宮澤賢治、風の世界

宮澤賢治の作品を彩る言葉と風を追って宮澤賢治の世界を訪ねよう。 賢治は風という言葉に何を託したか。風を描くためにどんな言葉を選んだか。 賢治は何を求めて風の中に身を置いたのだろう。 そこに少しでも近づきたくてページを埋めていく。
 
チュウリップの幻術―風も囁く魔術―  (一)
 このお話は、5月の農園に繰り広げられる、チューリップと太陽と風、農園主と洋傘直しのファンタジーです。
 ここでは、風は、1、雲を動かす。2、ものを揺らす。3、光を左右する。という3つの動きがあります。それぞれが、風景をつくり、登場人物の心に作用して、怪しい雰囲気を作り出します。
 
    この農園のすもものかきねはいっぱいに青じろい花をつけてゐます。
 雲は光って立派な玉髄の置物です。四方の空を繞ります。
 すもものかきねのはづれから一人の洋傘直しが荷物をしょって、この月光をちりばめた緑の障壁に沿ってやって来ます。
 てくてくあるいてくるその黒い細い脚はたしかに鹿に肖てゐます。そして日が照ってゐるために荷物の上にかざされた赤白だんだらの小さな洋傘は有平糖でできてるやうに思われます。
(洋傘直し、洋傘直し、なぜそうちらちらかきねのすきから農園の中をのぞくのか。)
 そしててくてくやって来ます。有平糖のその洋傘はいよいよひかり洋傘直しのその顔はいよいよ熱って笑ってゐます。
(洋傘直し、洋傘直し、なぜ農園の入口でおまへはきくっと曲るのか。農園の中などにおまへの仕事はあるまいよ。)
 洋傘直しは農園の中へ入ります。しめった五月の黒つちにチュウリップは無雑作に並べて植えられ、一めんに咲き、かすかにかすかにゆらいでゐます。
(洋傘直し、洋傘直し。荷物をおろし、おまえは汗を拭いてゐる。そこらに立ってしばらく花を見やうというのか。そうでないならそこらに立っていけないよ。)……以下ルビは省略
 
 洋傘直しを迎えるのは、まずスモモの白い花がたくさんついた農園の垣根です。それは〈月光をちりばめた緑の障壁〉と表現されます。日光の真下に輝く月光―それは何を表すのでしょう。白い花に秘められた冷たい輝きでしょうか。作者は植物の本質をとらえようとしています。
 洋傘直しの赤白の縞模様は傘は、菓子の〈有平糖〉のよう、と作者は明るく甘いイメージを持たせます。
 アルヘイはポルトガル語alf ēloaで砂糖、またはそれで作った砂糖菓子の意味です。1600年ころ、金平糖などとともにヨーロッパから日本に伝わり、『太閤記』(1625年)の記述にもあります。
 砂糖を煮詰めて冷やしハリハリした食感にしたものですが、日本でさらに進化し、着色、繊細な細工を施すようになりました。『古今名物御前菓子秘伝抄』(享保3(1718)年)には詳しい製法が載っているほか、『守定漫稿』には、嘉永年間(1848−54)に京都から江戸に製法が伝わったとされています.
金平糖とともに、賢治にとっては美しく高価で子どもたちに与えたいと思うものの一つでしょうか。
 洋傘直しは、各戸をまわって洋傘を直す職業ですが、このお話にもあるように、刃物研ぎもやっていたようです。
 また歌稿A186(大正三年四月)〈シャガ咲きて霧雨ふりて旅人はかうもりがさの柄をかなしめり〉があって、これは売薬商人ですが、やはり洋傘を持っています。
 いずれにしても行商人に対して、ある種のさすらう人のイメージを、賢治は強く持ち続けていたようです。そのわびしさよりも自由さへの憧憬をもこめて、洋傘は〈有平糖〉のようだったのでしょうか。

 
……
 
 よっぽど西にその太陽が傾いて、いま入ったばかりの雲の間から沢山の白い光の棒を投げそれは向ふの山脈のあちこちに落ちてさびしい群青の泣き笑ひをします。
 有平糖の洋傘もいまは普通の赤と白とのキャラコです。
 それから今度は風が吹きたちまち太陽は雲を外れチュウリップの畑にも不意に明るく陽が射しました。まっ赤な花がぷらぷらゆれて光ってゐます。……
 
〈雲の間から沢山の白い光の棒を投げ〉はチンダル現象―微小な粒子が分散している所に、光が通ると散乱して通路がその斜めや横からでも光って見える現象―で、賢治が後に〈光のパイプオルガン〉(「告別」、「春と修羅第二集」)と記した風景です。ここでは、夕暮れ近い山々に色を変化させる〈さびしい群青の泣き笑い〉となります。
風は雲を動かし、突然チュウリップの畑は輝きます。風は洋傘も揺らし寂しくしますが、チュウリップは、刃物を研ぐリズムに絡まるように、陽に光って揺れています。
風はどんどん吹いて、日差しの中に五月の風景を作りました。ヒバリも鳴きはじめています。
 
……
 そのあとで陽が又ふっと消え、風が吹き、キャラコの洋傘はさびしくゆれます。
 それから洋傘直しは缶の水をぱちゃぱちゃこぼしながら戻って来ます。
 鋼砥の上で金剛砂がぢゃりぢゃり云ひチュウリップはぷらぷらゆれ、陽が又降って赤い花は光ります。
 そこで砥石に水が張られすっすと払はれ、秋の香魚の腹にあるやうな青い紋がもう刃物の鋼にあらはれました。
 ひばりはいつか空にのぼって行ってチーチクチーチクやり出します。高い処で風がどんどん吹きはじめ雲はだんだん融けて行っていつかすっかり明るくなり、太陽は少しの午睡のあとのやうにどこか青くぼんやりかすんではゐますがたしかにかがやく五月のひるすぎを拵へました。……
 
……
 太陽はいまはすっかり午睡のあとの光のもやを払ひましたので山脈も青くかゞやき、さっきまで雲にまぎれてわからなかった雪の死火山もはっきり土耳古玉のそらに浮きあがりました。
 洋傘直しは引き出しから合せ砥を出し一寸水をかけ黒い滑らかな石でしづかに練りはじめます。それからパチッと石をとります。
(おお、洋傘直し、洋傘直し、なぜその石をそんなに眼の近くまで持って行ってじっとながめてゐるのだ。石に景色が描いてあるのか。あの、黒い山がむくむく重なり、その向ふには定めない雲が翔け、渓の水は風より軽く幾本の木は険しい崖からからだを曲げて空に向ふ、あの景色が石の滑らかな面に描いてあるのか。)
 洋傘直しは石を置き剃刀を取ります。剃刀は青ぞらをうつせば青くぎらっと光ります。
 それは音なく砥石をすべり陽の光が強いので洋傘直しはポタポタ汗を落します。今は全く五月のまひるです。
 畑の黒土はわずかに息をはき風が吹いて花は強くゆれ、唐檜も動きます。
 洋傘直しは剃刀をていねいに調べそれから茶いろの粗布の上にできあがった仕事をみんな載せほっと息して立ちあがります。
 そして一足チュウリップの方に近づきます。……
 
 風は花を揺すり、これから始まる二人のドラマの序曲のようです。刃物の研代を一部お負けしてもらったお礼に、園丁は洋傘直しを自慢のチュウリップ畑に案内します。園丁のチュウリップ自慢が始まります。チュウリップの形容が巧みです。
 
「ね、此の黄と橙の大きな斑はアメリカから直かに取りました。こちらの黄いろは見てゐると額が痛くなるでせう。」
「ええ。」
「この赤と白の斑は私はいつでも昔の海賊のチョッキのやうな気がするんですよ。ね。
それからこれはまっ赤な羽二重のコップでせう。この花びらは半ぶんすきとほっているので大へん有名です。ですからこいつの球はずゐぶんみんなで欲しがります。」
 
そして〈小さな白い花〉を見た時、〈チュウリップの幻術〉がはじまります。
 
……
「さうです、あれは此処では一番大切なのです。まあしばらくじっと見詰めてごらんなさい。どうです、形のいゝことは一等でしょう。」
 洋傘直しはしばらくその花に見入ります。そしてだまってしまひます。
「ずいぶん寂かな緑の柄でしょう。風にゆらいで微かに光っているやうです。いかにもその柄が風に靭ってゐるやうです。けれども実は少しも動いて居りません。それにあの白い小さな花は何か不思議な合図を空に送ってゐるやうにあなたには思はれませんか。」
 洋傘直しはいきなり高く叫びます。
「ああ、さうです、さうです、見えました。
 けれども何だか空のひばりの羽の動かしやうが、いや鳴きやうが、さっきと調子をちがへて来たではありませんか。」
「さうでせうとも、それですから、ごらんなさい。あの花の盃の中からぎらぎら光ってすきとほる蒸気が丁度水へ砂糖を溶したときのやうにユラユラユラユラ空へ昇って行くでせう。」
「ええ、ええ、さうです。」
「そして、そら、光が湧いていゐるでせう。おお、湧きあがる、湧きあがる、花の盃をあふれてひろがり湧きあがりひろがりひろがりもう青ぞらも光の波で一ぱいです。山脈の雪も光の中で機嫌よく空へ笑ってゐます。湧きます、湧きます。ふう、チュウリップの光の酒。どうです。チュウリップの光の酒。ほめて下さい。」……
 
風が光を揺らし、チュウリップを揺らし、花から光が湧いて、空に拡がって、風景はみな光の酒に満たされ、2人はチュウリップの酒に酔っていきます。
その酔いと幻想の描きかたは、光に心を吸いとられたように、光のなかを漂っているようです
 
……
「全くさうです。そうら。そら、火です、火です。火がつきました。チュウリップ酒に火がはひったのです。」
「いけない、いけない。はたけも空もみんなけむり、しろけむり、」
「パチパチパチパチやってゐる。」
「どうも素敵に強い酒だと思ひましたよ。」
「さうさう、だからこれはあの白いチュウリップでせう。」
「さうでしょうか。」
「さうです。さうですとも。ここで一番大事な花です。」
「ああ、もうよほど経ったでせう。チュウリップの幻術にかかってゐるうちに。もう私は行かなければなりません。さやうなら。」
「さうですか、ではさやうなら。」
 洋傘直しは荷物へよろよろ歩いて行き、有平糖の広告つきのその荷物を肩にし、もう一度あのあやしい花をちらっと見てそれからすももの垣根の入口にまっすぐに歩いて行きます。
 園丁は何だか顔が青ざめてしばらくそれを見送りやがて唐檜の中へはひります。
太陽はいつか又雲の間にはひり太い白い光の棒の幾条を山と野原とに落します
 
 ついに光に火が入り、幻想は終わります。
一つの謎めいた言葉として、〈これはあの白いチュウリップでしょう。〉を残して。
 洋傘直しはよろめきながら農園をあとにし、園丁は青ざめて仕事に戻って行きました。
 〈白いチュウリップ〉、小さくて、秘かに咲きながら、風に空に合図を送っているもの、風に、ゆらいで微かに光っているようで、その柄が靭っているようで、実は少しも動いていないもの、この相反する二つの意味を含む白く小さな花、この不可思議さは、何を意味しているのでしょうか。
 作品中に( )でくくられた声は誰のものでしょうか。いろいろと不思議なことがあります。
 この作品の生成過程をみながら、次稿で考えたいと思います。
 
参考文献
小学館『日本国語大辞典』 第一巻
小林祥次郎『くいもの 食の起源と博物誌』(勉誠出版 2011)

 







永野川2016年3月下旬
25日
 昨日あたりから気温が下がり始め、最高気温が10度とのことです。日差しのあるところでも肌寒く風の冷たさが身にしみます。
 まずツバメ情報です。二杉橋から入ってすぐ、突然ツバメが3羽上空に舞いました。今季初です。毎日来ているわけではないので初認にできないのが辛いところです。その後公園のなかでも2羽確認しました。
 二杉橋付近は、カルガモが2羽、2羽、3羽、ヒドリガモが2羽、コガモが6羽、とカモが集まっていました。少し登ったところでコガモ7羽、5羽の大きめの群れに会いました。
 ウグイスが橋の近くの草むらと、少し遡ったところで囀っています。まだたどたどしい感じです。
 草むらでアオジが鳴き、カワラヒワが1、2羽ずつ電線に止まっていました。もう群れはいないようです。
 錦着山裏の田のヒバリの囀りは、今日は1羽程度の感じです。その後、赤津川沿いのいつもの田でも両岸で囀りましたが、こちらも1羽くらいの声です。
 赤津川新井町の電線で、モズがヒバリの鳴きまねをしていました。特定の声を聞きおぼえるのでしょうか。
 栃木陶器瓦付近の民家の塀の上にキジが1羽、民家から出て来たようです。少し先では路上に佇むキジがいました。私が近づいたので、田んぼに消えて行きました。なぜか今日は人の近くにキジがいます。
 栃木陶器瓦の前の岸の草むらでバン1羽、少し先でも1羽、こちらは少し額板が色づき始めています。最近見た完全に赤くなった個体はいませんでした。
 泉川町の田んぼで、尾に飾り羽があり、黄色い嘴の先が少し黒いダイサギ大の個体を見つけました。図鑑では「チュウサギ冬羽から夏羽に換羽中」に似ているのですが、バードリサーチのお話では時期的に早いそうです。その後、見た大岩橋上の河川敷の2羽は、飾り羽が無く嘴も黄色いでした。
 滝沢ハムのクヌギ林でイカルのような声がして、まさか?という思いでしたが、少し待つと、イカルが眼前に現れました。次々に飛来して5羽になりました。ここで見るのは初めて、この近くでは、10年ほど前、合流点近くの川岸の木の枝に10羽くらいの群れを見て以来です。
 イカルは、鳥を見始めたころ、旅行先の京都、大覚寺で、図鑑通りの10数羽の群れを眼前で見た時以来、憧れの鳥です。バードリサーチのお話では、今年は飛来数が多かった由、それで永野川にも来てくれたのでしょう。やはり永野川はよい探鳥地だと思います。
 大岩橋上の北側の岸のブッシュを出入りしていたアオジが2羽見えました。
 大岩橋近くの山林で、今季初コジュケイの声を聞きました。寒いのに……、となぜか思いました。
 公園のなかの河川敷にイカルチドリ1羽とセグロセキレイ一羽。すぐ近く2か所で災害の復旧工事をやっているのに、中州が残っているのでやってきているようです。でも早く工事が終わることを祈ります。鳥たちに必要な場所なのですから。
 調整池ではヒドリガモは11羽、カルガモ3羽でした。
 東の池のホテイアオイは少し片づけ始めたようで水面が3分の一ほど出ていました。アオサギが、ずっと水面をみつめていて一瞬魚を取りましたが、眼を放した間に呑み込んでしまい、また水面をみつめていました。カワセミが1度取ればしばらくはお休み、ということを思い出し、体が大きいせいか、大食なのかと考えました。
 上人橋から下って行くと、ジョウビタキが1羽、名残のように見えました。ツグミはあちこちで7羽見られ、まだシメも残っていますが、ツバメも来て、季節ももうじき変わっていくようです。最後にイカルまで見られ、今年もよい冬鳥シーズンでした。

 なお、栃木市街地、うずま公園のヒレンジャクは、今年は見逃してしまったようです。
 
鳥リスト
キジ、コジュケイ、カルガモ、ヒドリガモ、コガモ、アオサギ、ダイサギ、バン、イカルチドリ、モズ、ハシボソカラス、ハシブトカラス、ヒバリ、ツバメ、ヒヨドリ、ウグイス、ジョウビタキ、ツグミ、スズメ、セグロセキレイ、ハクセキレイ、カワラヒワ、シメ、イカル、ホオジロ、アオジ、

 
 







永野川2016年3月中旬
18日
 急に気温が高くなりました。薄日ですが暖かい日です。
 上人橋から入ると、サクラ保育園付近でカワラヒワの囀りが聞こえ、川岸の草むらでホオジロ2羽が飛び立ちました。
錦着山北の田んぼで、ヒバリの囀りが2か所で聞こえました。その後、赤津川新井町のいつものあたり、川の両岸で、少なくとも4羽以上の囀りが聞こえました。
 泉橋の少し手前で、セキレイの鳴き声がし、期待もせずに見たのですが、一瞬、黄色をのぞかせてキセキレイ2羽が遡っていきました。
最上流の橋から 下ってくると、バン1羽、既に額板が赤くなりました。少し下った栃木陶器瓦の近くの1羽はまだ変わっていません。あるいは幼鳥でしょうか。
 カイツブリも1羽、キジの声がどこかで聞こえ、一瞬、チイーと鳴き声がしてカワセミが下っていきました。
 少し下った川岸の草むらが一瞬動き、ホオジロ大、でもホオジロとは違う少し薄目の色の鳥がいました。確かめようとした瞬間隠れてしまいましたが、ここ何回か、オオジュリンらしい声のみ聞いたことがあるので、今季最初で最後のオオジュリンではないかと思います。確か昨年もそんな出会いであったような気がします。
 その後アオジも1羽、顔を見せました。この場所は、昨年度まではもっと草むらが繁っていて、数年前はオオジュリン5,6羽の群れも見えたところです。やはり、他と比べればよい環境なのかもしれません。
 モズが電線でセグロセキレイそっくりの鳴きまねをしていました。いつもは可愛らしいが名前のわからない声でしたが、今日は少しの間、確かにセキレイでした。
 モズは、大岩橋上の河川敷林では、餌を食べさせている2羽を見かけました。もらっている方が少し小さく色も薄めだったことしか、確認できませんでした。バードリサーチにお尋ねすると、与えていた方が♂ならば、求愛行動、♀ならば時期的に少し早いけれどヒナへの給餌とのことでした。いつも肝心なところの確認が出来ず残念です。
 大岩橋の北側の河川敷林でシメが枝で鳴いていました。。近くにも2羽いたようです、少し色合いが違うので、確かに違う個体だと思います。♂♀の違いだったのかもしれません。今後見る機会があったら、気をつけたいと思います。課題が一つできました。
 ここではウグイスが地鳴きしていました。その後永野川を下って、第五小付近では今季初の囀りを聞きました。
大岩橋の山林の林縁でシジュウカラ、コゲラの声のみ聞きました。
 調整池ではヒドリガモは減って13羽のみ、今日は他の所にも見えませんでした。ホテイアオイが腐ってきたない池の、少し見えて来た水面にカルガモ、アオサギが1羽ずつ、何か哀れです。鳥はやはり水を求めているのでしょう。
 上人橋から永野川を下っていくと、イソシギが2羽、遡って来て1羽が中洲に、1羽はそのまま消えました。
 コガモが7羽、二杉橋少し上には17羽、あとは2羽、3羽ずつでした。渡りを前にカップルも増えているのかもしれません。今日はカルガモよりも多く全部で44羽でした。カワウが飛び、ダイサギがいて、ここも鳥たちの多いところです。
 広葉樹が芽吹き始め、ミズキの黄色も目立ちます。咲き終わりの梅が強く香り、河津桜はもう散ってしまいました。カワラヒワの群れはいなくなりました。一週間しかたっていないのに、生物の季節の変化は早いですね。
河川工事が始まっていますが、何かゆっくりしているように見えます。早く終了させて、鳥の自由に飛べる場所になってほしいと思います。
 
鳥リスト
キジ、カルガモ、ヒドリガモ、コガモ、カイツブリ、カワウ、アオサギ、ダイサギ、バン、、イソシギ、トビ、カワセミ、コゲラ、モズ、ハシボソカラス、ハシブトカラス、シジュウカラ、ヒバリ、ヒヨドリ、ツグミ、スズメ、セグロセキレイ、キセキレイ、カワラヒワ、シメ、ホオジロ、オオジュリン、アオジ
 

 







永野川2016年3月上旬
10日

  体調や天候の悪さが重なって、上旬ぎりぎりになってしまいました。
気温がまたグーンと下がってしまいましたが、風もなかったので、結構たくさんの鳥たちに出会いました。
 二杉橋から入ると、排水口で、この場所で珍しくヒドリガモが4羽採餌中、下でカイツブリが1羽、潜水を繰り返していました。
 少し登った中州付近で、カワウ2羽、アオサギ1羽、コガモ2羽、カルガモ4羽、セグロセキレイ2羽、豊富な鳥種の集まりでした。すぐ上流で、岸の補修工事が始まっているですが、ここは安全なことを確認しているのでしょうか。岸辺の草むらで、キジが頭だけ覗かせていました。
 高橋付近の両岸の草むらで、ウグイスが鳴いていました。まだ地鳴きです。市街地のうずま公園では昨日囀りが聞こえたのですが。
 上人橋付近で、今季初ホオジロの囀りが聞こえました。まだたどたどしく比較的小さな声でした。土手の草むらで、アオジ4羽、声と姿を確認できました。アオジのこれだけの数を見られるのは
嬉しいことです。声の主の分からない声にもおそらくアオジが混じっているのでしょう。そのほか、赤津川岸、大岩橋の岸、河川敷でも1羽ずつ、計7羽となりました。
 サクラ保育園のサクラの木にシメ1羽、独特の声をどうやら聞き分けられるようになりました。そのほか、新井町で1羽、公園内で4羽、今日はたくさん会えました。
 合流点の河川敷で、イカルチドリの鳴き声がしました。
 赤津川、新井町の田、以前と同じ場所で、ここ2,3回聞こえなかったヒバリの囀りが両岸で聞こえました。気温とは関係ないのでしょうか。
 栃木陶器瓦の少し上の東岸の田に、カワラヒワ50羽+が降りていました。遠かったのですが、ちらっと見える羽の黄色がきれいです。
 そのほかほぼ同じ時間に対岸で29羽、15分後公園で40羽と61羽、30分後に工業高校のポプラに57羽確認できました。61羽と57羽は、場所も近く、同じ群れかどうかが気にかかりますが、その他の少数の群れを含めて全部で247羽となりました。
 バードリサーチのお話では、冬鳥の亜種オオカワラヒワが北に帰る前兆かもしれないということでした。カワラヒワとの区別は私にはできませんが、大きな移動の時期に出会えて幸せでした。
 陶器瓦の上下でバンが1羽ずつ、まだ額板は変化していませんが、成鳥に近づいている気がします。イソシギが下っていきました。
 川岸でカシラダカ1羽、その後、滝沢ハムの草むらでカシラダカ3羽、今日はここが最高でした。大岩橋上の山林の林縁で、シジュウカラ1羽、エナガ2羽、シジュウカラはその後公園でも2羽
確認できました。
 公園の調整池のヒドリガモ44羽、二杉橋とあわせて48羽となりました。
 上人橋から永野川西岸を下って行く途中、オナガの11羽の群れに会いました。ここでは珍しいことです。
 二杉橋付近に来てコガモ16羽確認できました。
 ホオジロの今季初の囀りのほか、セグロセキレイ、ヒバリも囀り、川津桜も6分咲きとなりました。曇り空で、期待していなかったのですが、鳥種も数も多く充実した鳥見となりました。
 
鳥リスト

キジ、カルガモ、ヒドリガモ、コガモ、カイツブリ、カワウ、アオサギ、ダイサギ、バン、イカルチドリ、イソシギ、トビ、モズ、ハシボソカラス、ハシブトカラス、オナガ、シジュウカラ、ヒバリ、ヒヨドリ、エナガ、ムクドリ、ツグミ、スズメ、セグロセキレイ、ハクセキレイ、カワラヒワ、シメ、ホオジロ、アオジ、カシラダカ

 
 







「四一九 奏鳴的説明」 一九二五、二、一五、―光と風のソナタ―
 
雲もぎらぎらにちぢれ
木が還照のなかから生えたつとき
翻へったり砕けたり或は全い空明を示したり
吹雪はかがやく流沙のごとくに
地平はるかに移り行きます
それはあやしい火にさへなって
ひとびとの視官を眩惑いたします
或は燃えあがるボヘミヤの玻璃
すさまじき光と風との奏鳴者
そも氷片にまた趨光の性あるか
はた天球の極を索むる泳動か
そらのフラスコ、
四万アールの散乱質は
旋る日脚に従って
地平はるかに遷り行きます
その風の脚
まばゆくまぶしい光のなかを
スキップといふかたちをなして
一の黒影こなたへ来れば
いまや日は乱雲に落ち
そのヘりは烈しい鏡を示します
                (「春と修羅第二集」)
 
  冷たい吹雪の風景ですが、ここには光があふれています。
 定稿では削られますが、下書稿(一)、「盛岡中学校校友会雑誌」第41号(1927年編集)発表形では、詩の冒頭は、
 
  これは吹雪が映したる
  硼砂の嵐Rap Nor(湖)の幻燈でございます
  まばゆい流沙の蜃気楼でございます。
この地方では吹雪はこんなに甘くあたたかくて
恋人のやうにみんなの胸を切なくします

 
があり、吹雪のなかに、Rap Nor(湖)や流沙への賢治の憧れが反映され、吹雪への感情が肯定的になっているのが感じられます。
 流沙は、中国、西北地区、タクラマカン砂漠の辺りです。崑崙山脈北麓を通ってパミールを越えて行くシルクロードの要衝の地でした。
 〈Rap Nor(湖)〉と賢治が記したものは、中央アジア、タリム盆地のタクラマカン砂漠北東部に存在したロプノール湖で、タリム川の流入によってできた湖が、強い日差しによって、蒸発するか、地中に浸透するかして、塩分が蓄積して塩湖となりました。堆積や浸食によって、タリム川の流路が大きく変動し、湖の位置が南北に移動するので「さまよえる湖」と言われてきて、1921年に復活しました。 
 ここを含む「西域」は一般には中国本土から西方諸国をさし、現在では一般には中国新疆ウイグル自治区域を指しますが、政治的、思想的、または時代によっても変わります。賢治の解釈は、はっきりしませんが、仏教発祥の地、及び仏教伝来の道を広く西域と捉えていたと思われます。
 この地方への関心が強かったことは、西域を感じさせる場所が、「雁の童子」、「インドラの網」、〔学者アラムハラドの見た着物〕」など多数の童話の背景となり、多くの童話や詩で西域に関する用語が見られることでもわかります。
 賢治の西域に関する情報源で、唯一書名が明らかなものは、S.ヘディン『トランス・ヒマラヤ』(全3巻)で、「装景手記手帳」に、〈trans Himalayaの高原の住民たち〉、〈Hedinも空想して〉の語句が見えます。ヘディンの1906年〜1908年、第三回目のチベット探検の記録で、スウェーデン語版から、英訳とドイツ語訳が出版され、賢治がどちらかに触れていた可能性があります。
 また、西本願寺大谷光瑞を中心とした西域調査隊により、1902年から1914年の間に3回西域の探検が行われました。この情報は新聞、雑誌にも紹介され、旅行記なども出て、賢治が触れていた可能性はあります。
 1915年、この成果として690余種を収めた図録『西域考古図譜』が大日本国學社から発行されました。賢治の西域に関する表現が視覚的なのは、この図版にも触れていた可能性を示します。
 また賢治が15才の時から何度か仏教講話を受けた島地大等が、その1902年の第一次探検隊に参加していて、その関わりのなかで情報を得ていたことも考えられます。
 もうひとつ、1901年〜1906年、O.スタインも西域に入り、ロプノール地方の首都で、ミーランの廃墟の壁画を発見し、『カセイ砂漠の廃墟』(ロンドン 1912)を表しました。「雁の童子」を始め賢治の童話に多出する壁画や、登場者たちは、この書の図版からの発想とも見られます。ただ、いずれも具体的な繋がりは解明できていません。                                
 
 この詩と同一日付の詩が3篇あります。短いので、以下に記します。
 
   四一〇 車中  一九二五、二、一五
ばしゃばしゃした狸の毛を耳にはめ
黒いしゃっぽもきちんとかぶり
まなこにうつろの影をうかべ
   ……肥った妻と雪の鳥……
凛として
ここらの水底の窓ぎわに腰かけてゐる
ひとりの鉄道工夫である
   ……風が水より稠密で
     水と氷は互に遷る
     稲沼原の二月ころ……
なめらかででこぼこの窓硝子は
しろく澱んだ雪ぞらと
ひょろ長い松とをうつす
 
  四一一 未来圏からの影 一九二五、二、一五、
吹雪はひどいし
けふもすさまじい落磐
  ……どうしてあんなにひっきりなし
    凍った汽笛を鳴らすのか……
影や恐ろしいけむりのなかから
蒼ざめてひとがよろよろあらはれる
それは氷の未来圏からなげられた
戦慄すべきおれの影だ
  
四一五 〔暮れちかい 吹雪の底の店さきに〕一九二五、二、一五、
暮れちかい
吹雪の底の店さきに
萌黄いろしたきれいな頸を
すなほに伸ばして吊り下げられる
小さないちはの家鴨の子
   ……屠者はおもむろに呪し
     鮫の黒肉はわびしく凍る……
風の擦過の向ふでは
にせ巡礼の鈴の音
  
 「四一〇 車中」 では、車窓の淡々とした風景の中の日常を、「四一一 未来圏からの影 」では、落盤の続く路線の電車で自身の未来の不安の幻影を、四一五 〔暮れちかい 吹雪の底の店さきに〕では、吹雪に埋もれる食料品店のつるされる家鴨の子、凍った鮫肉、のわびしさや、〈にせ巡礼〉への腹だたしさ、憐みと、3篇とも、風のなかに沈み込むように暗く、どうしようもない風景と日常を描いています。
 
 なぜ、この作品は、冷たくつらい吹雪をこのように明るく表現できたか、それは日差しが回復したせいでしょうか。気象条件の変化が賢治にとってどんなに重要だったかが感じられます。
 
吹雪はかがやく流沙のごとくに

 流沙は水に流れる砂を意味しますが、その比喩には、西域、流沙へのあこがれも含まれています。そこに太陽光が注がれることによって、
 
それはあやしい火にさへなって
ひとびとの視官を眩惑いたします
或は燃えあがるボヘミヤの玻璃
 
と、また違った表情となります。
 
そも氷片にまた趨光の性あるか
はた天球の極を索むる泳動か
そらのフラスコ、
四万アールの散乱質は
旋る日脚に従って
地平はるかに遷り行きます
 
 吹雪は風にのって、あらゆる方向に広く高く輝き動きます。〈ぎらぎらの雲〉、〈流沙〉、〈ボヘミヤの玻璃〉、〈フラスコ〉、〈四万アールの散乱質〉……。そこには何とたくさんの輝きや形を表す言葉が刻まれていることでしょう。
 趨光性は、生物が光の刺激に反応して移動することですが、あたかもそう思えるほどに、氷片―吹雪―は、自在に光のなかを駆け巡っているのです。
 〈地平はるかに遷り行〉くのは、〈風の脚〉です。〈風の脚〉は、1223年ころ成立の『海道記』(作者未詳)にすでに見える言葉で、風が地上の草木を靡かせて吹き過ぎることを、人の脚に喩えた視覚的表現です。さらに〈スキップ〉という人の動きを表す言葉を重ね、その軽やかさを捉えています。その動きは雲を動かし、太陽は隠れて淵のみが怪しく輝きます。これも賢治の好きな光景です。

 ここに音は一切描かれません。〈奏鳴〉するものは光と輝きと風、生まれたのは躍動する風景でした。
 光―それは、輝きを生み、ボヘミアガラスの色彩や、西域という地理的な遠さ、広さ、シルクロードの時代という時間的な遠さにまで想像を飛ばします。
 風は、そこに流れを生み、大地の果て、そして宇宙まで続く世界を感じさせます。
 それは私が述べるまでもなく、詩の言葉そのままに、〈すさまじき光と風との奏鳴者〉なのです。賢治のモチーフ―光と風―を、この詩ほど強く感じたことはありません。
 加えて、風景に究極の理想だった仏教に繋がる西域を感じた賢治の感動が、この光と風の表現を可能にしたのではないでしょうか。
 
参考文献
金子民雄『宮沢賢治と西域思想』(中公文庫 1994 初出 白水社 1988)