表千家 梅月軒 茶道教室
 
宇都宮城古写真@
今でこそ市街地化されて、かつての遺構が残っていない
宇都宮城址ですが昭和の40年頃までは、まだ土塁や水堀
などが存在しておりました。

宇都宮城址まつりでお会いする役員の方々からも「子供の
頃は、よく御本丸の土塁に登って遊びました」と、それぞれの
心に城址の面影を残しているようです。

現在も残される古写真に、在りし日の片鱗を伺うことができる
ので、少しずつ当ブログでも紹介していきたいと思います。


宇都宮城古写真 No.1〜No.3

本丸土塁(昭和30年頃)


本丸の外堀(昭和5年頃)


本丸土塁(昭和初期)









2013/04/15 19:16:42|些事ブログ
スーさんに哀悼
名優、三國連太郎さんがお亡くなりになりました。

映画「釣りバカ日誌」シリーズでは、スーさんとして
お馴染みでしたが、1981年に放映(TBS)のテレビドラマ
「関ヶ原」では、もっとも史実に近く哀愁ある佐渡守
弥八郎正信を演じてくださいました。

ご冥福をお祈りいたします。








2013/04/09 18:50:05|梅月便り
上州忌
本日(旧暦2月29日)は、かの地において白玉楼中の人となった
烈祖正純侯の命日にあたります。

当茶室で、ささやかな追善供養茶湯式を行いました


奸臣カラー強い正純のイメージ像ですが、横手幽閉中には
佐竹公の計らいもあり、御供を連れて付近を散歩する正純が
気さくに民に話しかけたと云い、ここの訛りで「でぇのやがだ
さま(上野台の館さま)」「上野さま」「お殿さま」と、敬意と
親しみを込めて呼ばれていた、と地元に語り継がれるエピソード
としてお聴きしました。

上州忌


私は、本当の意味での公儀最後の忠義者であったと
侯を偲びます。

慧光院殿鐡顔宗智大居士







2013/04/06 10:11:08|梅月便り
続・小江戸とちぎ会
今月から当茶室にて、小江戸とちぎ会のメンバー方に
茶道をお教えすることになりました。

去年、向暑の盛りに大通り沿いの、蔵の街観光館で出張講座を
行って以来、抹茶の頂き方を足早に伝授したままでしたから。

それからというもの、青木会長もすっかり茶道にハマって
くれたようでw

今回は、その茶道熱が冷めないうちにとのご要望で
メンバー方にご足労願い、教室にて第二弾となる
点前の稽古をスタートです。


去年の茶会にて青木会長と


少し間が空いてしまいましたが、心機一転

お茶を生涯の友に。










吉水城碑
田沼町新吉水に残る吉水城碑。



昔は雑木林に囲まれていた碑も、近年の公園化で城の遺構は
失われてしまいました。子供らがボールをぶつけたり、よじ
登ったりしたのでしょう、刻文は一部、剥落している箇所が
あるため田村善吉著「栃木縣史 第七巻 古城址編」より抜粋。  


 延長年間藤原秀郷卿唐澤山に據るや一支城を此清水に築き清水舘と云ふ、慶長十八年その裔信吉改易せられ清水舘も亦亡ぶ、元和二年本多上野介正純封を佐野領四十一箇村四萬石を受くるに及び故墟を再興して之れに居り名を吉水城と改む、元和五年正純宇都宮に封せられ翌年此の地天領に属してより城再び廃す、爾來凡三百年殆ど其蹤跡を沒す、今や新吉水は本多氏の遺臣留りて住める虚にして、常時二十五人町と称す奥澤氏は実にその族なり、氏今此の古蹟堙滅せん事を憂へ石に勒して世に傳ふ、温故知新は人心適従する虚を教ふる絶好の指南車なり、零碎なる史蹟も活史眼を開けば則ち無償の珍と化す、吉水城の遺蹟豈に曹山の死猫兒頭なるの日無からしめ

大正三年四月一日                      文学士  高田儀光撰文


実際には宇都宮拝領の後も、佐野・安蘇領は宇都宮藩領分として
城代家老の武井九郎右衛門や代官の植木伊予を、この吉水城へ
駐在させて統治にあたらせました。