こんばんは。
小林宙です。
本日のテーマは「挫折の仕方」とありますが、
私の個人的な挫折を取り上げたいと思います。
私は、福祉団体の理事兼職員をしていましたが、先々月の末日に退職いたしました。
基本的には、事務兼庶務でしたので、事業所の利用者さんとの心の触れ合いが十分に取れたとは言い難く、傍観者に近い振る舞いをしていたと思います。福祉関係の資格を何一つ持っていませんから、知識や技術に関して、不十分であることはご容赦ください。
この福祉の仕事というのは、理念と現実との乖離が大きくなりがちだと思います。もちろん、理念と現実との乖離があるからこそ、仕事として成立する余地があるのですが、乖離が大きいからこそ、柔軟な戦略と多様な戦術を駆使して、現実を理念に近づけるための絶えない努力が必要です。
さて、私には、柔軟な戦略をとることも、多様な戦術を駆使することもできませんでした。したがって、必然的に敗北せねばなりませんでした。
福祉の理念には、障碍の有無を超えて、当事者が地域で普通に暮らせる幸せを追及していく、というものがあるようです。
一方で、理念に反した制度が存在している、と私でも思います。
では、単純に、旧来の制度が理念に反するから悪なのですべて廃止し、理念に沿った新しい制度を「抜本的な改革」と称して、正義に適うものとして導入しさえすれば全て解決とするのか?と、問題を提起します。
私は、旧制度を全て廃止する立場には賛成できなくなりました。
それは、隔離し排除するという強制力を容認するということに結びつきます。もちろん、行過ぎれば、偏見に基づいた差別を助長するに違いありませんので、発言は慎重にしなければなりません。
ところで、人それぞれに、世界観は違います。
しかしながら、大雑把に、天国を好むか、地獄を好むかの分類ができると思います。
私は、どちらかといえば極楽を好みますが、煉獄をより好む方もいるようです。
市場というのは、典型的に弱肉強食の世界に過ぎませんが、これは、弱者にとっては地獄ではないでしょうか。そして、多くの人間が弱者に過ぎないのであれば、結局、一握りの人間だけが、極楽にいるようなものです。
これは、少数支配を強く批判された社会主義・共産主義と同様な現象ではないでしょうか。
資本主義とは、交換の原理を優位にして成り立っていますが、社会主義・共産主義では、分配の原理が優位を占めています。
前近代というのは、贈与の原理(支配と被支配)で成り立っていたのでした。近代というのは、贈与の原理を弱め、交換の原理や分配の原理に並び立つものとして、登場してきたと考えられます。
それが、フランスの国旗の自由・平等・友愛に象徴されるのではないかと考えます。
平等な分配、自由な交換、友愛ある贈与が正義に適うという判断です。
しかし、前近代と近代は、それぞれの極端を選択したようです。
自由・平等・友愛には、それぞれ適用範囲が異なり、この適用を誤ることこそ不正義であると、私は考えます。
しかし、これらのことは、世間一般には自覚されていないことだと思われます。
冷戦という時代がありました。大国同士の没交渉と小国同士の代理戦争の時代でした。
結局、我々の眼から見れば、正しくない世界観同士が対立して、現実に戦争や紛争が生じているわけです。
こうした世界観の対立は、個人と個人との間にも存在していますね。
それぞれが、それぞれの世界観に固執している場合には、相互理解などできるわけがありません。
一方が、相手の世界観を捉えたところで、相手が世界観を変容させるとは限りません。
相手の世界観が絶望的なくらい変容が困難な場合は、我々は、自己保存本能が働くのか、恐ろしさを感じますね。
緊急避難的に強制力を行使してしまいかねません。
しかし、直接的な暴力は許されません。
暴力を許す世界観を持つ人に対して、第三者の強制力を働かせる事は、理に適っているように思われます。
ここで、第三者とは国家です。
国家の本来の性分としては、分離・排除・隔離しかできません。
本来、国家は、暴力を独占的に行使する装置でしかないのですから当然です。
一方で、現代は、福祉国家を成立させました。
福祉国家の理念は、少なからず刑務所にも及んでいます。
多くの刑務所が福祉の現場になっているそうです。
もちろん、厳しいだけの刑務所も必要です。
しかしながら、私は、刑務所の福祉に期待しています。
刑務所で、その人に必要な福祉サービスが提供されることが、望ましい場合も現実にはあると判断します。
幸いなことに、私はまだ、福祉サービスの利用者を刑務所に送った事はありません。
しかし、私は、必要ならば刑務所へ送ることも、判断の材料にはします。
具体的に考えたことはありませんが、そうした選択も視野に入っているということです。
やさしさだけが必要な福祉の世界にとっては、これは厳しすぎる意見でしょう。
福祉に少しは携わる職員としては、現段階では失格ですね。
このことは、発言したこともないので、職員を離れたきっかけにはなりませんでしたが、自分の中には、こうした葛藤がありました。
そのため、福祉の現場には職員としては戻るつもりはありません。
福祉職員としてのアイデンティティも脱ぎ去る所存です。
しばらくは、福祉サービスの利用者として、個人的で率直な感情をぶつけさせていただきます。
では、よろしくお願いします。 |