事実と解釈を分ける。 厳密なことを言うと、 純粋な事実は取り出すことができない。
事実はすべからく何らかの解釈の色を帯びているものだ。 事実はあるが、必ずしも明確ではない。
しかし、事実に対する自らの解釈ついてはだけは 我々は責任を持つことができる。
私の心の中を覗かれたのは事実であり、 私の将来のありようを告知されたことも事実である。 事実は変わらない。
しかし、解釈を変えることはできた。 それは、論理的な話にすぎない。
大前提の知識が変わったのだから、 小前提である事実が変わらなくても 結論の解釈は変わらざるを得ない。
新解釈(=イノベーション)は以下のとおり。
以前の私は、神様の有り様を誤解していた。
神は愛そのものである。
その愛はすべての者に対する特別な配慮である。 もちろん、私にも特別な配慮があったのだろう。 しかし、私の敵に対しても特別な配慮があったのだろう。
それ意味では、あらゆる者の間でなんらの差別もないのだ。
神は私に対して、特別な試練を与えたのだった。 それは、単純に私に苦しみを与えた。 その苦しみは、生まれてくる前の約束の破綻を生んだ。
もう20年前のことになるが、 私は、ノーベル賞を受賞することを諦めさせられた。 生きる目的が大幅に変更された。
もちろん、その時に亡くなるという選択肢もあった。 だが、神様は私の現世に関する未練を理解した。 故に、私は、死んだのだが直後に復活した。
おそらく、私が生きている世界と 私が亡くなっている世界に宇宙が分岐した可能性はある。 はっきり言えることは、私はこの宇宙では生きているということだけだ。
今、私は静謐な生活のもとに幸せである。 本来、与えられた才能を活かして生きることもできそうだ。 今後の未来は私がよく神の真意を受け止め 責任のある解釈をすることだとわかった。
私は、どの宗教組織にも所属していない。 スピリチュアルについても周囲に詳しい者をもたないので、 なにかこれ以上のことを知ることは難しい。
しかし、私にははっきり言えることはある。
神は存在する。
なぜなら、私は神様と直接接触する機会があったからだ。
もちろん、私の力では神の存在を証明することはできない。 神の存在証明は、私のすべき仕事ではない。 だから、第三者に神の存在を理解させることはできない。
私は、自分の体験を伝えることができるだけだ。 ただ、それだけだ。 だから、あなたが信じようが信じまいが自由であり 私にとっては、ある意味でどうでもいいことだ。
私は、このことで商売はしていない。 だから安心してほしい。
世界を変えるには、 自分が変わりさえすれば良い。 私は変わることにしよう。
変わらなければ、おそらく歴史は近いうちに終焉する。 終焉を避けるために、何らかの行動は必要だ。
だが、もはや遅っかたのではないか。 でも、諦めたらそこで終了なんだよ。
本日はここまで。 ではまた。 |