本日は、朝からカウンセリングを受けてきた。
気分の不安定さは相変わらずである。 ただ、いまは、気分は上向きつつある。
ところで、変と恋は字が似ている。
ある日突然、この人は「変な人」だな、と判断する事がある。 しかし、その人は客観的には「変な人」ではない事がある。
では、なにが「変」になるのか? 自分の気持ちや気分が「変」になるのである。
いつもは、どうでもいい事としてスルーできていることを、 なぜだろう、この人にはなにか忠告しなければならない、と思うようになる。
それに、相手の行動が無防備だったり隙だらけだったりすると、 おそらく本人よりもハラハラしてしまうことがある。
合理的にはこういうことだろう。
例えば、女性が相手の不良にドキドキしているのは、 本当は怖いからなのだが、そのドキドキを「胸の高鳴り」と 錯覚してしまって、不良を好きだと判断してしまうように、 変な人の変な行動を警戒しているはずなのに、 警戒心を恋心と錯覚してしまう。
これが、典型的な「吊り橋効果」であろう。
話を戻す。
さて、自分が少し「変」になるのである。 いつもの自分とは違う行動をその特定の相手にはとりたくなるのだ。 それは、相手に対して無関心ではいられなくなったということである。 しかしそれは、多くの場合、恋心ではなく、単なる「錯覚」でしかない。
だが、すべからく恋愛とは「錯覚」から始まるのである。 なまじ知識があると、「これは錯覚、錯覚」としてしまいがちだ。 しかし「錯覚」を「恋心」と決断しないと、恋愛は決して始まらない。
せっかく錯覚しているのであれば、 そして、どうやら相手も錯覚していると察せられるなら、 迷うことなく、接近すべきなのだろう。
はじめから、夢から覚めるときを恐れることはないのだ。
そうしないと、ナチュラルな恋愛も始まらないのである。
ということを、うだうだと考えた。 本日はこれまで。
ではまた。 |