ニーバーの祈りはこんな感じですね。
変わらないものを受け入れる落ち着きと 変えられるものを変える勇気と 2つのものを見分ける賢さをください。
うろ覚えなので、正確ではないかもしれません。
私は、人の本質は変わらないと思います。 結局、私らしさからは抜け出せないのです。 私が私を観察した限りでは、 私らしくないことはできませんので、 私らしくない私に変化することはできないようです。
では、何ができるのか。 おそらく、自分らしさというものを出すか出さないか。 自分らしさで人生を勝負するかしないか、ということが できるできないの決断点になります。
言い換えれば、モードをチェンジすることができるだけ。 自分らしさを隠して生きていくのか、 自分らしさに基づいて、何事も行動していくのか。 つまりは、行動を変えていくことだけです。
行動を変えることが大事です。 しかし、それは、自分らしさをより表現する あるいは表出するという線に沿って行動することに過ぎません。
変わらないものを受け入れることは、 受容するということです。自己を受容すること。 それは駄目な自分に目をつぶったり、叱ったりすることではなく、 あるがままに受け止めて愛することでしかありません。
その自己受容をすすめるには、 他者を愛すること、なかんずく、共感して接することが必要です。 共感は人のためならずで、 すべては自分を愛することができるようになるためです。
自分を出していくこと。 それは勇気のいることです。 必ずしも、社会なり世間なり、身近な人なりに すんなり受け入れてもらうことばかりではないでしょう。 そこには、軋轢(コンフリクト)があって当然です。 しかし、その衝突を避けてばかりではいられないのです。 衝突を避けてばかりいては、自分の領域さえ守れないのですから。 つまり、自分が他人に支配されてしまいますからね。 自分は自分だとしていいのです。 だから、自分にマウントしてくる人間など跳ね返せばいいのです。
私は、怒りを隠して生きてきましたが、 これからは、多少、殴り合いになっても、 自分の意志を押し通すことにします。 怒りを隠しても具合が悪くなったり、健康を害するだけですからね。
今後は戦闘モードになります。 それが、どうも生きる意味を噛みしめることにつながるようです。 それは、はたから見れば滑稽かもしれません。 しかし、滑稽ぐらいでいいのです。
人生など全体としてみれば喜劇なのですから。
本日はこれまで。 ではまた。 |