アポロ行政書士事務所

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2020/06/09 20:56:20|行政書士のお仕事
資格の魅力に気がつく。
行政書士資格には、様々な魅力があることに気が付きました。

◯誰でも受験できる。
受験資格がありません。学歴不問だし、年齢も不問です。

◯勉強量が少なくて済む。
例えば、
弁護士なら最低で6000時間ぐらい
司法書士なら標準で3000時間ぐらいの
学習時間が必要ですが、
行政書士は標準で600時間ぐらいの学習量で合格できます。

圧倒的に学習量が少なくて済みます。
社会人でも1年から2年、継続して勉強すれば受かるような資格です。
それに試験は満点の60%の得点を取得すればOKです。
競争試験ではなく、絶対評価なんですね。

◯他の国家試験の受験資格になる。
社会保険労務士を受験することができたり、
3年間開業していれば、税理士試験を受験することもできます。

◯独立開業できる。
個人事業主として独立開業できる資格です。
開業資金も他の個人事業に比べて少なくて済みます。
行政書士として雇われてはたらくということは、例外的にしかないので、
独立開業にしか向かない資格ともいえます。

◯新規参入がしやすい。
他の士業(弁護士・司法書士・土地家屋調査士・弁理士・税理士・社労士等)
と比べて、新規参入がしやすいです。
他の士業だと、営業活動がしにくい各業界の状況があります。
適切な営業戦略・戦術なり、営業マンとしての経験があるならば、
そのまま、知識なり経験を活かすことができます。

新規参入しやすい反面、
継続的に営業活動をしないと廃業に追い込まれやすいです。
顧問契約のような定期安定収入が得にくいです。
これは、デメリットかもしれません。

◯他士業と仕事のやり取りができる。
行政書士単独では、業務を完遂できないことが多いため、
他士業にお願いする場面が多いです。
そのため、士業ネットワークを築きやすいメリットがあります。

他にも魅力を感じるところは多々あるのですが、
折に触れて、紹介していきたいと思います。
今回は以上です。
ではまた。
 







2020/06/08 20:21:55|家の出来事
日光ベタトリップ。
日光へ、ベタな旅行に行ってきました。
本日のことです。
一応、県内から県内への移動です。

朝っぱら、午前7時30分頃に出発して、
午前9時頃には、東照宮の近くの駐車場には到着しました。
鹿沼から高速道路に乗って行ったのです。

日光へは下道でいくのを常としていましたが、
高速を使ったらどれくらいの費用と時間で
行って帰ってこれるのか、調べてみたくなったためです。

帰りは、1時間程度で、日光から帰って来ることができました。
宇都宮のインターチェンジを経由する必要があるんですね。
下道のほうが近道ではあるのですが、大回りしてでも
高速で行ったほうが早いということなのでしょうか?

さて、東照宮を見てから、田母沢御用邸に行って、
午後1時過ぎに、金谷ホテルベーカリーがやっているレストランで
ちょっとお高めのランチをして、午後の3時前には、自宅に到着です。

なかなかの強行軍でしたね。
歳をとったせいか、世界遺産を見て回るだけでも
くたびれてしまいました。
大猷院の石段を登るだけでも大変でした。

上島珈琲店でコーヒーを飲んでから、
駐車場へ戻りました。

などと、書いていると一人旅のように思えてしまいますが、
おふくろが東照宮を見たくなったと言ったために、
出かけることになったので、おふくろと二人で旅をしていました。

結局、携帯の記録では、1万歩程度は歩いたようです。
旅の思い出として、お守りを買ったり、
鈴を買ったり、小さい風呂敷を買ったりしていたため、
それなりの出費がありました。

結局、飲食費だけで6000円近くかかりました。
旅の記念品として、6000円近くかかりました。
おそらく、入館料だけで6000円ぐらいかかりました。
交通費だけで、3000円ぐらいかかりました。

ということで、栃木市民がちょっと日光へ旅をしてみると、
2万円以上の出費になることが判明しました。
まあ、満足度が低いわけではないので、良しとしましょう。

そういえば、昔、日光オルゴール堂だったか、
あったはずですが、今回は見つけることができませんでした。
だいぶ前に、営業をやめてしまったのでしょうか?

日光は楽しみ方が沢山あると思いますので、
また、何かあったら訪れてみたいと思います。
今度は東武の電車を使って行ってもいいかもしれませんね。

今日はそんなところです。
ではまた。







2020/06/07 10:24:52|体調管理
特になし。
ブログを書こうと思いましたが、
なにか書くべきことはありません。
おもむろに書き始めました。

そういえば、はんこと書類がなくなってきたら、
行政書士業界はどうなるのか?
そんなことを考えていました。

おそらく、大幅に仕事がなくなるだろうということと、
仕事を依頼する人が大幅に減るだろう、ということで、
業界がほぼ消滅するだろうと思います。

マイナンバーが普及するだけでも、
かなりの業務削減になるでしょう。

行政書士もオンライン申請に積極的に関わらなければ、
業界自体が消滅するかもしれません。

オンライン申請に移行できる行政書士でも仕事がないでしょう。
おそらく申請自体が簡単になるからです。
そして、時間もかからなくなるでしょう。

一気に、テクノロジーを導入してしまえば、
書類作成の代行業などというのは、なくなってしまいます。
はっきり言って、面倒だが必要で、時間を取られるから
発注があるわけですから、その前提が崩れてしまったら、
発注する人は少ないでしょうね。

コロナ禍がどれくらい続くかにもよるかもしれませんが、
何れにせよ、業界が瀕死になるぐらいの大きな変化は
5年から10年以内には間違いなく起きるでしょう。

私は現在45歳ですから
55歳までに行政書士をやめることになるかもしれません。
その後、何をしているかわかりませんが、
エッセンシャルワーカーとして、農業に参入しているのかもしれません。

世の中には、必要のない仕事がたくさんあります。
そうした仕事のほうが儲かります。
低賃金で長時間労働の仕事には、誰もつこうと思いません。

しかし、ベーシックインカムなどが本格的に導入されれば、
東京一極集中などという自体もなくなってくるのでしょう。
生活費の安い地方でだらだら暮らすスタイルが定着するかもしれません。

現段階でも、都会で成功するというのは、
現実的でなくなってきていますから、
地方回帰がトレンドになることは、間違いありません。

まあ、そんなことを考えていました。
参考になさってください。
ではまた。







2020/06/04 22:27:28|行政書士のお仕事
マスク届く。
昨日でしたか、
例の「マスク」が届きました。
郵便局のタウンプラスを利用した模様です。
以上、ストレートニュースでした。

さて、法律には、民事と刑事と行政手続きがあると思います。
民事と刑事に関われるのが法律家と呼ばれる存在です。
行政書士は行政手続きの代理・代行しかできません。
正確には、民事法務を少しだけやることができます。

したがって、行政書士は隣接法律職ではあっても、
法律家ではない、と思います。
もっとも行政書士会では、「街の法律家」の呼称を使用しております。
狭義には法律家ではないけれども、広義には法律家なのでしょう。

行政書士にも民事法務という分野があるとされています。
私は、少し懐疑的にならざるを得ません。
もっとも、行政書士法の解釈に従えば、
民事法務も一定範囲できるのは確かです。

相続業務では、遺産分割協議書の作成と遺言書の起案ができますかね?
後見業務では、任意成年後見契約書の起案ぐらいはできるでしょうか?
内容証明業務では、クーリングオフについてはできるみたいですね?
離婚業務では、離婚協議書の作成ぐらいはできるでしょうか?
交通事故業務では、自賠責保険請求手続き業務ぐらいでしょうか?

業際が不明確なため、確実にできるのかどうかわからないです。
私は、行政手続きの代理・代行だけでやっていきたいと思います。
行政手続きの代理・代行に付随して発生する民事法務については、
できる範囲でやっていこうというスタンスです。

行政書士業界では、法律家とされたいようなのですが、
まだ、行政書士法では、十分に法律家とはされていないように
私には思われますので、慎重にならざるを得ません。

本日は、そんなところです。
ではまた。







2020/05/25 0:59:17|人生をデザインする会
魅せる技術。
「つまらない」、はその客体の属性だろうか?
「つまらない」、はあくまでも主体の評価にすぎない。

「おもしろきことのなき世をおもしろく」
面白い事やモノがあるのではない。
面白くする人がいるだけである。
あるいは、面白いと思ってくれる人がいるだけだ。

面白い話があるのではなく、
面白く話しているだけである。

だから、面白い話を収集するのではなく、
面白くなる話し方に着目したほうがいい。

話し方は学びうるものである。
それは、ただの技術にすぎないのだから。
技術があれば、何でも面白おかしく仕立てることができる。

例えば、大人は、童話(桃太郎)に興味が持てない。
それは、聞き飽きているからだ。新鮮味もないからである。
でも、話題の切り口しだいでは、このつまらないはずの童話も
楽しくなるはずだ。

もし、物語の構造だけは変えずに、
物語をアレンジするなどの、
物語への破壊と創造を繰り返したならば
つまらない話も面白くなってくる可能性はある。

物語の構造を変えないこと。
これは大事である。
なぜならば、これは本質的に「遊び」だからだ。
構造を変えないことは、場所と時間を限定することと同じである。
ルールがあってこそ、遊びは成立するのである。

落語なんかもそうだろう。
全く同じ話なのに、
語り手によっては、
面白い話になったり、
つまらない話になったりする。

それは、話し方に技量の差があるからである。
そうした技量を蓄えるには「遊び」の場が必要であって
そうした遊びが洗練されて文化としての形式を持つようになるだけだ。

日本には、優れた文化がある。
よく遊んできた歴史が堆積しているのだ。
よく遊び、その中で、よく学べるのである。

遊びの一つの形式として、模倣(ミミクリー)がある。
学ぶとは「まねぶ」が語源であることもよく知られていることだ。
だから、真似すればいい。

真似をすることで、創造性が失われることはない。
むしろ、創造性を活発化するには、よく真似をする必要がある。
型があっての「型破り」であり、型がなければただの「型なし」である。

文化には、美しさがある。
美しさのために、人は魅了されることがあるのだろう。
だから、魅せるための技術は「アート」である。

本日はここまで。
お疲れさまでした。
ではまた。