栃木の語り部  栃木語り部の会

昔むかしの話を語る、栃木の語り部。 語り伝えたい話があります。昔ばなし、伝説、言い伝え・・・学校への語りの出前は60校を超えました。児童館、育成会、公民館、作業所、グループホーム、イベントなど声が掛かればどこへでも語りに出かけています。語りながら話も集めています。これからも出会いを求て語り続けていきます・・・
 
2008/02/11 23:06:45|和歌山県の民話
若返りの水
   若返りの水

 むかし、あるところに、とても仲のいいじい様とばあ様がいた。
 ある日、じい様は山へ柴刈りに行って、道に迷ってしまった。

 柴の大束をしょって、棒のような足を引きずりながら歩くうちに、泉を見つけた。じい様は、その水を飲んだとたんに、若返り、山をかけおりて行った。

 家で待っているばあ様は、じい様の帰りが遅いので、気をもんで待っていると、月あかりの下を柴の大束を持ってかけてくるものがいる。見るとそれは若者だった。」

 若者は、「ばあ様、今帰った」なんて言っている。きつねかたぬきが年寄りだと思って化かそうとしていると思ったばあ様は、棒を持って追いかけた。
 けれども、ふと見ると、今朝じいさまが着ていった着物をきているので、顔をよく見た。すると、それは若い頃のじい様そっくりだった。

 若者に戻ったじい様から訳を聞いたばあ様は、最初は喜んでいたが、そのうちに泣き出した。

「おらも、若くなりてえ」と泣く、ばあ様に、じい様は、明日水を汲んでくると約束する。

 次の朝、じい様が目をさますと、ばあ様はもう山へ出かけてた後だった。
 ばあ様は、泉を見つけて水を飲んだ。水鏡に映して見たばあ様は、
「若い頃に戻っておる。でも、これだけではすぐに元のばあ様に戻ってしまう。もっと飲んでおかねば」と言って、水を飲み続けた。


 心配したじい様が泉へ行くと、赤ごに戻ったばあ様が泣いていた。若者に戻ったじい様は赤ごに戻ったばあ様を抱いて、途方にくれていたということだ。


 いつまでも若くありたいと思うのは、すべての女性の願望です。コエンザイムQ10、コラーゲン、ヒアルロン酸、プチ成形、脂肪吸引、アンチエイジング・・・・なんてものもいらない。


 ああ、若返りの水さえあれば!!!



昨晩の、しもつかれフォーラムでは、この若返りの水も語りました。

 一昨年の「下野民話のつどい」でこれを語ったとき、司会の方からこんなインタビューを受けました。

「もし、戻れるとしたら、何歳になりたいですか?」

私は即答しました。

「勿論、0歳です!!!」

すると、

「そうですか・・・珍しいですねえ。女子高生の頃とか答える方が多いんですがねえ・・」

というコメント。

いやあ、出直すとしたらやはり赤ん坊でしょう!いやいや、受精卵からかなあ〜もしかして私はこのばあ様より欲ばりかもしれません。。。。

これを、漫画家の友達に言ったら、

「赤ん坊っていうのは、厳しいかもよ。意識はいまのままで、戻るんでしょ? だとしたら、身動きも自由じゃなくてつらいかもよ!!」

ふむううう・・納得。創作活動をする人の想像力ってものは常人の域を脱していてすごいものです。

というわけで、戻れるとしたら、はてさて、いつがいいでしょうねえ。










2008/02/08 23:09:45|栃木市に伝わる話
しもつかれフォーラムで語ります
 
 
春とは名ばかり、明日は栃木にも雪が降るとの予報です。
明日、とちぎ市民活動推進センターくららで、「栃木しもつかれフォーラム」が開かれます。

 時間   19:00〜21:00
 場所   とちぎ市民活動推進センターくらら会議室
 参加費  500円(材料代)


 栃木の郷土料理であるしもつかれ、赤飯、きんぴら、煮物などをいただきながら、いろいろな思い出を語り合いましょう。
当日は、20人の方が、それぞれ腕をふるったしもつかれを持って来ての、味自慢大会です。
 この会で、栃木の語り部も昔ばなしを語らせていただきます。
雪が心配です。スタッドレスタイヤをはいたお車でも、そりでも、雪靴でもお越しください。



 さて、テレビニュースでは、合格祈願の受験生達が、東京の湯島天神へ大勢参拝していると伝えていました。その境内の梅の木はもう随分咲いていました。見ごろは今月下旬だそうです。




 白い梅、と言えば、思い出すことがあります。

 それは、私の、は・な・し

 ほんとうに、あったはなしを聞いてください。



   門の白梅のはなし

 むかし、ある家に行商人が珍しいものを売りに来た。品物を買ってもらった帰りがけに、その行商人は、家の門の脇に植えられた白梅を見て、「ああ、この家は次の代は婿取りになるぞ。門の脇に白梅が植えてあるもんなあ。」 
 と言って去って行った。 この家の嫁は子を宿していた。話を聞いた主人は、「婿取りになっては困る。」と言って、その年の初市で買って来て、植えて間もない白梅を引き抜いて捨てた。
 けれども、間にあわなかった。翌月に生まれたのは女の子だった。この子は一人っ子のまま育ち、今婿をとってこの家のあとを継いでいる。  
 
 
        これは、本当にあった話。わたしの話です。   
 
 
        







2007/11/27 22:44:29|岩舟に伝わる話
ふるさと寺尾のカルタ
 
   霜月も終わりに近づき、年賀状のCMやクリスマスのイルミネーションがひと足先に年の瀬の気配を運んできました。
 
 ちょっと気が早いですが、カルタの話題です。
寺尾中央小学校には、独自のカルタがあるそうです。昭和61年に、佐藤進先生が、寺尾中央小学校の子どもたちから募集した読み札を基に作られたものです。本物のカルタがあって、今も、寺尾地区ではみんなでやっているそうです。寺尾南小学校の校長先生からいただいた本のコピーを見ながら載せました。
この時の小学生も、今は立派に成人しているのでしょうね。6年生だった子はもう33歳でしょうか?



 あ 安産を祈って建てた十九夜尊      井伊里江
 
 い 一年の無事を祈って山神祭       新井久美子
 
 う 鶯の鳴く音うつくし初音山       加藤晴子

 え 江戸城の白壁用に鍋山石灰       加藤晶子

 お お祓いを受けて梵天山に揚げ      金子綾子

 か 風邪ひかぬようにどんど焼きの餅    金子千嘉子

 き 旧暦に残る農家の年仕事        熊倉徹

 く 食わず取らず鯰は神の使いする     熊倉友恵

 け けたたましい戸隠山の夕烏       福島由美子

 こ 鯉幟立ててしょうぶと柏餅       石川直子

 さ 三月の桃の節句の雛飾り        田村郁恵

 し しもつかれ初午につくる郷土食     田村郁恵

 す 炭焼きのかまどの煙ほのぼのと     

 せ 節分に豆まき鬼を追いはらう   

 そ そだを燃す囲炉裏で昔話聞き

 た 七夕に芋の葉露で書く願い       熊倉徹

 ち 血に染まる出流天狗の軍資金      

 つ ついの宿愛馬を祭る駒の明神      篠崎孝一

 て 手まり歌つきつき歌う声優し      篠崎孝一  
   
 と トロッコは昔大事な運搬具       高杉絵美

 な 鍋山とも象山ともいわれる三峰山    峯岸かおり

 に にぎわいに夜更け忘れる庚申宿     田村郁恵

 ぬ ぬくもりが体に残る冬至の湯      田村郁恵

 の 野辺の石歴史を語る秋葉城       高田幸枝

 は 八朔が近づく夜の祭りばやし      小曽戸聡

 ひ 彼岸には墓参りする家族づれ      寺内孝子

 ふ フズリナやウミユリもある石灰岩    若林伸茂

 へ 平和の世静かにねむる招魂社      篠崎孝一

 ほ 星野遺跡尋ねて古代の人思う      田村光子

 ま 満願寺坂東札所十七番         古内裕恵

 み 道端の田虫地蔵に白だんご       金子千嘉子

 む 昔の名土地と屋号に残っている     高杉絵美

 め 名医とも学者とも言われた峰岸休文   

 も 餅ついて豊作祝う十日夜        井伊里江

 や 病める人子のない人に鬼子母神     金子綾子

 ゆ ゆい仕事機械化前の農作業       

 よ 芳姫のねむる山路にちがや生え     金子真弓

 ら 雷様が落ちないという麻畑       

 り 林道に木馬の滑る道もあり   

 る 留守居番しながら綾取りお手玉きしゃご 金子綾子

 れ 歴史に残る古戦場並塚        

 ろ 老梅の囲いの中は梅沢屋敷

 わ 藁鉄砲豊作願う子らの声        熊倉徹


寺尾には地名の由来を伝える伝説も多く残っていて歴史ある土地です。お正月にこういうカルタで遊べるのは贅沢ですね。
絵札も子どもたちから募集して作られたようです。
実物が見てみたいです。
 







2007/11/25 16:25:35|絵本
字のない絵本、ほんとの絵本
ある絵本作家がこう言っていた。
「近頃のお母さんたちは、絵本を教育の道具だと思っているだからなあ〜」
 批判しているようでもあり、あきらめているようでもあるつぶやきだった。
 
 そういう絵本への近づきかたは多い。私も含めて・・・
でも、その世界そのものの楽しさは読んでいればすぐに気づくものだ。

 字のない絵本、ほとんど字のない絵本は、絵の素晴らしさだけで人を惹きつけなくてはならない分、質の高いものだけが生き残っている。この楽しさを伝えたくて、読み聞かせのプログラムに入れることもある。ページを繰って見せているだけ。もうこれは「読み聞かせ」なんかじゃない。でも、見ている子ども達の反応でページをめくってもいいタイミングが分かるから不思議。最初は、シーンと静まりかえっているけれど、そのうち、「あっつ!」「あそこにいる!」などなどいろいろな反応が返ってくる。


絵を見ながら読み聞かせている子どもとストーリーを語り合う時間。
自分なりのストーリーを紡いでいく時間。
字のない絵本はゆたかな時間を与えてくれる絵本だ。

 かさ太田大八さんの絵。女の子の持っている赤いかさだけに色がついている。絵だけの絵本。不思議な雰囲気があり、しかも温かみがある絵本。赤いかさをさして、黒いかさを持った女の子がお父さんを駅まで迎えに行く。いろんな角度からこの子を描いているところがまたいい。
1975年に出版されているので30年以上たっている絵本の中の古典。作者の太田大八さんは、「詩人と絵描き」という谷川俊太郎さんとの対談集の中で、この本について語っています。昔は傘を持って、駅までのお迎えという子どもの仕事が存在したと。今は、百円の傘があるからこういうのはない・・・。



 おふろやさん
昭和の銭湯の風景がそのまま絵本になっていた。
これを読み聞かせたところ、息子が銭湯に行ってみたいと言い出して、町の銭湯に行った。


 夏の一日
この絵本の中には、忘れていた子供のころの夏があった。
夏の日差しや、ズック靴で踏んだ土の感触や草いきれまでもが鮮やかによみがえってきた。私は、クワガタを捕りにいく絵本の中の少年に完全に同化して読んでしまった。蝉時雨が頭の上から降ってくるようだった。少ない文。はっきりした色使いの絵が青い空と白い雲を読む人の心にも焼き付けてくれるようだ。

 旅の絵本 シリーズ

安野光雅さんの作品
読めば、いや、見れば見るほど発見がある。
ページをめくりながら親子で会話できる作品。
作品の中に、赤ずきんちゃんをはじめとするお話の主人公や場面が隠されている。この発見がまた楽しい。
花の匂いをかいでいる牛を見つけて、子どもが「あっ!フェルジナンドだ!」と言った時、思わず感激して抱き合ってしまったほどだ。「はなのすきなうし」ばかりではない、センダックの「かいじゅうたちのいるところ」のかいじゅうたちも行進している。
一巻で、子ども達が小川にヨットを浮かべているのだが、遊んでいるうちに見失ってしまう。ずっと後のページで下流の川にそのヨットを発見した時もうれしかった。







2007/11/04 22:06:49|その他
内田麟太郎さんの講演会 鹿沼市立図書館にて

 「ともどちや」に代表される「おれたちともだち」シリーズで知られる絵本作家の内田麟太郎さんの講演会を聞きに鹿沼市立図書館に行ってきました。

 内田さんは絵本作家で、絵はいろいろな方が担当しています。
ともだちシリーズは降矢ななさん、十二支のはなしなどは、山本孝さん、狂言絵本ぶすは、長谷川義史さんなど数多くの方とコラボしています。
 
 1941年、福岡県大牟田市に6人兄弟の長男として生まれ、上京して看板工をしながら詩を書き初め、その後、絵本の世界へ。

 その後、がすごい。看板を書いている時に脚立がひっくり返って、背骨を骨折し働けなくなったのが絵本の世界へ入るきっかけだというのです。

 自宅のコタツに入って、テレビを見ていた時、ライオンが草原を走るシーンを見て、
「ライオンの影はさびしくないのかなあ?」
と思ったのが「さかさまライオン」という作品が生まれたきっかけだそうです。やはり、凡人にはできない発想があるようです。

 次に、コタツの布団が波のように見えて
「海のしっぽ」という言葉が突然浮かんだというか、降ってきたという、その後
「そうだ!海のしっぽは川だ!」と思ったという。
やはり常人にはできない発想があるのです。

 それからまた、コタツでテレビを見ていたら、冬山が映ったので「冬山はさむそうだなあ〜寒いと冬山はどうするのかなあ?」という疑問がわいたというのです。こういった疑問自体、普通の人には湧いて来ない。考えているうちに
「そうだ!なわとびするんだ!」と思ったんだそうです。これが「くるぞ、くるぞ」という絵本の誕生のきっかけです。
子どものような柔軟性を持つ天才的な発想。

以上が「さかさまライオン」
   「うみのしっぽ」
   「くるぞくるぞ」

    長新太さんの絵によるコタツ三部作のできたいきさつなのだそうです。

ユニークなお人柄に触れ今後も、内田麟太郎さんの本に注目して、機会があれば読み聞かせようと思いました。
早速、年明けのお話会で「十二支のはなし」を読むつもりです。

 子どもの心を今も持ち続けている、自然体の方で、話の随所に笑いをちりばめていて、へたなお笑い芸人よりずっと面白い講演でした。麟太郎さんが、お終いに教えてくださった自作の詩を説明と共に載せます。

 最後に、僕の詩を一つ覚えて帰ってください
 岬という詩です。
 岬の突端まで続く小道を登りつめていくと、
 突然、ぱっと視野が開けます
 
  あら、よっと(ヨット)


というのです。
これは、面白い!
麟太郎さんの本を読み聞かせた後で、子ども達に、この詩も覚えて帰ってもらおうと思いました。