栃木の語り部  栃木語り部の会

昔むかしの話を語る、栃木の語り部。 語り伝えたい話があります。昔ばなし、伝説、言い伝え・・・学校への語りの出前は60校を超えました。児童館、育成会、公民館、作業所、グループホーム、イベントなど声が掛かればどこへでも語りに出かけています。語りながら話も集めています。これからも出会いを求て語り続けていきます・・・
 
2007/06/12 19:23:04|太平山に伝わる話
大中寺の七不思議 不断のかまど
 むかし、大中寺の小坊主が、朝早くから夜おそくまで続くきびしい修行につかれ、眠けをもようしていた。
 ふと、かまどの前を通りかかり、ここなら人目につかずに休めると、中にはいり、薪で身をかくした。中はぽかぽかとあたたかく、いい気持ちでいるうちにぐっすり眠り込んでしまった。        
 それとは知らぬ、食事番の修行僧がかまどに火をつけてしまい、中の小坊主は焼け死んでしまった。 
 和尚は「これから後、かまどに火を絶やさぬようにしよう。そうすれば、二度とこのようなことも起きまい」と言い、それからというものこのかまどは何時でも火を絶やさぬようになったということだ。 
 
  とてもかわいそうな話で、小坊主さんに合掌。そういえば、類話ではなくて実話ですが、知人の住む茨城県水海道のある集落では、かくれんぼしていた子が、どんど焼きの薪の中にかくれているうち眠り込んで焼け死に、以後どんと焼きは二度と行われなくなったそうです







2007/06/11 23:18:08|昔ばなし
桃太郎の桃が流れてくる様子について
 私が祖父や祖母から聴いた桃太郎の話の中では、桃は 
    どんぶらこ どんぶらこ
と流れて来ました。
 
 子どもに読み聞かせるために買った本で桃が 
    つんぶく かんぶく 
と流れて所を読んだとき、「これは、違う!絶対に桃は、どんぶらこと流れてくるものなんだ」と思い、拒否反応を通り越して、軽いめまいさえおこしました。
 
  けれども、昔話を勉強していくと、地方により、人により様々に異なった擬音語、擬態語の楽しさを知るようになりました。
 
 口伝えのなかでは当たり前だったことが、絵本やテレビの日本昔話や、教科書に取り上げられた昔話によって画一化されてしまったのです。
  
 
 それでも、友人は、どうあっても、何が何でも、桃は
    どんぶらこっこ すこっこ
以外に無い!!と今もって言い切ります。
 
 皆さんの心の中では、桃はどんな風にながれてくるのかお聞かせ下さい







2007/06/09 22:00:12|日光市に伝わる話
米の音 栗山の昔話
 
 むかし、むかし。栗山ではふだんは米を食わない。だから、人が重病になった時、竹筒に米を入れて音を聞かせると回復したという。
 
 短い話だが、その昔、山村で米がとれなかった頃の人々の暮らしぶりがしのばれる話だ。もったいないことばかりの、今の世の中、過去のこんな話こそ残したい。 また、同じ話でも、下記のようなものもある。  
 
 むかし、山里で米がとれなかったから、いまわの際の病人の耳元で、竹筒に入れた米を振って、その音を聞かせた。そうすっと、成仏できるんだと。







2007/06/09 19:20:43|太平山に伝わる話
大中寺の七不思議 油坂
 
むかし、大平の大中寺には、禅の勉強をする弟子が大勢集まって修行していました。
 
 その中に、とても勉強熱心な者がいて、夜、こっそり起きて、油を盗み出しそれを灯して、人にかくれて勉強していました。
 
 ある夜、油を盗んで本堂の前の石段を降りようとした時、あやまってこぼしてしまいました。そして、その油にすべって石段を転げ落ち、息絶えてしまったのです。それからというもの、この石段を上ろうとする者は、きっとすべってころげ落ち、おおけがをします。
 
 「これも、あのかわいそうな弟子のうらみがこもっているのだろう」
と、だれもこの坂を上らなくなりました。そして、いつしか、この坂は、油坂と呼ばれるようになりました。
 
 今では、坂の上と下に長い竹の柵を作り、だれも通れないようにしてあります。







2007/06/09 9:10:42|大平町に伝わる話
大平町土与に伝わる話   九十九曲がり
  むかし、土与村に勇三さんというひとがいた。
 このあたりでは、毎年水争いが絶えないかったので、牛久、川連、土与の三つの村が力を合わせて堀をつくって、巴波川から水を引くことになった。勇三さんはこの話のまとめ役になった。わずか千メートルばかりの長さだったが、百曲がりにすることで話がまとまった。
 その夜のこと、勇三さんの枕元に美しい姫が現れ、「私は、用水堀に住む大蛇です。私のすみかがなくなってしまうから、どうか百曲がりにしないでください。九十九曲がりの堀をつくってください」と、涙ながらに言うと姿を消した。
 次の日、勇三さんがこの夢の話を皆にすると、「そりゃよほどのわけがあるのだろう。たたりも気になるし、この際、九十九曲がりにするべ」という長老の意見で堀は九十九曲がりにすることになった。
  下検分に三人が選ばれて、晴れた日にくいと縄を持って出かけた。雑木や雑草のおいしげってた中を九十九曲がりになるように計りながら歩いていると、こんこんと湧き出る泉に出くわした。三人が乾いた咽喉をうるおしなが一休みしていると、突然黒雲が広がりあたりが薄く暗くなった。三人があわてて帰ろうとすると、美しい姫が現れた。姫は「私の願いを聞き入れてくれて本当にありがとう。お礼に用水堀には水を絶やさないことを約束しましょう。村の人たちにもよろしくお伝えください」と言うと、泉の波風が立ち、女は大蛇に姿を変えると、泉の中に消えていった。すると、黒雲もなくなり、もとの青空になった。三人は帰って、村人たちにありのままを話した。
 やがて、用水掘が出来上がると、水は絶えることなく流れた。おかげで、このあたりでは、水の心配も、水争いもなくなり、前にもまして米作りに励むようになった。以来、
   「九十九曲がり百曲がり、なさけかければ姫が出る」
   「九十九曲がり百曲がり、今ひとつまがればへびが出るぞ」
という唄がうたわれたとさ。
  渡辺セツ 再話  「語り部が書いた下野の民話」
             「ふるさとおおひらの民話」