「その人が問題なのではなく、問題が問題なのである。」
という言葉は、ナラティブ・セラピーの本には、たいてい記してある。
このフレーズを私なりに解釈しなおすと、以下の様になる。
「その人の心理が問題なのではなく、歴史的問題・社会的問題・文化的問題・政治的問題・経済的問題などのもろもろの問題が、解決すべき問題(課題)なのである。」
これを逆にすると、自己責任論になる。確認のために逆の解釈にしてみよう。
「その人の心理だけが問題であり、歴史的問題・社会的問題・文化的問題。・政治的問題・経済的問題などの諸々の問題は、(その人にとって)解決すべき問題ではない。」
これは、まさに権力的な言説であると言わざるを得ない。
例えば、NEETの問題も、イギリスでは社会的・経済的な問題として把握するのに対して、日本では、若者の心理の問題として片付けられ、ひきこもりと同様に、犯罪者予備軍のレッテルを貼ることで、社会問題化されました。
もし、「問題が問題なのだ。」という言葉を知識として持っていたならば、「自己責任論」という、本当は、株の運用で損失を出したことについてその責任は投資をした自分で引き受けるべきだぐらいの意味合いだけで使っていればいい言葉を、社会のあらゆる領域に適用する愚行を犯すことはなかったに違いないのです。
文句を言っているだけでは埒があかないので、NEET(若年無業者)の問題を、心理という内在の問題から心理以外の外在の問題へと再設定しましょう。
(この試みは単なる責任転嫁として評価されるべきではありません。
自己責任論は、他の主体の「無責任論」であることに注意してください。
つまり、権力側の無責任と責任転嫁が既に存在していることを、まず認識してください。
もちろん、個人にも責任は分有されるでしょうが、その責任は、限定され明確にされる必要があるでしょう。)
若年無業者はどうして生じるのでしょうか?
経済的には、需要と供給という言葉で考えることになります。
求人という需要が旺盛であれば、そもそも問題になりません。一つには景気が良くなかった。
そして、採用する側が設けた条件が厳しすぎた。
即戦力となる人たちを若年者からは見付けられません。
そもそも若年層は潜在能力で評価されるべき対象でした。それを顕在している能力だけで判断しようとしてしまった。
まとめると、学生に対する求人需要が弱く、採用条件が厳しすぎた。また、企業側に未経験者としての若者を雇用するほどの経済的な余力がなかった、あるいは投資環境になかった。
ということができます。
次に、政治的な問題を見ていきましょう。
政治は、主として雇用者と被雇用者の間に定めるルールを定める場です。
ここでは、労働者派遣法というのを考えなければなりません。
必要なときに必要なだけ必要な間雇用できるようにすることを隠れた目的としているこの法律は、若者に安定した生活を保障しないという犠牲を若者に要求します。
このような労働環境は、労働市場への新規参入者である若者を中心に広がっています。
もちろん、投票に行かない若者が悪いのだ、という言説があります。
しかし、この言説は、地方では、若者が都会を目指して働きにでてしまう傾向が顕著であり、少子化と共に、上の世代には、絶対的に数で敵わないことを見落としています。
長くなりましたので、続きは後で。
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