青いひかりの超特急 昭和39年開業以来、今年のさよなら運転まで現役を続けた0系新幹線。 「0系」と言う呼び名も最初は妙に感じたものでした。100系登場までは単に「新幹線電車」で済んでいたんですからねぇ。
昭和40年代。小学生のころは東横線に乗って多摩川まで遠足や行楽で行くと、決まって多摩川を渡る新幹線電車を見られて心ときめいたものでした。 そして、さらに子供心が心ときめいたのは、東京駅の新幹線ホームの「特別感」のあるシチュエーション。 改札を2度もくぐり、在来線より一段高いホームにはこの白くて巨大な車体が低く「ブーーーン…」とうなって待っていてくれました。修学旅行やポートピア81を見に行くのに幾度かこの独特な雰囲気を味わって乗ったっけなあ。 西に向かう新幹線。この線路の先に富士山があり、京都・奈良といった古都があり、南国の眩しい太陽が待っている…そんなわくわく気分がありました。
昭和50年代。時代は下って学生時代、広島のマツダまで、就職活動も見据えて美術学校の研究室の一行と見学に行ってきたことがありました。 乗っていく列車に選定したのはあこがれの「ひかり7号」。お目当ては食堂車。これには「帝国ホテル」の直営食堂車が連結されておりました。 当時としては景気付けに奮発して「ビーフシチューセット」を注文。 あつあつの、ホテルクオリティの料理を新幹線車内でいただく…今思うと結構ぜいたくなシチュエーションでしたねえ。
広島駅構内で食べた「うどん」もものすごく美味しくて、西日本のうどんに対するカルチャーショック受けたのもこの時でしたっけ…
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