アポロ行政書士事務所

ブログの左サイドに各種関連HPのリンクを設けました。 ご関心のある方はHPをご覧いただければ幸いです。 よろしくお願いします。
 
2021/05/09 22:04:05|ライフデザイン
変化
ニーバーの祈りはこんな感じですね。

変わらないものを受け入れる落ち着きと
変えられるものを変える勇気と
2つのものを見分ける賢さをください。

うろ覚えなので、正確ではないかもしれません。

私は、人の本質は変わらないと思います。
結局、私らしさからは抜け出せないのです。
私が私を観察した限りでは、
私らしくないことはできませんので、
私らしくない私に変化することはできないようです。

では、何ができるのか。
おそらく、自分らしさというものを出すか出さないか。
自分らしさで人生を勝負するかしないか、ということが
できるできないの決断点になります。

言い換えれば、モードをチェンジすることができるだけ。
自分らしさを隠して生きていくのか、
自分らしさに基づいて、何事も行動していくのか。
つまりは、行動を変えていくことだけです。

行動を変えることが大事です。
しかし、それは、自分らしさをより表現する
あるいは表出するという線に沿って行動することに過ぎません。

変わらないものを受け入れることは、
受容するということです。自己を受容すること。
それは駄目な自分に目をつぶったり、叱ったりすることではなく、
あるがままに受け止めて愛することでしかありません。

その自己受容をすすめるには、
他者を愛すること、なかんずく、共感して接することが必要です。
共感は人のためならずで、
すべては自分を愛することができるようになるためです。

自分を出していくこと。
それは勇気のいることです。
必ずしも、社会なり世間なり、身近な人なりに
すんなり受け入れてもらうことばかりではないでしょう。
そこには、軋轢(コンフリクト)があって当然です。
しかし、その衝突を避けてばかりではいられないのです。
衝突を避けてばかりいては、自分の領域さえ守れないのですから。
つまり、自分が他人に支配されてしまいますからね。
自分は自分だとしていいのです。
だから、自分にマウントしてくる人間など跳ね返せばいいのです。

私は、怒りを隠して生きてきましたが、
これからは、多少、殴り合いになっても、
自分の意志を押し通すことにします。
怒りを隠しても具合が悪くなったり、健康を害するだけですからね。

今後は戦闘モードになります。
それが、どうも生きる意味を噛みしめることにつながるようです。
それは、はたから見れば滑稽かもしれません。
しかし、滑稽ぐらいでいいのです。

人生など全体としてみれば喜劇なのですから。

​​​​​​​本日はこれまで。​​​​​​​
ではまた。
 







2021/05/09 1:23:22|ライフデザイン
やる気なし。
私の人生に特に価値はありませんが、死にません。
将来に対してやる気もないですが、死にません。
寿命まで生きるのが望みです。

何故かわかりませんが、自殺しようと思ったことはありません。
もちろん自殺するだけの勇気はありません。
だからといって、前向きに生きるための勇気があるわけではないのです。

惰性で生きれてるだけです。
それは、私の力ではないでしょう。
大体、私の力ではこれまで生きてこれてないでしょう。

なぜか生きてこれました。
まあ、様々な形で愛を受けてきた結果です。
それをいくらかでも返していけるのが望ましいでしょう。

ただ、繰り返しになりますが、かなりやる気をなくしています。
成長しようという気持ちが湧きません。
それは、もう成長する余地がないからではなく、
ただ、成長するのがめんどくさくなってしまったということに尽きます。

かつて聞いた予言では、将来はユートピアに住んでいるらしいです。
もちろん、それが日本がユートピアになるということを意味していれば
万々歳ですが、そうではなさそうです。

予言を運んできた人間が嫉妬しているのですから、
少なくとも嫉妬している人間はユートピアに住むことはなく、
その人間は日本人ですから、ユートピアは日本ではなさそう​と結論します。

もちろん、外国で成立するということはありそうですが、
そんな外国に私が入国できるかどうかは怪しいので、その線もないでしょう。
どうやら、死後の世界を指しているようです。

死後の世界として用意されているのは渡しの場合はユートピアだそうです。
じゃあ、死んじゃえばいいじゃん、と思うかもしれませんが、
どうも今生に未練があるとなかなか死なないみたいです。
そもそも20年前は生き返って戻って来てしまいました。

人生の目的のハードルを非常に下げたため、
ある意味では、すでにその目的は達成されたのですが、
なぜか目的を達成したあとも長い残り時間があるのだな。

長い余生になっていますが、残り時間は本質的には暇つぶしです。
本当は楽しむことに専念すればいいのでしょう。
では、何をするか。

私は、これまでの人生で人と出会っていない気がしています。
人間に遭遇していないのです。
もちろん、知り合いは沢山いますが、人間に遭遇していないのです。
それは、私が薄っぺらな人間であることに起因しています。

薄っぺらい人間のため、人間理解も薄っぺらいことになっている。
そのように判断しました。
人というのは、他人に自分の姿をみているだけなので、
本質的に他人に出くわすことはできないのかもしれませんが、
他人は現に存在しているのです。

共感ということを意識するようにしました。
私は、ようやく人生のスタート地点に立てたようです。
しかも、まだ、ようやくスタートの合図が鳴らされたばかりのようです。

人間に遭遇して死にたいものです。
そのためには共感力だけは磨きたいと思います。
なぜ、人間に遭遇したいのか?
それは、私がまだ人間でないからかな。
早く人間になりたいものです。
もちろん、私は妖怪だと主張しているわけではありません。

現段階のわたしは人間として成長する種がないのと同じですね。
種がないのは成長以前の問題です。

オリンピックのトーチキスのように、
誰かから私の心に火を灯すような行為がなければ、
自分の火を灯すことができなくなっているのかもしれません。

情けない限りですが、
やっぱりやる気がないということでしょう。
あたかも火が灯されているように振る舞うことはできるかもしれませんが、
持続できそうにありません。

まあ、暫く燻っているしかないようです。
ではまた。
 







2021/05/07 19:03:41|ライフデザイン
共感を学ぶ。
カウンセリングを受けることにした。
というより再開する。
再開にあたって、明日、インテーク面接がある。

インテーク面接を通して、カウンセラーを選ぶことになる。
今回で、3人目である。
前の2人は相手の都合で途切れてしまった。

まあ、影響はない。
カウンセリングの場で、私は世間話しかしていない。
何でも喋っていいらしいが、特に打ち明け話はない。

大体、神様に会っている話などしても
精神病として片付けられてしまうだけだろう。
それに、誰も信じない。

神様については何人かに話しては見たが信じる人はいない。
もちろん、信じてもらったところで、私からは何も便益を与えられない。
私は特別な能力を授かっているわけではないからだ。

もっとも、神様に会ってからは、
人生はイージーモードになったような気がする。
イージーモードに突入しているにもかかわらず、
暫くハードモードを演じていただけだ。
なぜなら、いつでもその状況から離脱できたはずだからである。

生きづらさを抱えている人とともに歩いてみたかったからだ。

今度のカウンセリングでは、共感について学びたい。
残念ながら、私に共感を示してくる人はいない。
相手はカウンセラーなのに、はっきり言って共感ができていない。
だから、私の目の前で共感を演じてくれた人がいない。

共感とはなにか。
それは、あたかも相手の目で見て、相手の耳で聴いて、
相手の心を用いて相手の状況や相手の感じている感情を体験する
行為だと言えるだろう。​​​​​​

一言でいえば、「愛」である。
愛を示すということだ。
想像の中で一体化するということに等しい。
しかし、私は、今までの人生の中でこれまで目にしてきたことがない。
噂に聞くだけの幻の行為である。

かつて産業カウンセラーを取得しようと学んだものの、
私は合格することがいまだできない。
通算で4、5回、試験を受けたはずだ。

実は、産業カウンセラーの資格取得は、
人によっては運転免許証の取得よりも簡単である。
普通の人なら合格できる。

私は普通ではないらしい。
頭が良すぎるのが駄目らしく、
気に入らないようだ。

特に行政書士であることも気に入らないらしい。

それに、試験監督者は受からせる気がないようだ。
少なくとも今の試験形式では受からないだろう。

まあ、一般の人がカウンセラーに対して抱いている振る舞いは
はっきり言ってできているみたいで、
だから、資格がなくても
カウンセラーを名乗って活動することは全然できる。

カウンセラーは無資格でできるのである。
カウンセラー資格のほとんどが民間資格で、
なんちゃらカウンセラーという名称独占でしかないことがほとんどだからだ。

まあ、共感について、
もっと虚心坦懐に理解し習得するしかない。
それだけでいい。

本日はこれまで。
ではまた。







2021/05/07 0:09:15|ライフデザイン
任せることにした。
人生に目標を持って、
その実現のために努力する姿というのは、
確かに、かっこいいのかもしれない。
しかし、私には似合っていないようだ。

私は、いわゆるアスリートタイプではないのだ。
それは、現在の体型からも推認できることである。
しかし、目標に向かって最短距離を猛スピードで駆け抜けることが
最大の価値を持っているのかどうかは疑わしい。

私はドリフト(漂流)することも必要だと思う。
自分の意に反して流されてしまっても、それはそれで仕方がない。
流されてしまうのが自然な物理法則なのかもしれないから
そこに抗うだけが人の道ではないだろう。

さて、自分の人生は自分で作れるようだ。
しかし、作ったところでそれは、
自分の思いを実現させられただけなのではないだろうか。
そこに不満を感じることもあるだろう。

もっと自分が予め予測していないような、
すなわち、予定調和でない動きがなかったとしたら、
それは、真に人生を生きていると言えないのではないか。

などと、うだうだと考えているうちに、基本的なことを思いついた。
すべてを神様に委ねてしまうということをだ。
自分の人生の責任を神様に投げてしまいたい。

例えば、回転しない寿司屋のカウンターにいるとしよう。
私のオーダーに応じて握ってもらうことは、果たして楽しいだろうか?
もし、お客だったら、寿司職人にまかせてしまうだろう。
そのほうが楽しいからだ。
もちろん、一人5000円で握ってくれと言うことにはなるが。

私が神様に対して何を犠牲として捧げることになるかは、
今のところ明確ではないが、おそらく、神様が喜ぶようなことをするという
契約を結ぶことになるのであろう。神様がしたいことを代わりにするのである。

まあ、神様に任せてしまったら楽だ。
自分の人生に責任を持たないというに等しいからだ。
神様はなにを繰り出してくるかわからないが、それは私への配慮でしかない。
私には偶然でしかない出来事は、
神様にとっては必然的な設定にすぎない。

まあ、もう46年も生きているわけだし、
今、死んでもさほど悔いはないだろう。
明日、私が生きていれば、その一日を大切に過ごすだけだ。
これから死ぬまでの一日一日を幸福に暮らすことができれば、
それは有終の美というものではないだろうか。

私がこの世からいなくなることに、
あまり大きな意味はない。
それは、一波の波が母なる海といずれ同化するだけ意味しかない。
何事でもない。
私にとっては一大事ではあるが、世界にとっては些事である。

これから実践すべきは「愛すること」であり、
「愛されること」に執着するのは一切やめよう。

たとえ愛されなくても愛するだけである。
それでいい。

ではおやすみ。
 







2021/05/05 22:14:35|ライフデザイン
気分の不安定さに対処する。
さて、私は気分が不安定なのですが、
基本的に、気分はコントロールできないわけです。
しかし、どうにかしないと、生活が成り立たないですね。

気分が安定しているときに、
その安定を持続するための方法を編みだすのが良いのでしょう。
気分が不安定になったときに、
すぐに安定に戻れるようにできればよいのでしょう。

気分の変動の周期は様々なようですが、
自分の救助方法を考案して試していくしかないようです。
しばらく色々と考案して試しながら有効な方法を見つけるしかなさそうです。

正直、24時間のうち
8時間は眠っているわけです。
眠っている間は、気分の安定・不安定は問題にならないわけです。

では、朝起きてから午後5時ぐらいまで
しっかり安定していれば合格なのではないでしょうか。
すると、午前中の5〜6時間ぐらいと、
昼休憩後の午後の4時間ぐらいをなんとかすればいいわけですよね。

夕方以降は気分が落ち込んでいれば
何もせず嵐が過ぎ去るのを待つか、
とっとと眠ってしまうのがいいのでしょう。

そのために、なにもできませんが致し方ありません。
朝の時間が長いので、とりあえず目覚めの気分を快適にすれば、
暫くは、安定が持続することでしょう。

どうすれば、その持続が長続きできるのかを研究するしかありません。
「気分はどうすれば安定け持続できるか?」の研究です。
研究ですから、面白くなってきましたね。

仕事中は、
お仕事用の仮面(ペルソナ)をかぶるということで対処できそうです。
気分を表面に極力出さないようにするという対処法です。
もちろん、ストレスを伴いますから、後に気分がグダグダになるでしょう。
それでも、最低限の生活が成り立ちうるわけですから、
何もしないよりはマシだということになります。

どうにもならないと思い込んでいましたが、
なんとかできそうです。
ちょっと、意識して、研究に励みたいと思います。

本日はこれまで。
ではまた。