宮澤賢治、風の世界

宮澤賢治の作品を彩る言葉と風を追って宮澤賢治の世界を訪ねよう。 賢治は風という言葉に何を託したか。風を描くためにどんな言葉を選んだか。 賢治は何を求めて風の中に身を置いたのだろう。 そこに少しでも近づきたくてページを埋めていく。
 
『春と修羅』における直喩の含むもの    
  直喩は、喩義と本義の類似性によって成り立つものである。賢治の直喩は、複数の感覚によって感じ取られた対象の含む多様な意味から、類似性を見つけることによって、豊かな表現となっている。ここに賢治は何を意図してこの表現を選んだか。
 
  先に、筆者は「小岩井農場」では、人間やその職業を喩義とする例が多いことを見出した(注1)。この稿では、範囲を詩集『春と修羅』に拡げ、喩義と本義の類似性とそれをつなぐ感覚の多様さを重点に考察したい。
 
 比喩については、国語学会編『国語学大辞典』(東京堂出版 一九七九)の説に拠って以下のように規定する。
 比喩(ある表現対象を他の事柄を表す言葉をもちいて効果的に表そうとする表現方法)には、直喩、暗喩、諷喩、提愉、換愉等がある。
 喩えられる対象を本義と呼び、喩える言葉を喩義と呼ぶ。
 直喩とは、喩えられる対象 (本義)と喩える言葉を(喩義)を、はっきりと区別して〈ようだ〉、〈ごとし〉などの説明語句をもちいて喩えを喩えとして明示する方法で、〈まるで〉、〈あたかも〉などの副詞を関することができる。それらの語を使わないで、直喩の関係を示すことができる場合もある。
 
 賢治の場合、〈まるで〉を使って、〈ようだ〉等の説明語句を省略する場合がある。
 
 登場する本義はおおむね次のようなものである。
自然(月・雲・霧・雪・風・水・露・空気)、植物、動物、場所、物体、人(脚・感情・幻想・声・言葉・動作・表情・夢・頬)、主体、トシ、農夫・

 喩義は次のようなものである。
神、人 (感情、動作、職業、体)、状態、動作、自然(雨、風、空気、月、星雲、雲、けむり、光、淵、氷河)、植物、動物、物体・物質、社会
 
 『春と修羅』の直喩一覧は別の機会に掲載し、作品における直喩の位置、役割について記す。
 引用文のルビは省略する。
 
 以下、次の各章において考察する。
一、視覚から捉える―植物と動物
二、聴覚から捉える―声と言葉
二、自然への喩義に感じられる人間
三、主体への直喩―前進することの意味
四、トシへの直喩―生きているトシ
五、生活する賢治―農夫、農学性、恩師、同僚たち
六、賢治の直喩の含むもの
 
一、視覚から捉える―植物と動物―

 全体に視覚を通じての直喩が多い。動物、植物への喩義は、ほとんどが視覚から捉えた形態の類似性によるものであるが、天体から人、植物まで多様である。
 「オホーツク挽歌」でハマナスは、その美しさを牡丹に、「習作」でノバラの実は、その硬さ、なめらかさ、輝きを硝子に、「習作」での二例で、藪はその頑丈さを船、岩に喩える。
 「火薬と紙幣」でマルメロはシジュウカラに喩えられる。マルメロはバラ科マルメロ属の落葉高木で、成熟した果実は、洋ナシ型の橙黄色で長さ七〜一二センチ、幅六〜九センチという。シジュウカラのイメージは小型で、それに喩えるには少し大きすぎる。〈枝も裂けるまで実つてゐる〉と賢治が記していることから、形態というよりも数の多さを類似点としているようだが、なぜマルメロだったかは疑問が残る。
 サクラは「小岩井農場パート四」の一例のみ、〈とほざかる〉という距離を表すのに、〈記憶のやうに〉という、人間の営みを表す語を使う。主体の心にあるものがそのまま直喩として使われるのは、賢治が、サクラを性の象徴として心を動かされる例が多く、サクラの風景を見て、心を動かした結果なのかもしれない。
 動物への直喩で、最も多いのが鳥へのもの七例、うち数の多さと拡がりを比喩するものが「自由画検定委員」、「冬と銀河ステーション」の、〈ちり〉、〈ごみ〉という無数を意味するものである。「青森挽歌」では〈たねまき〉という人の行為から派生する拡がりを使うものがある。
 聴覚からの表現を加えた、にぎやかさの直喩、「小岩井農場パート三」の、〈小学校〉という人社会に由来するもの、声の多さと継続を〈湧いているやう〉と、水など無機質なものに使う自然発生を表す動詞で表すものがあ る。
 「小岩井農場パート二」では、翼の動きの速さを、虫の羽の構造に喩えている。
 「津軽海峡」で、イルカのひれを人間の手に、「第四梯形」で、トンボは、萱という植物に喩える。いずれも形状の直喩である。
 馬への直喩は、「小岩井農場パート三」でその細い眼を〈三日月のやう〉と天体に喩える。一般的な比喩でもある。それがむしろ馬への憐みや揶揄の気持ちも反映させている。
「旭川」馬のたてがみの揺れる激しさと形状を、火―炎の形状と火の激しさに喩える。
 
二、聴覚から捉える―鳥の声、人の声、言葉―

 動物への比喩で数少ない、聴覚から捉えた例、「小岩井農場パート七」のボトシギの声の喩義〈ビール瓶のやう〉は、人が行う行為によって出る音に喩えている。
 「青森挽歌」で〈凍らすやうなあんな卑怯な叫び声は〉は《ヘツケル博士!/わたくしがそのありがたい証明の/任にあたつてもよろしうございます》に対するものである。E.ヘッケル(1834〜1919)はドイツの生物学者、優生学・発生学の権威で、日本では『進化要論』が1888年、『宇宙の謎』が1906,1917年に出版されている。
 この部分ついては多数の論考があるが、ここでは、浜垣誠司(注2)の説に従って「反復説」として論を進めたい。「反復説」とは、「個体発生は系統発生を反復する」という生物学的仮説で、これは賢治にとっては、「輪廻転生説の科学化」のようにとっていたのではないかと思われる。
この、〈凍らすやうなあんな卑怯な叫び声〉という否定的な形容となるのは、賢治はその時、輪廻転生説が肉親の情への過度の執着と重なっていると思え、仏教の教えに反していると考えた、自己へのさらに厳しい眼の表れである。
 言葉も聴覚から捉えるものであるが、「小岩井農場第五綴」の〈烈しい白びかりのやうなものを…どしゃどしゃ投げつけてばかり居る〉は、心ならずも言ってしまう同僚への言葉への喩義である。〈白びかり〉は文字通り白い光であるが、賢治作品中では、〔いくつの 天末の白びかりする環を〕(下書稿) 、三、三一、)、「ひかりの素足」など、太陽光を感じられない、雪の寒々しい風景に用いられる。ここでも、その厳しさ、冷たさの類似性で人間の感情繋がる直喩である。喩義が自然物であるとき一層その冷たさを感じさせる。
 「習作」の〈黒砂糖のやうな甘つたるい声で唄つてもいい〉では、明るい花に満ちた草地を黒砂糖の濃厚な甘さで形容する。そこには聴覚で捉えたものを味覚で表し、さらに解放されていく自分を表している。
聴覚から捉えたものへの喩義は、聴覚から捉えた類似性ではなく、さらに進んで抽象的なものや人の内面である。
 
三、自然への喩義に感じられる人間

 「風の偏倚」の〈呼吸のやうに月光はまた明るくなり〉では、月光の明滅の変化は視覚から捉えられるものだが、人の呼吸に喩える。それによって、月への親近感に加えて、規則的ではありながら、途切れることもある不確かさも表現できる。
 同詩において、〈意識のやうに移つて行くちぎれた蛋白彩の雲〉と雲の変化を人の意識に喩える。類似性は意識の状態、移りゆくもの、という観念である。
 もう一例、〈風が偏倚して過ぎたあと〉の空の大きな雲のかたまりを〈星雲のやうにうごかない天盤附属の氷片〉に喩える。その大きさ、複雑な彩色の直喩に加えて、天盤―坑道もしくは切羽(採掘場)の天井―の覆いかぶさるような冷たい雲の喩義としている。
 もう二例は、雲の動きへの喩義、「火薬と紙幣」では、広さ、白さ・冷たさ・多さを、氷河の流れに、「真空溶媒」ではその速さを〈天空のサラブレット〉に喩える。
 風への比喩は、二例とも「鈴谷平原」のもので、聴覚から捉えたものである。〈だから風の音が汽車のやうだ〉、〈みんなのがやがやしたはなし声にきこえ〉と、人間社会のものに喩えられている。これは「鈴谷平原」の書かれた状況―長い北への旅からの帰途―という人間社会への回帰の想いが込められている。風の中には様々な音を聞き取ことが可能なので、その時々の作者の心象を映し出すことができると言えよう。
 霧は「宗谷挽歌」の〈超絶顕微鏡の下の微粒子〉は霧の粒の微細さの比喩である。ここでは動きは〈どんどんどんどん〉というオノマトペによって形容する。
 「冬と銀河ステーション」の露と霧への比喩では、露に力点がかかり、太陽光も加わって、色彩〈はねあがる青い枝や/紅玉やトパースまたいろいろのスペクトルや〉とともに〈市場のやうな盛んな取引です〉という人間界のにぎやかさを類似点とした比喩となる。背景に〈土沢の市日〉があるので、それに影響されているところもある。
 空気への比喩は、一例は「真空溶媒」の〈液体のやう〉で、気体を液体と形容することで、重さ、冷たさ、透明感を表そうとしている。そこには液体酸素のイメージがある。液体酸素は、空気に加圧した空気を通じ、窒素の分留を促進させて得られる。酸素 95%以上を含み、比重 1.14,沸点 90K (−183℃) 、淡青色の液体で、工業用としては、製鉄、溶接、ロケット用酸化剤に、医療用として窒息者や重病患者の吸入などに広く利用される。実際に重く冷たく青いものである。
 もう二例は、「樺太鉄道」の、〈葡萄の果汁のやう〉、〈フレツプスのやうに甘くはつかうさせる〉で、太陽に色づく空の色彩の直喩であるが、同時に、そこに香りと味をも感じ取らせる。
〈フレップス〉はコツツジ科スノキ属コケモモで、主として野生の果実を果実酒やジャムなどに加工することが多い。賢治は果実酒を思って〈発酵させる〉という言葉になったのかもしれない。果汁、果実酒という人間の手の加わったものを喩義に使っていることも注目できる。
「風景とオルゴール」で、水の流れを〈葱のやうに横に外れてゐる〉と、具体的な野菜の色や形態を使って流れを表現している。水も、暗喩による表現が多いが、直喩はこの一例のみである。
 自然への喩義も、本義との間に、人の関わりを介在させる例が多い。
 
四、主体への喩義―前進することの意味

 前章の傾向は、主体への喩義となると、その言葉の持つ精神性の類似性を使うことが多くなる。
 主体への直喩は九例、一例を除いて、動作へのもので、うち七例までが、進む、歩く等の前進の動作である。このことは、賢治が前進に際して特になにかを意識していることを表すだろう。
 「真空溶媒」における〈犬神のやうに〉は、幻想の中で絶えず登場者たちへ闘志を燃やしてきた主体のもとに、最後に登場していたのが犬であり、すべてに勝ち、颯爽と立ち去るという流れの結果、犬に乗ることになった。  〈犬神〉は、カラフト北方アムール川下流域に住む少数民族ギリヤークの伝説に登場する神で、「サガレンと八月」、「タネリはたしかにいちにち噛んでゐたやうだった」にも、禁忌を犯した子供への罰として登場する。 西日本に広く伝わる「犬神」のように憑きものとしての性格はない。
 ここでの〈犬神〉という喩義は、その伝説上の意味はなく、犬に乗ったということと、勝ち誇った様子を強く描くために〈神〉という文字が使われたのである。
 先論(注1)でも触れたが、喩義が職業によることも多い。「小岩井農場パート四」、〈歩測のときのやう〉には正確に、〈林務官のやうに〉は権限と余裕を持つもの、という性質を自分への喩義として、明るさ、気持ちの高ぶりを出した。
 同様に「屈折率」の〈郵便脚夫〉には、その黙々と任務のために歩く状態を、雪の荒野を歩く自分と重ね、これから始めようとする〈心象スケッチ〉制作への期待と重荷も感じとるべきだろうか。
一転するように二字下げてカッコでくくられる(
またアラツデイン 洋燈とり)
は何を意味するか。
 宮沢清六 (注3)によれば、賢治が「アラジンと魔法のランプ」に触れたのは、英訳書であったという。英訳版は何種類かあるが、一八八五年〜一八八八年に刊行されたR.F.バートン(一八二一年〜一八九一年)の、バートン版は本巻全十巻と補遺七巻に完璧に近く収録されていて、「アラジン、と不思議なランプ」は補遺第七巻におさめられていた。
 明治期に邦訳された主な「アラジンと魔法のランプ」を含む「千夜一夜物語」は、永峰秀樹『開巻驚奇暴夜物語』(一八七五)は完訳とは言えず、また、巌谷小波『世界お伽噺』(一八九六〜一九八〇)などに掲載の「奇体の洋灯」は、児童文学として翻案されたものである。
 賢治がどの英訳版を入手していたかは不明であるが、より完璧な作品をよんでいたことになる。バートン版の邦訳「アラジン、または不思議なランプ」(注4)を読むと、見知らぬ魔法使いの命ずるままに未知の世界にランプを探しに行く行程の期待と不安には、翻案にはないリアリテイーが感じられる。
 二つの喩義を並べることで、地を這うような制作の苦しみと、未知のもの制作という高い希望を、同時に表し、自分の問題に留まらず、広く詩の問題として捉えようとする意志を伝えたのであろう。
「小岩井農場パート四」の〈刀のやうに〉は、刀の形状、硬さ、鋭さを前進への意思の直喩とする。
  「永訣の朝」の〈まがった鉄砲玉のやうに〉は、死に瀕する妹のために、みぞれを取りに走る主体の行為への直喩である。
〈鉄砲玉〉という速さの類似性に加えて〈まがった〉の意味するものは何か。廊下が直角に曲がっていたという説など種々の説がある。坐していた主体が、急に立ち上がって飛びだすその角度も含まれるのではないか。あるいは、思いもかけない妹の申し出を受けた心の動きを表しているのかもしれない。
 賢治は、意思を前進という動作で表し、直喩によって内面を表している。
「過去情炎」の二例、〈たくらむやうに〉において、は主体の行為ではない〈たくらむ〉という直喩によって、他への警戒感をあらわし、〈待つてゐたこひびとにあふやうに〉は、自分の目的を達成した喜びを表す。二例は、感情表現を人の行為で表す可能性を示している。
 
五、トシへの喩義―生きているトシ

 一二例中一一例までが動作およびその状態へのものである。そしてトシの元 気な時の動作を表す言葉を使っているのが大半であることも特徴的である。
 「青森挽歌」の〈さう甘えるやうに言ってから〉、〈あいつは二へんうなづくやうに息をした〉、〈ちいさいときよくおどけたときにしたやうな/あんな偶然な顔つきに見えた〉は、トシの死を認めたくない心情を表わしている。
 また、「無声慟哭」の〈まるでこどもの苹果の頬だ〉では、死に瀕したトシの頬に、〈苹果〉という健康色をそのまま表す言葉を喩義として贈っている。
 「松の針」、「噴火湾(ノクターン)」の〈鳥のやうに栗鼠のやうに〉も健康なトシの姿を象徴する言葉である。鳥やリスの生態から、〈林を慕〉うことの比喩に限定することもできるが、トシの思い出の中に語られ、トシが林を好んでいた、という背景なしには生まれない比喩である。〈鳥〉は愛しいものの象徴でもあり、〈栗鼠〉はトシの面影を映しているとも言われる(注5)。
 「青森挽歌」で、死の瞬間を回想している場面、〈なにかを索めるやうに空しくうごいてゐた〉、〈ここでみるやうなゆめをみてゐたかもしれない〉も、生きている姿を喩義に使っている。
 トシの感情への直喩、「松の針」の〈林のながさ来たよだ〉、松の葉をほおに押し当てての感情で、松の葉の香りと林という類似性、トシが林を好んだという背景によって生まれた喩義である。
 暗く恐ろしい死後の世界を想像しての言葉、「青森挽歌」の〈頬に手をあててゆめそのもののやうに立ち〉は、その恐ろしさが現実ではなく〈ゆめそのもの〉であってほしいという願望のあらわれである。
 すべてがトシの死の九カ月後に発想された詩なのだが生々しく、思い出とはなっていない。それは喩義が生前の動作に共通する言葉を使っているからではないだろうか。
 
六、生活のなかで―農夫、農学生、恩師、同僚たち
 
 主体、トシ以外の人間の本義で、最も多いのは農夫で、すべて「小岩井農場」のもので、喩義はすべて農夫の動作へのものである。
 「パート七」の〈富士見の飛脚のやうに〉では飛脚という職業を表す語の、規則正しい動きと速さをとらえたものである。同じくパート七の〈行きつかれたたび人だ〉は状態で速度を表す。
 「第五綴」の〈これではまるでオペラぢゃないか〉、〈動き出した彫像といふやう〉は、農夫が主体の問いに答える朗々とした声、あるいは崩さない言葉、大仰さへの直喩で、農夫への尊敬とともに、こちらに距離を置いている農夫への困惑を感じさせる。これらはすべて壮年の農夫へのものである。
 一方、「パート七」の〈まつ赤になつて石臼のやうに笑ふのは〉は、若い農夫の体型に加えて、豪快さ、粗野な部分などへの直喩で、物体を使って、現実の農夫の姿をとらえている。
 同じく物体を使った直喩に、「パート四」の、〈磁石のやうにもひとりの手に吸ひついた〉は、農学校の農作業の素早さ、確実さの直喩で、磁石といういわば優れた物体で、その楽しさ、希望的な仕事を表している。
以下二例は、農学校の同僚との少しの心の齟齬が背景にある。喩義は明確に理解できる言葉であるが背景を考慮しないと類似性はつかめない。
 「小岩井農場第五綴」の〈つめたい天の銀盤を喪神のやうに望んでゐた。〉は車窓の風景の美しさ・厳しさに、魂を奪われ得たような状態だが、前に同僚の〈堀籠さん〉とのかみ合わない会話の記述があり、それによる状態を比喩したものである。
 「習作」の〈すぎなを麦の間作ですか/ 柘植さんが/ひやかしに云つてゐるやうな〉同僚と思われる〈柘植さん〉に冷やかされた思い出が心の中にる。
 「小岩井農場パート一」の〈このひとはもうよほど世間をわたり/いまは青ぐろいふちのやうなとこへ/すましてこしかけてゐるひとなのだ〉は抽象的な場所への喩義であるが、  
 主体の恩師を思わせる人が馬車に乗って先に行ってしまったことが背景にある。この〈とこ〉が揺れる馬車の上の位置の不安定なところなのか、〈このひと〉の生き方を想像したものか、断定できないが、主体のこの人物への複雑な心情が象徴されるようだ。先論(注1)で言及した通り、この人物の影は、その後の詩に見え隠れする。
 人への直喩ではないが〈いまごろどこかで忘れたやうにとまつてやうし。〉は、前出の紳士が一人で乗ってどこかへ行ってしまった馬車への喩義で、〈忘れた〉という人の記憶に関する直喩である。これは主体が忘れるくらい、遠くまた以前のこと、という意味か、あるいは紳士が自分のことなど忘れているであろうということか、いずれにしても主体の心象が深く関わっていることが、前後の文脈から読みとることができる。  
              
七、賢治の直喩の含むもの

 『春と修羅』における直喩では、本義の多くは視覚から感じとった対象であったが、それを喩える喩義は、人の心情や主体の心象、社会の営みも含み多岐にわたる。またそれは、詳しい比較は未着手だが、他の作家に比べて自分の内面や体験などと関連する事象が多い。
 植物、動物への喩義は、ほとんどが、その形態等の視覚から捉えた類似性により選ばれる。より明確に読み手に伝わり、そのものへの愛着や称賛まで感じとることができる。
 聴覚から感じとる対象への喩義は、音ではなく心の内面を映す言葉が多い。〈聴く〉という作用は、より心情を通して感じるものであったためであろう。
 自然も、視覚、聴覚から捉えても喩義は心情を映す言葉、またその対象と人間の関わりを表す言葉となる。自然とは、賢治がそこに多様な思いを反映できるものだったと言える。
 人への喩義は、人の職業を喩義に使う例のほかに、動作に対して物体の形状の喩義を充てるなど、より具体的でありながら、主体の心情を表すものになっている。
 妹トシへの喩義は、ほとんどが明るく、賢治が現前の状況を超えて、トシの生前の姿を求めていたことを示す。

 賢治にとって直喩とはなにか
 直喩は喩えるものと喩えられるものとが明確に表され、書き手の意図を正確に伝えることができるものである。賢治はそこに、自己の心象を映しだそうと試みた。これは賢治の意図していた〈心象スケッチ〉の一つの方法だったのではないだろうか。
 
注1、小林俊子「宮沢賢治の直喩T 『春と修羅』、「小岩井農場」を中心 に―人間への思い―」(個人ブログ 「宮澤賢治、風の世界」二〇一四、一一、一五)

注2 浜垣誠司「《ヘッケル博士!》への呼びかけに関する私見」
(個人ブログ「宮澤賢治の詩の世界」二〇〇五、一一、六)

注3、宮沢清六『兄のトランク』(ちくま文庫 一九九一)

注4、大場政史訳・バートン版『千夜一夜物語』第八巻 (河出書房 一九六七)

注5、浜垣誠司「なぜ往き、なぜ還って来たのか(1)」
(個人ブログ「宮澤賢治の詩の世界」二〇一一、六、一九) 

参考文献
国語学会編『国語学大辞典』(一九七九 東京堂出版)
中村明『比喩表現辞典』(角川書店 一九七七
西尾哲夫『アラビアンナイト 文明のはざまに生まれた物語』(岩波新書 二〇〇七)

テキストは『新校本宮澤賢治全集』に拠った。

 







「ひかりの素足」―死と向き合う風― 追記 「中有」という時間と「往きて還えること」
 
 私が仏教と関わるのは、葬儀などの儀式や、盆、彼岸などの行事の時、あとはたまに文献として仏典を読むことくらいのこともあって、先月アップした「「ひかりの素足」―死と向き合う風」を書きながら、「三、うすあかりの国」、を、「地獄」と規定したのですが、割り切れないものがありました。
 物語では、楢夫を含む子どもたちは、そこから違う世界―博物館や図書館があり、お菓子やいい匂いのものがあふれている―へ行くことが想定されているからです。そこは、地獄と極楽へ行く前段階のように思えたのですが、適当な言葉を知りませんでした。またなぜ一郎が生還できたのか、ということも疑問でした。
 手掛かりを求めて、工藤哲夫『賢治考証』(和泉書院 2010)を開いてみて、第一章「中有と追善―ひかりの素足論」という論考をみつけました。
 もうひとつ、一郎の生還については、浜垣誠司氏のHP『宮澤賢治の詩の世界』、
「なぜ往き、なぜ還へってきたのか」(1)2011年6月19日
「なぜ往き、なぜ還へってきたのか」(2)2014年3月30日
「なぜ往き、なぜ還へってきたのか」(3)2015年4月26日
のなかに、一つの答えをみつけました。
 以下は大半がお二方の御論考の要約ですが、私の理解のために、理解できる範囲でまとめました。
 
一、「うすあかりの国」―「中有」という時間、追善という行為―
 結論から書くと、そこは「中有」でした。中村元『佛教語大辞典』(東京書籍)では、「中有」について次のように記しています。
 
中陰、中蘊ともいう。意識を持つ生きたものが、死の瞬間(死有)から次の生を受けるまでの間の時期で、霊魂身とも言うべき身体を持つ。
この期間は49日という説から、死後49日を満中陰として、その間に冥福を祈る風習を生んだ。 出典「瑜伽論」、「往生要集」、「謡曲 舟橋」
 
 工藤氏の論考では、先行論文と、日蓮等の著作とを比較しながら、その根拠を述べていますので、列挙します。
 
○「うすあかりの国」を地獄とする説
 西山令子「ひかりの素足」考『日本児童文学研究』第12号(1981、7)では日蓮「顕謗法鈔」の地獄観と一致を見ている。
しかしそこでの獄卒(鬼)の仕打ちは、体を砕き、肉を割き、悪臭を放つというもので、「うすあかりの国」とは一致しない。
○飢餓界とする説
五十嵐茂夫「「ひかりの素足」の諸相」(『かながわ高校国語の研究』第二十八集(2002年11月)では、賢治が接したであろう「目連伝説」の「冥界」に描かれる一種の往還が可能な場所という点で、飢餓界であるとしている。
 だが「飢えに苦しむ」という描写はなく、往還が可能という点以外での一致はない。
○ 平尾隆弘『宮沢賢治』(78,11、国文社)、田口昭典『賢治童話の生と死』(1987、6 洋々社)では、境界領域としての中有をあげている。
 しかし、「うすあかりの国」を浄土真宗の〈地獄図〉とみている点もある。
 
 以上の論考を経て、工藤氏は「中有」説を支持すると同時に、賢治がその情報を得たと思われる日蓮の著作に比較して論証しています。
 賢治は所蔵の『日蓮聖人御遺文』に、前述の「顕謗法鈔」と同時に「十王讃歎抄」に○印をつけています。
 工藤氏論考では、「うすあかりの国」で中有の様子を書くために、「顕謗法鈔」に描かれる地獄の様子を読んだが、そこに自分の意図するものが見いだせず、「十王讃歎抄」を読んだと推定しています。そこで指摘されている「十王讃歎抄」の「縮遺」の章で説かれる、「うすあかりの国」の状況と似た場面を拾ってみると、おおよそ次のようなものです。
 
1、「縮遺」54ページ
……獨逝廣野無有伴侶……唯獨渺渺たる廣き野腹に迷ふ 此を中有の旅と名クル也……

楢夫といっしょに死んだはずの一郎がひとりで〈ぼんやりくらい藪のやうなところをあるいて居〉る場面、そのほかの多くの一人でさまよい迷う場面と共通しています。
以下原文を省略します。
2、55ページ
行く先を訪ねる一郎に鬼が答える、〈「どこへ行くあてもあるもんか」〉という言葉
楢夫や同じ境遇の子どもたちの多くの泣く場面。
3、56ページ
鬼の云う〈「罪はこんどばかりではないぞ」〉という言葉。
4、57〜58ページ
〈からだは何か重い巌に砕かれて青びかりの粉になってちらけるやうに〉
〈何べんも何べんも倒れて又楢夫を抱き起こし……〉という反復性のある記述。
一郎が剥ぎ取られる衣一枚の布切れのみまとっていたこと。
5、69ページ
〈それは自分で傷つけたのだぞ〉―自業自得の記述―
6、72ページ
触れれば体を切る岩の話
 
 工藤氏論考では、「十王讃歎抄」、うすあかりの国」の全体の雰囲気では異なりますが、情景描写の部分的なヒントを多く得ているとしています。
賢治が描いた「中有」―「うすあかりの国」―がなぜその形となったかは、また別の問題があると思います。後の課題です。
 
 もうひとつ、一郎が楢夫とともに中有にいながら一郎が生還した、という意味について、工藤氏の同論文の後半には〈追善〉として、その意味が書かれています。
 中有の世界から生還するには、通常は、死を確認した生きている者が、〈追善〉の行為をなさなければなりません。これは「十王讃歎鈔」にも多くの例が引かれています。
 しかし、「ひかりの素足」では、父親にも周辺の人にも一郎の死は確認されていませんし、追善の行為も記されていません。そこで、〈無意識の追善〉が重要な意味を持ってきます。
 一郎たちが中有から救われるきっかけとなるのは「にょらいじゅりゃうぼん第十六」と云う声でした。
 賢治書簡bV5保阪嘉内宛で、母の死に際して、その往生のために「如来寿量品」を書いて霊前に供えるように説得しています。これは日蓮書簡「上野尼御前御返事」で説かれている、法華経の題目の書写が地獄から仏界への往生に力があるということに関連しているとみられます。
 日蓮書簡「上野尼御前御返事」では烏龍・遺龍という書家親子の故事を例にあげています。さらに日蓮遺文「法蓮鈔」にも二人の故事が伝えられています。
 賢治の書簡の場合、嘉内の母の死の確定と、嘉内の意思に基づく「追善」の行為によって成り立つものですが、工藤氏は、烏龍・遺龍の故事では、それに加えて、息子遺龍は心から信じてそれを行ったのではなかったのに父烏龍を地獄から助ける結果となったことが書かれ、これは無意識の追善ととることができるであろう、としています。
 「ひかりの素足」のなかで〈「にょらいじゅりゃう品第十六」〉を唱えた人が不信のものではありえないのですが、「ひかりの素足」の、無意識の追善行為としての言葉が苦境にある人々を救うという発想のヒントとなったのではないか、とされています。
 なぜ「如来寿量品第十六品」だったか―「法蓮鈔」では、「自我偈の功徳」を説くためにも烏龍・遺龍の故事を取り入れています。「如来寿量品」は「偈」の部分を指すものであることで、説明できるとしています。
 「中有」から現世に戻されることについては、賢治の歌稿B442〈 はてしらぬ世界にけしのたねほども菩薩身をすてたまはざるはなし〉にも引用されている「提婆達多品」にも、
 
彼字に結縁せしもの尚閻魔の庁より帰され六十四字を書きしひとはその父を天上に送る
 
など関連を感じさせるものがあり、「善無畏鈔」などには、一郎と仏と思われる人との対話や、頭を撫でてくれたこと等の内容を、感じさせる記述が多くあるといわれます。
 なぜ一郎と楢夫が苦しい中有の体験をしなければならなかったか、など、その物語の構成などの問題は疑問として残ります。
 以上、工藤氏論文の引用です。
 
二、往きて還ること
 工藤氏論文では主に日蓮宗との関わりを探っていますが、浜垣誠司氏のHP『宮澤賢治の詩の世界』、
2011年6月19日「なぜ往き、なぜ還へってきたのか」(1)
2014年3月30日「なぜ往き、なぜ還へってきたのか」(2)
2015年4月26日「なぜ往き、なぜ還へってきたのか」(3)
では、浄土真宗の側面からの関わりが説かれています。
 
 「ひかりの素足」と「銀河鉄道の夜」は、密接な関係にある2人―兄弟・親友―が死の世界に向かいながら、一人が生還すること、など、よく似た構造です。
 相違点としては「ひかりの素足」は二人とも死を意識していることです。一郎は、死後の世界へも付き添い、弟の安らかな死後の世界を確認して帰還します。
 「ひかりの素足」の第一次稿の成立は1922(大正11)年前半とみられます(注)。1922年(大正11年)8月9日のことと推測される「イギリス海岸」の、〈もし生徒がおぼれたら、「死ぬことの向ふ側まで一緒について行ってやらう」〉と云う記述と一致します。
 「銀河鉄道の夜」では、最終的には「夢」だったことが描かれ、死は意識されていません。ジョバンニは突然のカンパネルラの消滅に悲しみながら帰還し、現実の世界でカンパネルラの死を知るのです。
 「銀河鉄道の夜」の原点とも言える妹トシの死は同じ大正11年の11月でした。しかし、妹の死に直面したとき、〈死の向ふ側まで〉一緒について行くことはできませんでした。「オホーツク挽歌」など挽歌群のなかでは、一緒に行くことを願いながら叶わず、死後のトシの姿を追い求め、その死後の世界の幸せで美しいことを祈り悩みます。
 そして最後に、1924(大正12年)の「韮露青」〈・・・・・あゝ いとしくおもふものが/ そのまゝどこへ行ってしまったかわからないことが/ なんといふいゝことだらう・・・・・・〉という思いに到達します。
 これは喪失に対する賢治の一つの解決であったと同時に、浄土真宗の根本的な教え、他力本願―亡くなった人のことは、ただ阿弥陀様にお任せするしかない、死者の魂を鎮めるということは、本来は人間の仕事ではない―に基づくものとも言えます。
「ひかりの素足」の一郎は、
 
今の「心持ちを決して離れるな。お前の国にはこゝから沢山の人たちが行ってゐる。よく探してほんたうの道を習へ」
 
と指示され、「銀河鉄道の夜」第三次稿でのジョバンニも、
 
「さあもうきっと僕は僕のために、僕のお母さんのために、カムパネルラのためにみんなのためにほんたうのほんたうの幸福をさがすぞ」
 
と決心し、さらに博士に、
 
「お前は夢の中で決心したとほりまっすぐ進んで行くがいゝ」
 
と云う活動が課されます。
これについては、親鸞『教行信証』に
 
謹んで浄土真宗を按ずるに、二種の廻向あり。一には往相(おうそう)、二には還相(げんそう)なり
 
とあり、浄土に生まれるすがた(往相)と、再びこの世に帰ってくるすがた(還相)を述べています。 さらに『無量寿経』の「阿弥陀の四十八願」の中の「第二十二願」では「還相」について次のように述べられています。
 
願に応じて、人々を自由自在に導くため、固い決意に身を包んで多くの功徳を積み、すべてのものを救い、さまざまな仏がたの国に行って菩薩として修行し、それらすべての仏がたを供養し、ガンジス河の砂の数ほどの限りない人々を導いて、この上ないさとりを得させることもできます。すなわち、通常の菩薩ではなく還相の菩薩として、諸地の徳をすべてそなえ、限りない慈悲行を実践することができるのです。そうでなければ、わたしは決してさとりを開きません。(現代語訳 本願寺出版社『浄土三部経』)
 
と云うものです。ここには二人に与えられた課題の原点が認められます。 
 さらにもう一つ、二つの物語に共通しているのは、二人の帰還が、超越的な力によってなされていることです。「ひかりの素足」の一郎は「ひかりの素足の人」のおかげで帰還でき、「銀河鉄道の夜」初期形で、ジョバンニが異界からこの世に帰還するという体験をしたのも、ブルカニロ博士が行った心霊的な実験のためでした。
 それは、『無量寿経』の還相が〈「願に応じて…」〉行われるということは、人の主体的な判断に依るものということではなく、法蔵菩薩=阿弥陀如来の誓願のことであり、還相に入ること自体も、阿弥陀の力のおかげであるというのが、中国の曇鸞以降の浄土教の解釈です。親鸞がことさら、「還相の《回向》」ということを強調する所以もそこにあって、それは、阿弥陀の功徳が《回し向けられたもの》なのです。それが二つの物語に共通する「超越的な力」の記述になったのではないでしょうか。
 
 賢治の生家は、浄土真宗の熱心な信者で、賢治も18才で法華経に出会うまでは、その教えの中に育ちましたから、その影響は自然に身についているものと思われます。前稿でもふれましたが、葬儀の際に日蓮宗では法華経が読まれますが、ほとんどの宗派で読まれる「阿弥陀経」が、「ひかりの素足」に描かれる仏界と酷似していることも、そのためではないでしょうか。
 一郎と楢夫の辿りついた「地獄」とは違う場所、そして一郎のみの生還への疑問を解こうとして、図らずも、賢治の深い信仰と、その幅広さ、重層性を知りました。それは賢治の発想の柔軟性から来ているのではないか、それが作品とどうかかわっているか、さらに考えていければよいと思います。  

注1 杉浦静「ひかりの素足」解説(學燈社『宮沢賢治の全童話を読む』2003)
 

 







永野川2016年1月下旬
永野川2016年1月下旬

28日
 強い寒波の続いたあと、ここ2、3日、10度を超えて過ごしやすくなりました。風も無く期待して出かけました。
 二杉橋から入ると、第五小のサクラにムクドリが5羽、太陽光に白い模様が美しく見えました。
 中洲に、イカルチドリが2羽、地面をつつきながら歩き、少し登った睦橋付近では鳴く声も聞こえました。そのほか公園などあわせて6羽確認できました。
 セキレイ類も多く、ハクセキレイ5羽、セグロセキレイ5羽、1羽ずつですが、あちこちで飛び、睦橋付近では囀りも聞こえました。
 カワラヒワも1羽が電線で囀っていて驚きました。そのほか19羽、17羽、13羽、5羽、1羽……と60羽になりました。
 高橋付近の民家の屋敷林でシメ1羽、独特の鳴き声が聞こえ、頑張って見続けて確認できました。そのほか公園で2羽会いました。
 ツグミがあちこちで、単独で駆け回っている感じで、合わせて16羽、やっと本格的な時期になった気がします。
 公園の川でカイツブリ1羽、水底が浅くて潜水できないのではないか、と云う感じで心配しました。どうやっているのでしょう。
 赤津川、新井町の田で、今年初めてヒバリが囀っていました。長く繰り返される声で、これはモズの鳴きまねではないと思います。カワラヒワといい、セグロセキレイと言い、気温の上昇のためでしょうか。
 ケリもいつもの所に2羽いました。
 滝沢ハムのヨシ原に、今日は小鳥たちが集まっていました。アオジが2、  カシラダカ2、樹木にエナガが4羽、シジュウカラ2羽。滝沢ハムの調整池にコガモだ3羽飛びこみました。ここも良い探鳥地だと思います。
 大岩橋の河川敷ではホオジロが3羽のみ、どこかに皆移動したたようです。
 公園内の川でイソシギ1、イカルチドリ1、やはりここは鳥たちの好きなところのようです。
 永野川西岸、睦橋付近でジョウビタキ1羽、ウグイスの地鳴きが2か所で聞こえました。
 二杉橋付近でコガモの7羽の群れに会いました。カルガモはめっきり少なく全部で16羽のみでした。
 鳥たちは今の一瞬を生きて、囀りまで始めています。明日からはまた寒くなるようですが、どんな風にして乗り切っていくのでしょうか。
 
鳥リスト
カルガモ、コガモ、カイツブリ、アオサギ、ダイサギ、イソシギ、コゲラ、ケリ、イカルチドリ、モズ、ハシボソカラス、ハシブトカラス、シジュウカラ、ヒバリ、ヒヨドリ、ウグイス、エナガ、ムクドリ、ツジョウビタキ、ツグミ、スズメ、セグロセキレイ、ハクセキレイ、カワラヒワ、シメ、ホオジロ、アオジ、カシラダカ

 
 







永野川2016年1月中旬
 16日
 ここ1カ月以上、全く雨が降りません。鳥見には好都合ですが、生物への影響は出ないのか少し心配になります。
 風が出そうですが、あまり寒くなく、よい天気です。風が心配なので、上人橋から入り、風の強くなる危険のある赤津川へ先にまわりました。
上人橋近くで対岸にカワセミが一羽、しばらく留まっていました。思いがけない場所での出会いで幸先の良いスタートとなりました。キセキレイも1羽一瞬上流に向かっていき、カワラヒワ4羽が保育園のサクラから川に向かって、飛びました。
 合流点から、公園内の川を眺めると、アオサギとダイサギが2mくらいの距離で一緒にいました。敵対関係ではないのでしょうが、何か、“仲よし”と云う感じです。
 スズメが25羽ほどの岸の草むらに群れていました。
 合流点の上流で、カルガモが5羽、土手に登っていて至近距離でよく見えましたが、すぐ川に入ってしまいました。
 新井町に入り、いつもは西岸にいるケリが、今日は東岸に1羽、鳴き声から、なんとか確認しました。その後、少し登ったところでも1羽飛びました。
 栃木陶器瓦の反対側でムクドリが、この辺では珍しい10羽の群れ、にぎやかな声です。
 その上流の橋の近くで、カイツブリ1羽、なぜか霜が溶けたように羽に水滴がたまっていました。
 可愛らしい、囀り風の声が聞こえ、期待して見るとモズでした。今日はモズが多く、若鳥なのか2羽揃った小ぶりのものを始め7羽確認できました。
 合流点近くで、イソシギが1羽鳴いて飛び去りました。セグロセキレイと一緒でしたが、セグロセキレイよりも弱いのか、敵対するのか、どちらでしょうか。
 滝沢ハムの草むらでアオジ3羽、声はもっとたくさんいたように思います。そのほか大岩橋の草むらと永野川西岸合わせて6羽確認できました。その他ホオジロが3羽、一瞬でしたが声と大きさで確認しました。
 大岩橋の河川敷で、カシラダカが12羽いっせいに飛び立ちました。今季最大数です。シメも3羽、キジのカップルも飛び立ちました。繰り返すようですが、この一角だけでもこのままの状態を保ってほしいものです。
 公園の岸の低木で、ツグミが合わせて3羽、やっと増えてきたようです。
調整池には、カモに姿はなくハクセキレイが2羽見えました。今日はハクセキレイが多い日です。
 二杉橋近くまで来たら、イカルチドリが突然2羽飛び立ちました。東岸の中州に、オオタカが1羽、グレイの背、白地に黒の横斑の胸、黄色い脚、白くて太い過眼線、図鑑通りの姿でした。何を食べているか、下を向いては何か口を動かしていました。あるいは水を飲んでいたのかもしれません。イカルチドリは飛び去りましたが、ハクセキレイは近くで飛びまわっていました。襲われる危険は無いと知っているのでしょうか。
 川を遡って行くと、キセキレイ2羽、セグロセキレイ、ハクセキレイが次々と飛びました。思いがけずオオタカにも会い、よい鳥見でした。
 
鳥リスト
キジ、カルガモ、カイツブリ、キジバト、アオサギ、ダイサギ、イソシギ、ケリ、イカルチドリ、オオタカ、カワセミ、モズ、ハシボソカラス、ハシブトカラス、ヒヨドリ、ムクドリ、ツグミ、スズメ、セグロセキレイ、ハクセキレイ、キセキレイ、カワラヒワ、シメ、ホオジロ、アオジ、カシラダカ

 
 







永野川2016年1月上旬
 明けましておめでとうございます。今年も、よろしくお願いいたします。
毎回、あまり変わらない報告になってしまいますが、それもここの環境が劇的に変化していないことで、幸せなことではないかと思います。私の鳥への想いは、会うことができればそれで幸せ、というものです。
 
9日
 今年最初の鳥見です。
 冬らしい日になりましたが、よく晴れて風も無い鳥見日和です。寒さを気にかけつつ、9時少し過ぎに出かけました。
 二杉橋から入ると、すぐセキレイ類の声がして、キセキレイ1羽見つけ、幸先良いスタートです。セグロセキレイ、ハクセキレイが次々に現れ、キセキレイも新たに2羽加わりました。
 久しぶりで、中州にイカルチドリ1羽確認しました。
 草むらの声は、チチチと3回繰り返し、ホオジロのようでした。
 アオサギも一羽川岸に佇み、ウグイスの声がして、いつも通りの鳥たちですが、何と豊かな日でしょう。
 カルガモ7羽と、コガモ3羽、カイツブリが1羽、コガモやカルガモはその後も3羽4羽の少数の群れでした。
 上人橋を渡った公園の入り口では、ヤマガラ1羽、シジュウカラ2羽、コゲラ1羽で、サクラの木と山林との間を往復していました。
 西の調整池には今日もカモ類はいませんでしたが、カワセミが岸の小さな枝にとまって、一度ダイビングして失敗し、しばらく留っていました。♂だったことは確認できましたが、終始横向きで、背の美しい青は見えませんでした。
 公園の川岸の低木にシメ1羽、少し離れた所でも1羽、このところ、めっきり少なくなりましたが、確認できてよかったと思います。ジョウビタキも1羽、ここでは数が少ない鳥です。
 中央のヤナギの大木から、キジバトが1羽、水の中に下りしばらく留まっていました。ヤナギは台風で倒れたままですが、今のところ枯れてはおらず、また伐採もされていなくて、よかったと思います。
 大岩橋上の河川敷林で、カシラダカ、1羽、2羽、3羽、これも一つの群れとしてもよいでしょうか。これも会えてうれしい鳥です。林の下の方にアオジが2羽、ここはやはり私にとって好きな探鳥地です。
 滝沢ハム近くのサクラの木で、エナガ5羽とシジュウカラ2羽の混群に会いました。今年は、エナガに良く会います。
 赤津川、新井町の電線にカワラヒワが7羽、今日最大の群れです。少し淋しい気がします。
 休耕田の草むらにスズメの50羽単位の群れがいて、羽や胸の色がなぜか暖かく豊かな気分になりました。
 田んぼの畦にツグミ1羽、しばらくぶりで見るシルエットです。今年は本当に少ないようです。その後永野川畔の大木に1羽発見、今後増えて来るでしょうか。
 新井町のいつもの田にケリが3羽、遠かったのですが、確認できました。このところ、決まった場所に決まった鳥がいるのは、よい傾向ではないでしょうか。
 高橋付近の草むらにはアオジが1羽、ここも定位置です。
 二杉橋付近のカルガモは4羽のみ、このところ、ここに大群がいることはなくなりました。
 日差しに恵まれ、鳥たちも元気で、楽しいひとときとなりました。
 
鳥リスト
カルガモ、コガモ、カイツブリ、キジバト、アオサギ、ダイサギ、ケリ、イカルチドリ、トビ、カワセミ、コゲラ、モズ、ハシボソカラス、ハシブトカラス、シジュウカラ、ヤマガラ、ヒヨドリ、ウグイス、エナガ、ツグミ、ジョウビタキ、スズメ、セグロセキレイ、ハクセキレイ、キセキレイ、カワラヒワ、シメ、ホオジロ、アオジ、カシラダカ