生きづらさ、といってしまうと 確かにかっこいい。 自分に理があると思えるし、 責任は自分にないとも思える。 頑張っているが結果がでないだけだ。
もし、気持ちが辛いときに、 他人からそう言ってもらうと、 気分はかなり楽になるだろう。 自己肯定感も回復するだろう。
でも、自分自身に問いかけるなら話は別なようだ。 「生きづらさ」という言葉には、なにかが欠けている。 それは、自分の人生に対する自分の負うべき責任感だ。
もちろん、自己責任という言葉は、注意が必要である。 自分以外の他者に対しては、安易に、使うべきではない。 言い換えれば、自分自身に対してはむしろ使っていいのだ。
他人は他人の人生に対して最終的な責任は持てない。 最終的な責任はその人自身にある。
もちろん、全責任が自分自身にしかないと言っているのではない。
生きるのが下手なのは、もちろん罪ではない。 生きるのが下手なのは発達が不十分なだけのことであり、 であれば、十分に発達するために必要なのは学習(練習)である。
練習と体験がないから、経験不足が過ぎるだけ。 言い換えれば、未熟なだけだ。 自分が未熟だと理解したならば、練習あるのみではないですか? 練習すれば成長することができるだけでしょう?
結局、成長すればいいのです。 できない、のではなく、 今の自分にはできないのであり、 将来の自分にはできるかもしれないのです。 そして、多くの場合、できるようになるのです。
お金を稼げないのではなく、 お金を稼ぐのが今は下手なだけ。
恋愛できないのではなく 恋愛をするのが今は下手なだけ。
生きられないのではなく、 生きるのが今は下手なだけ。
少しだけ認知を変えてみましょう。
非合理的な思い込みに過ぎないのですから、 より合理的な思い込みに直しましょう。
本日はここまで。 ではまた。 |