表千家 梅月軒 茶道教室
 
2016/04/27 19:28:29|些事ブログ
葵の御紋展とあの東京名所
これは見ておきたいと思う展示会が、東京の方に集中し重なっています。

東京都美術館では「若沖展」が5月24日(火)まで、永青文庫美術館では「千利休と
武将茶人−茶入れを中心に」が6月26日(日)まで、などなど。

本日は、こちらの増上寺宝物展示室に妻を伴って。


現在「葵の御紋展」を開催中。

目玉となるのはやはり、台徳院殿霊廟模型でしょうか。


かつて増上寺境内に造営されていた、台徳院(秀忠)の御玉屋は東京大空襲で惜しくも焼失。しかし、明治43年に東京市の依頼で精工に作製されていた10分の1スケールの模型が、寄贈先の英国王室から100年ぶりに里帰りしています。

緻密ゆえに組むことが難しく、100年間も仕舞われていたそうな。
英国人の手に負える代物でなかったのは言うまでもなく「だったら返して」なんてぼやきたくなるぐらい圧巻の模型であり、当時の荘厳華麗な社殿を十分偲べます。

今日はこのまま帰ろうと思っていたのですが、どうしても場所柄的に視界に入ってくるものが気になってしまい。

そう、言わずと知れた名所「東京タワー」


知らない人はいないであろうメジャーなスポットなのですが
実は私、66年の人生で一度も登ったことがありません。いつでも行けるだろうという思いから今に至っていましたが、また今日のこの機会を延ばしたら、しばらく登ることはないだろうと逡巡したあげくに・・・

気が向いたので、ついに初登頂したのでした。


鳥瞰図のような東京の景観を楽しんでいます。


先ほどまで居た増上寺も眼下に広がります。右の芝公園がかつての台徳院殿跡地ですのでご確認いただきたい。

遠くスカイツリーも望めました


勿論、スカイツリーも行ったことがないので、先にこちらに登っておいて正解では。
次回はスカイツリーにチャレンジしてみせます。

個人的な世迷言ですが、外国人観光客が多いこと。エレベーターでも日本人は私と妻だけ。これからは観光地や観光施設、テーマパークにお勤めする方は、語学が堪能でないと務まらないの時代だなと、つくづく思いました。








静岡のご報告
今大会では長男がパネラーとして出席してきました。
私は教室もありましたので、今回は留守居役です。

去年は盛大に催された家康公四百年祭も、今年からは名称を「家康公ネットワーク」としてスタートし、徳川御宗家が御臨席の設立総会にも立ち会うことが出来たのは、当家にとっても意義があったように思います。

静岡新聞の記事


福島民報の記事


小山評定の地としてネットワークに加盟しているお隣の小山市から大久保市長もPRのため参加されていたそうです。お呼び止めした長男とも正純談議に花を咲かせたようで、今後の正純の業績を活かしたまちづくりに期待したいと思います。

お疲れさま。

そして今回も多くの方々にサポートしていただいたようで、お世話になりました。衷心より御礼申し上げます。







2016/01/05 20:00:51|茶事茶会
謹賀新年 丙申
明けましておめでとうございます。

当茶道教室社中の皆様には、目出度く新しい年を
迎えられたこととお慶び申し上げます。

1月は大福茶に正月釜、初釜、初稽古と初物づくし。
去年、本職をリタイアしたとはいえ、何事も一人で賄うためか自ら行うべき初釜が遠のいているようです。これを本調子に整える、これを本年の心がけにしてみようと思います。

という訳で今年は、お弟子の初釜にお呼ばれいたしました。

亭主のA氏ご夫妻が昨年秋に完成させた「砕臼庵」にて


この日は当社中でもあります、小江戸とちぎ会のメンバーと入室いたします。蹲踞(つくばい)からスタートし、席入りと皆さん日頃の稽古の延長のように楽しんでいる様子でした。

席主佐藤朴堂和尚円相


亭主のA氏によるお点前


正月ならではの嶋台茶碗で抹茶をいただきます。

茶道を教授する身となって約25年。こうして指導してきたお弟子さんたちが自発的に開いた初釜やお茶会にお呼ばれするようになったのだなぁとしみじみ、嬉しく思っております。



他のお弟子さんたちもお正月にお茶を点ててみたり、家族でプチお茶会を開いてみたり、他の初釜へ参加してみたりと各自茶の湯に親しんでもらえたことでしょう。

静かな和みの心を送る茶の湯を足場に、向学に、佳き一年を築いていただきたいと思います。


宗日 福宝







2015/12/12 19:30:34|茶事茶会
忠長卿御供養茶会
徳川幕府三代将軍徳川家光は皆さんご存知のことと思います。
では家光(以下、大猷廟)に弟がいたというのはどうでしょうか。会津松平家の家祖、保科正之公も大猷廟の異母弟であり、大河ドラマ等ご存知の方も多いと思います。では、もう一人の弟である忠長君はどうでしょう。あまり知られていないですね。

徳川忠長卿は幼名を国松といい、大猷廟の実弟でありましたが、どうも兄の大猷廟からは疎まれていたようです。祖父である家康公ゆかりの駿府城邑を領していたのですが素行が悪いとして闕所、その御身は上野国高崎城主安藤重長公にお預けとなったのです。重長公の嘆願も虚しく配所の高崎城内にて自刃。28歳という若さでした。

当時の藩主であった安藤宗家では、お世話申し上げた忠長卿をご供養するために毎年12月に追善供養茶会を催しております。ご祭主は茶道御家流家元でもあり十六世安藤綾信様。

この度はご縁を賜り家元にご招待をいただきまして、忠長卿御追福(第三百八十二年遠忌)に参列いたしました。

忠長卿の菩提寺である高崎市大信寺


お招きくださった安藤宗主(奥)と御息女の園枝様、松浦前市長


本堂では大信主翁による読経とともに御位牌にご焼香をいたします。

その後は境内に参り忠長卿の墓所に献香いたします


戦前までは唐門があり廟所を成していたと伺いました。

書院に移動し、ご宗主による忠長卿御尊前献茶


武家茶道御家流家元の見事で鮮やかなお点前を目前で拝見


園枝様が御影に献茶し、駿河大納言と称され、この地で白玉楼中の人となった
徳川忠長卿を偲びます。

再び本堂拝殿に戻りまして、御家流による濃茶席と立礼に参席いたしました


三斎流の流れをくむ御家流。家元とは利休居士の話に始まり、一尾伊織、織部、と
和やかな雰囲気の中、歴史茶話が尽きることはありませんでした。

こちらの青磁も安藤家の伝来品かと思っていたら・・・


なんと、お社中のお弟子さん(受付をされていた方)の作品だそうです。見事ですよね。
茶道を嗜む方は多才な方が多いのだなと、またまた思い知らされました。

この度は、厳粛で格式ある追善供養茶会にお招きいただきありがとうございました。
ご厚情に衷心より感謝申し上げますとともに、家元におかれましては時節柄、御身体を
ご自愛しお過ごしくださいませ。

最後にお社中の方のご厚意で高崎城址をガイドしていただきました


城址のどこからでも望める(そう、富士山かスカイツリーのように)本丸跡に聳える
近代的な高崎市役所とのアングルが印象的でした。








栃木で茶会、岡崎で四百年祭
10月下旬から11月上旬は、横山郷土館での呈茶席もフラットになったので、各お茶会に足を運んできました。

ただ今回は写真無し。私がデジカメを持参して出かけるときは大抵は長男に促されてのこと。しかし、生憎この長男が不在だったこともあり、いつものように呼び止められることもなく、着の身着のまま出かけてしまいました。

まずは佐野市の法雲寺供養茶会。そして藤岡地区の文化祭での立礼茶会。別日は市街の岡田記念館翁島での添釜。添釜は、小山市の表千家O先生のお社中が席持ちでした。O先生とは旧知の仲でありましたので、私は正客に添えられてしまいましたよ。

ところで、不在の長男ですが、愛知県岡崎市で開催された家康公顕彰四百年記念シンポジウム「徳川創業期の家康公と家臣団」に、私の名代として来賓出席のため出張でした。

長男も仕事が多岐にわたり、ここ1か月は睡眠時間も疎らだったようですが、持ち前のサービス精神で滞りなく公務は熟してきたようです。

こちらはまとめた写真あり


徳川ご宗家はじめ、三河家臣団ゆかりのご当代と登壇し、トークショーを行って参りました。

お隣にいらっしゃる安藤綾信氏は茶道御家流家元様でもあります。
御当家は現在も藩主をされていた高崎市で、忠長卿の供養茶会を斎行されているそうです。

本人はトークショーで「現在は栃木県栃木市に住んでいます」を誤って2回リピートしてしまったので、栃木市のPRになったはず!などと申しておりましたが、千載一遇を得てきた様子でした。報告を聞いて、自分のことのように悦ばしく思います。

今年は四百年祭ネタが多い一年でしたが、千載一遇のご縁も多い年でした。様々な方々のご高配もあり、こうして拙家も歴史的節目に立ち会うことができましたことを謝意申し上げます。