今日は、よく眠っていた。 朝は早く起きたが、朝食後に横になってしまい、眠った。 昼になって、昼飯を食べたあと、横になってしまい、眠った。 ほとんど眠り倒した一日になった。
といっても、お金の請求は来ているわけで。 実は、車検があったため、支払いをした。 6万2000円と少しである。 一部、修理が入ったが、安く済んでいる。 今回は、一括で支払うことができた。
そして、税金である。 軽自動車は7,200円だったろうか。 その他に、固定資産税である。 ちなみに、実家の一部は私のものである。 そのための支払いが5万6000円ぐらいだったろうか。 去年より1割ほど安くなっている。 こちらも一括で支払うことができた。
もちろん支払いのために貯金が削られたため、なんのうれしさもない。 先月と今月は、旺盛な消費活動のために、 その月の収入から払えるはずであったが、全く足りなかった。
ペイペイで支払うことも考えたが、 基本的にペイペイはクレジットカードをキャッシングして 使っているため、やり方がわからないし、 改めて調べたくもなかったので、 ペイペイは使わなかった。 コンビニで、支払い用紙を出して払ってきた。
さて、心は落ち着いてきた。 30年以上悩まされてきた執着(しゅうじゃく)から、 どうやら離れることができたようだ。
執着とは、私への執着といったところか。 もっと正確には、輝かしい将来が約束されていたことへの執着である。 その約束は、20年ぐらい前に解約、あるいは更改されていたが、 その後、20年以上も執着の対象になってしまっていた。
ここにきてようやく平凡な暮らしをすることについての 覚悟ができたといったところか。
もちろん経済的には恵まれてはいないが、 沢山働く必要がない状態ではある。
この状態はもちろん不確定期限があるのだろうが、 わりと幸せではある。
この暇な時間が持てたことで、心の傷がようやく癒えたのである。 もちろん、暇のために、集中的に考え直すことができたからなのだ。
私はどの特定の宗教組織にも所属していないし、 今後も所属するつもりはないが、 神様が存在することは確信している。 なぜなら、神の使いの者と私は、わが肉体を共有しているからだ。
もちろん、その神秘体験は私の個人的な体験でしかないため、 客観的な証拠など、私は用意することができない。
しかし、それは、私の体験を第三者が確信することができないだけで、 私が個人的に確信することを妨げる事態ではない。
大体、私は、神の存在を証明する責任を負ってはいない。 だから、信じるも信じないもあなた次第だし、 信じても信じなくても、なんらの危害便益もありません。
私は、これまでのことを以下の如く整理した。
結局、すべては人のせいにはできない。 しかし、すべてを霊的な存在のせいにはできる。 だが、その霊的な存在には、なにか考えがあったのであろう。 その考えは、私の人生を大局的に見れば、やはり愛ゆえの行いなのだ。 ゆえに、私は、その行いの結果、生じたことを甘んじて受け入れることにした。
これまでに、なんの社会的成果も挙げられなかったが、 それは、この断固とした拒否・拒絶による不安定な心の状態のためであった。
今後は、もっと、与えられているモノを使用して生きていくのがよいのだろう。 私は、与えられたものは沢山あるのだから、それでいい。
受け入れることでこんなに気持ちが楽になるとは、 予想だにしなかったが、ようやく、執着は終着駅に降り立ったのである。
もっとも今後、新たに執着するものがでてくる可能性はある。 そのときには、もっと執着をうまく制御できるようにしたい。
でも、執着とは、愛することでもあるようだ。 だから、まだ、当分、旅は続きそうである。
本日は以上。 ではまた。 |