また、久しぶりの投稿です。
突然ですが、「統合失調症」をテーマに取り上げます。
当行失調症者は、「敵意」という感情状態に常にさらされています。
敵意が具体的な人であったり、抽象的な「見えない組織」のような者であったとしても、
何らかの「敵」が存在していることに変わりありません。
ということは、統合失調症者は常に、戦闘状態、あるいは戦闘準備状態にあるといえます。
こうした「敵」に対して、「自分ではどうすることもできない」という感情に支配されてしまうと、
無力感や無気力に晒されてしまうのだと考えます。
同時に、敵の存在の裏に神を感じてしまっていると、宗教に溺れたり、
敵が悪魔の手下と判断されれば、「自分は神だ」という宗教妄想にとらわれたりするのでしょう。
単なる被害妄想であったものが、被害状況の態様によっては、誇大妄想に相転移することもあるでしょう。
統合失調症者は、常に、何者かによって、試されると感じるような出来事に満ちています。
統合失調症者は「自分の味方となる人」を探し出さなければならない。
しかし、味方を形成すること、そんなことでさえもを邪魔されることなどが多くあります。
そして、本人も味方になる人を味方であると認識できなくなっています。
敵か味方かを注意深く判断するにあたって基準が厳しすぎるために、すべての人が敵になってしまう。
したがって、とても孤独です。それは、「つまらなさ」や「さみしさ」とともにあります。
統合失調症者の世界観は、RPG(ロールプレイングゲーム)。
遊びとしてのゲーム性を帯びています。
さまざまな妄想、それは、意味の見いだせない人生に、意味あるいは価値を付与するための論理的に構築されたシステムのようなものです。
では、こうした異空間に住む人々をどのように理解すればいいのでしょうか。
統合失調症者は、おそらく、チャレンジドと称されるよりも、「勇者」と呼ばれたいのだと思います。
何らかの重い使命をもって生まれてきたはずの彼らに「敵意」ではなく「敬意」をもって接してみることが必要だと思います。
もちろん、妄想に巻き込まれては、社会的に困った事態になるかもしれませんので、注意が必要です。
「敵意」をどう扱うか。
これは、専門家と称する方々も、真剣に取り組むべき課題であり、敵意を御することができるようになることが、統合失調症者の病気の回復の一助になるはずです。
RPGのような世界観
これを明らかにすることも必要なんだろうと思います。
今回は、ここまで。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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