旧暦の六月二十四日の晩でした。
北上川の水は黒の寒天よりももっとなめらかにすべり獅子鼻は微かな星のあかりの底にまっくろに突き出てゐました。
獅子鼻の上の松林は、もちろんもちろん、まっ黒でしたがそれでも林の中に入って行きますと、その脚の長い松の木の高い梢が、一本一本空の天の川や、星座にすかし出されて見えてゐました。
松かさだか鳥だかわからない黒いものがたくさんその梢にとまってゐるやうでした。
そして林の底の萱の葉は夏の夜の雫をもうポトポト落して居りました。
その松林のずうっとずうっと高い処で誰かゴホゴホ唱えてゐます。(中略)
「二十六夜」は旧暦の〈六月二十四日〉、〈二十五日〉、〈二十六日〉の三章から成っています。「獅子鼻」は、実在する場所で、羅須地人協会跡から南方をながめて、北上川西岸から川に向かって張り出した高台です。
現存稿の執筆は大正12年(1923)と推定されます(注1)。
〈旧暦六月二十四日〉は新暦で7月下旬から8月中旬で、月の出は夜明け近くです。 1923年までの日付は、
1920年、8月8日、
1921年、8月18日、
1922年、8月16日
1923年、8月6日
ですから、大体8月上旬、中旬を描いたものと思われます。
月の出の前の暗いマツ林では、フクロウが集まって、フクロウの偉そうなお坊さんのお説教を聞いています。大人のフクロウたちの感極まったすすり泣きが聞こえます。でも子どもたちは、飽きて宙づりの競争をして枝から落ちたりして親に叱られていましたが、逃げ出してどこかに遊びにいってしまいます。兄弟で一番小さい穂吉だけは、しっかりとお説教を聞いていました。
しばらくたって、西の遠くの方を、汽車のごうと走る音がしました。その音は、今度は東の方の丘に響いて、ごとんごとんとこだまをかえして来ました。
鉄道が走っています。人間の社会の近くにある場所です。このことは次章の二十五日の事件にも深く関わってきます。汽車の音は5回も記されます。
〈二十五日〉の夜、お説教場所に穂吉の姿がありませんでした。兄弟3匹で遊びに出た昼間、穂吉だけが農家の子供につかまって、農家に繋がれてしまったのです。
林中の梟の哀しみのすすり泣きの声、父親たちは何とか助けようとの思案が続く中で、母親の言葉、〈「あの家に猫は居ないやうでございましたか。」〉、〈「ああ、もしどうぞ、いのちのある間は朝夕二度、私に聞えるやう高く啼いて呉れとおっしゃって下さいませ。」〉からは、切実な想いが伝わってきます。
〈二十六日〉、穂吉は、子どもたちに脚を折られ捨てられているところを助けられました。足の痛みに耐えながら横たわり、じっと説教を待つ穂吉に、大人たちは怒りに燃え、復讐を考えますが、復讐は新たなる戦いを呼ぶことだと、お坊さんにとめられます。また説教が始まり、遠くでは汽車の音が聞こえます。
…… 二十六夜の金いろの鎌の形のお月さまが、しづかにお登りになりました。そこらはぼおっと明るくなり、下では虫が俄かにしいんしいんと鳴き出しました。
遠くの瀬の音もはっきり聞えて参りました。
お月さまは今はすうっと桔梗いろの空におのぼりになりました。それは不思議な黄金の船のやうに見えました。
俄かにみんなは息がつまるやうに思いました。それはそのお月さまの船の尖った右のへさきから、まるで花火のやうに美しい紫いろのけむりのやうなものが、ばりばりばりと噴き出たからです。けむりは見る間にたなびいて、お月さまの下すっかり山の上に目もさめるやうな紫の雲をつくりました。その雲の上に、金いろの立派な人が三人まっすぐに立っています。まん中の人はせいも高く、大きな眼でじっとこっちを見てゐます。衣のひだまで一一はっきりわかります。お星さまをちりばめたやうな立派な瓔珞をかけてゐました。お月さまが丁度その方の頭のまわりに輪になりました。
右と左に少し丈の低い立派な人が合掌して立ってゐました。その円光はぼんやり黄金いろにかすみうしろにある青い星も見えました。雲がだんだんこっちへ近づくやうです。
「南無疾翔大力、南無疾翔大力。」
みんなは高く叫びました。その声は林をとゞろかしました。雲がいよいよ近くなり、捨身菩薩のおからだは、十丈ばかりに見えそのかゞやく左手がこっちへ招くやうに伸びたと思ふと、俄に何とも云へないいゝかほりがそこらいちめんにして、もうその紫の雲も疾翔大力の姿も見えませんでした。ただその澄み切った桔梗いろの空にさっきの黄金いろの二十六夜のお月さまが、しづかにかかってゐるばかりでした。
「おや、穂吉さん、息つかなくなったよ。」俄に穂吉の兄弟が高く叫びました。
ほんとうに穂吉はもう冷たくなって少し口をあき、かすかにわらったまま、息がなくなってゐました。そして汽車の音がまた聞えて来ました。
穂吉は、二十六夜の月の出の光の中に現れた〈疾翔大力〉に迎えられて、月の舟にのって昇天したのです。
夜中に月の出を待つ習俗、月のなかから仏の姿が出現することについては、月の出がおおよそ午前零時の二十三夜に行われる月待ちの「二十三夜講」の信仰や、お説教中にもある、陰歴1月と7月の二十六夜には、阿弥陀、観音、勢至菩薩が月光の中に現れるという言い伝えが江戸時代からあり、太陽像が複数に見える「幻日現象」などとも重なっているようです。
また大正十年代に、盛岡では、「二十六夜講」(念仏講)があり、月が昇り中空に達すると三つに割れて中央部分が上方に昇り、揺らぎながら仏体となり、さらに左右の部分が相次いで昇って小さな仏体となったのを体験した人があり、それは「二十六夜」には十年に一度くらい見られる光景だったそうです(注2)。
『新校本全集』の「二十六夜」は全423行ですが、そのなかで140行が、経典とお説教で、およそ3分の一を占めています。この物語を読もうとして一瞬ひるむのはこのためでしょうか。
爾の時に疾翔大力(シッシャウタイリキ)、爾迦夷(ルカイ)に告げて曰く、諦に聴け、諦に聴け、善く之を思念せよ、我今汝に、梟鵄諸の悪禽、離苦解脱の道を述べん、と。
「 爾迦夷、則ち、両翼を開張し、虔しく頸を垂れて、座を離れ、低く飛揚して、疾翔大力を讃嘆すること三匝にして、徐に座に復し、拝跪して唯願うらく、疾翔大力、疾翔大力、ただ我等が為に、これを説きたまへ。たゞ我等が為に、之を説きたまへと。
疾翔大力、微笑して、金色の円光を以て頭に被れるに、その光、〔遍く〕一座を照し、諸鳥歓喜充満せり。則ち説いて曰く、
汝等審に諸の悪業を作る。或は夜陰を以て、小禽の家に至る。時に小禽、既に終日日光に浴し、歌唄跳躍して疲労をなし、唯唯甘美の睡眠中にあり。汝等飛躍して之を握む。利爪深くその身に入り、諸の小禽、痛苦又声を発するなし。則ち之を裂きて擅に貪食す。或は沼田に至り、螺蛤を啄む。螺蛤軟泥中にあり、心柔輭にして、唯温水を憶ふ。時に俄に身、空中にあり、或は直ちに身を破る、悶乱声を絶す。汝等之を貪食するに、又懴悔の念あることなし。
斯の如きの諸の悪業、挙げて数うるなし。悪業を以ての故に、更に又諸の悪業を作る。継起して遂に竟ることなし。昼は則ち日光を懼れ又人及諸の強鳥を恐る。心暫くも安らかなるなし、一度梟身を尽して、又新に梟身を得、審に諸の苦患を被りて、又尽ることなし。」
鳥の世界の経典「梟鵄守護章」は、鳥の世界の捨身菩薩「疾翔大力」が爾迦夷上人、波羅夷上人に説くという設定で展開します。仏典を鳥の世界に置き換えて見事に作られています。この部分は、その一部で、二十四日には2回、二十五日、二十六日にそれぞれ1回ずつ、繰り返して唱えられ、お坊さんが丁寧にお説教しています。
お坊さんは、梟が深夜に寝入っている自分より小さな生き物の生命を取り、その結果日中は報復を恐れて活動できないと、因果応報を繰り返し説いています。続いて、それを生きるための必要以外には、おろそかに命を取ることなく、またそうやって得た生を無駄に過ごすのは罪であると説きます。
さらに「疾翔大力」が、もとは小さなスズメであったのに、飢饉のときわが身を差し出して、他の命を救い、その功徳によって仏に会い法力を授けられたと捨身の尊さを説きます。これらの多くは法華経や、日蓮の教書・書簡から取り入れられています。(注3)
賢治は、それぞれ―穂吉さえも―が持つ業(他の生物を殺して生きること)とその結果、また捨身の尊さをお坊さんに説かせることで、穂吉の解放を願ったのではないでしょうか。
一方、最もおとなしく従順で和尚の言葉を聞き入れようとしている穂吉がなぜ不幸に会うのでしょうか。現世の悪行の報いを現世で受けるのでなく、先の世の罪(根源的受動性―自分では避けることのできない事実―人の出生など)、ここでは梟であるということ―によって報いを受けていること、報復できない正しい意味での受難(注1)を説くことで、避けることのできない悲しさを描こうとしたのではないでしょうか。
闇夜の中に、因果応報や食物連鎖、捨身という難問が論ぜられ、別離の哀しみと、つかの間の月の出に救われる心が描かれます。大きな問題を描きながら、なぜか淡々とした筆致です。
このような中で、風は5例描かれます。
二十四日、お説教の中断の後の再開を前に一瞬静かになった森に、風は遠くの川の音を運んできます。ここでは平和な森の中の一瞬の静けさを表す風です。
急に林のざわざわがやんで、しづかにしづかになりました。風のためか、今まで聞えなかった遠くの瀬の音が、ひゞいて参りました。坊さんの梟はゴホンゴホンと二つ三つせきばらひをして又はじめました。
二十五日は、穂吉の不幸な出来事のあと、悲しみに沈む森に風が吹きます。最初は静かに松の梢をゆする風でした。だんだん大きくなっていく梟の哀しみと泣き声を象徴するように、すべてを波に漂流する舟のように揺する風となりました。
もちろんふくろうのお母さんはしくしくしくしく泣いてゐました。乱暴ものの二疋の兄弟も不思議にその晩はきちんと座って、大きな眼をぢっと下に落してゐました。又ふくらふのお父さんは、しきりに西の方を見てゐました。けれども一体どうしたのかあの温和しい穂吉の形が見えませんでした。風が少し出て来ましたので松の梢はみなしづかにゆすれました。
空には所々雲もうかんでゐるようでした。それは星があちこちめくらにでもなったやうに黒くて光ってゐなかったからです。
それから男の梟も泣きました。林の中はたゞむせび泣く声ばかり、風も出て来て、木はみなぐらぐらゆれましたが、仲々誰も泣きやみませんでした。星はだんだんめぐり、赤い火星ももう西ぞらに入りました。
風がザアッとやって来ました。木はみな波のやうにゆすれ、坊さんの梟も、その中に漂ふ舟のやうにうごきました。
二十六日は冒頭に、澄んだ空の高いところを、天の川の流れの音、と感じられるものとして吹いて、星を揺すっています。これから起こる穂吉の死を予測させるように、しずかに澄んだ空に吹く風です。死という最大のかなしみは、昇天という結果を得て、清澄なものとなるのです。
旧暦六月二十六日の晩でした。
そらがあんまりよく霽れてもう天の川の水は、すっかりすきとほって冷たく、底のすなごも数えられるやう、またぢっと眼をつぶってゐると、その流れの音さえも聞えるやうな気がしました。けれどもそれは或は空の高い処を吹いてゐた風の音だったかも知れません。なぜなら、星がかげろふの向ふ側にでもあるやうに、少しゆれたり明るくなったり暗くなったりしてゐましたから。
ここで、もうひとつ繰り返し登場するのは汽車の音です。まず二十四日には、長い読経とお説教の終わったあとの、ほんの少しの静寂の間に3回、聞こえてきます。
しばらくたって、西の遠くの方を、汽車のごうと走る音がしました。その音は、今度は東の方の丘に響いて、ごとんごとんとこだまをかへして来ました。
林の中は又しいんとなりました。さっきの汽車が、まだ遠くの遠くの方で鳴ってゐます。
前の汽車と停車場で交換したのでせうか、こんどは南の方へごとごと走る音がしました。何だか車のひゞきが大へん遅く貨物列車らしかったのです。
二十六日は、脚を折られてた穂吉の不幸を、励ますような、お説教のちょっとした中断の時に聞こえます。フクロウたちは悲しみから一瞬逃れるように、汽車の音を聴いているようです。ここで作者だけでなく、フクロウも汽車を意識している設定であることが分かります。
梟の坊さんは一寸声を切りました。今夜ももう一時の上りの汽車の音が聞えて来ました。その音を聞くと梟どもは泣きながらも、汽車の赤い明るいならんだ窓のことを考へるのでした。講釈がまた始まりました。
最後に穂吉の昇天を記した最終部分の、最終行に、締めくくるように使われます。
「おや、穂吉さん、息つかなくなったよ。」俄に穂吉の兄弟が高く叫びました。
ほんとうに穂吉はもう冷たくなって少し口をあき、かすかにわらったまゝ、息がなくなってゐました。そして汽車の音がまた聞えて来ました。
〈汽車の音〉は現実そのものではないでしょうか。
二十四日の音は、お説教という、いわば異次元の世界に疲れたフクロウたちにとって一瞬の息抜きのような気がします。
二十六日の最初の音は、近づく死という悲しみの予感に耐えきれず、救いを求めている心を感じます。
最終行は、哀しみの極致―死―を静かに受け止めて流れていく現実の象徴のようにも感じます。これから始まる時間は、フクロウ達にとってまた新しい始まりなのでしょう。
死も、仏も、因果も、業も、すべてを包むのは、風と云う自然の流れ、汽車の音と云う現実の流れのようです。
長い時間をかけて説かれる経典も、お坊さんの熱意に比べて、フクロウ達にとっては一時の法悦です。ここからは仏の加護によって守られて生きていく、という姿勢は読みとれません。これは、フクロウ達が人間にすればごく普通の人であることを示しているのではないでしょうか。
「二十六夜」草稿に付された表紙に「どうもくすぐったし」と賢治がメモしたのも、賢治の想いの強さを前面に押し出した経典やフクロウのお坊さんの説教が、何か上滑りしていることを感じたのかもしれません。
もっと広い意味での業、人間の切なさ、どうにもならない悲しさを感じさせてくれる作品だと思います。
注1
安藤恭子「「二十六夜」〈イノセンス〉に死す」(『国文学解釈と鑑賞 61−11』 至文堂 1996 11)
注2
橋本勇「二十六夜尊の思い出」(『十代』3−7(昭和58、7)
栗原敦「二十六夜」のことなど・追補(『賢治研究 35』(宮沢賢治研究会1984.5)に引用されている。
注3
呉善華「「二十六夜」におけるカルマ」(国文学解釈と鑑賞68−9 至文堂 2003,9)によれば、
〈疾翔大力〉は捨身菩薩、〈爾迦夷(ルカイ)上人〉は日蓮 〈波羅夷上人〉は多宝如来の置き換え。
〈梟鵄守護章〉の〈梟鵄〉は法華経譬喩品第三にある悪虫を表す「梟鵄」から。
〈守護〉も法華経経典の中に随所にみられる用語。
仇打ちの禁止は日蓮教書「破信堕悪御書」から。
〈かすかにわらったまゝ〉死ぬ穂吉は、同じく日蓮の書簡教書「妙法尼御前ご返事」に説かれた臨終正念の姿を表したもの。