秋の読書週間に、今年はまた、この話を持っていこうと思い、今、練習中です。子どもばかりでなくおとなにも味わってもらいたい本です。 花さき山
おどろくんではない。 おらは この山に ひとりで すんでいる ばばだ。 山ンばと いうものも おる。 山ンばは、わるさを すると いうものも おるが、 それは うそだ。 おらは なんにもしない。 おくびょうな やつが、山ンなかで しらがの おらを みて かってに あわてる。 そしては べんとうを わすれたり、 あわてて 谷さ おちたり、 それがみんな おらのせいになる。
あや。おまえは たった十のおなごわらし だども 、しっかりもんだから、 おらなんど おっかなくはねえべ。 ああ、おらは、なんでも しってる。 おまえの なまえも、 おまえが なして こんな おくまで のぼってきたかも。 もうじき 祭りで 、祭りの ごっつおうの 煮しめの 山菜を とりに きたんだべ。 ふき、わらび、みず、ぜんまい。 あいつを あぶらげと いっしょに 煮ると うめえからなあ。
ところが おまえ、おくへ おくへと きすぎて、みちに まよって この山サ はいってしまった。 したらば、ここに こんなに いちめんの花。 いままで みたこともねえ 花が さいてるので、 ドデンしてるんだべ。 な、あたったべ。 この花が、なして こんなに きれいだか、 なして こうして さくのだか、 そのわけを、あや、おめえは しらねえべ。 それは こうした わけじゃー。
この花は、ふもとの 村の にんげんが、 やさしいことを ひとつすると ひとつ さく。 あや、おまえの あしもとに さいている 赤い花、 それは おまえが きのう さかせた 花だ。
きのう、いもうとの そよが、 「おらサも みんなのように 祭りの 赤い べべ かってけれ」 って あしをドタバタして ないて おっかあを こまらせたとき、 おまえは いったべ、 「おっかあ、おらは いらねえから、 そよサ かってやれ」
沿ういったとき、その花が さいた。 おまえは、いえが びんぼうで、 ふたりに 祭り着を かって もらえねえことを しってたから、 じぶんは しんぼうした。 おっかあは、どんなに たすかったか! そよは、どんなに よろかんだか!
おまえは、せつなかったべ。 だども、この 赤い花がさいた。 この 赤い花は、どんな 祭り着の 花もようよりも、 きれいだべ。 ここの 花は みんな こうして さく。
ソレ、そこに、つゆを のせて さきかけて きた ちいさい 青い花が あるべ。 それは ちっぽけな、ふたごの あかんぼうの うえの子のうが、 いま さかせているものだ。
きょうだいといっても、おんなしときの わずかなあとさきでうまれたものが、 しぶんは あんちゃんだとおもって じっとしんぼうしている。 おとうとは、おっかあの かったっぽうの おっぱいをウクンウクンをのみながら、 もうかたほうの おっぱいも かたっぽうの手で いじくっていて はなさない。 うえの子は それを じっとみて あんちゃんだからしんぼうしている。目にいっぱいなみだをためて。
そのなみだがそのつゆだ。
この 花さき山 いちめんの 花は、 みんなこうしてさいたんだ。 じぶんのことより ひとのことをおもって なみだをいっぱいためてしんぼうすると、 そのやさしさと、けなげさが、 こうして 花になって、さきだすのだ。
花ばかりではねえ。 この山だって むこうのみねつづきの山だって、 ひとりづつのおとこが、いのちをすててやさしいことを したときにうまれたんだ。 この山は 八郎っていう山おとこが、 八郎潟に しずんで 高波を ふせいで村をまもったときにうまれた。
あっちの山は、三コっていう、大おとこが、 山かじになったオイダラ山サかぶさって、 やけしんだときに できたのだ。 やさしいことを すれば 花がさく。 いのちをかけてすれば山がうまれる。 うそではない、ほんとうの ことだ・・・・・。
あやは、山からかえって、 おとうや おっかあや、みんなに 山ンばからきいたこの はなしをした。 しかし、だアれも わらって ほんとうには しなかった。 「山サいって、ゆめでもみてきたんだべ」 「きつねに ばかされたんではねえか。 そんな 山や 花は みたこともねえ」 みんな そういった。
そこで あやは、また ひとりで 山へ はいっていった。 しかし、こんどは 山ンばには あわなかったし、 あの 花も みなかったし、 花さき山も みつからなかった。
けれども あやは、そのあと ときどき、 「あっ!いま 花さき山で、 おらの 花が さいてるな」 って おもうことが あった。
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