表千家 梅月軒 茶道教室
 
2011/09/15 18:40:04|些事ブログ
古河城祉を黄昏る(その1)
隣県は古河市の緑地帯。特に理由はないのですが
この界隈に残る余情が好きなのでしょう、季節の変わり目になると、ふらっと衝動的に散策しに訪れるところなのです。


古河歴史博物館や旧鷹見邸などが居並ぶこの閑静な住宅地は
かつての古河城の外郭にあたる場所です。


館内に展示されている「古河城下復元模型」でもわかる
ように、博物館は出城(諏訪郭)跡に建っており、地形や土塁、堀などをうまく利用し、景観と調和させた近代建築と言ったところでしょうか。


今でも博物館の裏へ廻ってみると、うっそうとした茂みが出城の面影を留めており、唯一の遺構として、古河城祉が埋没した渡良瀬川を望み、偲んでいるように思えます。


つづく











古里

私の先祖の本貫は武蔵国那賀郡というところ。


曽祖父が明治40年代に古里を離れて群馬に移住するまで
先祖達は長らくこの郷に居を構えておりました。

四代から十一代、寛永年間から明治末期のこと。



だから私は、学生時代からよくこの地の山野に寺院を訪ね、また所縁の
人物のところにもたびたび立ち寄りました。


そんな訳で私の長男は、予てよりここへ訪れてみたいと念願していた様子で
したが、今回機会がありまして倅を伴い(伴われてかな)私自身も30年ぶりに
訪れることに。


その後、仕事や家庭環境の変化で足が遠のいて以来、約30年の月日が経ち
昔日の面影とはすっかり景色が変わっておりました。 当時は道も舗装されて
いない、あぜ道でしたから。


ただ変わってないなと思うもの・・・私の回想録に聞き入る傍らの倅め。
あの頃の私と近い歳。


「時代変われど」とお互いが追体験しているかのような感覚を、郷愁に
感じた”里帰り”でした。


 








2011/09/02 18:06:03|些事ブログ
下之庄代官屋敷

宇都宮市東部の市貝町赤羽の一帯は、那須家の一族で
旗本芦野家の飛領。


この地の名主であった藤平氏が郷代官を務め、今もその代官屋敷が
「気の郷」という合気道の研修施設の一角に佇んでいるそうで、趣味の
陣屋散歩と参りました。


こちらの職員の方のご厚意で表門を潜るところまで案内していただきました


上棟は慶応4年(1868)と云い、元号が明治に変わるか変わらないかの時期です。
通例ならば幕府から厳重に禁止されている武家屋敷構えに違和感を感じましたが
考えてみれば、幕府の存在意義が曖昧なこの時期に造営されたものとすると
この上棟は納得できる話です。


表門、書院とも茅葺屋根が葺いてあり好一対の構え


しかし、茅葺屋根の四脚門とは珍しい。 軒下から見上げるとその幾重にも編み
こまれた竹や縄の構造のすごいこと。


最近では名だたる茶室でもないとお目にかかれないでしょう


特に目が行くのが式台の玄関書院。


茅葺屋根も高閣で大変立派なもの


職員の方の話によると、先の震災の際は施設や道場などの窓ガラスが外れたり
破損したそうですが、この屋敷だけはびくともしなかったとのこと。


匠の技術力の高さを物語っているではないですか。


住んでみたい度、かなり高いです。いろいろ大変そうですが。


冒頭でも述べましたが、この代官屋敷は、心身統一合気道気の郷という
合気道研修施設の中にあります。


 当主の藤平氏が、この合気道流派の家元だそうで、広大な敷地には
道場をはじめ多様な研修施設が点在しています。


現在はラスベガスなどでも合気道を教えており栃木市にも道場があるそうです。








2011/08/28 19:24:09|梅月便り
夏の〆
涼感点前の第3弾は「絞り茶巾」です。


茶巾とは、茶碗を拭くための30×15四方の麻でできた布。


本来は水屋で絞るべき茶巾を、あえて点前にてギュッと絞ります。
こうすることで水滴を垂らす景色を、あえて客人に見せて
清涼を感じていただく夏の趣向。


今年の夏も一言、暑かったですね。そして全国的に
プラスアルファ「節電」に努めた夏でもありましたから。


我が家もこの夏は、太陽光発電パネルを設置。
部屋で電力量がチェックできるモニターと
毎日にらめっこしながら節電を心がけたりと
やはりいつもとは違う夏を過ごした感はありました。


絞り茶巾のように、人間もエネルギーに頼らない凌ぎ方を
身につけなくてはならないのかもしれません。


夏季の稽古は本日が最終。納涼の意を込めて絞っております。
水の滴る涼しさを少しばかり、感じていただけたでしょうか。








2011/08/25 18:59:02|些事ブログ
ヒルズと毛利庭園
盛夏のこの日は、夏休みの家族連れで賑わう
六本木ヒルズ界隈へ立ち寄ってきました。


その一角に緑の空間、毛利庭園があります。
テレビ朝日、夕方のウェザーニュースでよく背景に
映るあの場所です。


「毛利」と聞くと、厳(いかめ)しい面持ちの13代長州藩主
毛利敬親を連想してしまいますが、この庭園は分家の毛利甲斐守の
上屋敷跡。都内に残る大名庭園の一部として整備されたものです。


横を見れば、テレビ朝日の社屋、後ろを振り返れば
奴はいませんが(古)ヒルサイド、その後ろには六本木ヒルズ森タワーがそびえています。まさに都会のオアシス的な緑地帯です。


四方をビルに囲まれているものの、どこからともなく風が吹いてきてその風に誘われるように人が集ってきているように感じました。


「ビル風」といっては風流がないので「緑風」といった方が響きが良いでしょう。池を中心にし渓流、川のせせらぎや、木々の緑陰が暑さを凌いでくれる回遊式の日本庭園となっています。