徳川幕府三代将軍徳川家光は皆さんご存知のことと思います。
では家光(以下、大猷廟)に弟がいたというのはどうでしょうか。会津松平家の家祖、保科正之公も大猷廟の異母弟であり、大河ドラマ等ご存知の方も多いと思います。では、もう一人の弟である忠長君はどうでしょう。あまり知られていないですね。
徳川忠長卿は幼名を国松といい、大猷廟の実弟でありましたが、どうも兄の大猷廟からは疎まれていたようです。祖父である家康公ゆかりの駿府城邑を領していたのですが素行が悪いとして闕所、その御身は上野国高崎城主安藤重長公にお預けとなったのです。重長公の嘆願も虚しく配所の高崎城内にて自刃。28歳という若さでした。
当時の藩主であった安藤宗家では、お世話申し上げた忠長卿をご供養するために毎年12月に追善供養茶会を催しております。ご祭主は茶道御家流家元でもあり十六世安藤綾信様。
この度はご縁を賜り家元にご招待をいただきまして、忠長卿御追福(第三百八十二年遠忌)に参列いたしました。
忠長卿の菩提寺である高崎市大信寺
お招きくださった安藤宗主(奥)と御息女の園枝様、松浦前市長
本堂では大信主翁による読経とともに御位牌にご焼香をいたします。
その後は境内に参り忠長卿の墓所に献香いたします
戦前までは唐門があり廟所を成していたと伺いました。
書院に移動し、ご宗主による忠長卿御尊前献茶
武家茶道御家流家元の見事で鮮やかなお点前を目前で拝見
園枝様が御影に献茶し、駿河大納言と称され、この地で白玉楼中の人となった
徳川忠長卿を偲びます。
再び本堂拝殿に戻りまして、御家流による濃茶席と立礼に参席いたしました
三斎流の流れをくむ御家流。家元とは利休居士の話に始まり、一尾伊織、織部、と
和やかな雰囲気の中、歴史茶話が尽きることはありませんでした。
こちらの青磁も安藤家の伝来品かと思っていたら・・・
なんと、お社中のお弟子さん(受付をされていた方)の作品だそうです。見事ですよね。
茶道を嗜む方は多才な方が多いのだなと、またまた思い知らされました。
この度は、厳粛で格式ある追善供養茶会にお招きいただきありがとうございました。
ご厚情に衷心より感謝申し上げますとともに、家元におかれましては時節柄、御身体を
ご自愛しお過ごしくださいませ。
最後にお社中の方のご厚意で高崎城址をガイドしていただきました
城址のどこからでも望める(そう、富士山かスカイツリーのように)本丸跡に聳える
近代的な高崎市役所とのアングルが印象的でした。