省察とは、反省ぐらいの意味ですが、
世の中には反省することができない人の方が多いので、
そういう人たちに立ち替わって、省察をしてみますね。
特に、福祉業界では、「寄り添い」という言葉がもてはやされますね。
いかにも福祉的行為の本質を言い表した言葉だな、と思います。
しかし、私の知る限り、この「寄り添う」という作法を
満足に身に着けている福祉従事者はいません。
人それぞれに勝手に「寄り添う」を理解している状態だ、
という認識すら乏しいから、共通了解を図るためのコミュニケーションすら
全くできていません。
各自が勝手なイメージを持って、独善的に行動しているのですから、
支援を必要とする人に非組織的にしか対応できません。
お題目を唱えれば、共通了解が生じるとでも勘違いしているかのようです。
そのためもあり、
「寄り添われた」という体験を彼らの行為から経験したことはありません。
そして、第三者として、確かに「寄り添っている」と思わせる対応を
観たことがありません。
そして、彼らは十分に省察していませんから、
支援を必要とする人への対応は失敗の繰り返しで、成長が見られません
これでは、いくら福祉業務に従事しようが作法として身につきません。
彼らは「寄り添う」とは、どういうことですか?
ということを明確に答えることができません。
応答できないということはなんの責任を果たしていないことです。
彼らは具体的にどうすることなのか、応答する義務があるのです。
それが、プロフェッショナルの道を歩み始めるということなのです。
応答できないことが職業人としての地位の低さの一端を作っています。
それは、とても残念なことです。
改めて、「寄り添う」について、必要な能力は何だろうか?
それは「人を愛する能力」にほかなりません。
したがって、
資格を取得するための知識からはそうした能力は涵養されません。
人に愛されることばかり考えている人こそ、適性がないのです。
さらに、ただ依存させることは、愛がある行為とは言えません。
愛することは技術が必要なことなのです。
だから、「寄り添い」というのは、
まず、支援が必要な人と支援する人の間に成立する「愛のある関係」であり、
それは、愛する技術が適切に応用されている人間関係の一つである。
とは少なくとも言えるのです。
もちろん、これだけでは何のことかまだ分からない。
だから、共通了解を広く深くするために、
福祉従事者は必要なコミュニケーションをとる必要があるのです。
本当に独善的な人が多くてうんざりします。
まず、「私は寄り添えていたのか?」を周りの人に確認するべきであり、
他人を寄り添えていないと中傷・批判することをやめたらどうですか?
前者は、謙虚な態度の表れであり、後者は傲慢の極みでしかありません。
スタッフは対等な関係で相互に理解できているんですか?
これらを、よく省察して実践に生かしてください。
ではまた。
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