なぜ、知識は増やせても、技能が身につかないのか? 単純に、学習方法が間違っているからである。
技術を身につけるには練習あるのみなのだ。 プラクティス(実践)重視が正しいのである。 むしろ、実践しないと身につかない。
法律学しかり。
まるで実務家のように、六方を使って条文を引きながら 具体的な紛争について、自分なりにでも当てはめを考え抜くことを 全く練習しないのであれば、司法試験には受からない。
法律のどのへんにどんな条文をおいてあるか 検討がつけられるようになれば、 条文を組み合わせて検討した結果、 判例がありそうだという嗅覚も効くようになるのである。
はっきり言って、なんでも覚えて行く方法は間違いである。 本は、自分が考察した結果を、いわば答え合わせするために読むべきであり、 覚えるために読むのではない。
法律解釈技術を体得することが目的なのであり、 解釈技術を披露した結果を覚えていくことが目的ではない。 後者の方法では、既知の問題にしか十分に対応できない。 無限にある未知の事象に対応する応用力を得ることが目的である。
簿記しかり。 簿記も覚えることは少ない。 配慮すべきことを当然に配慮していけばいいだけだ。 練習あるのみ。
英会話しかり。 単語をたくさん覚えればいいわけではない。 かんたんな表現を身に着けて、 然る後に、複雑な表現もマスターできればいいのであり、 そのために必要な単語はとりあえずは1000語程度に制限すべきかもしれない。 ボキャビルで満足すべきことではない。
プログラミング然り。 分厚い文法書をいくら読んでも、プログラムをかけるようにならない。 とにかくかんたんでもプログラムを書くことが大事である。 文法書は辞書のように引ければいいので、 冒頭から最後まで読む必要はない。 まして、覚えるべきでもない。
数学然り。 定義は覚えて、定理は導けるようになればいい。 そして、定理は問題の解決の道具として使いこなせなければならない。 そのためには練習あるのみである。
技術を身につけるには繰り返すしかない。 反復練習あるのみ。 基礎練習も重視する。
実は、必要なのはスポーツをうまくなるのと同じだけの根性である。 結局、技術は身につけるのに一番必要なのは、根性である。
決して結果を得るまで諦めない。 そのためには練習あるのみ。
場数を踏むのである。 失敗したということは、今はできないことに挑戦したことなのだ。 そして、成功するまで挑戦したから、失敗が成功の母になるのである。
ただそれだけだ。 ではまた。 |