煙草を吸っていると
マジマジと顔を見ながら「まだ、煙草を止められないのか」と母が言った。
今まで、「煙草をやめる、とか煙草を止めたい」等は一度も言ったことが無かったので
意表を突かれた私は、思わず「止めるつもりはない」と大声で叫んでしまった。
「煙草は吸わない為に在る」としか思われぬ当節の風潮としては、
自然な思考回路なのだろう。
白状すれば、中学3年の悪餓時代からの喫煙暦がある、従って約半世紀、
煙を吸い続けている、
今更、空気だけを吸って生きて行く事は絞首刑よりも辛く感じられる。
「煙草が有害なのは判る、しかし今は其のことを考えたくない」が今の気持、
何故なら、手遅だと思うから。
煙草値上げの防衛策としてパイプに切り替えた、これだと煙草銭が約3分の1程度になり
貧乏人は大助かり。
若い頃にも、香りが好きでパイプをいじっていたが、余りにキザたらしく止めた。
しかしながら65歳を過ぎて、
「若い奴は生意気ぐらいが調度いい、年寄りはキザなくらいで調度いい」と
一人合点して、現在はパイプ一辺倒で髭も伸ばした。
JTBのお姉さんに、昔の髭の無いパスポートを見せたら真面目な顔で
「今のほうが素敵です」と言われたので髭も市民権を得たものと確信した。
深夜、コーヒーを前において、パイプを吹かしながらギターを練習する、充実至福の時である。
多々、迫害差別に合うも、なを喫煙するは壮士なり。
たとえ、全世界が禁煙しても、止める事無く人類最後の喫煙者としての栄誉を担いたいと思う。
”なーんてな”
周りの人に迷惑を掛けぬ様喫煙する、ただ、それだけ。。。。。。。。