カウンセリングを受けることにした。 というより再開する。 再開にあたって、明日、インテーク面接がある。
インテーク面接を通して、カウンセラーを選ぶことになる。 今回で、3人目である。 前の2人は相手の都合で途切れてしまった。
まあ、影響はない。 カウンセリングの場で、私は世間話しかしていない。 何でも喋っていいらしいが、特に打ち明け話はない。
大体、神様に会っている話などしても 精神病として片付けられてしまうだけだろう。 それに、誰も信じない。
神様については何人かに話しては見たが信じる人はいない。 もちろん、信じてもらったところで、私からは何も便益を与えられない。 私は特別な能力を授かっているわけではないからだ。
もっとも、神様に会ってからは、 人生はイージーモードになったような気がする。 イージーモードに突入しているにもかかわらず、 暫くハードモードを演じていただけだ。 なぜなら、いつでもその状況から離脱できたはずだからである。
生きづらさを抱えている人とともに歩いてみたかったからだ。
今度のカウンセリングでは、共感について学びたい。 残念ながら、私に共感を示してくる人はいない。 相手はカウンセラーなのに、はっきり言って共感ができていない。 だから、私の目の前で共感を演じてくれた人がいない。
共感とはなにか。 それは、あたかも相手の目で見て、相手の耳で聴いて、 相手の心を用いて相手の状況や相手の感じている感情を体験する 行為だと言えるだろう。
一言でいえば、「愛」である。 愛を示すということだ。 想像の中で一体化するということに等しい。 しかし、私は、今までの人生の中でこれまで目にしてきたことがない。 噂に聞くだけの幻の行為である。
かつて産業カウンセラーを取得しようと学んだものの、 私は合格することがいまだできない。 通算で4、5回、試験を受けたはずだ。
実は、産業カウンセラーの資格取得は、 人によっては運転免許証の取得よりも簡単である。 普通の人なら合格できる。
私は普通ではないらしい。 頭が良すぎるのが駄目らしく、 気に入らないようだ。
特に行政書士であることも気に入らないらしい。
それに、試験監督者は受からせる気がないようだ。 少なくとも今の試験形式では受からないだろう。
まあ、一般の人がカウンセラーに対して抱いている振る舞いは はっきり言ってできているみたいで、 だから、資格がなくても カウンセラーを名乗って活動することは全然できる。
カウンセラーは無資格でできるのである。 カウンセラー資格のほとんどが民間資格で、 なんちゃらカウンセラーという名称独占でしかないことがほとんどだからだ。
まあ、共感について、 もっと虚心坦懐に理解し習得するしかない。 それだけでいい。
本日はこれまで。 ではまた。 |