私が仏教と関わるのは、葬儀などの儀式や、盆、彼岸などの行事の時、あとはたまに文献として仏典を読むことくらいのこともあって、先月アップした「「ひかりの素足」―死と向き合う風」を書きながら、「三、うすあかりの国」、を、「地獄」と規定したのですが、割り切れないものがありました。
物語では、楢夫を含む子どもたちは、そこから違う世界―博物館や図書館があり、お菓子やいい匂いのものがあふれている―へ行くことが想定されているからです。そこは、地獄と極楽へ行く前段階のように思えたのですが、適当な言葉を知りませんでした。またなぜ一郎が生還できたのか、ということも疑問でした。
手掛かりを求めて、工藤哲夫『賢治考証』(和泉書院 2010)を開いてみて、第一章「中有と追善―ひかりの素足論」という論考をみつけました。
もうひとつ、一郎の生還については、浜垣誠司氏のHP『宮澤賢治の詩の世界』、
「なぜ往き、なぜ還へってきたのか」(1)2011年6月19日
「なぜ往き、なぜ還へってきたのか」(2)2014年3月30日
「なぜ往き、なぜ還へってきたのか」(3)2015年4月26日
のなかに、一つの答えをみつけました。
以下は大半がお二方の御論考の要約ですが、私の理解のために、理解できる範囲でまとめました。
一、「うすあかりの国」―「中有」という時間、追善という行為―
結論から書くと、そこは「中有」でした。中村元『佛教語大辞典』(東京書籍)では、「中有」について次のように記しています。
中陰、中蘊ともいう。意識を持つ生きたものが、死の瞬間(死有)から次の生を受けるまでの間の時期で、霊魂身とも言うべき身体を持つ。
この期間は49日という説から、死後49日を満中陰として、その間に冥福を祈る風習を生んだ。 出典「瑜伽論」、「往生要集」、「謡曲 舟橋」
工藤氏の論考では、先行論文と、日蓮等の著作とを比較しながら、その根拠を述べていますので、列挙します。 ○「うすあかりの国」を地獄とする説
西山令子「ひかりの素足」考『日本児童文学研究』第12号(1981、7)では日蓮「顕謗法鈔」の地獄観と一致を見ている。
しかしそこでの獄卒(鬼)の仕打ちは、体を砕き、肉を割き、悪臭を放つというもので、「うすあかりの国」とは一致しない。
○飢餓界とする説
五十嵐茂夫「「ひかりの素足」の諸相」(『かながわ高校国語の研究』第二十八集(2002年11月)では、賢治が接したであろう「目連伝説」の「冥界」に描かれる一種の往還が可能な場所という点で、飢餓界であるとしている。
だが「飢えに苦しむ」という描写はなく、往還が可能という点以外での一致はない。
○ 平尾隆弘『宮沢賢治』(78,11、国文社)、田口昭典『賢治童話の生と死』(1987、6 洋々社)では、境界領域としての中有をあげている。
しかし、「うすあかりの国」を浄土真宗の〈地獄図〉とみている点もある。
以上の論考を経て、工藤氏は「中有」説を支持すると同時に、賢治がその情報を得たと思われる日蓮の著作に比較して論証しています。
賢治は所蔵の『日蓮聖人御遺文』に、前述の「顕謗法鈔」と同時に「十王讃歎抄」に○印をつけています。
工藤氏論考では、「うすあかりの国」で中有の様子を書くために、「顕謗法鈔」に描かれる地獄の様子を読んだが、そこに自分の意図するものが見いだせず、「十王讃歎抄」を読んだと推定しています。そこで指摘されている「十王讃歎抄」の「縮遺」の章で説かれる、「うすあかりの国」の状況と似た場面を拾ってみると、おおよそ次のようなものです。
1、「縮遺」54ページ
……獨逝廣野無有伴侶……唯獨渺渺たる廣き野腹に迷ふ 此を中有の旅と名クル也……
は
楢夫といっしょに死んだはずの一郎がひとりで〈ぼんやりくらい藪のやうなところをあるいて居〉る場面、そのほかの多くの一人でさまよい迷う場面と共通しています。
以下原文を省略します。
2、55ページ
行く先を訪ねる一郎に鬼が答える、〈「どこへ行くあてもあるもんか」〉という言葉
楢夫や同じ境遇の子どもたちの多くの泣く場面。
3、56ページ
鬼の云う〈「罪はこんどばかりではないぞ」〉という言葉。
4、57〜58ページ
〈からだは何か重い巌に砕かれて青びかりの粉になってちらけるやうに〉
〈何べんも何べんも倒れて又楢夫を抱き起こし……〉という反復性のある記述。
一郎が剥ぎ取られる衣一枚の布切れのみまとっていたこと。
5、69ページ
〈それは自分で傷つけたのだぞ〉―自業自得の記述―
6、72ページ
触れれば体を切る岩の話
工藤氏論考では、「十王讃歎抄」、うすあかりの国」の全体の雰囲気では異なりますが、情景描写の部分的なヒントを多く得ているとしています。
賢治が描いた「中有」―「うすあかりの国」―がなぜその形となったかは、また別の問題があると思います。後の課題です。
もうひとつ、一郎が楢夫とともに中有にいながら一郎が生還した、という意味について、工藤氏の同論文の後半には〈追善〉として、その意味が書かれています。
中有の世界から生還するには、通常は、死を確認した生きている者が、〈追善〉の行為をなさなければなりません。これは「十王讃歎鈔」にも多くの例が引かれています。
しかし、「ひかりの素足」では、父親にも周辺の人にも一郎の死は確認されていませんし、追善の行為も記されていません。そこで、〈無意識の追善〉が重要な意味を持ってきます。
一郎たちが中有から救われるきっかけとなるのは「にょらいじゅりゃうぼん第十六」と云う声でした。
賢治書簡bV5保阪嘉内宛で、母の死に際して、その往生のために「如来寿量品」を書いて霊前に供えるように説得しています。これは日蓮書簡「上野尼御前御返事」で説かれている、法華経の題目の書写が地獄から仏界への往生に力があるということに関連しているとみられます。
日蓮書簡「上野尼御前御返事」では烏龍・遺龍という書家親子の故事を例にあげています。さらに日蓮遺文「法蓮鈔」にも二人の故事が伝えられています。
賢治の書簡の場合、嘉内の母の死の確定と、嘉内の意思に基づく「追善」の行為によって成り立つものですが、工藤氏は、烏龍・遺龍の故事では、それに加えて、息子遺龍は心から信じてそれを行ったのではなかったのに父烏龍を地獄から助ける結果となったことが書かれ、これは無意識の追善ととることができるであろう、としています。
「ひかりの素足」のなかで〈「にょらいじゅりゃう品第十六」〉を唱えた人が不信のものではありえないのですが、「ひかりの素足」の、無意識の追善行為としての言葉が苦境にある人々を救うという発想のヒントとなったのではないか、とされています。
なぜ「如来寿量品第十六品」だったか―「法蓮鈔」では、「自我偈の功徳」を説くためにも烏龍・遺龍の故事を取り入れています。「如来寿量品」は「偈」の部分を指すものであることで、説明できるとしています。
「中有」から現世に戻されることについては、賢治の歌稿B442〈 はてしらぬ世界にけしのたねほども菩薩身をすてたまはざるはなし〉にも引用されている「提婆達多品」にも、
彼字に結縁せしもの尚閻魔の庁より帰され六十四字を書きしひとはその父を天上に送る
など関連を感じさせるものがあり、「善無畏鈔」などには、一郎と仏と思われる人との対話や、頭を撫でてくれたこと等の内容を、感じさせる記述が多くあるといわれます。
なぜ一郎と楢夫が苦しい中有の体験をしなければならなかったか、など、その物語の構成などの問題は疑問として残ります。
以上、工藤氏論文の引用です。
二、往きて還ること
工藤氏論文では主に日蓮宗との関わりを探っていますが、浜垣誠司氏のHP『宮澤賢治の詩の世界』、
2011年6月19日「なぜ往き、なぜ還へってきたのか」(1)
2014年3月30日「なぜ往き、なぜ還へってきたのか」(2)
2015年4月26日「なぜ往き、なぜ還へってきたのか」(3)
では、浄土真宗の側面からの関わりが説かれています。
「ひかりの素足」と「銀河鉄道の夜」は、密接な関係にある2人―兄弟・親友―が死の世界に向かいながら、一人が生還すること、など、よく似た構造です。
相違点としては「ひかりの素足」は二人とも死を意識していることです。一郎は、死後の世界へも付き添い、弟の安らかな死後の世界を確認して帰還します。
「ひかりの素足」の第一次稿の成立は1922(大正11)年前半とみられます(注)。1922年(大正11年)8月9日のことと推測される「イギリス海岸」の、〈もし生徒がおぼれたら、「死ぬことの向ふ側まで一緒について行ってやらう」〉と云う記述と一致します。
「銀河鉄道の夜」では、最終的には「夢」だったことが描かれ、死は意識されていません。ジョバンニは突然のカンパネルラの消滅に悲しみながら帰還し、現実の世界でカンパネルラの死を知るのです。
「銀河鉄道の夜」の原点とも言える妹トシの死は同じ大正11年の11月でした。しかし、妹の死に直面したとき、〈死の向ふ側まで〉一緒について行くことはできませんでした。「オホーツク挽歌」など挽歌群のなかでは、一緒に行くことを願いながら叶わず、死後のトシの姿を追い求め、その死後の世界の幸せで美しいことを祈り悩みます。
そして最後に、1924(大正12年)の「韮露青」〈・・・・・あゝ いとしくおもふものが/ そのまゝどこへ行ってしまったかわからないことが/ なんといふいゝことだらう・・・・・・〉という思いに到達します。
これは喪失に対する賢治の一つの解決であったと同時に、浄土真宗の根本的な教え、他力本願―亡くなった人のことは、ただ阿弥陀様にお任せするしかない、死者の魂を鎮めるということは、本来は人間の仕事ではない―に基づくものとも言えます。
「ひかりの素足」の一郎は、
今の「心持ちを決して離れるな。お前の国にはこゝから沢山の人たちが行ってゐる。よく探してほんたうの道を習へ」
と指示され、「銀河鉄道の夜」第三次稿でのジョバンニも、
「さあもうきっと僕は僕のために、僕のお母さんのために、カムパネルラのためにみんなのためにほんたうのほんたうの幸福をさがすぞ」
と決心し、さらに博士に、
「お前は夢の中で決心したとほりまっすぐ進んで行くがいゝ」
と云う活動が課されます。
これについては、親鸞『教行信証』に
謹んで浄土真宗を按ずるに、二種の廻向あり。一には往相(おうそう)、二には還相(げんそう)なり
とあり、浄土に生まれるすがた(往相)と、再びこの世に帰ってくるすがた(還相)を述べています。 さらに『無量寿経』の「阿弥陀の四十八願」の中の「第二十二願」では「還相」について次のように述べられています。 願に応じて、人々を自由自在に導くため、固い決意に身を包んで多くの功徳を積み、すべてのものを救い、さまざまな仏がたの国に行って菩薩として修行し、それらすべての仏がたを供養し、ガンジス河の砂の数ほどの限りない人々を導いて、この上ないさとりを得させることもできます。すなわち、通常の菩薩ではなく還相の菩薩として、諸地の徳をすべてそなえ、限りない慈悲行を実践することができるのです。そうでなければ、わたしは決してさとりを開きません。(現代語訳 本願寺出版社『浄土三部経』)
と云うものです。ここには二人に与えられた課題の原点が認められます。
さらにもう一つ、二つの物語に共通しているのは、二人の帰還が、超越的な力によってなされていることです。「ひかりの素足」の一郎は「ひかりの素足の人」のおかげで帰還でき、「銀河鉄道の夜」初期形で、ジョバンニが異界からこの世に帰還するという体験をしたのも、ブルカニロ博士が行った心霊的な実験のためでした。
それは、『無量寿経』の還相が〈「願に応じて…」〉行われるということは、人の主体的な判断に依るものということではなく、法蔵菩薩=阿弥陀如来の誓願のことであり、還相に入ること自体も、阿弥陀の力のおかげであるというのが、中国の曇鸞以降の浄土教の解釈です。親鸞がことさら、「還相の《回向》」ということを強調する所以もそこにあって、それは、阿弥陀の功徳が《回し向けられたもの》なのです。それが二つの物語に共通する「超越的な力」の記述になったのではないでしょうか。
賢治の生家は、浄土真宗の熱心な信者で、賢治も18才で法華経に出会うまでは、その教えの中に育ちましたから、その影響は自然に身についているものと思われます。前稿でもふれましたが、葬儀の際に日蓮宗では法華経が読まれますが、ほとんどの宗派で読まれる「阿弥陀経」が、「ひかりの素足」に描かれる仏界と酷似していることも、そのためではないでしょうか。
一郎と楢夫の辿りついた「地獄」とは違う場所、そして一郎のみの生還への疑問を解こうとして、図らずも、賢治の深い信仰と、その幅広さ、重層性を知りました。それは賢治の発想の柔軟性から来ているのではないか、それが作品とどうかかわっているか、さらに考えていければよいと思います。
注1 杉浦静「ひかりの素足」解説(學燈社『宮沢賢治の全童話を読む』2003)