「あたりまえプロジェクト」という営みがあります。
障碍者が当たり前に働ける社会を実現することが、このプロジェクトの使命のようです。
しかしながら、障碍者が働くことが当たり前になることは、果して、すべての障碍者にとって本当に幸福なことなのでしょうか?
なぜ、障碍者は、働くことを免除された存在であってはいけないのでしょうか?
どうして働かなければ幸せになれないのでしょうか?
すべての者が、働かなくても普通に生活できる幸せを享受することができる社会は、本当に構築できないのでしょうか?
本当は、障碍者が、働かなくても普通に生活できる幸せを享受することができる社会のほうが理想的ではないでしょうか?
すべての人が、資本主義社会だから、働かざるもの食うべからず、として、諦めなければならないのでしょうか?
これらの問題に丁寧に答えることなくして、声高に、「あたりまえプロジェクト」の理念を語ることに、私は、少なからず偽善を感じざるを得ません。
複雑で微妙だからといって、これらの問題に蓋をしてしまっていいのでしょうか?
決して、よくありません。
この手の疑問に自問自答を繰り返して、行動に移せない当事者はたくさんいます。
これは、働く障碍者でも、働かないことを決めた障碍者にとっても、重要な問題であるはずです。
これらの問題に対して、思考停止しているか、臆病になって行動を起こせないのです。
これらの問題は、なにが善なのか、そして何が最善なのかを、深く考えさせますね。
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