思えば、私は、「先生に質問をする」ということをしてこなかった。
学生時代の私は、一方的に講義の話を聞くだけで終わっていたように思う。
しかしながら、「質問する」という行為は、とても大事なコミュニケーションの形式だということに、今は、気が付いている。
コミュニケーションは、双方向が望ましいのは明らかだ。
思えば、教師から、質問することを促されることはなかった。
だから、質問をする習慣が十分に身についていないのではないだろうか。
そして、質問することを自重してしまっていないだろうか?
自分で考えて、自分なりの解答を出すことを偏重しすぎていないだろうか?
少なくとも、私は、若いころには、自分で判断しすぎるきらいがあった。
自分の判断が批判としかとられないこともあった。
ところで、先生は、生徒の質問に真摯に応えることが、基本的でもっとも重要な仕事ではないだろうか?
それ以上の機能を求めることはばかばかしい気がする。
大人の目から見れば、先生は、完璧な人間ではない。
だから、完璧でないことを知っているならば、先生を「完璧でない」と批判することはおかしい。
先生も成長していく存在にすぎない。先生を育てるのは、周りの人間である。そして、その中で、もっとも重要な存在が「生徒」ではないだろうか?
先生は、生徒から多くを学ぶことができているだろうか?
そうした謙虚さを身につけているだろうか?
先生は、自分の専門知識でさえ十分でないことは、知っているのだろうか?
わからないことには、分からないと応えることができているだろうか。分からないからと、ほったらかしにしないで、自分の宿題として文献を漁ったり、専門知識にもっと明るい人に尋ねたりをできているだろうか?
すなわち、真摯に生徒に向き合っているだろうか?
権威で、生徒を黙らせていることに気が付いていないのか?
生徒が成長する姿をみることで、教育することに対しての情熱を維持できていないだろうか?
これらの事を深く反省して起こすべき行動は一つのように思われる。
生徒が、自由に、たくさんの質問をぶつけることができるような環境を作ることだ。
そして、生徒の素朴な質問に応えることが、自分を磨くことになるはずだ。
以上の考えに共感し、実践する教師が増えることを祈る。
少なくとも、私は、以上の事を実践する。
この実践が、世界を少しでもましにすることを信じて。
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