あじさいまつりでにぎわう、あじさい坂を上り、随神門をくぐってすぐの右手に、綾川石といわれる大石がある。この石のいわれは・・・
むかし、薗部村(栃木市)に、綾川五郎次という男がいた。生まれつき体が大きく、大変な力持ちで、村の相撲で、五郎次にかなうものは誰もいなかった。
五郎次は、いつしか力をつけて江戸に出て、本物の相撲取りになりたいと思うようになった。そこで、日頃から信心していた、太平山大権現に、丑の刻参りして、「どうか、おらに、大力を授けてくだせえ」と祈っていた。木々が生い茂って、月明かりも見えない、真っ暗闇の石段を、下から上へとかけ上がっては、願をかけていた。
ある夜のこと、いつものように、石段をかけ上がり、随神門をくぐって本殿へ行こうとした時、一人の女が、赤ん坊を抱いて立っていた。女は、五郎次に、「もし、私が、権現様にお参りしている間、どうか、この子をだいていてください」と、頼んだ。五郎次は、こんな真夜中によほどのことだろうと、赤ん坊をあずかった。
しばらく抱いていたが、女は戻って来なかった。そのうちに、抱いている赤ん坊の体が、だんだん大きくなり、重くなってくるではないか。力自慢の五郎次の腕もしびれてきた。(なんだべ。この赤ん坊、おかしいぞ。だけんど、落としたら死んじまう)そう思った五郎次は、汗を流して、うんうん、うなりながら我慢して赤ん坊を抱いていた。しらじらと夜が明けて、よく見れば、赤ん坊は大きな石に変わっていた。五郎次はこの時、大力をさずかったのだ。
この後、江戸に出た五郎次は、立派な相撲取りになり、綾川関と名乗り、日下開山二代目横綱(ひのしたかいざんにだいめよこづな)となったという。
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