アポロ行政書士事務所

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2017/07/03 3:31:40|蔵の街ライフデザイン
強みに気が付く。
さて、私は行政書士業界に参入します。

本日、親戚のところから別件で電話があり、

その際に、行政書士事務所を開業する旨を伝えましたが、

まず、どこかの事務所で経験を積むべきだという意見を頂戴しました。

早速、冷や水をかけられたということです。

そして、思いました。

さすが、大手に近い中堅企業でサラリーマンとして勤めあげてきた

人の言葉です。

もちろん、皮肉を込めてこう表現させていただきます。

何を言いたいかというと、この人は、

決して、「あきんど」にはなれない発想の持ち主だ、ということです。

だから、こういう人の発言には、何の価値も見出せません。

真に受けると、実害をこうむることになりかねません。

それくらい、商人とサラリーマンの考え方には隔たりがあるのです。

それすらこの人にはわからないのでしょう。

もちろん、10年ぐらい前の私も、それくらい分かっていませんでした。

つまり、30代の10年間をまるまる費やして、

私は、商人の世界からサラリーマンの世界を見れるようになりました。

つまり、お互いは、相互理解が難しい異文化の人間なのです。

勤め人でしかない人は決して社長になって成功しません。

生業レベルの自営業すら起業することはできないでしょう。

私には、商人の発想が分かっています。

それが、私の強みです。

ところで、他の行政書士事務所で実務経験を積むことの無意味さについては、

敢えて書きません。

読者の中には行政書士になりたい人がいるかもしれません。

しかし、勤め人と同じ発想しかできないなら、

失敗することは目に見えていますから

すっかり諦めるか、時間をかけて勉強したほうがいいでしょう。

経験がないことについての解決方法などいくつもあるのです。

答えは一つではありません。

必要なのはお手本的な解決ではなく創造的な解決能力です。

私には創造的な解決能力があります。

これもまた強みです。

このように不愉快な発言から、

私は自分の強みに改めて気が付くことができました。

その点では、感謝したいと思います。

商売のセンスは商売するには必須ですね。

ではまた。













 







2017/07/03 0:54:03|蔵の街ライフデザイン
当事者研究をしてきた。
さて、「星夢会」で、当事者研究をしてきました。

その場にいた半分の方がこの研究をご存じありませんでしたが、

会場を後にするときには、全員の拍手を頂くことができました。

当初の目的は、当事者研究に触れてもらうことで、

ご自身が研究することを好意的に受け止めていただくこと、と

発表を含めて私にもできそうだ、と思っていただけることでしたが、

自分も違う場所・機会で是非やってみたい、という声も上がり、

とても有意義な時間と場を設けることができたことは、

大変、喜ばしいことでした。

その場に参加していただいた方々の力に助けられました。

この場を借りてお礼申し上げます。

進行については、2部構成で、第一部では、当事者研究の概要の紹介に

半分の時間を費やし、第2部で、実演するという流れになりました。

第一部では、北海道浦河町にある、「べてるの家」で実践されてきた

効果的な取り組みであることと、なかなか丸ごと真似しようとしても

困難を極めること、一般社会でも活用できるはずだ、という主張で終わり、

我々も、少ない情報を手掛かりに見よう見まねで取り組んでいることを、

打ち明けました。

その場では説明しませんでしたが、当事者研究自体は、

そうした取り組みを行える居場所の文化的土壌に制約されつつ

特に、ファシリテーターの個性やファシリテーターと登壇者との

人間的な信頼関係が形成されていることを条件に成立するため、

「べてる式」を完全に模倣することはできません。

これは単にネガティブにとらえるべきではなく、それぞれの居場所の名前を

冠した当事者研究が展開できるということでもあります。

つまり、我々は「星夢会式」の当事者研究を追及していけます。

第2部では、私が登壇して、発表しました。

といっても、ファシリテーターも兼務しましたし、

板書も必要に応じてしなければならなかったため、

登壇者としての十分に機能できたかどうかは、検討しなければなりません。

一人三役でしたが、ほとんどファシリテーターとして機能していました。

やはり、研究内容が粗削りなものであっても、対話の促進者がしっかりしてい

れば、場を回すことはできます。

その結果、参加者の皆さんが、

主体的で、対話的な、深い学びを個々に得ることができたのではないか

と思われます。

言い換えれば、アクティブラーニングできたと思います。

時間は第一部が30分で第二部が30分の合計1時間でした。

もちろんまだまだ改善の余地はありますが、

皆さんに楽しかったと言ってもらえたことは、

大変、私にとっては励みになりますし、自信を得ることにつながります。

これからも精進して、自信を積み重ねていければと思います。

さて、

ブログの読者にも当事者研究にご興味のある方もいらっしゃると思います。

栃木産の当事者研究も大いに実ろうとしていると感じます。

あと1〜2年もすれば、期待以上の品質で一般のお客様を集めることは

できると思います。

そうした中で、私も活躍の機会を得ることはあると思いますので、

今後に期待してください。

では、よろしくお願いします。






 







2017/06/30 21:34:33|研究
当事者研究してみる。
本日、2つ目の投稿です。

突然ですが、当事者研究をしてみます。

というのも、

明日、当事者研究をデモンストレーションしてくれ、

という依頼がありましたので、応じることにしました。

当事者研究の紹介はこの投稿ではしません。

では、早速、当事者研究を始めたいと思います。

さて、現在、抱えている問題は何か?

などと、問われて、即答できる人は少ないと思います。

それは、単に幸福だからという場合は多くないでしょう。

多くの場合、問題が見えていないだけなのではないでしょうか?

こういう場合、不愉快だが人に指摘されたことがあるか、

思いだしてみることが必要です。

私は、職場の上司に「人に興味を持て」と言われたことを思い出しました。

その時は、派遣会社で、派遣さんを管理する上司の補佐という立場でした。

なので、人に興味を持つことが高度に求められる仕事ではあります。

しかし、私は、そうした要求に十分に応えることができず、

その職場を去ることになりました。

さて、人の悩みのすべては人間関係の悩みである、

などと主張する精神分析家がいますが、

確かに、

人間関係が少なければ、それだけ心を煩わせることは少ないでしょう。

「人にあまり関心を抱かない」ことは、

心の平穏を保つにはメリットが見いだせるということです。

しかし、それは俗に塗れない生き方をしていることと同じです。

出家している僧侶なら、そんなあり方も許されるかもしれません。

が、俗に塗れてもなお心の平穏が保たれる人でなければ、

多くの人に認められる存在にはなれないのではないでしょうか。

人間関係からの逃避するのではなく、

より良い人間関係を築くことを諦めないこと、

そのほうが、ポジティブな生き方だと思います。

つまり、人間関係を最低限に抑えることで心を安定させるのではなく、

十分に満足できる人間関係を築きながらも心の安定を築くことこそ、

問題解決の状態像だろうと、考えます。

これまでは、人間関係を極力避けることで、こころの平安を保ってきました。

もっとも、お金を得なければ生きていくことはできませんから、

職場の人間関係を上手く保つことぐらいのことは、できていました。

(直近の職場では、通用しませんでしたが、ここでは例外扱いします。)

友達を持つこと、恋人を持つことについてはどうか?

こうした課題はただ惰性で生きている人間にとっては必要ありません。

私は、惰性で生きてきていますから、課題として認識していません。

しかし、より良く生きようとするなら、今後は課題であるはずです。

もっとも、現在でも友達がいないわけではありません。

しかし、今の友人関係には満足できないところがあります。

現実の友達関係というのは、対等であることは少なく、

とかく支配従属関係に陥りやすい気がします。

こうした支配従属関係に満足する人たちは実際は多い。

なぜなら、共通の敵を叩くという目的でまとまることができれば、

直接的に敵と対峙することは避けられるからです。

こうした集まりは、多く見られますが、お互いを手段とみなし、

決して目的としていない関係です。

味方かもしれませんが、友達ではないでしょう。

味方は裏切ることもあるし、そもそも敵の手下であるかもしれません。

結局、周りは敵だらけなのではないか、という不安に陥りかねません。

こんな状態であれば、味方を見出すことができません。

より良く生きることを実践することができず、当然、経験値を増やすことが

できないでしょう。いつまでも未熟なままです。

このような罠に落ちた実存について、適切な名前(自己病名)を考えます。

「周りは敵だらけ不安症候群パーティを組めないRPG勇者タイプ」

ここまでで、ようやく自己病名をつけるところまでたどり着きました。

次の投稿では、RPG勇者タイプの実存が辿りがちな人生シナリオを

検討してみたいと思います。

ではまた。


















 







2017/06/30 16:08:42|蔵の街ライフデザイン
明日から7月です。
久しぶりの投稿です。

今日は6月30日です。明日から7月です。

蒸し暑い梅雨が目下続いていますね。

今年も、半年が過ぎていきます。

これから3カ月ぐらいは暑い日が続くのでしょうか。

汗っかきの自分には大変な季節に突入しようとしています。

さて、時候の挨拶めいたものはさておいて、

お知らせがあります。

私ごとではありますが、行政書士を開業することになりました。

行政書士業自体は8年ぶり2回目の開業になります。

前回は、リーマンショックで意気消沈し、思わずやめてしまったのですが、

今回は、不惑の年齢も通り過ぎましたので、

生涯にわたって継続していければと思います。

振り返れば、私にとって30代から40代の今までは、激動の時代でした。

あえてここで披歴しようとは思いませんが、

そうした経験を事業運営に活かすことができればと思っています。

現在は、開業のための諸々の手続きに入ろうとしているところでして、

本格的に開業するのは8月も半ばを過ぎた頃になるのではないか、

と、思われます。

夏場の一番暑い時期で周りは盆休みかもしれませんが、

そのころにぼちぼち仕事を始めていくことになりそうです。

まあ、10年前よりだいぶ自営業者としてやっていけるだけの力は

蓄えられたと思います。

行政書士業界も、もちろん甘い業界ではありません。

ですが、商売のやり方はあるようです。

実効性のある作戦を立て、着実に実行しながら、

なかなか負けることのない、しぶとい商売をしていこうと思います。

それでは、

これまで応援していただいた沢山の皆様へ

今後とも変わらぬお付き合いをしてください。

そして、

これから応援してくださる沢山の皆様へ

よろしくお願いいたします。










 







2017/05/11 17:46:53|その他
才能論と努力論
久しぶりの投稿です。

エジソンは99%の努力は1%のひらめきに勝てない、と言いました。

その通りだと思います。

日本人は、努力すれば、なんでもできるようになると思いがちです。

こうした信念は、単なる間違いであるばかりでなく、危険でもあります。

才能も努力もベクトルで表現できるとするならば、

自分の才能の方向に合わせて、努力する方向を合わせることが、

まずは、肝心です。

ベクトルの方向が合っていればこそ、才能を伸ばすことができ、

努力すればするだけ早く、社会的有用性を獲得できるのです。

ベクトルが真逆の努力をしていれば、才能が開花するのが遅れるだけ。

では、

どうしたらその分野の才能があるかないかを推し量ることができるのか?

おそらく、それは「どの分野で探求心を発揮できるか?」に尽きるでしょう。

以下の例示は、最高レベルの才能です。

解釈の指針と条文を与えられさえすれば、ある程度、妥当な規範定立

ができてしまうような人なら、難関な司法試験でも楽勝なはずです。

基本的な仕分けのルールを知っていて、個別の会計的な事象を与えられたなら

独力で適切な仕分けを考案できるなら、会計の分野では、才能がありますね。

定義だけを与えられれば、成り立つ定理を次から次へと見つけ出せてしまう

なら、それは、数学の才能があるといえます。

駒の動かし方を覚えただけで、対戦を楽しめてしまうなら、

それは、将棋の天才です。

基本的なルールだけを覚えただけで、

その分野で成り立つ法則を次々と発見できるような人は、天才です。

学んで天才と肩を並べるくらいのことができるようになったら、秀才です。

天才は努力を必要としません。

秀才は、わずかな努力しか必要としません。

秀才は、天才を模倣してなんとか天才に近づきます。

ただ、それだけのことです。

このように独力で探求することができる分野であれば、

その分野では才能があるのです。

努力しても身につかないから、その分野では、全く才能がないのです。

あらゆる分野で才能を発揮できる人もいるかもしれませんが、

おそらく、ある程度、才能のある分野で努力をした人は、その成果を

分野横断的に発揮できる可能性があります。

であれば、才能のない分野では決して努力せず、

才能がある分野で努力したほうが、良いのです。

結論としては、短所は諦めて受容し、長所を伸ばすことに専心すること。

これに尽きる気がします。

以上です。