表千家 梅月軒 茶道教室
 
2011/05/10 12:08:02|些事ブログ
芝増上寺

徳川将軍家の菩提寺であった増上寺はかつて、徳川家霊廟をはじめ多くの寺院仏閣が存在していました。


中でも台徳院(秀忠)霊廟、崇源院(お江方)霊碑所、文昭院(家宣)霊廟、有章院(家継)霊廟が国宝に指定されていたなど、その荘厳華麗さは日光東照宮にも決して劣らぬものでしたが、惜しくも昭和20年(1945年)の東京大空襲で建造物群のほとんどが焼失。


焼失を免れ、現存する有章院霊廟二天門(芝公園、東京プリンスホテル内)をぐるっと見て周りましたが、朱色で覆われていたであろう塗装は無残にも剥がれ落ち劣化が激しく、保存状態の悪さが目立ちました。しかも調べてみると二天門は増上寺の所有ではないとのこと。。。


時間もなく雨も降ってきたので、早々と三門を潜り増上寺本堂へ。


ほぉ!(感銘)新旧のランドマークが融合。


今回の散策は時間もなく隅々までとは行きませんでしたので
初夏のころに再び訪れてみたいと思います。







2011/05/06 12:06:29|被災地へ向けて
国山窯
小砂焼の窯元である国山窯から営業終了の便りが届いた。

この度の震災で多くの作品、そして窯が多大な被害を被り
苦渋の決断の末、窯を閉めるという。

青磁釉を基調とした小砂青磁をはじめ、
山野草をデザインした白磁製品がおもしろいと思い
毎年一回は窯元を訪れていただけにとても残念でなりません。

このような時期だからこそ、前向きに気持ちを切り替え
伺う意義があると思い、妻と出かけてみました。

窯も倒壊し、損傷を免れた作品もわずかでしたが
どれも国山の優雅さを彷彿とさせる名品ばかり。

国山窯の初代窯元である大川桃林・作で
四方菓子皿として、お茶で使用できる器は
「春蘭」の絵付が気に入り購入しました。

またいつの日か復興してもらいたいとの想いに駆られ
惜しみつつ、窯元を後にいたしました。







2011/04/30 15:41:04|些事ブログ
足利陣屋

一見、民家の長屋門だと思ってしまう、この立派な門


実は歴っきとした、旧足利藩庁の表門なのです


明治以降に発生した大火で焼け残った表門だけが、民間に払い下げられて
この場所に移築されたというもの。時代とともに周囲も市街地化されて、今は
住宅地の一角に佇んでいるのです。


失礼して裏から拝見


近づいてみると、無骨な武家の風格が漂う表御門


これだけの藩庁の遺構が残っているのは大変希少。しかし、残念なのは大通り
からもまったく見えないこと。いや実に勿体ない。


現物を見学してきた後は、足利商工会議所友愛会館を尋ねます。


実は、ここの展示室には先ほどの足利陣屋の復元模型が展示されているため。
2002年に足利市役所のロビーで展示されていた記事を見つけ、行方を調べて
いたところ、足利市の観光協会の方に情報提供いただいき、ここ友愛会館に
展示されていることを突き止めました。


これがその「足利戸田藩陣屋屋敷推定模型」


足利陣屋大門通り研究会と建設士会足利支部が中心となり旧藩士家に伝わった
図面を基に作成されているとのこと。


 あの「表御門」を軸に復元されており左右に御長屋、中央に母屋と土蔵その周りを
囲むように馬屋と火薬庫、武術稽古場まで完備されていたことで陣屋屋敷とはいえ
城郭の機能を凝集した堅固なつくりであったことが、伺い知れます。


とても精巧に作成されているため、こういうのって時間を忘れて見入ってしまうんで
すよね。


 








2011/04/14 19:45:32|被災地へ向けて
春望
単身、宮城の友人のところへ赴いた新橋の知人O氏から被災地の画像をいただいた。

幸い、その友人ご家族は無事だったそうで何より。

O氏たちは持参した物資などを行き交う方々に配り、持ち前の人情味と名調子で周囲を和ませてきたようです。

ボランティアの若い方々が総出で復旧作業に尽力しているおかげで、ある程度物資は行き届き、落ち着きつつはあるものの、いまだに浄化水などの復旧が遅れているそうで、いまはそれが急務とのこと。

本人も現状を目の当たりにして悲壮感に苛まれ、愕然としていたようですが、お子さんの笑顔に逆に元気をもらったと語っておりました。

私は画像を拝見したとき、ある漢詩が頭を過ぎった。

国破れて 山河在り
城春にして 草木深し
時に感じては 花も涙をそそぎ
別れを恨んでは 鳥も心を驚かす
(省略)

国破れてとは、国家機能がぐちゃぐちゃに破壊されている
山河在りとは、本来街を防御するはずの山や河はそのままの姿で
残っている。鳥や花は擬人語なので人を表している。

国語の授業で覚えのある方もあると思いますが中国の詩人、杜甫が荒れ果て変わり果てた長安の都を見て嘆き悲しんで詠った「春望」である。

「望」は眺めるの意味ですから、まさにO氏が見てきた光景に当てはまる事でしょう。

そしてO氏のように行動をおこし復興の足がかりに成らんとすることで被災地の人々の励みとなっていることを、一知人として私は誇りに思います。







2011/04/12 19:13:51|被災地へ向けて
神明宮の一本桜


神明神社の宮内にある一本桜は、まさに見ごろです。

           東北被災地にも、ひとときの桜だよりが届きますように。