アポロ行政書士事務所

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2021/05/21 23:39:42|蔵の街ライフデザイン
執着(しゅうじゃく)から離れる。
今日は、よく眠っていた。
朝は早く起きたが、朝食後に横になってしまい、眠った。
昼になって、昼飯を食べたあと、横になってしまい、眠った。
ほとんど眠り倒した一日になった。

といっても、お金の請求は来ているわけで。
実は、車検があったため、支払いをした。
6万2000円と少しである。
一部、修理が入ったが、安く済んでいる。
今回は、一括で支払うことができた。

そして、税金である。
軽自動車は7,200円だったろうか。
その他に、固定資産税である。
ちなみに、実家の一部は私のものである。
そのための支払いが5万6000円ぐらいだったろうか。
去年より1割ほど安くなっている。
こちらも一括で支払うことができた。

もちろん支払いのために貯金が削られたため、なんのうれしさもない。
先月と今月は、旺盛な消費活動のために、
その月の収入から払えるはずであったが、全く足りなかった。

ペイペイで支払うことも考えたが、
基本的にペイペイはクレジットカードをキャッシングして
使っているため、やり方がわからないし、
改めて調べたくもなかったので、
ペイペイは使わなかった。
コンビニで、支払い用紙を出して払ってきた。

さて、心は落ち着いてきた。
30年以上悩まされてきた執着(しゅうじゃく)から、
どうやら離れることができたようだ。

執着とは、私への執着といったところか。
もっと正確には、輝かしい将来が約束されていたことへの執着である。
その約束は、20年ぐらい前に解約、あるいは更改されていたが、
その後、20年以上も執着の対象になってしまっていた。

ここにきてようやく平凡な暮らしをすることについての
覚悟ができたといったところか。

もちろん経済的には恵まれてはいないが、
沢山働く必要がない状態ではある。

この状態はもちろん不確定期限があるのだろうが、
わりと幸せではある。

この暇な時間が持てたことで、心の傷がようやく癒えたのである。
もちろん、暇のために、集中的に考え直すことができたからなのだ。

私はどの特定の宗教組織にも所属していないし、
今後も所属するつもりはないが、
神様が存在することは確信している。
なぜなら、神の使いの者と私は、わが肉体を共有しているからだ。

もちろん、その神秘体験は私の個人的な体験でしかないため、
客観的な証拠など、私は用意することができない。

しかし、それは、私の体験を第三者が確信することができないだけで、
私が個人的に確信することを妨げる事態ではない。

大体、私は、神の存在を証明する責任を負ってはいない。
だから、信じるも信じないもあなた次第だし、
信じても信じなくても、なんらの危害便益もありません。

私は、これまでのことを以下の如く整理した。

結局、すべては人のせいにはできない。
しかし、すべてを霊的な存在のせいにはできる。
だが、その霊的な存在には、なにか考えがあったのであろう。
その考えは、私の人生を大局的に見れば、やはり愛ゆえの行いなのだ。
ゆえに、私は、その行いの結果、生じたことを甘んじて受け入れることにした。

これまでに、なんの社会的成果も挙げられなかったが、
それは、この断固とした拒否・拒絶による不安定な心の状態のためであった。

今後は、もっと、与えられているモノを使用して生きていくのがよいのだろう。
私は、与えられたものは沢山あるのだから、それでいい。

受け入れることでこんなに気持ちが楽になるとは、
予想だにしなかったが、ようやく、執着は終着駅に降り立ったのである。

もっとも今後、新たに執着するものがでてくる可能性はある。
そのときには、もっと執着をうまく制御できるようにしたい。

でも、執着とは、愛することでもあるようだ。
だから、まだ、当分、旅は続きそうである。

本日は以上。
ではまた。







2021/05/14 17:14:32|蔵の街ライフデザイン
悩むと考える。
これまでは悩みきった人生でした。
これからは考える人生にしたいです。

悩むのは受動的な苦役でしかないようです。
考えるためには問題に直面するということが必要です。

人生には障壁として様々な問題がやってきます。
それこそ多種多様でたくさんの問題がありますね

そうした問題は解くしかありません。
そして自分らしく解決すればいいのです。

人生の問題に模範解答などないのです。
大体、その問題は、私にしか用意されていないかもしれません。

オリジナルな問題に対して、オリジナルな解決を与えるしか方法がありません。
カンニングで解けるような問題ではないのです。

大体、解けることがわかっている問題など、
解くに値しないのです。

そもそも答えがあるかどうか不明な問題もたくさんありますし、
複雑すぎて解けない、能力不足で解けない問題もありますね。

解くまでにタイムリミットがある問題もありますね。
それでも、暫定的にでも解答をしなければならないのです。

学校のテストのような問題など、人生の壁と比べれば、
解くことはとても容易いのです。

学校のテストの問題など、解くに値しないのです。
それは、だれかがすでに解いているわけですから。

自分の人生において何が問題なのか?
そして、その問題はどのような課題に分けられるのか?
そうした課題のうち、どの課題についてだけ取り組むか?
どこまで解決できれば満足(幸福)なのか?

自分に取り巻く状況をどう認識し、
どのような問題意識を傾けるのか?

解決できないなどと安直に言わずに、
どう解決していこうか?

と、思案を巡らすことでしか人生を楽しくする方法はないようです。

本日はこれまで
ではまた。







2021/05/10 22:12:13|蔵の街ライフデザイン
罠に嵌る。
私の将来を予言したり、
心の中を覗いていた者は
かつて確かにいた。

私は、望んでもいないことを
他人を通じて一方的に与えられた。
その結果、ひどく傷ついてしまった。

それは、魂を傷つけられたということである。
そのことは真実だ。
でも、そうしたのは、霊界にいる存在である。

霊界にいるのだから、とりあえず偉いのだろう。
しかし、私は、直接的にコンタクトをとれない。
どのようにコンタクトをとったのかわからないからだ。

さて、思うに霊界も一元的ではないようだ。
霊界にも階層があるようだ。
それに、天使的な存在も悪魔的な存在もある。

天使と悪魔というよりは
味方になる者もいるし、敵となる者もいる
ということにすぎないのであろうが。

確かに、頂上には、ひたすら愛するだけの神がいるのだろう。
その意味では宇宙があるといいたい。
私は、ただ愛されているだけなのだ。
もちろん、その愛を独占しているわけではないことも確かだ。

しかし、私は、この頂上にいる神とは接触はできていない、と思う。
私のところに来たのは、委任を受けた使者だろう。
それに、その使者とは、死んで再生したときから私の肉体を共有している。

どの階層から来た使者なのかはわからない。
が、とりあえず守られているのだろう。
ひどく惰性で生かされているが、いまだ不幸にはなっていない。

私は、やはり自力でいろいろと調べる必要があるのだろう。
そうしないと、これからも能動的に生きるということは難しい。

おっくうだが調べることにするかな。

はっきりいって、とっくに私の周辺を探っている人もいるのだろうが、
私に何の連絡も入れていない。理由はわからない。捜査主体もわからない。

やっと、ブログなどで言えるようになったのは、
キズがようやく癒えてきたからだろう。

もちろん、まだ治ってない。

私はわたしの人生を取り戻したい。
ただそれだけだ。

ではまた。







2021/05/10 11:27:42|ライフデザイン
朱に交われば赤くなる。
なぜ、私の気分が不安定なのか?

それは、日本人の意識が狭いからです。
それは狭量といい換えてもいいでしょう。
ようするに器が小さいのです。

したがって、そんな日本人ばかりいる日本にすんでいれば
意識を広く保つことも難しいのです。
上下運動に例えるならば、落下の法則にしたがってしまいます。
簡単に落下します。
自分が、意識の拡張をなす体験をしたことすら忘れてしまいます。

でも、ふとした時に思い出すので回復します。
その結果、落下したり上昇したりしているのです。
ゆえに、気分が不安定になります。

日本では器が小さい人のほうが小さく成功するみたいです。
しかし、やはり器が小さいので大きく成功する人はいないようです。
その結果、全体としてみれば、不景気になります。
経済成長しないのは当然です。

日本に元気がないのは、器が大きい人のほうが
経済的に苦境に立たされている面があるからです。

日本の常識は世界の非常識
確かに、そう言えるところがあります。
意識が狭すぎて世界標準の意識に到達していません。

ソロ活動が増えるのも必然です。
大体、意識の狭量な人と接していても
疲れるだけですからね。

まあ、少ないですが、意識が高い人も周りにいるので、
その点では救われています。

やはり、日本で意識の拡張をしている方は全体としてみれば圧倒的少数です。
圧倒的少数なのは寂しいですが仕方ありません。

関わらなくていい関係はなるべくフェードアウトしていきましょう。

ではまた。







2021/05/09 23:45:05|ライフデザイン
怒りはなぜ必要なのか。
さて、子供は幸せだ。
なぜか。
それは、感情をそんまま表現するからだ。

生活する中で常に喜怒哀楽を感じているわけだ。
ネガティブとされる感情もポジティブとされる感情も
特に分別なく体験しているのである。

実は、これが大人になるとなかなかできない。
おそらく、知識が邪魔をしているのである。
知識が感情的なエネルギーに変な制御をしてしまう。

大体、大人になってからである。
幸せになりたいなどと願うのは。
子供はちがう。
幸せの只中にある人間はいま幸せであることにすら気がつけないのだ。

大人になってからわかることだが、
子供のころは、本当に幸せでしかなかったのだということだけだ。

もちろん、子供といえども成長過程にあるわけで、
思春期になると、途端に内向的になり不幸せになったりする。

性的なエネルギーが活発になってしまうことも、
自分の行動を抑制することが常に正しいことだと認識させられてしまう原因だ。

もし、思春期に、友人たちと性的な話題を避けるような関係しか
築けないのであれば、大人になった後に、精神的に苦しむことになるだろう。
もっと、性的な話題も素直な気持ちに沿って表現できるようでありたい。

さて、怒りの感情はなぜあるのか。
もちろん、私見になるが、それは、自分らしさと関わっている。
実は、人が何に怒りを感じるのかは、意外に共通していない。
だから、なにに怒りを感じるかによって、自分が何を大事にしているのか
自分の怒りと対話すれば分かってくるのである。

怒りを感じないということは、
私は何を重要な価値としているのか分からなくなるのである。
そして、だいたい怒りのエネルギーを拒絶している場合、
ポジティブなエネルギーとされる喜びや楽しい感情もなくなる。

感情の起伏が少ないということは一見、大人になることに見えるが、
実は、幸せであることからは遠ざかっているのである。

まず感情があるべきなのだ。
その後で、自分の認識に気がつきたければ気がつけばいい。
そして、問題とするならば、認識・認知を変えればいい。
ここで認識とは自己認識のことである。
もし、自己認識を幼いと判ずるならば、もっと社会に適合的な
自己認識に修正すればいい。
ただそれだけだ。

ただ、感情を失ってしまうと、きっかけもつかめないので、
自分を変える事はできない。
もちろん、変えるとは、
もっと自分らしく振る舞えるようになるということだ。
それは、人間関係の調整ということも含むものであっていい。

怒りは表現したほうがいい。
内向させないほうがいい。
内向すると鬱になるから。
聞く話だと、がんになったりもするらしい。

では、怒りをそのまま表現できるかと言うと、むずかしい。
人間関係が簡単に壊れてしまうだろうから。

しかし、自分が怒りがあっても我慢するばかりではいけない。
だから、上手く表現するという方法があるだろう。

その方法は、各人が上手く編み出していくのがいいだろう。
怒りの表現であってもそこは個性を発揮できるといいですね。

まとめると、怒りは、自分とはなにかに気がつくためには、
必要な感情なので、もっと怒りを感じていいし、表現してもいいですが、
表現するなら賢く表現できたらいいですね、ということでした。

最後に、カウンセリングの場で怒りを誘発させるような
カウンセラーがいたとしたら、案外、優秀かもしれませんよ。
なぜなら、お客さんをお客さんとして扱ってないからです。
それって、変な話、正しいのです。

気持ちよくさせるだけがカウンセラーの仕事ではない。
まあ、ウケない話だからこのへんでやめましょう。

本日はこれまで。
ではまた。