表千家 梅月軒 茶道教室
 
2011/10/28 18:03:02|宇都宮城址まつり
宇都宮城祉まつり2011(その1) 

去る10月23日は「宇都宮城祉まつり2011」へ出席して参りました。


 昨日までの雨も上がり、当日は曇り模様に。 清明館において「よみがえれ宇都宮城市民の会」会員の方々宇都宮家、戸田家両当主との昼食会の席を設けていただき 1年振りの歓談となりました。


宇都宮家の39代当主の英則さんとは、国綱公の逸話などを聞かせていただきました。英則さん「これまでの大河ドラマでの(先祖の)出演は、その他大勢のシーンでの一瞬のみの登場で、あれっ?て感じでしたので、来年の”清盛”には期待したいですね」と、談笑いたしました。


まもなく、日光からの社参行列の一行が城祉公園に到着の報が入り、私たちもお出迎えのため、清明館より会場へ向かいます。幾分日差しも指しはじめて、蒸し暑く汗ばむ陽気となっておりました。


 佐藤宇都宮市長も臨席した会場内に社参行列の一行が、ぞくぞくと入場し「宇都宮城祉まつり2011」が開催いたしました。


つづく








2011/10/18 19:06:49|梅月便り
秋田美人

タイトルは「秋田美人」としました。
が、茶菓子の話です。期待された方はガッカリしませんよう。


今週の稽古では、先日秋田で購入して参りました折り餅を
茶菓子として用いました。


「秋田小町娘」という、美人どころでもある秋田らしい
銘でして、美白肌に頬のピンク色をイメージしたかのような
秋田美人のよう。


いかにも女性受けしそうな、そんな趣向の折り餅です。


そもそも古来の日本で「菓子」とは果物を指す言葉だったそうな。


奈良時代に、中国から伝わった穀物粉の甘味物が、果物のように甘いということから、この新感覚の食品も「菓子」「唐菓子」と呼ばれるようになる。これが日本独自の和菓子に発展を遂げていくのです。


このように茶席で出される菓子なども、古くは果物を
茶菓子に用いたという記録もあるほど。極端な話を申しますと、今人気のコンビニスイーツなどを茶菓子に用いたとしてもあながち間違えですよ、とはいいきれないのです。













2011/10/14 17:54:03|横手訪問
375回忌供養献茶会

さて、翌日は横手あさくら館にて営まれた「375回忌供養献茶会」に出席いたしました。


 学ぶ市民の会、佐川副会長様とそのお社中による追善献茶の奉仕と相伴茶で慧光院正純と傑叟院正勝を偲びました。


前回同様、親子でお招きいただき横手の方々のおもてなしに親子共々「相恩」の思いに駆られ、まるで慧光院父子の感懐を追体験しているかのような、ここへ来るとそのような気持ちとなる。


この度も縁あって、正純父子を慕って活動をされておられる方々にお会いできましたこと、嬉しく思います。 横手は11月には初雪が降ると伺いました。皆様くれぐれもご自愛し、お過ごしください。








2011/10/13 17:59:04|横手訪問
墓碑移設落慶式(その4)

「未来永却、かまえて、父子ら、墓碑の建立を禁ずる。供養塔のごとき、また同じ」


 これは時の為政者の言と云う。 没後375年の歳月が経ち
地元の方々の善意によりこうして慧行院正純と嫡子・傑叟院正勝の
菩提を弔うことができましたこと心より御礼申し上げます。


そして当家に代わり墓碑の管理清掃をしてくださっていた近隣の皆様にも
2人に成り代わり、御礼申し上げたい。


 つづく








2011/10/09 17:16:01|横手訪問
墓碑移設落慶式(その3)

横手市副市長を迎えて「墓碑移設落慶式」が開式。


開眼式と入魂式には、正平寺の方丈を迎える。


 この大儀山正平寺は当時父子の葬儀を挙行した寺であり
前回訪れた際には、位牌も拝見させていただきました。
参列者の方々から焼香賜り、落慶式は粛然と営まれ私も最後に
来賓として祝辞を述べさせていただきました。


 つづく