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「若い人でも、残業代は要らないから仕事をもっと早くスキルを身につけてやりたい、土日でも残業代は要らないから出社したいという人がたくさんいる。 しかし、経営者がしてもらっては困ると言っている。なぜなら出社されると残業代を全部払わなければいけない。 家で仕事をするよりも、会社に来て色々な資料もあるし、これで自分が人よりも早く仕事を覚えて仕事をしたいんだと。それを今は仕事をするなと言っている。 ホワイトカラーエグゼンプションの制度がないからだ。」
もし、こんなやり取りがあったとしたら、麗しい限りだが、私の経験では、残業代の請求を、直属の上司が制限あるいは阻止する行動をとっていた。経営者が直接の責任を負わないで済むように、しかし、実際は組織的に残業代を払わなかった。一括請負であったためでもあろう。もちろん、業界の悪しき慣例で偽装請負だった。
いつも終電で帰っていた。定期が使えない路線のほうだった。朝一番に出社する必要があった。鍵をあけるために。 タクシー代を請求できないので、駅から30分から40分歩いて帰っていた。 そんな奴は、その居住地域では、私ぐらいのものだった。
私も、スキルを身につけたい、勉強したいと思っていたが、ほとんどスキルにならない雑務や作業をやらされて、それを長時間拘束するため、なんのスキルも得られなかった。
睡眠時間が十分でなく、疲れがたまるため、土曜日は一日中寝ていた。日曜日は、買い物などの家事に追われた。
なので、残業時間を、本当に勉強のための時間に費やせるのであれば、若い私は、それを、喜んでうけいれただろう。
しかし、ホワイトカラーエグゼンプションの制度導入には、なお、疑問がある。
残業時間ではなく、自分でその時間幅等も決められるぐらい自由な研修時間とでもして欲しい。研修時間だから、私なら残業代は放棄しただろう。
確かに、仕事のできない新人に残業代を払うのは経営者にとっては不愉快に違いない。 だからといって、スキルを得られない仕事を延々とやらされて、結局、仕事ができないから退職強要をしてやめさせるのは、どういうことなのか?
従業員100人規模の小さな会社であるにもかかわらず、社長は働いている従業員の状況を把握できていなかった。従業員があちこちに散らばっていたことも原因ではある。
元請けの管理者が初めに高圧的だったため、それ以来、口がきけなくなってしまった。(そして、その時、少し気が狂ってしまった。そして気が狂っていることに当時は気がつかなかった。)
上司とのコミュニケーションが全く取れなくなってしまったのが、私の「失敗の本質」である。
まあ、今思えば、私も脆弱すぎる精神のために、周囲も私を理解することは困難であったに違いない。
こんなことになるのは、例外的であるべきだし、コミュニケーションが良好であれば、こうした悲喜劇は起こらない。
若さは馬鹿さである。昔の私は、頭は良かったが、賢くはなかった。
組織は、もっと柔軟で、融通が利き、良い意味でいい加減でもあるのだと知っている今の自分は精神的には強くなっている。
難しいが、何らかの制度によって、経営者と従業員の両者の不幸は、互いにWin-Winの関係にできるだろう。
そして、本来、制度とはそうあるべきだろう。
ここからは余談になるが、少なくとも、この考察によって、自分が20代の時よりもだいぶ成長していることが確認できたことはうれしい。
病気になった経験も、決して無駄にはしていない。
誰も恨んだりしていないことは、とても快適である。
むしろ、今は、出会った者すべてに感謝できていると思う。
確かに、自分の場合は、自分に結果の責任があったのであろう。
久しぶりに過去を捉えなおして、経験したことの価値を理解できたようだ。
私は、結局は運がいいのである。
未だに生き残っていることは、それを証明しているのだ。
結びに。
途中で論旨が不明になったが、気持ちが軽くなったので、今日は、これでこの投稿はお終いにします。 |