栃木の語り部  栃木語り部の会

昔むかしの話を語る、栃木の語り部。 語り伝えたい話があります。昔ばなし、伝説、言い伝え・・・学校への語りの出前は60校を超えました。児童館、育成会、公民館、作業所、グループホーム、イベントなど声が掛かればどこへでも語りに出かけています。語りながら話も集めています。これからも出会いを求て語り続けていきます・・・
 
2007/06/08 19:28:23|大平町に伝わる話
大平町高島に伝わる話 田植え地蔵
 
 むかし、ある欲の深い地主の家に、うすのろだが気のいい作男がいたました。大食いだが、なにをいいつけられてもいやな顔をしないで働いていました。 
 
 ある時、欲の深い地主は、毎年、四、五人してやっと一日がかりで植え終わる田んぼのあぜをこわし、一枚の田として、
「あの田んぼは、毎年一日でやってんだから、今日中にうえっちまえ。田んぼも一枚だかんなあ」
といいつけましたので、さすがの作男も、
「こら、えれえこんだ」と、田んぼを見わたして、ためいきをつきました。
 
 そこへ子どもがやってきて、
「手伝ってやっかんな」
と言ったかと思うと、もう植えだしていましたが、その早いこと早いこと。あまりのことに作男が口をあんぐりしてみている間に、たちまち植え終わってしまいました。
 
 「おめえ、たれだや」
といいながら、作男が、手の甲で目にはいる汗をはらった時には、子どもはさっさと帰り、田んぼのわきにあった地蔵堂へ入ってしまいました。
 
 今も、高島の人たちは、その田を地蔵田とよんでいます。







2007/06/07 20:05:23|昔ばなし
ぼた餅がえる
 むかし、あるところに、とても食いしんぼうなばあ様がいた。ある日、隣のうちから重箱いっぱいのぼた餅をもらった。
「あ〜うんめえなあ。こったな、うめえぼた餅久しぶりだ」
ばあ様は、そのぼた餅うまそうに食った。
「そろそろ、草取りさいぐべ。残りのぼた餅しまっとかねばな」
ばあ様は、重箱のふたをしようとしたが、
「いや、待てよ。嫁が先に帰ってきて、これを食べられてはこまる。そうじゃ。これこれ、ぼた餅や、いいか。嫁が見たらかえるになれ。おらが見たらぼた餅になれ」
ばあ様は、ぼた餅によおく言い聞かせてからフタをして戸棚にしまってから野良仕事にでかけた。
さて、この様子を、ものかげから見ていた嫁様は、ぼた餅をすっかりたいらげると、田んぼのかえるをつかまえてきて重箱にいれておいたと。さて、野良仕事から帰ってきたばあ様が重箱のふたを取ると、中からかえるがぴょんぴょん飛び出した。
「これこれ、ぼた餅や、おらじゃ、おらじゃ、嫁ではない。ぼた餅に戻れ、そんなにはねては、あずきがこぼれる」そういいながらかえるを追いかけたんだとさ。







2007/05/31 23:13:08|昔ばなし
昔話の中の不登校・引きこもり 三年寝太郎 その2
 
 三年寝太郎 その1を読んで励まされたと言う嬉しいコメントをいただきました。
 
 昔話を聴きに何度も遠野へ出かけています。遠野昔話まつりが開かれることもあって、決まって冬です。遠野の雪はさらさらしていて、靴で踏むときゅきゅと鳴きます。曲がり屋の囲炉裏端に座って語り部の話を聴くと心の底からあたたまります。  
 
   ある時泊まった宿で、ご主人が言うことには、
 
「この間、登校拒否になった中学生の息子さんとお母さんが、泊まりに来たんだよねえ。二人でぼおっと、囲炉裏火にあったてたっけ。おだやかないい顔してたよお。次の日は、昔語りを聞きに行くていってたなあ。都会からきてたんだよね。ゆっくり親子で旅して行くって。」
 
 このお母さんは息子のその時の状況をすべて受け入れていたんでしょうね。うらやましいと思いました。親子で静かに共に過ごす時間・・・言葉に寄らず・・・ その息子さんは今頃、立派な青年になっているはずです。       







2007/05/31 20:32:43|栃木市に伝わる話
うづまのなまず 
 
  栃木市を流れる巴波川に伝わる「なまずの恩返し」の話は、「うづまのなまず」としても知られている。  
 
 
 江戸時代、栃木が大日照りで川の水がかれた時、水たまりで苦しんでいたいっぴきのなまずを農夫が見つけて巴波川にはなしてやった。するとにわかに雨が降り出して田畑が潤った.
その後、その農夫の子が川に落ちて溺れかけた時、無数のなまずが現れてその子を救ったという。
  
 
 
  なまずを助けた時、雨が降って田畑が潤ったというくだりが、「うづずまのなまず」にはあって、雨を呼び五穀豊穣をもたらす霊力もなまずにはあったということだろうか。   
 
 
   栃木市出身の芸術家鈴木賢二がこの話をもとに「うづまのなまず」という郷土玩具を考案した。なまずをかたどって、黒いしゃもじの形をしている。 賢二はこの他にも「火伏せの獅子」という郷土玩具も作っている。







2007/05/30 20:47:48|栃木市に伝わる話
弘法水 (栃木市大森町に伝わる話)

 
 弘法大師が大森の里にさしかかったとき、ある家に立ち寄って水を所望しますと、はたおりをしていた老婆が、「ちょっくら待っとこんなんしょ。」と言って、裏口から出て行きましたが、しばらくして水を汲んで来たのを見ると、汗をいっぱいかいています。「どこまで汲みに行かれたのか。」とたずねますと、「背戸の山を越して谷までいきやんした。」とのことです。大師がその親切に感じ錫杖を山の岩の根につきたてて真言の呪文をとなえますと、あら不思議、水がこんこんと湧き出ました。   
 
                  栃木の民話 日向野徳久編より(原文)  
 
 
  弘法大師が湧き出させたという言い伝えのある「弘法水」や「弘法池」は全国に4000箇所あるという。  
 
 栃木県内では、藤原町のように独鈷沢という村の名前としてだけ残っているものや、烏山の弘法清水などがある。
 
 
 この話の池は、栃木市の大森町にあるサントリー梓の森の入り口左手の山すその木陰にひっそりとした池となってその名を残している。池の近くには「池澤」という苗字の家が数件あり、そこの方に話をきいたところ、昔は、水が溢れ出ていて、近所の人が洗い物をしていたという。




これは、親切にされた弘法大師が、恩返しに水を湧き出させるという決まったストーリーだが、逆のパターンもある。

その一つが、「石のいも」とか「石芋」という話だ。


    石のいも      

 とんとむかし、あったそうな。ある村に、きったねえ、こじき坊さまが、来たんだと。ちょうど、ばあさまが、川で、いもを洗っていたと。坊さまは、それをを見て、
「ばあさま、ばあさま、うまげないもだない。おらに、一つ分けてくれろ」とたのんだらば、そのばあさまは、けちんぼなばあさまで、
「坊さまには、うまげに見えるかもしんねえけども、このいもは、石みててに固くて、食えねえいもなんだど」といって、一つも、坊さまにくんねかったんだと。
家にかえったばあさまは、洗ったいもを食おうとした、ところが、いもが本物の石になっていて、食うことができなかったんだと。それからというもの、その村でつくるいもは、みいんな、石いもになったちゅう話だ。そのこじき坊さまは、弘法大師だったということだ