表千家 梅月軒 茶道教室
 
2011/02/16 12:57:04|些事ブログ
世田谷代官屋敷(その3)
ぐるっとまわり母屋の縁側をみると石が?いや石のように動かない日向ぼっこ中の猫でした。
これぞ日本の原風景と、一枚撮らせてもらいました。母屋は一部内部を公開しております。

屋敷に隣接する世田谷区立郷土資料館には、ボロ市を見廻る「御代官見廻り」を再現したジオラマが展示されており、当家の資料にもなりそうなのでこれも一枚収めてきました。前から3列目の火事装束の人物が御代官様です。

ちなみに敷地、郷土資料館ともに入場無料です。都会の喧騒の中にあるにも関わらず静寂が漂っていて、いい雰囲気でした。

余談ですが、あなたが「御代官」と聞いてイメージすることは何でしょう?

代官は職務が多気多忙であったため悪事を働く暇もない、つまり「悪代官」はほとんど存在しなかったようです。それに地方行政官であるために幕府や藩の監視機構が幾重にもあり、不正が発覚すれば重罪でした。私たちの代官に対するイメージは、ドラマやバラエティーなどの影響によるところが大きいですが、大抵は農民を思いやり仁政に尽くした代官が多かったのが実像です。







2011/02/11 18:11:04|些事ブログ
世田谷代官屋敷(その2)
ここに現存する茅葺屋根の母屋と表門は国の指定重要文化財です。
代官屋敷とはいっても豪農か名主の屋敷造りのようですね。
世田谷は今でこそ23区の中にありますが、当時の世田谷は江戸の郊外でありけっこうな田舎でしたので、このような造りだったのでしょう。

敷地内には時代劇でもおなじみのお白州跡まで残っております。
案外こじんまりしており、ちょっと位置が不自然ですが、当時は白州の周りにも建物があったものと推察します。そして白州の石がやや大きめで、茣蓙を敷き座らせたのでしょうか、それでもかなり痛そう。。いや絶対痛い(笑)

そもそも代官とは地方行政官であり、年貢の徴収、河川・道路の普請、警察・裁判官も兼ねていたのです。



つづく・・







2011/02/07 18:25:04|些事ブログ
世田谷代官屋敷(その1)
横浜の方に用事があり、その帰り道に
渋谷駅から東急線を乗り継ぎ、向かった先は
東京都世田谷区に残る「旧世田谷代官所跡」。

東急世田谷線「上町駅」を下車して商店街の路地を歩いていくと
急にこんもりした一角が姿をあらわします。

みなさんお察しの通り、東京にあってこのような代官屋敷が残っているのは
大変珍しいことで、前々から訪れたいと思っておりました。

寛永10年(1633)に世田谷15ヶ村は彦根領井伊家の支配するところとなり
井伊家の代官として大場家に代官所が置かれ明治4年まで代官職を世襲しました。


つづく・・







2011/01/31 14:33:13|梅月便り
睦月の茶会の風景

去る1月29日は梅月軒茶道教室のお茶会を開催。

午前の部と午後の部に分けて行いました。

初めてのお茶会とあって亭主役もお客役も、やや緊張気味。

受付で来庵記帳を済ませ寄付で客同士は待ち合わせ、
全員揃ったところで鐘が鳴り正客から入室。
潜り口から入り、床の間を拝見して着座。
すべて稽古の成果が出て皆さんスムーズに運べておりました。
お点前も多少のミスはあったものの、充分に稽古の効果が発揮され、素晴らしいお点前が披露できました(先生の意見として)。

最後に、亭主の見送りで終了した今回の茶会でした。

今回のお道具は

お軸は松江藩主松平不昧公の書
棗は明治時代の大棗
茶碗は徳川美術館記念茶会のもの
茶杓は不昧公愛用の黒柿

を使用いたしました。







2011/01/10 12:44:01|些事ブログ
「関ヶ原」三國連太郎さん

いよいよ昨日から、NHK大河ドラマ「江」が始まりましたね。


実はこのドラマの中で、当家の初代、納誨院正信を草刈正雄さんが演じられるそうです。登場はまだまだ先の話のようですが、今から楽しみです。


 これまでにも様々な役者さんが当家の初代を演じてきましたが、私が個人的に好きで印象的なのは、1981年にTBSで放映された司馬遼太郎さん原作「関ヶ原」で三國連太郎さんが演じた正信です。


 雰囲気や仕ぐさ、話し口調、森繁久彌さん演じる家康との接し方など、家康とは「水魚の交わり」と称され常にその側近くに在った初代をよく表現しており、一番史実に近いと思われ好感がもてました。