栃木の語り部  栃木語り部の会

昔むかしの話を語る、栃木の語り部。 語り伝えたい話があります。昔ばなし、伝説、言い伝え・・・学校への語りの出前は60校を超えました。児童館、育成会、公民館、作業所、グループホーム、イベントなど声が掛かればどこへでも語りに出かけています。語りながら話も集めています。これからも出会いを求て語り続けていきます・・・
 
2007/06/13 21:31:31|太平山に伝わる話
大中寺の七不思議 東山の一つ拍子木
 
 大中寺の東山からチョンとひとつ拍子木が聞こえると、寺に何か悪いことが起きるのだそうです。
 
 この拍子木の音は、大中寺の住職にしか聞こえないということです。
 
 
 私は子どもの頃、拍子木の音は、住職が亡くなる前ぶれだという話として聴きました。







2007/06/13 20:04:17|太平山に伝わる話
大中寺の七不思議 枕返しの間
 
 大中寺には「枕返しの間」と呼ばれる不思議な部屋があります。
 
 この部屋で寝ていると、翌朝にはきっと、枕が反対の方になっているのです。
 
 「そんなばかげたことが、あるもんか」
と、ある時、力自慢の若者が、寺にのりこんできて、無理やりにその部屋にねてしまいました。ところが、さんざんうなされ、その苦しそうなうなり声は、寺いっぱいに響いたといいます。
 
 若者が、あくる朝気がついてみたら、たしかに南枕に寝たはずが北枕になっていたということです。







2007/06/13 19:54:09|太平山に伝わる話
大中寺の七不思議 開かずの雪隠
 
 むかし、戦いに敗れて大中寺にのがれてきた、佐竹小太郎の奥方も、夫の後を追って、大中寺に逃げてきました。
 
 けれども時すでに遅く、小太郎は切腹した後でした。
 
 悲しい最後を聞いた奥方は、雪隠(便所)にはいって自ら命を絶ったのでした。
 
 それから後、寺では、この雪隠の戸に釘を打って、決して開かないようにしたということです。







2007/06/13 19:40:35|太平山に伝わる話
大中寺の七不思議  馬首の井戸
 
 むかし、戦いに敗れた若い武将が、馬に乗って寺ににげこんできました。
 
武将の名は佐竹小太郎といい、敵の囲みをやぶり命からがら大中寺までたどり着いたのです。
 
 小太郎は、かくまってもらおうと頼みましたが、中に入れてもらえませんでした。そうしているうちに追っ手がやってきました。
 
 もう助からないと思った小太郎は、乗ってきた愛馬との別れを惜しむと、その首を切って、かたわらの井戸へそのなきがらをかくしました。そして、自分は寺の前の方の畑で腹を切って死んでしまいました。
 
 それから後、特に井戸に霧のたちこめているときなど、その霧の中にボーッと馬の首が浮かび上がるので、人々は、馬首の井戸とよんで恐れました。
 
 翌日、村の者が、畑の中にピカピカ光る石があるのを見つけて大さわぎとなり、これを裏山にまつり「てるいし神社」と名づけました。
 
 これこそ、うらみをのんで死んでいった小太郎のなきがらが石に化したものです。







2007/06/12 22:34:58|昔ばなし
貧乏神と福の神
 むかし、貧乏な夫婦があった。朝から晩まで働いても暮らし向きは一向に楽にならなかった。それでも、「稼ぐに追いつくびんぼうなしって、いうべ」って言って、働き続けたのである年のおおみそかには、いつもの年よりたくさん正月のご馳走の用意もできた。すると、屋根裏でなにやら物音がして、泣き声まで聞こえた。「なんだべ」と思っていると、柱を伝って何か下りてきた。見ると、みすぼらしいじい様だった。「おらは、この家に百年前から住んでいる貧乏神だ。お前らがあんまり稼ぐもんで、とうとうここから出ていかねばならなくなった」と言って、大粒の涙をぽろんぽろんとこぼした。「貧乏神様がいたんじゃ、いくら働いても貧乏な訳だ」とおっかあは、あきれがおだった。気のいいおっとうは、「そんなに、あわてていくこたあねえべ、茶でものんでいかっせ」と言えば、おっかあも正月のご馳走を台所から持ってきた。「ああうんめえ、おら、こんなうめえもん食ったのははじめてだ」 と喜んだ。「なんぼでも食ってくだせえ」おっとうとおっかあは、貧乏神様をもてなした。その時、おもてから、ずしっ、ずしっと足音が響いてきた。「あっ、福の神が来た」と言って、貧乏神はがたがた震えだした。足音は近づいてきて「ほーい、ほーい、ほいほいほーい」という威勢のいいかけごえまで聞こえてきたかと思うと、びらーんと表戸が開いて、もう福の神様がはいってござらした。赤い錦の羽織におおきなふくろを持ち、顔はまるまると太って福々しい神様だった。福の神様は囲炉裏っぱたに座っている貧乏神を見つけると、「なんだ、まだいただか。ここは、もうお前のいるとこじゃねえ。さっさと出てけ」といったら、貧乏神様は「おら、今ご馳走になってたんだ」といいかえした。「そんなら、おれがぼんだしてくれる」と、福の神様は貧乏神様をつっとばしたんで、取っ組み合いになった。「貧乏神様負けるな」おっとうと、おっかあは声をかけた。大きな福の神様にはかなうまいと思った時、今まで食べたことも無いご馳走で力が付いていた貧乏神様は、福の神様のすきをついて足を持ち上げると、外へごろーんと転がしてしまった。「いてててえ。福の神より貧乏神大事にする家なんか聞いたことねえ。二度ときてやんねんかんな」というと、福の神様はぷりぷりおこって帰っていった。戸口のところを見るを打ち出の小槌が落ちていた。貧乏神様はそれを持つと「米出ろ」と振った。すると米俵がごろんと出てきた。「魚でろ、大根でろ、着物でろ」と次々に打ち出して、みんなであったっけえ正月をむかえた。
それから、打ち出の小槌を持った貧乏神様が福の神様になって、この家に住み、みんなで末永く幸せにくらしましたとさ。