宮澤賢治、風の世界

宮澤賢治の作品を彩る言葉と風を追って宮澤賢治の世界を訪ねよう。 賢治は風という言葉に何を託したか。風を描くためにどんな言葉を選んだか。 賢治は何を求めて風の中に身を置いたのだろう。 そこに少しでも近づきたくてページを埋めていく。
 
「チュウリップの幻術」―風も囁く魔術― (二) ファンタジーの生成と背景、
  「チュウリップの幻術」は真昼の農園に繰り広げられるファンタジー、と書きました。
 生成の過程、背景のなかから、ファンタジーの要因となる幻想が生まれ、どう関わっていくか、考えてみます。
 
 この作品の生成過程は次のようなものです。
 
〔若い研師〕―第一章(章題不明)→〔若い木霊〕→「タネリはたしかにいちにち噛んでゐたやうだった」→「サガレンと八月」→「連れて行かれたダァリア」→「まなづるとダァリア」
      ―第二章「チュウリップ酒」→「研師と園丁」→「チュウリップの幻術」
 
 〔若い研師〕は断片原稿で、冒頭原稿、途中の原稿が欠落していて、表題、第一章の章題が不明です。〔若い研師〕は校本全集編集者がつけた仮題です。
 〔若い木霊〕は第一章を発展させて清書されたものですが、冒頭の原稿が無く、標題も仮題です。ここから改作されて「タネリはたしかにいちにち噛んでゐたやうだった」に、さらに「サガレンと八月」に発展します。
 第二章「チュウリップ酒」が、独立発展したものが〔研師と園丁〕で、やはり冒頭原稿数枚と終わりの原稿が無く、標題も仮題です。これをさらに発展させて別紙に清書したものが「チュウリップの幻術」です。
 〔若い木霊〕から「連れて行かれたダアリア」へ繋がる鴇の火幻想・「タネリはたしかにいちにち噛んでゐたやうだった」→「サガレンと八月」へ繋がる木霊、犬神幻想、と「チュウリップの幻術」は、大きなファンタジーの流れのなかで、明(第二章)、暗(第一章)との役割を果たしていたのではないか、とも思われます。
 
 「チュウリップの幻術」と「研師と園丁」との相違点は、する仕事は同じ刃物研ぎですが、〈研師〉が〈洋傘直し〉になります。各家を廻って刃物を研ぐこと、洋傘を直すこと、これは同じ人の職業だったのでしょうか。
  〈研師〉は刀剣、剣などを研ぐことを職業とする人で、天明2(1782)年『御触書天明集成四五』にはその名が見られ、また1837年〜53年の『守定漫稿』には、挿刀、包刀、小刀を磨くものが研師で、刀、刀剣を磨く者は刀磨工として区別していたことが記されます。
 〈洋傘直し〉―〈蝙蝠直し〉・〈蝙蝠屋〉―は、日本に洋傘が伝わった19世紀以降、やはり各家を廻って洋傘を修繕する職業で、1898小栗風葉「恋慕流し」にその名が見えます。
 ちなみに洋傘直しは、洋傘が日雇い賃金の7〜10日分という高価なものだった時代では、必須の職業でした。昭和20年から30年代には、洋傘直しが、掛け声をかけながら歩いていたと言います(注1)。しかし洋傘が安価になって、その職業も消えました。
  刃物研ぎは今も現役で、行商ではない固定の店もあり、ネットでも広告していますし、2015年3月22日に団地にやってきた、という記事がありました(注2)。
 二つの職業を兼ねていた、という記録は今のところ見出せませんが、おそらく二つとも行商の必要性があり、おなじく手先の仕事で、兼務することはありえたと思います。
 そして、行商―さすらいびと―という設定は、ある種の定めのない生活、不思議さを感じさせ、幻想の世界に誘います。
 一方、〈鏡研ぎ〉は、古くは青銅、白銅製だった鏡を研いで曇りを取り映るようにすること、またはそれを職業にする人で、室町中期『文明本説用集』には用例があります。江戸時代には特に加賀国の鏡研ぎの職人の出稼ぎが多く行商も現れました。賢治は、研ぎ出した刃には、青い紋や、青空が描きだされ不思議な世界を創り、ここにも一つの幻想が生まれます。研師に〈鏡研ぎ〉―鏡のなかを覗く者―という意味も持たせているともいわれます(注3)。
 「チュウリップの幻術」で、実際にした仕事は〈研師〉だったのに、なぜ、〈洋傘直し〉に変更したのでしょうか。これはあるいは、物語のプロローグに、〈有平糖でできてるやうに思われ〉る〈赤白だんだらの小さな洋傘〉を差させるためだったのではないでしょうか。二つとも行商ですから、〈洋傘直し〉だけが傘をさしていた、という事実も証明できないのですが、〈赤白だんだらの小さな洋傘〉は真昼の太陽の下で、これから始まる幻想の序奏のように不思議な幻想への序奏となります。
 
 チューリップが日本に伝来したのは江戸時代ですが普及せず、大正7年(1918)富山県礪波市、大正8年(191)新潟県新潟市で本格的栽培がはじまりました。初期形〔若い研師〕が書かれたと推定される大正11年には、本当に珍しいものであったと思います。自慢して花を見せる園丁が描かれるのも当然といえます。
 賢治はどこでチュウリップと触れたのでしょう。
 大正11年以前の関わりを示すものとして、この童話と同じチュウリップから酒が湧くというイメージは、歌稿B492の推敲前の形〈チュウリップ/かゞやく酒は湧きたてど/そのみどりなる柄はふるはざり。〉(大正六年四月より)があります。賢治は盛岡高等農林学校の3年です。推敲されて〈かげらふは/うつこんかうに湧きたてど/そのみどりなる柄はふるはざり〉となり、湧きたつものが陽炎でもあったことが感じられます。
 また、作品に登場する〈すもものかきね〉、〈緑の墻壁〉は、歌稿B276a277〈小すももの/カンデラブルの壁の上に/白き夕日はうごくともなし〉(大正五年三月より)の風景です。〈カンデラブル〉は〈墻壁仕立て〉を表す園芸用語です。
初期短編「旅人のはなし」からには、旅人が来たら〈盛岡高等農林学校に来ましたなら、まず標本室と農場実習とを観せてから植物園で苺でもご馳走しやうではありませんか〉と植物園を外部の者をもてなす場所と捉えています。
 これらのことから、農園のモデルは、盛岡高等農林学校の植物園と言えます。ここなら最先端の球根を購入し実験的な授業も行われていたかも知れません。
 その後、作品に登場するチューリップとの関わりは、「詩稿補遺」(昭和2年初冬)の「蕪を洗う」に〈去年の秋〉〈チュウリップの畦〉に〈足あとをつけた〉との記述があり、大正15年秋にはチューリップが植えられていたことがわかります。
  また花巻農学校の教え子で、羅須地人協会にも参加していた菊池信一の回想によれば、大正15年6月に訪問した時に球根を乾燥していたこと、同じく  教え子の平來作の回想にも、白菜やチュウリップの栽培の事実が書かれています。そして周囲にも新潟のようにチューリップを植えようとかたるなど(注4)、花卉園芸への意欲を持って実験的栽培をおこなっていたのです。
  昭和2年4月には、花巻温泉遊園地の花壇の設計を依頼された冨手一宛書簡228 昭和二年四月九日に同封された「南斜花壇所要種苗表」には、4月ということもあって、チューリップはなく、宿根草で、背丈の低く、開花期の長いものが多いようです。チューリップの球根は高価で、育成には6カ月ほどかかるのに開花期は1週間ほど、依頼を受けた花壇では栽培しにくかったのでしょうか。チューリップの球根が高価だったことは、新潟県の例で、反あたりで、水稲の40倍もしたことでも分かります(注5)。
 昭和3年からの病臥を経て回復したころ、賢治は花壇の計画を立てていたようです。昭和4年版で昭和5年3月から6月中旬まで使用した「銀行日誌手帳」には「栽培品・購入品リスト」がありますが、全136ページ中、チューリップの記述は125ページ・126ページの〈チュウリップの球根数4〉1行のみです。
 
 ここに特別な力を持って描かれる、白くて小さなチュウリップとは何でしょうか。
 小さな花というと原種ということも考えられます。チューリップの原種は、地中海沿岸から中央アジアにかけての北緯四十度地帯に広く分布しています。約150種以上が確認され、植物学誌に記載)されていますが、近年は多くの原種が、容器栽培観賞やロックガーデン用途を目的として導入されていて、ミニチュウリップとも呼ばれて栽培されています(注6)。概して丈は低く花は小さめで、さまざまな色があり、白色もあります。
 当時、原種が園芸用に導入されていたかは不明ですが、盛岡高等農林学校なら、原種も学問的観点から栽培していたことも考えられます。原種―すべてのはじまりの物―最も大切な物―という捉えかたは出来そうです。
 一方、賢治の作品では、白ツメクサ(「ポラーノの広場」)、マグノリア(「マグノリアの木」)、ゲンノショウコ(「ひのきとひなげし」)、ウメバチソウ(「鹿踊りのはじまり」)、白いダリア(「まなづるとダァリア」)、ヤナギの花とスズラン(「貝の火」)など、白い花、またはいろいろな色の種類がある花の中の白い花が特別に扱われる場合が多く見られます。
 法華経のシンボルは白蓮華ですが、蓮以外の白い小さな花にその意味を持たせ大切なものとしたのは、あからさまな法華経の折伏ではなく摂受の意味を込めていたのではないか言われます。そして、「チュウリップの幻術」では、白い花だけが、如来の知恵のシンボルである太陽光と結びついて、光の酒を湧きださせ、それを溶媒としてヒバリを溶かすという幻想に繋がります(注7)。
 
  大島丈志氏は「チュウリップの幻術」に漢詩の影響を見ています(注8)。以下援用して考えます。
 先に述べた歌稿B492と同様、この作品でも途中で、〈洋傘直しと園丁とはうっこんかうの畑の方へ五六歩寄ります。〉と鬱金香がチューリップの異名として使われます。
 本来の鬱金香はサフランの漢名(注9)ともヒメバショウ(注10)とも言われ、酒に香味をつけるものですが、1828〜1844(配本完了天保15)の岩崎常正『本草図譜』巻十一で、〈鬱金香=チュリパ〉と紹介されて以来、明治期にはチューリップの異名と誤用されていました。
 大正五年(1916)『実験花卉園芸』には、李白の漢詩「客中考」を引いて過ちが指摘されています。この書は盛岡高等農林学校に蔵書があり大正4年に入学していた賢治は、目にしていた可能性があって誤用するとは考えにくいのです。
 一方、「客中考」自体も賢治の蔵書『唐詩選』、盛岡高等農林学校蔵書『漢文大系』にも収録され、賢治も読んでいたのではないでしょうか。大意は「蘭陵の美酒は鬱金の匂いがしており/玉の椀の盛ると琥珀いろにかがやく。/ただ主人が酒客を酔わせてくれれば/どこにいても他国だとは思えない」(田中克己他編『中国古典文学大系』第十七巻(平凡社 1969)というものです。
  この詩に描かれる世界が、立ち昇って揺れる陽炎から、〈よい香りのする光の酒を生む〉チュウリップとチュウリップ酒に酔う二人という幻想を得て、さらにチューリップを〈うっこんかう〉というかつての呼び名を使わせてしまったのではないでしょうか。
 
 ボグナ ヤンコフスカ氏は〈幻想文学〉の要件としてツヴェタン・トドロフ『幻想文学―構造と機能』(朝日出版 1975)を引いて、1、虚構の世界を描く・2、読者が物語世界の出来事について「ためらい」を感じる・3、読者が寓意的解釈、詩的解釈を拒む。をあげています。(注11)
 〈ためらいhēsitation〉とは、読者が解釈を迷う(杉浦健太郎他訳『コロンビア大学 現代文学・文化批評用語辞典』1998 松柏社)という意味合いで、拡大解釈すれば個人の解釈に任されるとも言えるでしょうか。以下この論を援用してみます。
 「チュウリップの幻術」では、上空の光が、地上のチューリップにそそぎ、チューリップは両界を結ぶ特殊な存在として、酒の湧く幻想へ話を進めます。
 その世界―物語という読者の意識によって作られる舞台―では、通常はシテであるはずの人間とワキであるべき自然が逆転して、人間界が背景に、自然が主体となっています。
 自然は全ての風景を決定していきますが、人間にはその力はありません。背景としてあった自然(太陽や風)は、会話のなかでは、その動きとチューリップの様子がお互いに影響しあい、徐々に人間界のものとなっていき、チューリップの酒を認識できる力を持つふたりには、読者は〈ためらいhēsitation〉を感じながら、ファンタジイーの世界に引き込まれていきます。
 そこでは、人間界の法則に縛られない解釈が可能であり、異界の可能性を信じることができ、広範囲、高レベルな関係性を築くことができます。心象を寓意ではなく無意識に感じさせることで、読者の心象風景の構築の可能性をひろげます。
 これは賢治作品における物質と精神の統一、ドリームランドの思想につながり、ファンタジーの構築の可能性を拡げています。
 
 前章で確かめたように、風は雲を動かし太陽光に作用して風景を変化させ、その光を揺らし、チュウリップを揺らします。その動きから花は光が湧きたたせ、空に拡がって、風景はみな光の酒に満たされ、人間はチュウリップの酒に酔っていきます。
 そこでの主役は確かに自然―風、空、雲、光、そしてチューリップや梨の木です。その中で人間は幻想の世界に遊んでいます。
賢治の作品のなかで、いつも風が不思議な強さを持ってせまってくるのは、そのような重要な役割を果たしているからではないでしょうか。
 
注1 HP 藤井俊二
  2  HP 高橋達郎「江戸散策」
   3  鈴木健司「チュウリップの幻術」 『国文学解釈と教材の研究』48−3 学 燈社 2003
   4  川原仁左衛門編『宮沢賢治とその周辺』『宮沢賢治とその周辺』刊行会 1972
   5  木村敬助『チューリップ・鬱金香―あゆみと育てた人たち―』農山漁村文 化協会2001
  6  HP「チュウリップ花図鑑」
  7  大塚常樹『宮沢賢治 心象の記号論』 朝文社 1999
  8  大島丈志「チュウリップの幻術」という装置 『宮沢賢治の農業と文学 過酷な大地イーハトーブのなかで』 蒼丘書林 2013
  9  『日本国語大辞典 第二版』小学館
10  『漢文大系』「客中考」注釈 冨山房 1909〜(賢治蔵書目録記載のもの)
11  ボグナ ヤンコフスカ「「ためらい」の面白さ―「チュウリップの幻術」 小論」 『宮沢賢治研究Annnual vol.15』 宮沢賢治学会イーハトーブセンター 2005
 
参考文献
 伊藤光弥『イーハトーブの植物学 花壇に秘められた宮沢賢治の生涯』  洋々社 2001
  境忠一「童話〔若い研師〕系作品群」国文学解釈と教材の研究 20−5 
学燈社 1979年

 
 
 







永野川2016年4月下旬
5月1日
悪天候その他で、四月下旬に機会を失い、一日ずれ込んでしまいましたが、風もなくよく晴れた日になりました。
二杉橋から入ると、工事の川止めのせいか、水が澱んでいるうえ雨も降ったせいか、中州がどうやら草だけ残しているところに、コガモ6羽、カルガモ1羽がいました。少し登ると、コガモ8羽、まだ渡っていないようです。カップルを作ってからの渡りのせいでしょうか。
ツバメが時々1羽ずつ舞い、川面に接して採餌する姿もありました。イワツバメ?と思われるものもありましたが、確認できないうちに飛び去りました。
セグロセキレイとウグイスが囀りました。
上人橋上、錦着山裏では、いつものヒバリに加えてキジの声が響きました。
川の西側の山林の方向でいつものコジュケイの声と、恐らくコジュケイの地鳴きと思われる、いつもと違う声も響きました。その後、滝沢ハムの草むらでも聞きました。棲息場所が増えているのでしょうか。
またホオジロの囀りも聞こえます。季節が変わったのだ、と思います。
公園の草むらからセッカの声がしたようです。イヌムギが伸び始めているからかもしれません。。でも、もうじきに刈り取られるので、セッカは行き場を失います。
合流点でダイサギ1羽、黒い嘴と脚でした。
新井町では上空で囀っているヒバリの姿も確認できました。
赤津川の最上流の橋を少し下ったところで、岸からオオヨシキリの声が聞こえました。お恥ずかしいのですが、一瞬蛙かと思ってしまいました。公園のヨシ原は今年は再生しないと思い、ヨシキリの声は期待していなかったので、とても嬉しいことでした。これも新しい季節の声です。
少し間を置いたせいか季節がすっかり変わっていました。
若葉は緑を増し、麦は穂を出し、公園ではイヌムギが伸びて草原となりました。最もおくての八重桜も散り始め、桑の木は実をつけ、クルミも長い穂を下げていました。ウシガエルの声も聞こえました。
お目当てのコムクドリには会えませんでしたが、たくさんの季節の変化を感じた鳥見でした。
 
鳥リスト
キジ、コジュケイ、カルガモ、コガモ、カイツブリ、キジバト、アオサギ、ダイサギ、イカルチドリ、モズ、ハシボソカラス、ハシブトカラス、シジュウカラ、ヒバリ、セッカ、ツバメ、ヒヨドリ、ウグイス、オオヨシキリ、ムクドリ、スズメ、セグロセキレイ、カワラヒワ、ホオジロ、

 
 







永野川2016年月中旬

16日
 昨日は強風で1日延ばした結果、暖かいというほどではありませんが、風もほとんどなくよい鳥見日和となりました。
 上人橋から入ると、ツグミ1羽、民家の庭で見つけました。今日はあちこちでツグミが単独で見られ計17羽になりました。もう渡ってしまったかと思っていたのですが。
 ツバメが1羽飛びました。明確に個体識別はできませんが、全部で12羽確認できました。ツバメの季節になってきました。
 ヒバリはいつもの通り、錦着山裏の田と新井町で囀っていました。やはり定位置があるようです。
 合流点付近で、カルガモが3羽飛び立ち、どうも争っている様子、この時期、やはり繁殖を巡っての争いでしょうか。繁殖と言えば、あちこちでスズメも繁殖行動に忙しいようでした。
 やはり合流点で、大きさ、形ともダイサギで、嘴黄色、脚黒のもの1羽、その後公園内で、大きさ、形ともダイサギで嘴も脚も黒く、嘴の辺りが緑色になっていました。サギの変化は難しいですね。
 公園のかなり高い上空を、70羽+の恐らくヒヨドリと思われる群れが過ぎて行きました。こんな大きな渡りの群れに遭遇出来たとすれば嬉しいことです。
 調整池のヒドリガモはいなくなりました。
 上人橋から下ってきて、空き家に大木が2、3本あるところで、シジュウカラが鳴き、コゲラ1羽幹を巡っていました。
 また、イカル?と思われる、語尾の伸びる声が聞こえ、主を見つけようと待ったのですが、聞こえてくるのが杉の木で姿は確認できません。時期的にもうイカルはいないのでしょうか。センダイムシクイか、とも思いましたが、鳴き声図鑑で聴くと、センダイムシクイはもっと規則的で、少し濁った音のようです。
 バードリサーチにお聞きすると、最近4月5日にイカルを見かけたので可能性はある、ということでした。
 もう一度イカルの声を聞いて見ると、「3月25日収録の囀り」の少し不規則な感じのするものに近い気がしました。もう一度確認、ということができないのが辛いところです。いつかも一度、ここでカラとエナガの混群をみました。鳥のスポットは意外なところにあるものです。
 第五小庭でカワラヒワの典型的な囀りを聞きました。対岸ではウグイス、ここも定位置です。山は芽吹き始めた木々でやわらかな薄緑色、山笑う季節です。 遅咲きのサクラが見ごろを迎え、八重咲きのサクラは蕾が膨らんだところです。ツクシも見つけました。春はどんどん過ぎて行きます。
 
鳥リスト
キジ、カルガモ、コガモ、キジバト、アオサギ、ダイサギ、バン、イカルチドリ、トビ、モズ、ハシボソカラス、ハシブトカラス、シジュウカラ、ヒバリ、ツバメ、ヒヨドリ、ウグイス、ムクドリ、ツグミ、スズメ、セグロセキレイ、カワラヒワ、ホオジロ

 
 







永野川2016年4月上旬
9日
 気温は上がっていますが、風が少し強い日です。
 二杉橋から入ると、ウグイスの地鳴きと囀りが聞こえました。
 一昨日の雨と河川工事のために水かさが増し、中州が消えていて、鳥の姿はありません。
 橋近くで、増えた水にカイツブリが3羽いっしょに泳いでいました。この場所で、また3羽ともにいるのも珍しいことです。
 少し上でコガモが14羽、まとまっています。カルガモは2羽が多く3例、もうペアリングが始まっているのでしょうか。川岸の枯草の近くでじっとしている2羽もいました。
 合流点近くでツバメ1羽、その後は栃木陶器瓦付近、大岩橋付近でそれぞれ一羽ずつ。ツバメの数が増えて来ないのはなぜでしょうか。
 上人橋上の草むらではアオジ、ホオジロと思われるこえが一例ずつ、加えてセグロセキレイが囀っていました。
 いつもの錦着山裏の田でヒバリの囀り2羽が程度、新井町付近まで行くと、両岸で3羽くらいずつにぎやかでした。
 合流点近くで、嘴が全部も黒く、脚も黒いサギ発見、先日口先だけ黒かった個体かもしれません。
 キジもよく出没するようになりました。新井町で田のなか1羽、少し離れた所にも草むらから首だけ見える状態で1羽いました。
 最上流の橋の近くで、イソシギ一羽、額板がすっかり赤っくなったバン発見。
 公園の桑の大木に鳥影を見つけ双眼鏡に入れると、今日初めてのツグミでした。もう北へ帰ってしまったのかと思っていましたが。
 大岩橋近くの林縁でエナガの声がして5羽の群れを見つけました。この山にもいつかは行ってみたいと思います。
 東側の調整池のホテイアオイはすっかり無くなって、先日と同じようにアオサギが1羽佇んでいました。西側の池のヒドリガモは7羽になりました。
 高橋付近で、キセキレイ1羽、中州が無いためか、護岸のコンクリートを斜めになって移動していました。
 風もあり、また季節の変わり目でもあり、鳥種も数も少ない日でした。
 私の予想していた通り、台風のために運ばれたと思われる菜の花が岸を埋め尽くすように咲いています。ブッシュとなるようなヨシや他の草は増えて来るでしょうか。なにか影響が出て来るのではないかと心配です。ここだけでなく、どこも菜の花が多いそうで、思川のような広い河原も全面菜の花だということです。
 またサクラも風の吹く度に吹雪となって飛びます。菜の花の強烈な黄色とともに、なぜか騒音のように感じました。音のない音です。鳥に集中できないような気がしました。
 災害復旧工事も本格的になり、大量の土が運び込まれ、川筋が変わり、中州もなくなっています。。川がまたもとの風景となるのはまだ先でしょうか。
 もうじき夏鳥の季節です。どうか周囲の状況を乗り越えて来てほしい、図太く生き抜いてほしいと思います。
 
鳥リスト
キジ、カルガモ、ヒドリガモ、コガモ、アオサギ、ダイサギ、バン、イソシギ、トビ、モズ、ハシボソカラス、ハシブトカラス、ヒバリ、ツバメ、ヒヨドリ、ウグイス、エナガ、ツグミ、スズメ、セグロセキレイ、キセキレイ、ホオジロ、アオジ
 

 







チュウリップの幻術―風も囁く魔術―  (一)
 このお話は、5月の農園に繰り広げられる、チューリップと太陽と風、農園主と洋傘直しのファンタジーです。
 ここでは、風は、1、雲を動かす。2、ものを揺らす。3、光を左右する。という3つの動きがあります。それぞれが、風景をつくり、登場人物の心に作用して、怪しい雰囲気を作り出します。
 
    この農園のすもものかきねはいっぱいに青じろい花をつけてゐます。
 雲は光って立派な玉髄の置物です。四方の空を繞ります。
 すもものかきねのはづれから一人の洋傘直しが荷物をしょって、この月光をちりばめた緑の障壁に沿ってやって来ます。
 てくてくあるいてくるその黒い細い脚はたしかに鹿に肖てゐます。そして日が照ってゐるために荷物の上にかざされた赤白だんだらの小さな洋傘は有平糖でできてるやうに思われます。
(洋傘直し、洋傘直し、なぜそうちらちらかきねのすきから農園の中をのぞくのか。)
 そしててくてくやって来ます。有平糖のその洋傘はいよいよひかり洋傘直しのその顔はいよいよ熱って笑ってゐます。
(洋傘直し、洋傘直し、なぜ農園の入口でおまへはきくっと曲るのか。農園の中などにおまへの仕事はあるまいよ。)
 洋傘直しは農園の中へ入ります。しめった五月の黒つちにチュウリップは無雑作に並べて植えられ、一めんに咲き、かすかにかすかにゆらいでゐます。
(洋傘直し、洋傘直し。荷物をおろし、おまえは汗を拭いてゐる。そこらに立ってしばらく花を見やうというのか。そうでないならそこらに立っていけないよ。)……以下ルビは省略
 
 洋傘直しを迎えるのは、まずスモモの白い花がたくさんついた農園の垣根です。それは〈月光をちりばめた緑の障壁〉と表現されます。日光の真下に輝く月光―それは何を表すのでしょう。白い花に秘められた冷たい輝きでしょうか。作者は植物の本質をとらえようとしています。
 洋傘直しの赤白の縞模様は傘は、菓子の〈有平糖〉のよう、と作者は明るく甘いイメージを持たせます。
 アルヘイはポルトガル語alf ēloaで砂糖、またはそれで作った砂糖菓子の意味です。1600年ころ、金平糖などとともにヨーロッパから日本に伝わり、『太閤記』(1625年)の記述にもあります。
 砂糖を煮詰めて冷やしハリハリした食感にしたものですが、日本でさらに進化し、着色、繊細な細工を施すようになりました。『古今名物御前菓子秘伝抄』(享保3(1718)年)には詳しい製法が載っているほか、『守定漫稿』には、嘉永年間(1848−54)に京都から江戸に製法が伝わったとされています.
金平糖とともに、賢治にとっては美しく高価で子どもたちに与えたいと思うものの一つでしょうか。
 洋傘直しは、各戸をまわって洋傘を直す職業ですが、このお話にもあるように、刃物研ぎもやっていたようです。
 また歌稿A186(大正三年四月)〈シャガ咲きて霧雨ふりて旅人はかうもりがさの柄をかなしめり〉があって、これは売薬商人ですが、やはり洋傘を持っています。
 いずれにしても行商人に対して、ある種のさすらう人のイメージを、賢治は強く持ち続けていたようです。そのわびしさよりも自由さへの憧憬をもこめて、洋傘は〈有平糖〉のようだったのでしょうか。

 
……
 
 よっぽど西にその太陽が傾いて、いま入ったばかりの雲の間から沢山の白い光の棒を投げそれは向ふの山脈のあちこちに落ちてさびしい群青の泣き笑ひをします。
 有平糖の洋傘もいまは普通の赤と白とのキャラコです。
 それから今度は風が吹きたちまち太陽は雲を外れチュウリップの畑にも不意に明るく陽が射しました。まっ赤な花がぷらぷらゆれて光ってゐます。……
 
〈雲の間から沢山の白い光の棒を投げ〉はチンダル現象―微小な粒子が分散している所に、光が通ると散乱して通路がその斜めや横からでも光って見える現象―で、賢治が後に〈光のパイプオルガン〉(「告別」、「春と修羅第二集」)と記した風景です。ここでは、夕暮れ近い山々に色を変化させる〈さびしい群青の泣き笑い〉となります。
風は雲を動かし、突然チュウリップの畑は輝きます。風は洋傘も揺らし寂しくしますが、チュウリップは、刃物を研ぐリズムに絡まるように、陽に光って揺れています。
風はどんどん吹いて、日差しの中に五月の風景を作りました。ヒバリも鳴きはじめています。
 
……
 そのあとで陽が又ふっと消え、風が吹き、キャラコの洋傘はさびしくゆれます。
 それから洋傘直しは缶の水をぱちゃぱちゃこぼしながら戻って来ます。
 鋼砥の上で金剛砂がぢゃりぢゃり云ひチュウリップはぷらぷらゆれ、陽が又降って赤い花は光ります。
 そこで砥石に水が張られすっすと払はれ、秋の香魚の腹にあるやうな青い紋がもう刃物の鋼にあらはれました。
 ひばりはいつか空にのぼって行ってチーチクチーチクやり出します。高い処で風がどんどん吹きはじめ雲はだんだん融けて行っていつかすっかり明るくなり、太陽は少しの午睡のあとのやうにどこか青くぼんやりかすんではゐますがたしかにかがやく五月のひるすぎを拵へました。……
 
……
 太陽はいまはすっかり午睡のあとの光のもやを払ひましたので山脈も青くかゞやき、さっきまで雲にまぎれてわからなかった雪の死火山もはっきり土耳古玉のそらに浮きあがりました。
 洋傘直しは引き出しから合せ砥を出し一寸水をかけ黒い滑らかな石でしづかに練りはじめます。それからパチッと石をとります。
(おお、洋傘直し、洋傘直し、なぜその石をそんなに眼の近くまで持って行ってじっとながめてゐるのだ。石に景色が描いてあるのか。あの、黒い山がむくむく重なり、その向ふには定めない雲が翔け、渓の水は風より軽く幾本の木は険しい崖からからだを曲げて空に向ふ、あの景色が石の滑らかな面に描いてあるのか。)
 洋傘直しは石を置き剃刀を取ります。剃刀は青ぞらをうつせば青くぎらっと光ります。
 それは音なく砥石をすべり陽の光が強いので洋傘直しはポタポタ汗を落します。今は全く五月のまひるです。
 畑の黒土はわずかに息をはき風が吹いて花は強くゆれ、唐檜も動きます。
 洋傘直しは剃刀をていねいに調べそれから茶いろの粗布の上にできあがった仕事をみんな載せほっと息して立ちあがります。
 そして一足チュウリップの方に近づきます。……
 
 風は花を揺すり、これから始まる二人のドラマの序曲のようです。刃物の研代を一部お負けしてもらったお礼に、園丁は洋傘直しを自慢のチュウリップ畑に案内します。園丁のチュウリップ自慢が始まります。チュウリップの形容が巧みです。
 
「ね、此の黄と橙の大きな斑はアメリカから直かに取りました。こちらの黄いろは見てゐると額が痛くなるでせう。」
「ええ。」
「この赤と白の斑は私はいつでも昔の海賊のチョッキのやうな気がするんですよ。ね。
それからこれはまっ赤な羽二重のコップでせう。この花びらは半ぶんすきとほっているので大へん有名です。ですからこいつの球はずゐぶんみんなで欲しがります。」
 
そして〈小さな白い花〉を見た時、〈チュウリップの幻術〉がはじまります。
 
……
「さうです、あれは此処では一番大切なのです。まあしばらくじっと見詰めてごらんなさい。どうです、形のいゝことは一等でしょう。」
 洋傘直しはしばらくその花に見入ります。そしてだまってしまひます。
「ずいぶん寂かな緑の柄でしょう。風にゆらいで微かに光っているやうです。いかにもその柄が風に靭ってゐるやうです。けれども実は少しも動いて居りません。それにあの白い小さな花は何か不思議な合図を空に送ってゐるやうにあなたには思はれませんか。」
 洋傘直しはいきなり高く叫びます。
「ああ、さうです、さうです、見えました。
 けれども何だか空のひばりの羽の動かしやうが、いや鳴きやうが、さっきと調子をちがへて来たではありませんか。」
「さうでせうとも、それですから、ごらんなさい。あの花の盃の中からぎらぎら光ってすきとほる蒸気が丁度水へ砂糖を溶したときのやうにユラユラユラユラ空へ昇って行くでせう。」
「ええ、ええ、さうです。」
「そして、そら、光が湧いていゐるでせう。おお、湧きあがる、湧きあがる、花の盃をあふれてひろがり湧きあがりひろがりひろがりもう青ぞらも光の波で一ぱいです。山脈の雪も光の中で機嫌よく空へ笑ってゐます。湧きます、湧きます。ふう、チュウリップの光の酒。どうです。チュウリップの光の酒。ほめて下さい。」……
 
風が光を揺らし、チュウリップを揺らし、花から光が湧いて、空に拡がって、風景はみな光の酒に満たされ、2人はチュウリップの酒に酔っていきます。
その酔いと幻想の描きかたは、光に心を吸いとられたように、光のなかを漂っているようです
 
……
「全くさうです。そうら。そら、火です、火です。火がつきました。チュウリップ酒に火がはひったのです。」
「いけない、いけない。はたけも空もみんなけむり、しろけむり、」
「パチパチパチパチやってゐる。」
「どうも素敵に強い酒だと思ひましたよ。」
「さうさう、だからこれはあの白いチュウリップでせう。」
「さうでしょうか。」
「さうです。さうですとも。ここで一番大事な花です。」
「ああ、もうよほど経ったでせう。チュウリップの幻術にかかってゐるうちに。もう私は行かなければなりません。さやうなら。」
「さうですか、ではさやうなら。」
 洋傘直しは荷物へよろよろ歩いて行き、有平糖の広告つきのその荷物を肩にし、もう一度あのあやしい花をちらっと見てそれからすももの垣根の入口にまっすぐに歩いて行きます。
 園丁は何だか顔が青ざめてしばらくそれを見送りやがて唐檜の中へはひります。
太陽はいつか又雲の間にはひり太い白い光の棒の幾条を山と野原とに落します
 
 ついに光に火が入り、幻想は終わります。
一つの謎めいた言葉として、〈これはあの白いチュウリップでしょう。〉を残して。
 洋傘直しはよろめきながら農園をあとにし、園丁は青ざめて仕事に戻って行きました。
 〈白いチュウリップ〉、小さくて、秘かに咲きながら、風に空に合図を送っているもの、風に、ゆらいで微かに光っているようで、その柄が靭っているようで、実は少しも動いていないもの、この相反する二つの意味を含む白く小さな花、この不可思議さは、何を意味しているのでしょうか。
 作品中に( )でくくられた声は誰のものでしょうか。いろいろと不思議なことがあります。
 この作品の生成過程をみながら、次稿で考えたいと思います。
 
参考文献
小学館『日本国語大辞典』 第一巻
小林祥次郎『くいもの 食の起源と博物誌』(勉誠出版 2011)