現実との乖離があるからこそ、仕事として成立する余地があるのですが、乖離が大きいからこそ、柔軟な戦略と多様な戦術を駆使して、現実を理念に近づけるための絶えない努力が必要です。

さて、私には、柔軟な戦略をとることも、多様な戦術を駆使することもできませんでした。したがって、必然的に敗北せねばなりませんでした。

福祉の理念には、障碍の有無を超えて、当事者が地域で普通に暮らせる幸せを追及していく、というものがあるようです。

一方で、理念に反した制度が存在している、と私でも思います。

では、単純に、旧来の制度が理念に反するから悪なのですべて廃止し、理念に沿った新しい制度を「抜本的な改革」と称して、正義に適うものとして導入しさえすれば全て解決とするのか?と、問題を提起します。

私は、旧制度を全て廃止する立場には賛成できなくなりました。

それは、隔離し排除するという強制力を容認するということに結びつきます。もちろん、行過ぎれば、偏見に基づいた差別を助長するに違いありませんので、発言は慎重にしなければなりません。

ところで、人それぞれに、世界観は違います。

しかしながら、大雑把に、天国を好むか、地獄を好むかの分類ができると思います。

私は、どちらかといえば極楽を好みますが、煉獄をより好む方もいるようです。

市場というのは、典型的に弱肉強食の世界に過ぎませんが、これは、弱者にとっては地獄ではないでしょうか。そして、多くの人間が弱者に過ぎないのであれば、結局、一握りの人間だけが、極楽にいるようなものです。

これは、少数支配を強く批判された社会主義・共産主義と同様な現象ではないでしょうか。

資本主義とは、交換の原理を優位にして成り立っていますが、社会主義・共産主義では、分配の原理が優位を占めています。

前近代というのは、贈与の原理(支配と被支配)で成り立っていたのでした。近代というのは、贈与の原理を弱め、交換の原理や分配の原理に並び立つものとして、登場してきたと考えられます。

それが、フランスの国旗の自由・平等・友愛に象徴されるのではないかと考えます。

平等な分配、自由な交換、友愛ある贈与が正義に適うという判断です。

しかし、前近代と近代は、それぞれの極端を選択したようです。

自由・平等・友愛には、それぞれ適用範囲が異なり、この適用を誤ることこそ不正義であると、私は考えます。

しかし、これらのことは、世間一般には自覚されていないことだと思われます。

冷戦という時代がありました。大国同士の没交渉と小国同士の代理戦争の時代でした。

結局、我々の眼から見れば、正しくない世界観同士が対立して、現実に戦争や紛争が生じているわけです。

こうした世界観の対立は、個人と個人との間にも存在していますね。

それぞれが、それぞれの世界観に固執している場合には、相互理解などできるわけがありません。

一方が、相手の世界観を捉えたところで、相手が世界観を変容させるとは限りません。

相手の世界観が絶望的なくらい変容が困難な場合は、我々は、自己保存本能が働くのか、恐ろしさを感じますね。

緊急避難的に強制力を行使してしまいかねません。

しかし、直接的な暴力は許されません。

暴力を許す世界観を持つ人に対して、第三者の強制力を働かせる事は、理に適っているように思われます。

ここで、第三者とは国家です。

国家の本来の性分としては、分離・排除・隔離しかできません。

本来、国家は、暴力を独占的に行使する装置でしかないのですから当然です。

一方で、現代は、福祉国家を成立させました。

福祉国家の理念は、少なからず刑務所にも及んでいます。

多くの刑務所が福祉の現場になっているそうです。

もちろん、厳しいだけの刑務所も必要です。

しかしながら、私は、刑務所の福祉に期待しています。

刑務所で、その人に必要な福祉サービスが提供されることが、望ましい場合も現実にはあると判断します。

幸いなことに、私はまだ、福祉サービスの利用者を刑務所に送った事はありません。

しかし、私は、必要ならば刑務所へ送ることも、判断の材料にはします。

具体的に考えたことはありませんが、そうした選択も視野に入っているということです。

やさしさだけが必要な福祉の世界にとっては、これは厳しすぎる意見でしょう。

福祉に少しは携わる職員としては、現段階では失格ですね。

このことは、発言したこともないので、職員を離れたきっかけにはなりませんでしたが、自分の中には、こうした葛藤がありました。

そのため、福祉の現場には職員としては戻るつもりはありません。

福祉職員としてのアイデンティティも脱ぎ去る所存です。

しばらくは、福祉サービスの利用者として、個人的で率直な感情をぶつけさせていただきます。

では、よろしくお願いします。