ロックシップ・カンタービレ

六人家族のお父ちゃんが、自由なスタンスで日々の出来事や思った事をつづります。
 
2021/06/18 8:13:21|全般
昨夕の虹

おはようございます。
昨日は2時間ごとに晴れ・雨・晴れ・雨を繰り返す変な天気でしたね〜。

仕事帰り、足利の空に大きな虹がかかりました。
田んぼの水面にも映り込み、巨大な紡錘形の光の輪が楽しめましたよ。
ご覧になった方はいらっしゃいますでしょうか?







2021/06/17 23:17:00|おでかけ
県立博物館のネタ終了

こんばんは。
県博の特別展、しつこく展示物ネタをアップし続けるのは本意ではないので今回で終了しますが、興味対象の内容はどうしても語ってしまいます。
前回アップした内容以外にも、新収蔵庫展では民間習俗的なの藁人形や藁草履の展示、そして自然科学の標本がいっぱいあるんですけど・・・
でもこれらの画像アップしてしまうのは心情的に引っかかってしまい、取り上げないことにします。
でかい「巨人の藁人形」や「巨大わらじ」を集落の辻に展示するのは、疫病神や貧乏神が入り込まないように呪う神聖な「衆生の祈り」の形ですし。

また標本となった野鳥の骸などもいっぱい展示されていたのですが、生前の姿勢を取った「はく製」とは異なり、防腐措置された棒状のミイラなんですな。これが何ダースも並べられていたり・・・けっこう怖い。
これは場数を踏んだ自然科学の学芸員さんでないと普通に直視出来ないですわな。

そんな中ほっとしたのは、汽車旅で使われた駅弁容器と茶瓶の展示でした。

その昔、「陶器で出来た象徴的な容器の駅弁」を買えるのは、ある意味アミューズメントであり、旅の特別な楽しみだったんですね〜。
しかし陶器でカニやダルマを再現するなんて、現代の目で見れば凝りすぎでしょう。

でもこの容器が「お土産になった時代」があったんですなぁ。空容器の廃棄物問題の顕在化していなかった、旅や駅弁が特別だった時代。
古き良き時代の1ページですね。

取りあえず県立博物館の記事はこれにて一巻のお終い。ここまでお付き合いいただきましてありがとうございました。







2021/06/16 22:40:00|おでかけ
栃木県立博物館のみみずく型土偶

こんばんは。
今日は雷雨があったりして、変な天気でしたね。
梅雨入りはしたものの、梅雨前線は小笠原方面に南下していて、この天候は梅雨本来の気候ではありません。

さて、博物館で見たみみずく型土偶について。
小さいながらも可愛らしい土偶ですね〜。丸い顔は自分も含め南方系の湊川人系統の縄文人をモチーフにしているのでしょうか?

栃木の藤岡町の東北自動車道・佐野藤岡インター建設工事中に見つかった、縄文時代後期の「後藤遺跡」から発掘されたそうです。全身には真っ赤なベンガラ(酸化鉄顔料)が塗られていたそうです。

邪馬台国も創立していないこの時代、関東では鉄鉱石の採掘はおろか砂鉄が千葉で産出される程度で、幅広い交易がないとベンガラは入手できなかったはずです。
大昔の栃木の住民は、この水稲農耕が発達する直前の時代にも、このように幅広く各地との交易をしていて、焼物や顔料、技法などの文化交流も行われていた事がうかがわれますね。
なんだ、けっこう開かれた土地柄、人柄(なのか?)をもって、他の地方とも交流できていたんじゃん。

また土偶の胸には珍しい「入組み文(巴紋の原型?)」が象られていたりして、栃木県南部にこうしたグラフィック文化創作の息吹があったことも見て取れます。
ますます面白い物ですね〜。

なお、この栃木市産出の土偶は、現在栃木県立博物館のメインキャラクター「みーたん」のモデルとなりました。

以後「みーたん」もよろしくお見知りおきくださいませ。







2021/06/15 22:05:01|全般
大山巌の愛車

こんばんは。
今日は在宅ワークでしたが、栃木県南部は日中、黒雲が北の空に湧き雷も聞こえてきて変な天気でしたね。

さて、先日博物館で見てきた大山巌の馬車について私見と謎を少々。
この黒い小柄な馬車。形態的にみると客室座席が1列の「クーペ」というタイプですね。
高官や官僚の移動には護衛も同乗するので、通常は客席2列以上の大型車(ランドーやキャリッジ)が使うのですが、私農場と私邸の移動用なので小回りの利くこのタイプにしたのでしょう。
うーん、小さいながらもけっこう凝ったこしらえですねぇ。
外観もシンプルながら優雅な曲線が多用されており、”元勲のプライベートカーらしい佇まい”が感じられます。
客室の居住性も良く考えられており、柔らかそうなモケット生地のシートが装備され、後方はほとんど壁状に塞がれているので、深く腰掛けるとゆったりリラックスできたものと思われます。(むろん生地は張替え済みでしょうが)一度でいいから座ってみたいなぁ。

また前面ガラスは2枚組の曲面ガラスなのですが、なんと引き違い戸で開閉できるようになっているんですね。
これなら換気機能の他、御者との通話も可能になります。
しかし凄い車体強度と剛性ですね。未舗装の道を大八車にゴム環を取り付けた車輪で走ったのでは相当な振動があった事でしょうが、このガラス引き戸はいまだ健在のようです。

足回りに目を移すと、華奢だがしなやかそうなリーフサスペンションが目を引きます。
舵切り機構はピボットを中心に曳き馬の方に向くターンテーブル式で、御者の手綱さばきで進行方向を変えます。でも重心が高くてスピードが出たら恐そうだなぁ・・・
あれ?ブレーキが後輪にしかついていないや。
しかも前方の御者席にブレーキ機構は無くて、客室後方、後輪にのみ一体金具で繋がった踏みペダルが4個あるだけ・・・車体前後を連絡するブレーキ操作用のリンク機構も見あたらないし・・・
???
どうやって止めたのだろう?

車両後部にもう1名御者が立ち乗りして、前御者が「どうどうどう〜」と馬足を止めるとペダルに足をかけてブレーキかけたのかなぁ・・・?
この辺の操作については良く解りませんね〜。
どなたかご存じありませんでしょうか?







2021/06/13 12:36:50|おでかけ
栃木県立博物館の馬車

こんにちは。
栃木県立博物館に訪れた際、特別展「収蔵庫は宝の山!」が開催されておりました。

以前下野新聞にもこの特別展紹介が載っていましたが、博物館南西に増築していた「新収蔵庫」が竣工したそうです。
結果、収蔵スペースと展示ブースを増やすことができたので、今まで展示できていなかったお宝を展示できるようになったとの事でした。これはうれしいなぁ!

展示会場入口には栃木にゆかりのある大山巌元勲の「馬車」が展示されてます。
大山巌は西郷隆盛の従弟で、薩英戦争、戊辰戦争を闘い、明治の陸軍設立に尽力、日清日露戦争では陸軍大将として海軍とも連携協力し、日本を勝利に導いた方でもあります。
この馬車は戦役に付した車ではなく、現在、那須拓陽高校となった当時の氏の農場で使われていたそうです。

大山巌は西南戦争では身内であり、かつての同志でもあった西郷隆盛を討たねばならず、戦後は鹿児島の地に帰郷することは無かった、郷里の人々の憎しみの情を思えば出来なかったそうですね。
ですのできっと那須の私農場は、氏の心の安らぎの場所、第二の故郷になっていたのではないかなぁ・・・那須岳の噴煙は桜島に重なったのではないかなぁ・・・と、想像してしまうのです。

話は変わりますが、馬車と自動車に関する私見を少々。
馬車とは、一般的な日本人には本当になじみのない文化ですよね。
江戸時代、庶民の移動手段は駕籠や馬借の乗馬であり、明治時代にはもっぱら人力車に移行し、鉄道や内燃車の登場、一般への普及を待たねばなりませんでした。このように明治時代に「馬車を自家用車として使えた人々」は皇室や官僚などほんの一握り。

一方欧米では数百年も先んじて庶民も馬車を利用してきたわけで、コーチビルダーという馬車造り職人が腕を振るっていましたから、それから比べると日本は恐ろしいほどの馬車後進国だったんですよね。
自動車のワゴン、セダン、サルーン、クーペ、そしてリムジンも、すべて馬車から発生した車両タイプですから、いかに馬車文化がのちの自動車造りに作用していたかがうかがい知れます。
この時代を経験できなかった悲劇的な日本人の自動車造りは、第二次世界大戦後の復興期から本格的にスタートしたわけですが、急速に様々な技術・要素を取り入れて、とうとう世界に冠たる自動車王国になることはできました。

しかし・・・あくまで私見ですが、馬車時代を経験しなかった日本人には、車作りに関して持ち合わせていない感覚や理念がふしぶしあるように思えてなりません。

まぁまたそれは別の機会に。







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