元和の宇都宮城改修工事に使用した木材や石材は、実は飛び地領である安蘇郡田沼の山間から切り出したものを使用したのです。
そこで、今回私は一つの仮定を立て、ここを訪れてみたのです。もしかしたら宇都宮城改修工事を経て、余料でこの宇都宮神社を造営したのではないかと。
しかし、見事にその痕跡発見には至らず、境内に存在する 「元禄十六癸巳年 奉造立石燈」(1703)「享和二壬戌三月」(1802)の石塔「天保三辰年正月吉日」(1832)の石碑 これも確かに古いものだが、社殿造営に関する記述や文字を確認することは出来ませんでした。
また勧請するにあたり、支城の吉水城に任地していた家臣たちが使者として、この辺に赴いた可能性もあるでしょう。
これから手掛かりを求めては探訪の日々とします。調べを進めて、この先祖にまつわる歴史、事績を検証して参ります。