アポロ行政書士事務所

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2021/06/02 1:00:20|ライフイベント
真面目な話。
私は、度々、不思議な体験に遭遇している。
それは、精神を病んでいるとされる前からずっと起きている。

確かに、事の半分は精神的な病から来ていると
言えるかもしれないが、もう半分は確実に神秘体験である。

生まれたときには、テレパシーが使えたらしく、
隣の保育器に入っていた赤ん坊と生まれてきた目的を話たことがある。
隣の者は弁護士になると行っていた。

後日譚になるが、
中学のころ、私に薬剤師になると告げて、
いったんは、薬剤師になったが、
その後、やはり弁護士資格を取得し、
実際、弁護士になっている者がいる。

おじいちゃんが亡くなったと思われる時刻に目が覚たのだが、
その時、時が止まっていたという体験がある。

そして、その数日か数ヶ月あとに、
未来から来た息子に遭遇している。

その時、私は、息子と称する者に、
あなたは、物理学的に重要な発見をする、と言われている。

まあ、未来から来ているのだから、
過去に遡るタイムマシンの原理でも発見するのかもしれないが、
今、現在、その可能性は断じて低いと言わざるを得ない。

その発見する役割は誰かに移ったのではないかな。
そう感じざるを得ない。

つくば万博があったときに、万博から帰宅の途中、
夜の暗闇の中をまっすぐ2時間以上も車で走っていたのに、
どこにも着かないという出来事があり、

私が、流石におかしいだろうと怯え始めたら、
突然、ポツンと酒屋さんが道路脇に現れ、
親父が外に出て、主人に話を聞き、お礼にお酒を買ってきて
また車に戻ったら、程なく、まっすぐ道から開放されたということがある。

中学時代は、よくサトラレ現象が生じていた。
予知夢を頻繁に見ていたのもこの頃である。
将来を予告されたのもこの頃に集中している。

高校時代も、よく思考結果を盗まれていて、憤慨していた。
そのため、精神的に辛くなり中退した。

大学に通っていたときは、情緒的には比較的安定していたかもしれない。

社会人1年目はシステムエンジニアとして入社したが、
毎月100時間を超える残業を強いられ、心が折れた。

3月の頭まで在籍していたが、その月に実家に戻った。
その後、体調が思わしくなく、自宅療養する。

しかし、結果的に、精神状態は絶望へと至る。

どうやら、魂が絶望すると、肉体から魂が抜けて死ぬらしい。
私は、絶望した結果、魂が一旦抜けたのだが、
新たな宿主とともに、肉体に舞い戻ることになった。

生殺与奪件を持った神の使いの者に、
この者は人生にまだ未練があると判断されたらしい。

その後は特に何もないが、
絶望時の「死と再生の儀式」を経た経験を話すまいとしていて、
しばらくは、誰にも話さないことにしていた。

しかし、いざ、話をしようと思い立ち、
試しに話してみると、全くもって、上手く話すことができない。
それは、様々なリミッターが働くためでもある。

おそらく、霊界的には極秘事項なのだろう。

ところで、今、ユーチューブでは都市伝説を扱った話は多い。

私が、中学時代に予告され宣告された内容と、
巷で流れている都市伝説の内容は、整合性が高い。

だから、陰謀論だとか、都市伝説だ、などと、
単純に切り捨てることができないでいる。

おそらく、今後の20年間は、
これまでの20年間とはまったく違った歴史が展開されることだろう。

そのための準備をしておく必要はありそうだ。

私は、この世界に生きていることだけで、
何らかのポジティブな貢献ができるようなので、
まだ、生きているつもりだ。

神の意思によって私はまだ生かされることになっている。
だから文句は言わせない。

ではまた。







2021/05/31 22:53:33|ライフイベント
都市伝説。
ユーチューブでは、都市伝説をよく見ています。
その中で、近未来がどうなるのかは、よく話題になっています。

人間選別の話もかなりありますね。

さて、私は中学時代に数々の予言にさらされました。
本人が望んでもいないのに、話を持ってくる奴がいました。

どちらかといえば、蔑視せざるを得ない奴からの情報ですから、
多くは、私にとって良い情報ではありません

ただ、その私の将来を暴く行為は、
その者だけの専売特許ではなかったので、
悪くはない情報も手に入れています。

今回は、その悪くはない情報を出しましょう。

どうやら、私は、人間選別の結果、生き残るらしいです。

そして、生き残った先の世界は理想郷らしいです。

集めた都市伝説情報の実現可能性などを勘案すると、
その理想郷は、私の死後の世界ではないようです。

そうした未来にたどり着くのに
あと20年ぐらいはかかるのかもしれません。

私は、死ぬ頃にはお金を持っているらしいです。
ということは、どうやら、結局は死ぬようです。

寿命では死なないことになっているとしたら、
事故死とか殺害されるということかもしれません。

何れにせよ、老後のことであり、はっきりわかりません。

ところで、老後までの約20年間というのは、
私には特定の予言はないようです。

だから、何でお金を稼ぐことになるのかは、
はっきりいってわかりません。

おそらく、かなりダメージのある出来事が
直近で控えているため、隠されたのではないでしょうか。

都市伝説では、富士山噴火や横浜大津波なども
ある元漫画家が、予言しているようですからね。

私も、予知夢を見たことがあります。
中学時代は、明日のダイジェストをよく予知夢で見ていました。
ほぼ毎日です。

その予知夢は私を守るために必要だったようです。

私がこの時代を生きていること自体が
スピリチュアル的な観点からすると、とても重要だからです。

だから、死なない程度には生きていきましょう。

ではまた。


 







2021/05/29 22:33:07|蔵の街ライフデザイン
街を歩く。
勝手な人である。
10時にファミレスで待ち合わせをしていたのだが、
午前中、急に、接骨院に行ってしまったらしい。

こちらは午前中で必要な作業を済ませる予定だったが、
午前中がすっかり暇になってしまった。
そこで、予定を変更して、蔵の街を歩くことにした。

そういえば、駅前になにか新しい施設ができたらしい。
そこで、街来者駐車場となっている、警察署跡地に車を止めて、
大通りを通って駅の方へと歩いていった。

目的地についた。
ちょっと一休みするには丁度いいスペースであった。
座ることのできる席がたくさんあった。

自動販売機があり、トイレも併設されている。
観光案内のパンフレットもたくさんおいてあった。
ふるさと納税で手に入れることのできる
地元産品が展示されていたりした。

外に出ると、今日は天気が良かったのか、
少なからず観光客がバスを待つ姿を見た。
駅前の観光案内版に感心しながら、
反対側の栃木レザーのアンテナショップに行った。

ところが、午前11時からお店を開くということで、
中には入れなかった。まだ、午前10時だった。
そこで、諦めて北へと足を進めた。

駅前に不動産屋があった。
一番安いワンルームの賃貸料は3万2千円だったかな。
なるほど、なるほど。

隣は、自転車置き場のようだった。
自転車で来たときには都合が良さそうである。
さて、郵便局もあった。ATMで通帳を記帳した。

更に北に進む。
セブンイレブンの脇の道を通る。
やはり、自転車を預かるお店があり、
となりはハラルの食材を扱っている。
街なかは外国人の留学生も多いのだ。

脇道を北に歩いていくと、
途中で道が合流し、もっと行くと
確か、日本で一番長くやっている写真屋さんが見える。
2番めだったかな。

そして、ミツワ通りへ
右手は、警察跡地へ行ける道である。
左手はうづま公園へと行ける道である。
映画「いのちの停車場」でも撮影されていた公園だ。

更に北に行くと、
左手に金魚湯がある。
右手には電器屋さんがあったり、
カフェがあったりする。
もうちょっと歩くと、珈琲屋さんがある。

ミツワ通りを出ると、
左手は、幸来橋が見える。
舟見茶家も見える。

幸来橋までいけば、
近くに、確か、吉屋信子の碑があり、
その隣がバスの停車場として撮影された場所だ。
もちろん、先程の映画の話である。

今回は、右手の銀座通りを歩く。
この辺りもいろいろ店は変わってきたようだ。
真っ直ぐ行くと足利銀行の支店である。
銀行の駐車場の隣にはパン屋さんがある。
ちょっとだけ奥にはインドカレー屋がある。

スタバもあるので一休みしてもいいかもしれない。
蔵が一連でつながって見えるところに、スタバが今や鎮座している。
とても良い場所を提供してしまったものだ。

スタバを尻目に、近くの本屋に寄る。
教科書を取り扱っている。
参考書等を少し見て、外に出てしまった。

おやこ劇場が入っているビルを通り過ぎる。
昔はたしか、アメリカ屋だったのではないかな。
アメリカ屋とは靴屋さんであった。
ここで、学生時代にリーガルの靴を買ったのである。

特に目的もなくあるく。
TOBUの看板が見える。
一階は東武ストアだが、上の階は栃木市役所である。
多分、全国的にも珍しい取り合わせなのではないかな。

山車会館まで歩き、
信号のストップボタンを押して、道の向こう側へ。
この辺は、観光館などあるが、素通りしてきた。
カフェひがのの奥には、小山高専のサテライトオフィスがある。

小江戸市場に到着。
ここには、コミュニティラジオのスタジオがある。
今日は、誰がパーソナリティだったのかな?

休憩スペースのようなところがあり、
こちらでは、栃木工業高校のストロベリージャムという、
多分、マイコン?がおいてある。
ここで買えるのかな?買ったことないのでわからん。

あとは、適当に歩く。
さっきの一連の蔵の一つは荒物屋さんである。
箒を売っていたりする。

途中、じまん焼きのいい匂いがした。
サイクリングできた人たちが、座席に座って
食べていた。おいしそうだ。

元NTTのビルの隣も郵便局があり、
ちなみに、道の向こう側は、ブックカフェである。
まあ、途中立ち寄らずに跡地の駐車場へ辿り着いた。

全行程で1時間30分はかからなかっただろう。

道の途中でたくさん目にすることになるお店の種類は、
カフェ(珈琲屋さんを含む)とカレー屋さんである。
色で言うと、黒と黄色の世界である。

カレーはナンだと難だが、珈琲もカレーも片手で食べられるとするなら、
本を読むにはいいかもしれない。
図書館は、スタバの近くのファミマを東へ進めばあるし、
図書館の隣の建物は文化会館である。

と、まあ、短い旅路であったが、
書くことはたくさんあった。

今度はまた、別のあるき方をしてみよう。
本日はこれまで。
ではまた。







2021/05/27 11:34:55|蔵の街ライフデザイン
自己愛。
自己愛は大事である。
自己愛がないと人は死を選んでしまう。
私は、死んでいない、故に、自己愛は私にも存在する。

最も、自己愛が強すぎるのも問題である。
もし、自分しか愛していないのであれば、それは問題だろう。
自己愛人格障害とされかねない。

健全な自己愛を持っている状態とは、
自分を愛していない状態でもなく、
自分しか愛していない状態でもない。

健全な自己愛とはなんだろうか?
それは、ありのままの自分を受け入れることである。
今の自分の状態を許せることである。
何かを許せない自分を、それでも許すことでもある。

それは、満足を知るということかもしれない。
もちろん、自己満足にすぎないのかもしれないが、
一方で必要を満たして足るを知ることでもある。

ところが、一方で我々は成長したいと願う者である。
ただ、成長した以降も持ち続けるコンプレックスではないのかもしれない。
成長というのは自己否定を前提とするものだが、
自己否定は自己肯定感とは矛盾することだ。

成長欲求はあっていいのかもしれない。
しかし、それは取り扱い注意なのではないか。
全体的には自己肯定をしながらも、
部分的には成長欲求を持つことが、
うまいやり方なのであろう。

ところが、部分的にうまくできないことが、
全面的な自己の人格の否定につながってしまっていることがある。
この近視眼的なものの見方からは、うまく逃れなければならない。
しかし、こうした見方には陥りがちなのだけれども。

自己肯定と自己否定は字面から判断すると、
単なる矛盾であるが、それは、適用する領域を分けること
すなわち、棲み分けをさせて生きていくことが必要なのである。

さて、我々は、健全な自己愛を持つことがでるか。
実は、大変に難しいのだ。
この辺のところは、仏教が難しく解説していると思う。

まだ成立していないことや、もう成立しないことについて、
いつまでも未練をもつことも執着なのだろうが、
そのことは、不当な自己愛を持っていることになるのだろう。

うまく愛することを制御する必要がありそうです。
本日はこれまで。
ではまた。


 







2021/05/26 18:12:32|蔵の街ライフデザイン
心理的コンサルティング
どうやら、本格的に執着を手放すことができたらしく、
随分、精神的に楽になった。
つまらないことで、気に病むことがなくなっている。

今日は映画を見に行った。
昼に、シネマハーヴェストウォークの映画館へ行った。
「いのちの停車場」を観た。

栃木市の風景が映画のシーンになっていた。
いい感じに撮ってくれていた。
ありがたい話だ。

金沢の話らしい。
金沢と比較されても、違和感がなかった。
素晴らしい。

ところで、新しいカウンセリングというのを着想した。
これまでは、ロジャース派が日本では幅を利かせすぎていたが、
私は、未だに、本物の傾聴を体験したことがない。

傾聴は私にとってはなんの役にも立ちそうにないし、
傾聴体験を得ずに、心理的に楽になることができた。
その方法は、自分の感情に気がつくことを通じてというよりは、
徹底的にロジカルな方法によってである。

やはり、傾聴を中心としたカウンセリングには限界があり、
本来的に、大人の女性にしか向いていない方法なのだろう。
傾聴が上手ければ、どんな人にも通用すると考える人もいるが、
そんな力量をもった人は殆どいない。いや、むしろ、存在しない。

大人の男性で、特に知性が高い場合は、
論理を徹底する方法のほうがメンタルの改善には効果がある。
もちろん、一時的には険悪な関係になるはずだ。

しかし、精神的な不回帰点を得るには、
論理で突き進む方法のほうが優れている気がする。

ところで、認知行動療法というのがある。
その力点は、行動を変えることで認知が変わることだ
認知が変わることで、心理状態が変わるのである。

ただし、認知を直接的に変えることもできる。
それは、対話を通じてである。

それは、カウンセリングというよりは、
心の問題のコンサルティングなのだろうが、
そのほうが、男性には向いているのだろう。

そのためのツールはいくつか考案できる。
それは、他の心理療法でもある程度、使われている方法だろう。
傾聴一辺倒を善としている日本では、物珍しいだけだ。

カウンセラーを名乗ることは今後もないが、
心理的コンサルタントなら、今後名乗るかもしれない。
であれば、資格を取得する必要はなさそう。
特に、民間資格はほぼ役に立たないので。

私が活動を始めれば私の方法がスタンダードになるだろう。
ただそれだけだ。
ではまた。