アポロ行政書士事務所

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2014/05/31 0:20:40|蔵の街ライフデザイン
こんな行政書士は廃業する!
久しぶりに行政書士関連の記事を投稿します。

ところで、私は元々は行政書士ですが、経営不振を理由に一旦廃業しています。

なので、「どうすれば失敗するのか?」を反省して語ることができます。

そこから、どのように事務所を経営していけばいいのか?のヒントを得たいと考えます。

では、以下に、失敗の理由を箇条書きにして見ます。

1.開業中に営業活動をほとんどしていなかった。
2.実務を習得する方法がわからなかった。
3.行政書士になるつもりが全くないのに試験を受けて合格してしまった。
4.行政書士の実像を知らなかった。
5.他のもっと取得難易度の高い資格の取得を目指してしまった。
6.必要な開業資金を用意しなかった。
7.経営者のセンスが身についていなかった。
8.若さを生かせなかった。
9.社会人経験が乏しく、知識が豊富というのは、とかく信用を得るにはマイナスであった。

では、各々について解説してみましょう。

1.開業中に営業活動をほとんどしていなかった。
 
 広告を出せば反響があるだろう。
 看板を立てればお客さんは沢山くるだろう。
 ホームページをしっかり作りこめば、お客さんは信用するだろう。

 などと考えていた。

 すべて浅はかな考えでした。

 所長(経営者)は、仕事を獲得してくることを第一の仕事と肝に銘じておかなければなりません。

2.実務を習得する方法が分からなかった。

 行政書士事務所で実務経験を積んでから独立すべきでしょう?

 などと、他の業界の方は考えてしまうでしょうが、この道は非常に狭き門に閉じられています。

 つまり、ほとんどの行政書士が実務経験などを特別に積まずに開業しています。

 なぜかというと、度胸と人一倍の行動力さえあれば、特定の仕事は遂行できるからです。

3.行政書士となるつもりがないのに試験を受けて合格していた。

 開業のモチベーション(動機)になりえないです。

4.行政書士の実像を知らなかった。

 身近にモデルとなる人がいないのですから、イメージが掴み難いですよね。

 特に、一般の人たちは、弁護士との区別が曖昧ですし、私も当初はその区別が不明でした。

5.他の資格に目移りしてしまった。

 取得難易度の高い資格は、

 営業などしなくてもお客さんが付くと考える安直さに問題があります。
 
 取得難易度の高い資格の保持者は、自分の仕事を高く売り出すことができるだけですね。
 
 であれば、低い報酬額を提示できるという意味で、行政書士はむしろ営業しやすいはずです。

6.必要な開業資金を用意しなかった。

 半年ぐらいは、営業活動に専念できるぐらいの運転資金は必要ですし、開業資金も行政書士会に登録できるだけのお金を用意すればいいというものではありません。

 融資を受けるぐらいの覚悟は必要でした。
 
7.経営者のセンスが身についていなかった。
 
 人に雇われる立場と人を雇う立場とでは、意識が全く違います。

 経営者の意識を当時は持てませんでした。

8.若さを生かせなかった。

 かわいげがないといわれるぐらいですから、若さが武器になりませんでした。

 フットワークの軽さ、頭の軽快さが全くありませんでした。

9.社会人経験の乏しさと知識の豊富さの不釣合いは信用につながらない。

 実務家というよりは、学者肌だと認識されやすく、
 経営者からは「使えない。」という判断を下されやすいです。


〇本日の分析は以上です。ここまでお読み頂きありがとうございました。

 

 







2014/05/25 19:23:43|学習塾を起業
プログラマー養成塾〜経済的自立のために〜
お久しぶりです。

以下のボランティアについて企画を練りたいと考えています。

状況
〇プログラミングを得意とする知人がいます。現場で知識・経験に磨きをかけています。
〇プログラミングを教えることに関しても、その知人は実績があります。
〇その知人は、プログラミングを教えるボランティアをしたいと考えています。
〇一ヶ月に一回、2時間程度のボランティアをしたいと考えています。
〇現在は、私だけが無償で受講しています。

ところで、私は以下の課題を解決したいと考えています。

〇職業として憧れているプログラマになりたい。
〇フリーランスのプログラマとなって、時間的経済的な不自由から開放されたい。

そして、私はこうも考えます。

〇時間的経済的自由を獲得したいと考えている人は多いはず。
〇私だけが無償で受講する(独占)のは講師となっている知人に対して申し訳ない。
〇同じ志を持っている仲間もほしい。
〇知人のボランティアを社会貢献活動と位置づけたい。

そこで、受講者を募集したいと思います。

ですが、だれでも良いとは思っていません。

「私と講師となるその知人が対象者を面接して、ともに受講を承認すること。」

を必要条件とさせていただきます。

ご興味のある方は、ブログにコメントをいただければ幸いです。

では、よろしくお願い致します。









 







2014/05/21 22:16:17|研究
人間中心主義。
久しぶりの投稿です。

今回は、NHK教育テレビのとある番組に触発されて、思ったり考えたりしたことを書きます。

ところで、私は「子育て」の経験はありません。

経験を埋めるはずの専門知識も持ち合わせない「子育て」の門外漢でもあります。

つまり、子育てに関心のない世間に近い立場にはありますが、

これらのいわゆる世間と違うところは、「決して無関心ではない。」というところにあります。

子育ては「難しく」なっています。

人間は生物ですから、生物の本能が十分に働けば容易そうですが、

人間は、単なる生物である以上に「社会的な動物」なため、本能は機能しづらくなっています。

しかし、その社会的な動物が従っているその社会は「子育て」についての配慮が欠けています。

さらに、株式会社に代表されるひたすら利益を追求するだけの組織は、

そもそも従業員が子育てに従事することを想定していないような振る舞いをしがちです。

組織の都合にあわせられない者は、昇給・昇進を望めなくなっています。

従業員に選択肢は形式的に与えられていますが、実質的に選択の余地がなくなっています。

かように、賃金労働者の立場は弱いのです。

さて、我々は、「資本家に」というよりは、「資本に」思うがままにされているようです。

「資本」が真のプレイヤーであって「人間」が疎外された時代なんでしょう。

資本主義を乗り越えてでも、あるいは修正してでも「人間中心主義」に立たなければ、

人が人を生み育てなられない矛盾を社会が抱えたままになってしまいます。

それでいいのか?

育児の困難さとは、

日本的な資本主義の矛盾のひとつの現れであり、

もっとも重要で克服を急がなければならない社会的課題である。

と言えそうです。


補足

今回の記事は内容が不明確ではありますが、投稿することにしました。

読者に何らかの示唆が与えられることを期待します。



 







2013/10/18 8:22:24|ライフデザイン
当事者研究してみた。
このブログをご覧になっていただき、ありがとうございます。

さて、今回のテーマは、「当事者研究してみた。」です。

夜中、頭が冴えていたので思いつくところをペンで殴り書きしていました。

それを、ここでまとめておきたい、と思います。

当事者研究には「自己病名」をつけるというのがお作法です。

自己病名とは、他人が名付けるのではなく自分で名付ける病名です。

私は、

「エリートペルソナに苦悩するアンダーアチーバー幸福感喪失タイプ」

としました。

自己病名は、症状の全体を簡潔に把握できるような名称が良いと思います。

自分独自の用語を使うことは許されますが、ちゃんと定義づけするのが礼儀でしょう。

では、定義づけをしてみます。

「エリートペルソナ」
 「エリート」と「ペルソナ」を合成した造語です。エリートとは、原義は「選ばれた人」というぐらいの意味ですし、ペルソナは「仮面」です。
 ここでは、ペルソナは、周囲の人に認知されている人格の特定部分を構成しているいわば表層・表面上の姿のことであり、すなわちこの仮面そのものがエリート属性を持っているということを端的にあらわすため「エリートペルソナ」という言葉を今回編み出しました。

「アンダーアチーバー」
 低達成ということですが、期待される達成度に対して著しく低い結果しか出せていない状態あるいは困難をさして用います。

「苦悩する」というのはどういうことでしょう。

「エリートペルソナ」という「仮面」とアンダーアチーバーの「素顔」との乖離に苦悩するということです。

乖離を解消するには2つの方法があります。

エリート(仮面)に近づき一致することによって解決する方法と、

アンダーアチーバー(素顔)にあわせて仮面を外すこと。

以上の2つですが、どちらも解決への道が困難であるため、いつまでも困難が解消しそうにない、ということです。

物理的な仮面は着脱が容易ですが、社会的な仮面というのは、外れなくなってしまうものですし、外すのは自分ではなく、むしろ周りの人達でしょう。

こうした葛藤のなかで、「幸福感を喪失している」結果を招いているのは、説明が必要とも思えません。

まとめると、「仮面と素顔との乖離を解消できずに幸福感を感じられない。」ということになりそうです。

結局、社会心理学を自分を事例として考察するにとどまりそうですが、とりあえず研究して結果を残したいと思います。

今回は以上です。







2013/09/30 20:01:43|蔵の街ライフデザイン
下山をはじめる。
こんばんは。

「蔵の街ライフデザイン」です。

本日のテーマは「下山をはじめる。」です。

人生は、始まりがあれば、終わりがあります。

それは、けして平坦な旅路ではなく、

一つの山を登って降りてくるような登山に例えることもできるでしょう。

私は、現在38歳ですが、図らずも登頂を果たしてしまったようです。

デッドラインあるいは、死の淵というものが、

まだ漠然とした予感であった若い頃と違って、

はっきりとそれを実感できる、あるいは遠くを見下ろせば見える位置に到達してしまったようです。

そして、既に、地平に向かって歩き始めているように感じています。

もう、自分に期待しても仕方がない、

という諦めの気持ちになりますが、

その一方で、「では、次の世代に何を継承できるのか?」

を、鋭く自分に問うことになりました。

恐らく、これがエリクソンのいう「世代継承性」(ジェネラビリティ)の問題なんだと感じています。

人間である限りは、肉体は老いていき、その先には確実に「死」が待ち受けているわけですが、人というものは、せめて生きてきた痕跡のようなものを次の時代に継承していく欲望を持っているはずです。

欲望というよりも「業」というほうがふさわしいでしょう。

私はこの旅路で失敗を重ねて来ただけのつまらぬ人に違いないのですが、他人が、私の失敗を「他山の石」とせず、同じことを繰り返してしまえば、結果、私と同じつまらぬ人となります。

つまらない私だからこそ、次の代に伝えなければならない、本当のことを語らなければならない、と感じています。

おそらく、若いうちは、耳に入らないような話なのでしょうが、

それは、はじめてで、一回きりで、さいごの人生では、間違えてしまっても仕方が無いので、

自分が間違えたことに気がついたときに、同時に自分の愚かさに気がつき恥じ入ることができれば、それは別の意味で幸いな人生だといえるでしょう。

もっとも、人は遅かれ早かれ同じ境地に辿りつくことになるのかも知れません。

なぜなら、本当の意味で人生が失敗であったといえることはないだろうし、、翻ってまた、人生がすべて成功であったと言い切れることもまた無いだろうと、考えるからです。

ところで、下山のほうが、事故が多いようですね。

これからも、より一層注意して、天寿を全うできるまで生きていければと思います。

ここまでお読み頂き、ありがとうございました。