京都東山にある南禅寺は琵琶湖の水を市内に引くための
赤煉瓦造りの水道橋で有名な臨済宗の寺院。
その境内には「景烈祠」と号する御堂(祠堂)があります。
京都によく行かれる方でも、普段は非公開な一角なので
あまり知る人も少ないかと思います。
この祠堂の中には、初代佐州正信碑銘が納められております。
是非、法事も兼ねて拝見したいとお話したところ、この度、御寺との
折り合いがつき、特別拝観が許可されたのを機に事前通知してあった
予定日に尋ねることとなりました。例により長男めを撮影班に雇いまして
京都に向かいます。
が、折しも台風4号が前日には沖縄に上陸。この日は京都・関西圏に接近して
既に暴風雨域となっていました。京都駅に着いた頃には、あちらこちらの
電光掲示板に「警報!」「気象庁発表!」など注意を呼びかける文字が
点灯し、京都全体が警戒ムード一色でした。
何でも6月の台風上陸は明治に観測を始めて以来10回目、平成16年以来と
いうことだから、皮肉なものです。
せっかくの京旅行…台風と鉢合せするというこの日にわざわざ赴き、そして帰路は
この台風4号と一緒に栃木へ帰る羽目になる。1ヶ月も前に決定させたこの日に
まさかの台風などとは検討も出来ないことと思いながらも、どこか納得のいかない
様子のこの親子でした。正直いうと悲愴感、私たちからにじみ出ていたことでしょう(笑)
以前、私が金沢へ出かけた時にも台風ではなったのですが、横殴りの暴風雨に
見舞われ、散々な目に遭ったことを思い出します。
ともあれ、京都駅でタクシーに乗り込み南禅寺へ。到着すると方丈へ通され
御寺の法務部長様にいろいろお話をお聞きすることが出来た。
碑銘の寄進者は、善徳居士(正信)の甥にあたる人物である。
正純、正勝父子をもって幕臣身分を失った当家に代わり、自身も含め
衰退しつつあった一門の功績を何とか世に誇示したいとの意味から
慶安2(1649)年に善徳居士の三十三回忌の日に奉納したもの。
この三十三回忌法要と、その孫による寛政9(1797)の修理以来
その由縁者が訪れたことがなく、実に215年ぶりにこうして再び
由縁者が尋ねてきたことに、「随分、ここまでに時間が掛かりました」と
法務部長様も驚かれていたご様子でした。
雨足が少しずつ強くなる気配を見計らい、祠堂に案内していただいた。
なお、堂内は通常非公開のため、詳細な特筆や画像掲載については
ご容赦願います。
堂内の土間には瓦が敷き詰められ、その中心に花崗岩製の巨大な
玄武であろうか、その背を台座に一枚板の碑がそびえ立っており、圧巻でした。
この碑文に登場する累祖13名全員に伺候、対面できた気分になり
名残惜しくはありましたが、最敬礼をもって景烈祠を後にいたしました。
この度の特段のお計らいに、御礼申し上げます。
その後、本坊茶室において抹茶を頂きました。
人気の少ない境内の静けさもあって、茶室には雨音のみがただただ
響くのみです。このときばかりは台風模様であることを忘れ、雨の庭園を
めでながら、山間驟雨を満喫いたしました。
茶菓子で頂いた御寺の刻印付き半生菓子がおいしかった為、稽古用に
購入しましたので、お弟子さんたち楽しみに。
しかし、外に出るとやはり現実に引き戻されますね。。。
雨に加えて蒸してきましたが、時間の許す限りで境内を散策して参ります。