栃木の語り部  栃木語り部の会

昔むかしの話を語る、栃木の語り部。 語り伝えたい話があります。昔ばなし、伝説、言い伝え・・・学校への語りの出前は60校を超えました。児童館、育成会、公民館、作業所、グループホーム、イベントなど声が掛かればどこへでも語りに出かけています。語りながら話も集めています。これからも出会いを求て語り続けていきます・・・
 
2007/10/21 19:21:45|その他
中粕尾 赤石河原のお地蔵さんのいわれ

    
     赤石河原へ再び

 栃木市星野に伝わるよし姫伝説ゆかりの地赤石河原を再び訪れた。先週より更に空気は冷たさを増してせせらぎの音が激しくなっていました。午後3時を過ぎていたので、日は、すでに周囲の山陰に隠れていました。山里の日暮れは早いものです。
 
 赤石河原近くの野菜の無人販売所を覗いていたら、そこの家のおばあちゃんが来たので、話を聞くことができました。


 
 赤石河原のお地蔵さんは、その昔、川の上流から流れてきたのを、おばあちゃんの家の先祖が祠を建てて祀ったのだそうです。
 このあたりの人は、子どもを守るお地蔵さんとして信仰していて、子どもが耳が聞こえない、とか病気になったとかいうと、お供え物を持って、お地蔵さんにお願いしに来るのだそうです。 

 お地蔵さんの祠のある対岸に、木の橋をかけてあったのが、今年の大水で流されてしまったのだそうで、今は、遠くの橋を渡らないと行けないそうです。
 この家の池にも、赤石河原の赤い大石が置いてあると言って見せてくれました。

 お地蔵さんは、小山のお殿様とは無縁のものでした。

 野菜の無人販売所で買った、野菜は新鮮で美味しかった。
伝説探訪の幸せな副産物となりました。







2007/10/20 9:34:02|絵本
「ビロードのうさぎ」を読んで涙・・・
 「ビロードのうさぎ」

    マージェリィ・W・ビアンコ原作
    酒井駒子 絵・抄訳
    ブロンズ新社
    ¥1,500+税
 


読書週間ともなると、読み聞かせや語りの出前のピーク時期。

語りが終わって、ふらっと立ち寄った大型ショピングストアーの書籍売り場の中のこれまた、大型絵本コーナーで、古典的名作と聞いていたのに読んだことがなかった「ビロードうさぎ」を読んだ。というより「ビロードうさぎ」に出会ってしまったのだ!

子どもに愛されたうさぎのぬいぐるみが本物のうさぎになる。

読んでいて、不覚にも涙が出てしまった・・・
私の後ろには、3歳くらいの男の子を連れた若いお母さんがいたので、ずっとその場に立ち尽くして、涙が乾くのを待つしかなかった。

とてもセンチメンタルであったかい本。遠い昔、寒い夜にもぐりこんでいった母親の布団のあたたかさと優しさに似た感覚の本。


この概略はアマゾンによると・・・


「子どもに愛されたことで、本物になったぬいぐるみのウサギ。本書は、時代を超えて、作りものを本物に変える愛の力を語り伝えてくれる。クリスマスプレゼントとして1人の男の子に贈られたビロードのウサギは、ほかのおもちゃたちと一緒に子ども部屋に住んでいた。いつか、男の子が自分を遊び相手に選んでくれる日を待ち望んで。恥ずかしがりやのウサギの友だちは、ぼろぼろの革のウマ。子ども部屋の住人の中でも一番かしこいウマは、ウサギにおもちゃたちの願いを教えてくれた。それは、「人間の愛を受けて、『本物』になる」こと。「本物っていうのは、身体の作りのことではないんだ」と、革のウマは言う。「きみの身に起こることさ。人間の子どもが長い間きみを愛してくれたとき、ただの遊び相手じゃなくて、心からきみを愛してくれたとき、きみは本物になれるんだ」
1922年に初版が刊行されて以来、多くのこどもたちを魅了してきた、センチメンタルな古典名作。おもちゃにもきっと心があるはずと思っている子どもたちにはぴったりの1冊だ。(読み聞かせるなら何才でも。ただし、8才以上の子どもたちならひとりで読める)」

 息子が小さい頃、図書館で借りた本の中に、女優の古村比呂さんが書いたくまのぬいぐるみの話があった。
 愛されていた熊のぬいぐるみも、飽きっぽい子に忘れられて押入れにいれられてしまう。そこで、ねずみにかじられててボロボロになっていく・・・
 息子は「ねえ、かわいそうだよ。助けなくちゃ・・・」
と、本を閉じた後も心配していた。一週間くらいそのことを口にしていた。
 作者は、ものの大切さでも教えたいという意図で書いたのかもしれないが、なんてひどい本なのだと思った。
 この本はぬいぐるみの熊の目線で書かれているからある意味、井戸にとじこめられた貞子にも似た恐怖があった。作者に熊が救い出されて幸せになる続編を書くよう訴えたかった。


 子どもにはやはり、ハッピーエンドのお話がいい。と、先日、お話仲間と話したばかりだ。

 恐ろしいやまんばが出てきても、お話の中では、ヨモギの汁でとけてしまったり、和尚様の知恵で退治されてしまって、物語の外には出てこない。グリムの昔話でも魔女や魔物は退治されて終わる。
 来週も、ハッピーエンドの昔語りをしなくては!と思った。

ああ、そうそう、勿論「ビロードうさぎ」は購入した。どこかで是非読み聞かせたい







2007/10/18 19:26:11|絵本
栃木の長者伝説を考える
  栃木の長者伝説を考える

   佐野の朝日長者

むかし、赤見に朝日長者とよばれる長者が住んでいた。この長者は、出流原弁天様に、毎日おまいりしては、子どもが授かるよう祈っていた。
長者の願いがかなって、ある日かわいい玉のような赤んぼうが生まれ、鶴姫と名づけられた。長者は目に入れてもいたくのかわいがりようだった。姫は美しい娘にそだった。ところがある日姫が神隠しにあって姿を消してしまった。長者が嘆き悲しんでいると、弁天様からのお告げがあった。
「おまえの娘は、弁天池の鯉になって苦しんでいる。かわいい娘を救いたいなら、お前の持っている金銀財宝を全部捨てなさい」と。
朝日長者は次の日、村人をたのんで、すべての財宝を赤見の山に埋め、
「朝日さす、夕日輝くこの山に、うるし千ばい、朱千ばい」という歌を残したという。

朝日長者や夕日長者は全国的に残されている長者の名だが、話の中身はそれぞれだ。

     今市の一夜長者

これは、朝日長者が一夜にしてほろびてしまったいきさつが伝えられている。

朝日があたるところに屋敷を構えているところから「朝日長者」、夕日があたるところに屋敷をかまえているから「夕日長者」というのも一般的だ。

「朝日長者」と「夕日長者」の娘と息子が恋に落ちる話も伝わっているが、いつも結末は悲劇的だ。


さて、鹿沼で民話の語り部をしている友人が、公民館で高齢者に地域に伝わる伝説を語ると、「このはなしの長者はあの家だ」「この長者のいえはどこどこだ」と実名入りで教えてくれるのだそうだ。鹿沼の歴史の深さを感じる話だ。こういった話を引き出せるのは、彼女のあったかい人柄と民話語りがあってのことだと思う。

昨日、都賀町のきのこと山菜とりの名人Nさんから長者の話を聞いた。
粟野街道沿いに、「まぐそ長者」と呼ばれる長者屋敷がある。むかしは粟野街道を材木を積んだ馬車が往来した。この馬車馬が道に落としたまぐそ(馬ふん)を自分の田畑の肥やしにして土地を肥やし、長者になったという。今はやりの表現をとれば「有機農法」であり「リサイクル」であり「地球にやさしい」長者様なのである。

バブリーなIT長者とは違って、昔の言い伝えには、財をなしたひとの努力や知恵が語りこめられていて興味深い。

このほかにも、屋敷のまわりにシュロの木が沢山生えているところから「シュロの木長者」と呼ばれる長者屋敷があるという。


財をなした長者のいわれ話はいろいろな所に残っている。
伝説に出てくる長者とは、少し趣を異にしているが、現代判の「長者」や「大尽」がいる。

近年、県内のある有名なお祭りの屋台で、ほくほくの美味しい「じゃがバタ」を販売し、それが売れに売れて長者屋敷を建てた人がいてこの家を「じゃがバタ長者」とか、「じゃがバタ御殿」とか言うのだそうだ。そういえば、長蛇の列に並んでおいしいじゃがバタを食べた思い出があるが、あのじゃがバタの作り主だったのだろうか・・・







2007/10/17 19:31:04|栃木市に伝わる話
粕尾の里を訪ねて(よし姫伝説 栃木市星野の話)

むかし、小山城の殿様、義政は、いくさにやぶれ、敵に追われて粕尾の里に逃げていった。妻のよし姫もお供を一人つれ、永野から粕尾に逃げようとした。

 

 途中、星野の村からひとりの村人の道案内を頼んだが、この村人は金欲しさのあまり、二人を殺してしまった。

 

 その後、二人のたたりか、この村人の家のまわりには、白いへびがあらわれるようになり、一家はだんだんまずしくなってしまった。  

 

 そして、よし姫たちが殺された所には、それまでこのあたりでは、生えてことのない草が生え、草のくきを傷つけると、血のような赤い汁が出たということだ。

 

 村の人々は、その草をよし姫になぞらえ、「よし草」と名づけ、よし姫の供養するために、お墓を造ったという。




粕尾の里を訪ねて

このページに栃木市星野に伝わるよし姫伝説の大筋をのせました。ここを見た「とおりすがり」という名の博識で親切な方に、小山義政の妻、よし姫が落延びた夫を追っていこうとした先は、粕尾の「赤石河原」であると、コメントで教えていただきました。

この「とおりすがり」様からの教えをたよりに、先週末、鹿沼市(合併前は粟野町)中粕尾の赤石河原へ行ってきました。

伝説では星野の里から永野の峠を越えて、大越峠を越えて行ったであろう赤石河原に、車で30分足らずで到着しました。粕尾の道の駅を越え、川沿いに所々大きくカーブする道が細くなったあたりに赤石河原はありました。途中のお店や民家の方に何度も道を訪ねつつようやくたどり着きました。

中粕尾は昔ながらの暮らしが今も残っている昔話の世界さながらの山里でした。途中の川では渓流釣りの人が釣り糸をたれ、民家の庭には籠に入れたきのこが干してあったりしました。

「赤石河原」は、最初聞いたとき、小字名になっている地名かと思いましたが、着いてみると、「河原」そのものでした。近くに住む人から聞いたところによると、河原の石を磨くと赤くなるから赤石河原というのだそうです。

実際に河原におりてみると丸石が多く、水にぬれているところは赤味をおびていました。
対岸の大岩も赤っぽい色をしていました。

秋草に赤とんぼが来て、せせらぎの音を聞きながら秋風の中河原に立っていると、山深く落延びてきた小山義政と追いつくこともなく途中で命を落としたよし姫の無念が胸に迫ってきました。

対岸に目をやると、お地蔵さまのほこらがありました。このことを知って建てられたものか、山里に住む人やここを通る人の願いを受け止めてきたであろうお地蔵さま。目鼻立ちもおぼろげになったお地蔵さまに会って、何かほっとして、赤石河原を後にしました。

よし姫伝説をもっと調べて語ってみようと思います。
「とおりすがり」様ありがとうございました。

☆ 写真は一緒にいってくれた親友のMさんが撮ってくれました。
Mさんはコンピューターの専門家、S社のデジカメのサ○バ○ショットのプログラムも作った人です。 どうもありがとう。










2007/10/09 19:56:15|絵本
ねずみの楽土 山形県に伝わる昔話
 
山形県に伝わるむかしばなし、「ねずみの楽土」
 これは一般には「ねずみ浄土」として伝わっている話の類話です。



  ねずみの楽土


昔むかし、あるところに、おじいさんとおばあさんがありました。

ある日、おじいさんが、
「おばあさんや、今日は山へたきぎひろいに行くから、お弁当を作っておくれ」といいました。おばあさんは、黒豆と白豆を煮(に)て、それからおむすびも作ってお弁当に入れました。

おじいさんはそれをもって、山へ出かけました。お昼になったので、おじいさんは小高いところでお弁当を食べようとして、お弁当のふたをとりました。すると、黒豆がころころころがって、穴の中に落ちてしまいました。

そのとき、穴の中から、
黒豆つんばい、ちゃかつんばい、ぽーつ、ぽつ
という声が聞こえてきました。
(あっ、おもしろい)と思って、こんどは白豆をその穴に入れてみると、
白豆つんばい、ちゃかつんばい、ぽーつ、ぽつ
という声が聞こえてきました。
(あれ、おもしろい)と思って、おじいさんはお弁当のおかずの豆をみんな穴の中へ入れてしまいました。

そればかりか、おむすびまで入れてしまうと、

おむすびころころ、すってんしゃんぽーつ、ぽつ

という声が聞こえてきました。(これはおもしろい)と思っているうちに、おじいさんも穴の中にころがり落ちてしまいました。

その穴の中にはねずみがいました。そこには大きなざしきがあって、めずらしい宝物(たからもの)がたくさんありました。ねずみは、
「よくいらっしゃいました」
といって、おじいさんを酒やさかなでもてなしました。そのうえ、おじいさんは、おみやげに宝物までもらってかえりました。

これを聞いた、となりのよくふかじいさんは、おばあさんに黒豆と白豆をにてもらい、おむすびも作ってもらって山へ行きました。
 穴に着くなり、よくふかじいさんは、穴の中に黒豆を入れてみましたが、何の声も聞こえてきません。
白豆を入れてみましたが何の声も聞こえてきません。
 そこで今度は、おむすびをむりやり穴の中へおしこみました。やっぱり何の声も聞こえてなかったので、よくふかじいさんは、自分で穴の中にころがりこみました。

 するとそこには、聞いていたとおり、ねずみの宝物がいっぱいありました。

よくふかじいさんは、すぐに宝物がほしくなりました。そこで、ねずみをおどして宝物をもらってかえろうとして、
「ニャーン」といいました。

そのとたん、穴の中がまっくらになり、やっとのことでいのちからがらにげてきましたとさ。


 「ねずみ浄土」では、欲深じいさんは、出口がみつからずに、とうとう、もぐらになってしまいましたとさ。で終わります。

「だからな、あんまり欲かくもんじゃないんだぞ」
とむすんで、教訓話として語る人もいます。