弘法大師が大森の里にさしかかったとき、ある家に立ち寄って水を所望しますと、はたおりをしていた老婆が、「ちょっくら待っとこんなんしょ。」と言って、裏口から出て行きましたが、しばらくして水を汲んで来たのを見ると、汗をいっぱいかいています。「どこまで汲みに行かれたのか。」とたずねますと、「背戸の山を越して谷までいきやんした。」とのことです。大師がその親切に感じ錫杖を山の岩の根につきたてて真言の呪文をとなえますと、あら不思議、水がこんこんと湧き出ました。
栃木の民話 日向野徳久編より(原文)
弘法大師が湧き出させたという言い伝えのある「弘法水」や「弘法池」は全国に4000箇所あるという。
栃木県内では、藤原町のように独鈷沢という村の名前としてだけ残っているものや、烏山の弘法清水などがある。
この話の池は、栃木市の大森町にあるサントリー梓の森の入り口左手の山すその木陰にひっそりとした池となってその名を残している。池の近くには「池澤」という苗字の家が数件あり、そこの方に話をきいたところ、昔は、水が溢れ出ていて、近所の人が洗い物をしていたという。
これは、親切にされた弘法大師が、恩返しに水を湧き出させるという決まったストーリーだが、逆のパターンもある。
その一つが、「石のいも」とか「石芋」という話だ。
石のいも
とんとむかし、あったそうな。ある村に、きったねえ、こじき坊さまが、来たんだと。ちょうど、ばあさまが、川で、いもを洗っていたと。坊さまは、それをを見て、
「ばあさま、ばあさま、うまげないもだない。おらに、一つ分けてくれろ」とたのんだらば、そのばあさまは、けちんぼなばあさまで、
「坊さまには、うまげに見えるかもしんねえけども、このいもは、石みててに固くて、食えねえいもなんだど」といって、一つも、坊さまにくんねかったんだと。
家にかえったばあさまは、洗ったいもを食おうとした、ところが、いもが本物の石になっていて、食うことができなかったんだと。それからというもの、その村でつくるいもは、みいんな、石いもになったちゅう話だ。そのこじき坊さまは、弘法大師だったということだ。