今日、栃木市泉川町にある、デイサービスのたのし荘に、語りの出前に行って来た。 普通の農家の居間にみんなが集いあっているアットホームな場所だった。昼近くなったら、職員の方が、昼食を作る音が聞こえ、香が漂い、親戚の家に遊びにでも来ているような錯覚に陥った。眼前にひろがる、金色の稲穂を目にして、すっかり私もくつろいでしまった。
普段、子ども達に語ることが多く、大人には、公民館の高齢者教室や、○○民話の会、しもつかれフォーラムなどでしか語ってこなかった。いつも、舞台の上などで、大勢の方に聴いていただくことが多く、少人数の方と膝を交えて語るのは、子どものための語り以外では、恥ずかしながら今日が初めてだった。(練習で無理やり聞かされる家族は別として・・・)これからは、大人、特に、高齢者への語りも積極的にしていこうと思う。
昔かたりを聴く時、むかしは、相槌を打ちながら聞いたという。その言葉は、その土地、その土地で異なっていたが。いや、その家、その家、その時々で違っていたのだろう。 今日は、お年寄りが、話の合間、合間に相槌をうってくれて、普段とは違った語りのリズムが生まれ、心地良かった。これこそが、昔がたりの本来の形なのであろう。
「へえ〜」 「そうかい」 「そうだったんかい〜」 などの、相槌の中には、 「はあ〜、そんなことがあったんけえ」 っと、深くうなづいて納得される方もいらして、物語を真剣に聞きこんでくれている嬉しさを感じると共に、あまりの真剣さに(いや、これはむかしばなしで、私が見た訳じゃなくて・・・あの、その・・)と、たじろぐことさえあった。
むかし語りの始まりに、たしか、 「むかし話を、聞くときには、あったことか、なかったことか、わからないけど、あったこととして、聞かねばなんねえど」 といった前置きをすると、何度もものの本で読んできた。この、前置きの意味が今日ようやく腑に落ちた私だった。
きょうの語りは、
はなしのはなし 頭の大きな男の話 頭山のさわり 猫檀家 初夢のはなし 山で草を刈ったはなし へっこき嫁 決してはなしてはいけないはなし 蛙の婆蓑 そばの足はなぜ赤い
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