栃木の語り部  栃木語り部の会

昔むかしの話を語る、栃木の語り部。 語り伝えたい話があります。昔ばなし、伝説、言い伝え・・・学校への語りの出前は60校を超えました。児童館、育成会、公民館、作業所、グループホーム、イベントなど声が掛かればどこへでも語りに出かけています。語りながら話も集めています。これからも出会いを求て語り続けていきます・・・
 
2008/09/23 20:27:04|その他
たのし荘は楽しそう
今日、栃木市泉川町にある、デイサービスのたのし荘に、語りの出前に行って来た。
普通の農家の居間にみんなが集いあっているアットホームな場所だった。昼近くなったら、職員の方が、昼食を作る音が聞こえ、香が漂い、親戚の家に遊びにでも来ているような錯覚に陥った。眼前にひろがる、金色の稲穂を目にして、すっかり私もくつろいでしまった。

普段、子ども達に語ることが多く、大人には、公民館の高齢者教室や、○○民話の会、しもつかれフォーラムなどでしか語ってこなかった。いつも、舞台の上などで、大勢の方に聴いていただくことが多く、少人数の方と膝を交えて語るのは、子どものための語り以外では、恥ずかしながら今日が初めてだった。(練習で無理やり聞かされる家族は別として・・・)これからは、大人、特に、高齢者への語りも積極的にしていこうと思う。

昔かたりを聴く時、むかしは、相槌を打ちながら聞いたという。その言葉は、その土地、その土地で異なっていたが。いや、その家、その家、その時々で違っていたのだろう。
今日は、お年寄りが、話の合間、合間に相槌をうってくれて、普段とは違った語りのリズムが生まれ、心地良かった。これこそが、昔がたりの本来の形なのであろう。

「へえ〜」
「そうかい」
「そうだったんかい〜」
などの、相槌の中には、
「はあ〜、そんなことがあったんけえ」
っと、深くうなづいて納得される方もいらして、物語を真剣に聞きこんでくれている嬉しさを感じると共に、あまりの真剣さに(いや、これはむかしばなしで、私が見た訳じゃなくて・・・あの、その・・)と、たじろぐことさえあった。

むかし語りの始まりに、たしか、
「むかし話を、聞くときには、あったことか、なかったことか、わからないけど、あったこととして、聞かねばなんねえど」
といった前置きをすると、何度もものの本で読んできた。この、前置きの意味が今日ようやく腑に落ちた私だった。

 きょうの語りは、

 はなしのはなし
 頭の大きな男の話
 頭山のさわり
 猫檀家
 初夢のはなし
 山で草を刈ったはなし
 へっこき嫁
 決してはなしてはいけないはなし
 蛙の婆蓑
 そばの足はなぜ赤い









2008/09/14 19:47:36|昔ばなし
お月さまをひろいに行ったじいさま

   お月さまをひろいに行ったじいさま

 むかし、あるところに、欲ったかりなじいさまがいた。じいさまは、毎晩お月さまを見ては、
「お月さま、きれいだなあ、ほしいもんだなあ。お月さんは、あの山のてっぺんに、毎晩落ちるんだから、きっといっぺえ落ちてるべ。ひろいにいきてえもんだなあ」
なんて言ってたと。

 ある秋のことだ。じいさまは、とうとうがまんができなくなって、お月さまをひろいに行く事にしたと。毎日落ちるんだから、いっぺえひろえるべと思って、おっきなかごをしょっていったと。

 じいさまは、どんどん、どんどん、山を登って行ったと。じいさまが山のてっぺんに着くころには、日はとっぷりと暮れていたと。
「お月さま、どこに落ちて落ちてんべ」って、じいさまがさがしていたら、ちょうど、小さな池に出た。
「あっ、お月さま、落ちてるじゃねえか」じいさまは、池にかけよった。そして、お月さまをすくっては、後ろのかごに入れ、すくっては、かごに入れしたと。
「ああ、おらの思ったとおりだ。だども、こんなにいっぺえ落ちてるとは、思わなかった。もうこのへんでよかんべ」って、じいさまは、お月さまをすくうのをやめて、家へ帰って行ったと。

 家に帰ってかごを下ろしてみたら、中はからっぽだったんだとさ。

 今晩は十五夜です。今、月は雲に隠れていますが、顔をだしてくれないのでしょうか。
 この「お月さまをひろいに行ったじいさま」の話は、大平町出身の母から子どもの頃聞いたものです。
 栃木市で生まれ育った私は、この話を聞いて、大平山の山のてっぺんには小さな池があって、お月さまがうつっているんだろうなあ、なんて思っていました。
 そんな、幼い日のことを思い出した。十五夜の晩です。

 今日、十五夜さまにあげるすすきを取りに行きました。20数年採っていた場所に新しい道が出来て、すすきは姿を消していて、都賀町まで足をのばして採ってきました。でも、その途中で、アマガエルとトノサマガエルと赤トンボに出合いました。







2008/06/17 20:06:10|その他
うなぎの出てくる話
              写真は、家の庭でお食事中のカエル君です。



 さて、うなぎの産地偽装問題が世間を騒がせていますが、うなぎの出てくる一口話を思い出しました。


 むかし、あるところにけちん坊な男がいた。
ある時、うなぎ屋からにおってくるいいにおいをかいでいるうちに、いいことを思いついた。
 男は、それから毎日、飯だけ詰めた弁当を持ってうなぎ屋の前に来ると、うなぎを焼くいいにおいをかぎながら弁当を食っていた。
 これに気づいたうなぎ屋の主人が、
「うなぎのにおいの金をはらえ!」というと、男はふところから財布を出すと、店の主人の耳元でチャリーン、チャリーンとふって、
「においのお代は、お金の音ではらったよ!」って言ったとさ。

 
とんちばなしとしても知られた話です。
そういえば、ある民話の会に行った時、話と話のつなぎに、こんなはなしをしているのを聞きました。


 おじいさんと、おばあさんが、ご飯を食べようと、店に入った。おじいさんは洋食が食べたいと言っていたのに、うな丼をたのんだので、おばあさんが、「おじいさん、それは和食じゃないですか」と言うと、おじいさんは、「このうなぎは養殖だ」と言ったとさ

 これは伝承の話ではないけれど、ちょっと面白かったので覚えていました。
 







2008/06/15 9:26:08|栃木の方言考
後世に残したい栃木の方言 もそい
 20世紀の終わりの頃、「21世紀に残したい日本語」を募集していた。今日、思い出して検索してみたが、見つからなかった。

 後世に残したい栃木の方言がある。それは「もそい」という形容詞だ。

 使い方の例

  「この飴、もそいからなめてみらっせ」
 訳「この飴は、長続きするから、なめてみなさいよ」

大平町出身の母はこのような使い方だという。

 長続きする、時間がかかる、という意味の形容詞なのだが、主に食べ物の時に使う。口の中でなかなか溶けなかったり、食べるのに時間がかかる状態を言うのだが、ただそれだけではなく、良いこと、価値があることとして用いられているのだ。
 「長持ちして経済的」という意味が含まれている。

女性の貯蓄率が他県に比べて高い栃木県ならではのこの形容詞、素晴らしいと思って、是非後世にも残したいと思った。

 まず、手始めに、娘にこの言葉を覚えさせたところ、ポッキーを食べながら、「これ、もそくていいんだよね〜。」と言っていた。すると、小山市出身の主人が、その使い方は違うと異論を唱えた。「もそい、っていうのは乾燥芋のときなんかに使うもんだんべ〜ポーッキーには使わねえべ」

 どうも主人は、「もそもそとした食感があり、食べるのに時間がかかる」と言う意味でこれまで使っていたらしい。だが、祖母や母が使うニュアンスには確かに経済的であるという意味が含まれていたという。

 福島弁や茨城弁でもよく似た「むそい」という言葉がある。やはり長続きするという意味で使われているらしい。

 他の地域ではどうなのだろうか?

 私はこんな風に「もそい」を使います!という例がありましたら、是非、コメントしてください!







2008/06/08 15:06:44|その他
耳なし芳一
 6月は、前期の読書週間があるので、語りの出前で忙しい時期です。先週行った大宮南小学校で、「耳なし芳一」を語りました。
とてもよく聴いてくれました。帰りがけに、追いかけてきて、「面白かったです」「またきてね!」と三人の児童がお礼を言ってくれました。曇り空がぱっと晴れた様な気持ちになりました。どうだったかな〜と思いつつ駐車場へ向っていた私の足取りが急に軽くなりました。

   

 子供たちはこわい話が好きです。これまで、三枚のお札、食わず女房、山伏ときつね、飴かいゆうれい、山鳩の恩返しなどを語りました。耳なし芳一はずうっと語りたいと言う思いをあたためてきた話です。所属する「朗読を楽しむ会」の5月公演に向けて練習を重ねてきました。それを、子供たちに分かりやすく言い換えたり、簡略化して、覚え、語りました。BGMには琵琶と尺八の音楽を流しました。


 作者の小泉八雲はアイルランド人で、英語で「怪談」を書いています。ですから日本語で読むのは皆翻訳ものなのです。
朗読の原稿を作るのには、苦労しました。

 耳で聞いてわかる様に、6種類の翻訳を見つけて、それぞれの良いところを取って、原稿を作る作業から入りました。

 「鬼神をして泣かしむるほど〜」というところなど、耳で「キシン」と聞いてもすぐには理解できません、そこでここは「荒ぶる神」という訳を取りました。

 「甲冑に身を固めている」というところは、朗読会ではそのままにしましたが、子供たちに語るときは
 「よろいかぶとを着ている」としました。

まだまだ、子供たちに語る文は研究の必要があります。

 以下、朗読会用の大人向けのものを載せます。
 



   耳なし芳一

幾百年も昔、赤間ヶ関の阿弥陀寺に、芳一という若い琵琶法師が住んでいた。幼い頃から師匠達を凌ぐ腕前で、分けても壇ノ浦合戦の段を語ると、猛々しい神でさえ涙を流したと言う。
  ある夏の夜の事、和尚はとうむらいに出かけ、芳一はひとり寺に残された。蒸し暑い晩だった。目の見えない芳一は、少し涼もうと思って、部屋の前の縁側に出た。真夜中を過ぎても和尚は帰ってこなかった。 その時、裏門から近づいてくる足音が聞こえた。誰れかが庭を横切り縁側をさして進んでくると、芳一の前でぴたりと止まった。だが、それは和尚ではなかった。
『芳一!』 芳一は驚きのあまりしばし返事もできずにいた。
『芳一!』 『はい!』 盲人は、居丈高なその声におびえながら答えた。
『私はめくらで御座います。お呼びになっている方のお顔も知れないのでございます』
『何も恐れることは無い。』ふいに現れた男は幾分声を和らげて、
「わしはこの近くに宿をしているものだ。我らがお使え申しているお方は、身分の高いお方である。今、この赤間が関に御逗留あそばされておる。そなたが、いくさの物語を語るのが上手だと聞き、演奏を聴きたいとおしゃっている。されば、これよりすぐ、琵琶を持ち、わしと一緒に、館に参上いたせ。」
軽々しく武士の命令にそむくことの出来なかった時代のことである。芳一は何者とも知れぬ男に従って外に出た。芳一を引いていく手には有無を言わさぬ力があり、歩くごとに響く音からこの侍が、甲冑に身を固めていることが知れた。おそらく御殿の警護にでもあたっている武士であろう。やがて、侍は立ち止まった。芳一は大きな門の前に来たらしいと気がついた。と同時に、おやっといぶかった。このあたりで大きな門といえば、阿彌陀寺の表門ぐらいしか心当たりがなかったからである。
「開門!たれぞあるか。 芳一を連れてまいったぞ」やがて門が開き二人は中に進み入った。すると芳一の耳に急いで歩く足音、襖のあく音、雨戸の開く音、女達の話し声などが聞えて来た。女達の言葉から察して、芳一はそれが高貴な家の召使である事を知った。しかしどういう所へ連れられて来られたのかは見当がつかなかった。それから女の手に導かれて、みがきこんだ廊下を過ぎ、覚え切れないほどたくさんの柱の角を り、驚くほど広い畳敷きのゆかを通り――大きな部屋の真中に案内された。そこには大勢の人が集っていたと芳一は思った。絹のすれる音、低い声で話す大勢の声も聞えた――その言葉は宮中の言葉であった。
 琵琶の調子を合わせている芳一に、老女と思われる、女の声がこうよびかけた。
『皆様、平家の物語を、お望みになっていらっしゃいます。琵琶に合わせ、壇ノ浦の戦(いくさ)の話をお語りなされ――その一条下(ひとくさり)が一番哀れの深い処で御座いますから』
 芳一は声を張り上げ、烈しい海戦の歌をうたった――琵琶でかいを引いて、船を進める音を出したり、はッしと飛ぶ矢の音、人々の叫ぶ声、足踏みの音、兜にあたる刃の響き、打たれたものが海に落ちる音等を、驚くばかりに出したりもした。その演奏の途切れ途切れに、芳一は自分の左右に、賞讃の囁き声を聞いた、――「何という、うまい琵琶法師だろう!」「国中に芳一のような謡い手はまたとあるまい!」これを聞いた芳一は、力を得ていっそう激しく弾き、かつ謡った。人々は驚きのあまり、しんとしてしまった。おしまいに、女子供の哀れな最期――両腕におさない帝を抱いた、二位の尼が海の中に身を投げた場面をを語った時には――聞いていた者はすべて、長い長い苦しみの声をあげ、取り乱して泣き悲しんだ。
しばらくの間はむせび泣く声が続いたが、次第に消えて、静まり返った中、芳一は、女の声を聞いた。 
『私共は、貴方が琵琶の名人で、謡う方でも肩を並べるもののない事は聞いておりましたが、これほどの腕前とは思いませんでした。殿様には大そうお気に召し、貴方に十分な御礼を下さるとおっしゃっております。これから後六日の間毎晩、琵琶を語りに、ここへ御出向きなされませ。今夜、貴方を御案内いたしたあの家来が、また、御迎えに参るで御座いましょう……。殿様には御忍びの旅ゆえ、このことは、どなたにもお話になりませぬよう。』
 芳一は、女に手を取られてこの館の入口まで来た。そこには案内してくれた侍が待っていて、寺の裏の縁側の処まで芳一を連れて来て、そこで別れを告げて行った。
 そろそろ夜も白むころであったが、寺を抜け出した事は、誰れにも気付かれなかった――翌日の夜中に侍がまた芳一を迎えに来て、館に連れて行かれ、そこでまた琵琶を語った。だが、今度は芳一が夜中に寺を抜け出していることが、和尚に知られてしまった。何かただならぬ、良からぬ事があると察した和尚は、 その翌晩、寺男に芳一のあとをつけさせた。寺男達は提灯をともして後を追ったが、雨の晩で暗かったので、芳一の姿を見失ってしまった。捜しあぐねて浜辺の方から寺へ戻ろうとしたその時、寺男達は、琵琶の音にはっとして足を止めた。激しくかき鳴らすその琵琶の音は、阿彌陀寺の墓地の中から聞こえてくるのであった。真暗闇であった。皆急いで墓地へと駆け入った。提灯をかざしてみると、雨に打たれて、ひとり安徳天皇の墓前に座り、琵琶をならし、壇ノ浦の合戦の曲を声高らかに吟ずる芳一の姿があった。その周りには数え切れないほどの人魂が蝋燭の様に揺らめいていたのである。
『芳一さん!――芳一さん! あんた、何かに化かされてとる。芳一さん!』
 皆の叫ぶ声も耳に入らぬのか、芳一は、撥も折れよとばかりに琵琶をかき鳴らし、喉も裂けよとばかりに壇ノ浦合戦の段を語り続けるのであった。下男達は芳一をひしと抑え耳元でどなった。
『芳一さん!――芳一さん!――わしらと一緒に寺へお帰りなさい!』
 どう見てもこれは、何者かに取り憑かれたに違いないと寺男は芳一を無理やり寺へ連れ戻した。長いこと押し黙ったままの芳一に、和尚は言った。
『芳一、お前の身に、とんでもない災いがふりかかっている! もっと早く何もかも話してくれればよかったのにな。 お前の芸が巧みなばかりにこのような難儀を招き寄せてしまったのじゃ。お前は人の家にいたのではない。お前が琵琶を弾いていたのは、平家の墓所、安徳天皇の墓前であったぞ。お前がまぶたの裏に描いていたことはすべて、まぼろしじゃ。ただ冥界からの誘いの声だけは別じゃ。これ以上いいなりになっていると、その連中に八つ裂きにされるてしまうぞ。お前は遅かれ早かれ殺される。さあて、わしは今夜お前に付き添っておる訳にはいかぬ。またお勤めを頼まれて出かけるのでな。だがその前に災難よけに有り難い経文をお前の体に書き付けておかねばなるまい』
 日が沈む前に和尚は、芳一を裸にし、筆で、胸、背中、頭、顔、首、手足――足の裏にいたるまで、体中くまなく般若心経を書きつけた。それがすむと、和尚は芳一にこう言って聞かせた。
『今夜、私が出かけたらすぐに縁側に坐って、じっと待っているのじゃ。すると、迎えが来る。だが、どんな事があっても、動いてはならぬ、返事をしてはならぬ。一言も口を利かずじっと坐っているのだ。―禅に入っているように、精神を統一しておれ。少しでも身うごきしたり、物音を立てたりすれば二つに裂かれてしまうぞ。うろたえてはならぬ、助けを呼ぼうと思うてもならぬ。私が云う通りにしていれば、災いは消え去り恐れることは微塵もなくなろうぞ。』
 暗くなって和尚は出かけた。芳一は言いつけられた通り縁側に座った。そばの板敷きに琵琶を置いて、座禅を組んで、身じろぎもしないまま、用心深く咳をこらえ、息を忍ばせていた。
 芳一は表の方からやってくる足音を耳にした。それ門をくぐり、庭を抜け、縁側の方に寄ってくると、芳一の鼻先で止った。
『芳一!』太い声が呼んだ。盲人は息を凝らし微動だにしなかった。
『芳一!』二度目は恐ろしげな声が飛んだ。続いて三度目はすさまじい声で――
『芳一』
 芳一は石のように身を硬くしていた。――すると声は不機嫌そうに、
『返事がない!――けしからん……どこへ失せおったか。世話の焼けるこわっぱめ。』のっしのっしと縁側に踏み込む音がして、おもむろに近づくと芳一のそばへ来て止った。恐ろしく長く一時。芳一は心臓の鼓動が全身に伝わるのをありありと感じた。その間中、うつろに静まり返った沈黙があった。
ようやくにして低いだみ声が芳一の耳元でつぶやいた。『はあて琵琶はこれにある、だが、琵琶法師といえばその耳が二つ見えるだけじゃ……道理で返事をしないはずだ、返事をする口がないのだ――耳の外は何も残っておらぬ、…よし殿様へこの耳を持ち帰り――出来る限り殿様の仰せられた通りにしたあかしにいたそう……』
 その刹那、芳一は両の耳を鉄のような指でむずとつかまれ、引きちぎられてしまった。その痛みにも、芳一は声一つあげなかった。重々しい足音が縁側を伝い庭に降りると表の方へ遠ざかり、消えた。
 夜明け前に和尚は帰って来た。急いで裏の縁側の処へ行くと、何かぬらりとしたものを踏んで足をすべらせた。思わすぞっとして叫び声をあげた。提灯の光りで、それが血だとわかったからである。見るとそこには芳一が観想の姿勢のまま座っているではないか。傷口からは、なおも血がしたたっていた。
『これは何としたこと、芳一、傷を負うたか。 おお、むごいことをした!わしの手落ちじゃ――五体くまなく経文を書いたつもりだったが両の耳だけ書き残していた! したが、芳一、もはや身の危険は消えうせたぞ。二度と再びあのような招かれざる客と係わり合いになることもあるまい』

 腕の良い医者の手当てを受け、芳一の傷はほどなく治った。この怪奇を極めた物語は津々浦々にまで広がりたちまち芳一は高名をうたわれるに至った。多くの貴い人々が競って芳一の琵琶を聴きに赤間ヶ関を訪れた。この一件以来、世間は耳無芳一の名で呼び習わしたものである。