自己愛は大事である。 自己愛がないと人は死を選んでしまう。 私は、死んでいない、故に、自己愛は私にも存在する。
最も、自己愛が強すぎるのも問題である。 もし、自分しか愛していないのであれば、それは問題だろう。 自己愛人格障害とされかねない。
健全な自己愛を持っている状態とは、 自分を愛していない状態でもなく、 自分しか愛していない状態でもない。
健全な自己愛とはなんだろうか? それは、ありのままの自分を受け入れることである。 今の自分の状態を許せることである。 何かを許せない自分を、それでも許すことでもある。
それは、満足を知るということかもしれない。 もちろん、自己満足にすぎないのかもしれないが、 一方で必要を満たして足るを知ることでもある。
ところが、一方で我々は成長したいと願う者である。 ただ、成長した以降も持ち続けるコンプレックスではないのかもしれない。 成長というのは自己否定を前提とするものだが、 自己否定は自己肯定感とは矛盾することだ。
成長欲求はあっていいのかもしれない。 しかし、それは取り扱い注意なのではないか。 全体的には自己肯定をしながらも、 部分的には成長欲求を持つことが、 うまいやり方なのであろう。
ところが、部分的にうまくできないことが、 全面的な自己の人格の否定につながってしまっていることがある。 この近視眼的なものの見方からは、うまく逃れなければならない。 しかし、こうした見方には陥りがちなのだけれども。
自己肯定と自己否定は字面から判断すると、 単なる矛盾であるが、それは、適用する領域を分けること すなわち、棲み分けをさせて生きていくことが必要なのである。
さて、我々は、健全な自己愛を持つことがでるか。 実は、大変に難しいのだ。 この辺のところは、仏教が難しく解説していると思う。
まだ成立していないことや、もう成立しないことについて、 いつまでも未練をもつことも執着なのだろうが、 そのことは、不当な自己愛を持っていることになるのだろう。
うまく愛することを制御する必要がありそうです。 本日はこれまで。 ではまた。
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