宮澤賢治、風の世界

宮澤賢治の作品を彩る言葉と風を追って宮澤賢治の世界を訪ねよう。 賢治は風という言葉に何を託したか。風を描くためにどんな言葉を選んだか。 賢治は何を求めて風の中に身を置いたのだろう。 そこに少しでも近づきたくてページを埋めていく。
 
永野川2016年11月上旬
6日
 陽がさすと汗ばむほどのよい天気、9:00頃出かけました。
 二杉橋から入ります。
 西岸、橋際と少し登った所と、2か所でウグイスの地鳴きを聞き、ヒヨドリ2羽、キジバト1羽、アオサギ1羽が飛び過ぎました。
岸の草むらで、ホオジロらしい地鳴きが聞こえ、1羽が顔を出したので確認できました。
 カルガモが陽のあたる方の西の岸の草むらの下に隠れるように9羽並んでいました。鳥の活動に適した温度というものがあるでしょうか。ある程度温かくならないと活動しないのでは?と思うのは、朝が不得意な私の言い訳ですが。
 道路をハクセキレイが蛾を追いかけながら横切って捕食しました。セキレイのこういう姿は初めて見ました。
 また河川工事―護岸と川の掘削―が始まりました。今日は休工中で、川の中に土が盛りあげられている上に、セグロセキレイが2羽、間隔を置いて留っていてしばらく動きませんでした。
 公園に入ると、川でダイサギが1羽、コガモが1羽。イソシギが鳴きながら登っていきました。いつもこういう場面に遭遇するのは、イソシギの習性だからでしょうか。
 ワンド跡は、大分草むらが枯れて来て、ヨシやススキがはっきりしてきました。美感からいえば、ヨシやススキがずっとよいのですが、草むらは鳥たちの隠れ場です。小鳥の声が複数聞こえてきました。カワラヒワとともに、メジロ2羽の姿が見えました。我が家には来きますが、ここで見るのは初めてでした。
 カワラヒワは3羽くらいずつ川を横切りながら上下しています。これは何か意味があるのでしょうか。突然15羽の群れが飛び立ち北の方へ消えて行きました。
 少し登った川沿いのハリエンジュの大木に、今季初のシメ発見、隣の枝にこれも今季初のツグミ発見、そこにモズの鳴き声がして、いっせいに飛び立ったのはシメ3羽とツグミ1羽でした。
 下の草むらからホオジロ風の鳥が飛び立って先端に留りました。太陽にあたって、背中の赤褐色が特別輝いて見えたので、何か別種かと思いましたが、やはりホオジロの♀のようです。
 林の方でトビらしいのですが尾が細い気もする猛禽が1羽舞って消えました。
 調整池の東で、多分この前生まれたものと思われるカイツブリが戻っていました。すっかり大きくなり、顔の模様も消えましたがまだ灰色です。
 西の池にはヒドリガモが46羽になっていました。
 大岩橋から上って行くとジョウビタキの♀、電線で縄張り宣言中でした。
 大砂橋に近いところでキセキレイが1羽、体形と鳴き声ともに少し細めで、黄色を見る前になんとなく確認できました。
 山林にはカケスの声がし、モズも3羽いました。
 赤津川に入ると、カルガモが少し増え、10羽、7羽、の群れも見えました。
 瓦工場あとの空き地に、アオサギとダイサギがペアのように並んでいました。いつもこの辺で見る光景ですが、同じ個体なのでしょうか。
 泉橋近くでカイツブリ2羽、アオサギ1羽、おなじみです。
 錦着山裏の田んぼの電線に、スズメ30羽の群れが留っていたところに、大群が川の方から来て、全部で105羽になりました。この辺では、以前に1度見たことがありますが、この数は珍しいことです。既に田には穀物は無いのですが、何を表すのでしょう。
 川を下ってくるとホオジロ1羽、少し下ってジョービタキ♂1羽、二杉橋付近には、この前のようなカルガモの群れはいませんでした。
 風の中に、いろいろな鳥の小さな声を聞く季節になりました。それだけで楽しいことですが、声の主が確認できればもっと楽しいのですが。
 
鳥リスト
カルガモ、コガモ、ヒドリガモ、カイツブリ、キジバト、ダイサギ、アオサギ、イソシギ、トビ、モズ、ハシボソカラス、ハシブトカラス、カケス、ヒヨドリ、ウグイス、エナガ、メジロ、ツグミ、スズメ、セグロセキイ、ハクセキレイ、キセキレイ、カワラヒワ、ホオジロ

 







「ポラーノの広場」―風と追憶が生み出すもの  (三)
6、風の中のユートピア―風と草穂
 
  1か月の出張を終えて帰った9月1日の夕方、キューストを待っていたのは、なんとファゼーロでした。ファゼーロは8月10日には帰って、キューストを待っていたそうです。
 そして失踪中の事実はこうでした。
 どうしても雇い主のもとに帰れなかったファゼーロはそのまま出奔しました。夜道を歩きつづけていた時、皮革業者に助けられ、仕事を手伝いながらセンダ―ドまで行き、皮革の技術を習得したのでした。そして警察の捜索の結果、帰って来たのだそうです。
 雇い主からも自由になったファゼーロは、村の人々と森で皮革やハム造りの仕事をするつもりと言います。キューストはすぐにファゼーロとともにその「広場」に急ぎます。野原は風も無く草は穂を出し、つめくさの花は枯れていました。
 そこで会った農夫から、デステゥパーゴの真実を聞かされます。決して落ちぶれてはいないで、センダ―ド近くにたくさんの土地を持っていること、会社に財産をつぎ込んだのでは無くて、会社の株がただ同然になって遁げたこと、デステゥパーゴは大掛かりな密造酒、危ない混成酒工場を2年もやっていたこと……、農夫たちも共謀の弱みがあるのでおおっぴらに追求できないが、残された工場を利用して、新しい産業を始めようということ……。キューストはここではまだ半信半疑でした。
 
 わたくしどもはどんどん走りつゞけました。
「そらあすこに一つ、あかしがあるよ。」ファゼーロがちょっと立ちどまって右手の草の中を指さしました。そこの草穂のかげに小さな小さなつめくさの花が青白くさびしさうにぽっと咲いてゐました。
 俄かに風が向ふからどうっと吹いて来て、いちめんの暗い草穂は波だち、私のきもののすきまからはその冷たい風がからだ一杯に浸みこみました。
「ふう。秋になったねえ。」わたくしは大きく息をしました。ファゼーロがいつか上着は脱いでわきに持ちながら
「途中のあかりはみんな消えたけれども……」おしまひ何と云ったか風がざぁっとやって来て声をもって行ってしまいました。
「まっすぐだよ、まっすぐだよ。わたくしはあれからもう何べんも来てわかってゐるから。」わたくしはファゼーロの近くへ行って風の中で聞えるやうに云ひました。ファゼーロはかすかにうなづいてまた走りだしました。夕暗のなかにその白いシャツばかりぼんやりゆれながら走りました。
 
 ファゼーロの後をついて広場に向かって行くと、昔の名残のように咲く小さなつめくさをファゼーロとともに確認します。
 そして風が吹いて来ました。それは冷たい風でした。ファゼーロのいう〈「途中のあかりはみんな消えたけれども……」〉は〈おしまひ何と云ったか風がざぁっとやって来て声をもって行ってしまい〉ます。ファゼーロは何と言おうとしたのでしょう。作者はなぜそれを消したのでしょう。
 おそらく「でも道はついているよ」という意味でしょう。作者はそれを最後までキューストには知らさず、辿りつく過程を書きつづけたのでしょうか。
 
 風は、闇の中のはんのきを〈次から次と湧いてゐるやう、枝と枝とがぶっつかり合ってじぶんから青白い光を出しているやう〉にみせ、また〈のはらはだんだん草があらくなってあちこちには黒い藪も風に鳴りたびたび柏の木か樺の木かがまっ黒にそらに立ってざわざわざわざわゆ〉らし、風は次々に現れる舞台を演出します。
 工場は、デステゥパーゴの工場の跡地でした。木材の乾留装置で、薬品の代わりに酢酸を作り、その過程で出来る煙を使って、密造酒を作っていた部屋でハムを作る計画が、話し合われていました。
 
「さうだ、ぼくらはみんなで一生けん命ポラーノの広場をさがしたんだ。けれどもやっとのことでそれをさがすとそれは選挙につかふ酒盛りだった。けれどもむかしのほんたうのポラーノの広場はまだどこかにあるやうな気がしてぼくは仕方ない。」
「だからぼくらはぼくらの手でこれからそれを拵えやうでないか。」
「そうだ、あんな卑怯な、みっともないわざとじぶんをごまかすやうなそんなポラーノの広場でなく、そこへ夜行って歌えば、またそこで風を吸へばもう元気がついてあしたの仕事中からだいっぱい勢がよくて面白いやうなそういうポラーノの広場をぼくらはみんなでこさえやう。」
「ぼくはきっとできるとおもう。なぜならぼくらがそれをいまかんがえてゐるのだから。」
「さあよしやるぞ。ぼくはもう皮を十一枚あそこへ漬けて置いたし、一かま分の木はもうそこにできてゐる。こんやは新らしいポラーノの広場の開場式だ。」

 
 それは、本当の〈ポラーノの広場〉でした。ファゼーロ、ミーロ、年寄達にとっても、そしてキューストにとっても、ユートピア、そして大きな目標のはじまりでした。
それは〈「ぼくはきっとできるとおもう。なぜならぼくらがそれをいまかんがえてゐるのだから。」〉―考えていることはすべて実現できる―という明るい予感に支えられるものでした。  
 風は〈吸えば元気がつ〉く、ユートピアの条件として捉えられます。
〈酒を呑まずに水を呑〉んだ乾杯を、作者は次のように描きます。
 
「こんどは呑むんだ。冷たいぞ。」ファゼーロはまたみんなにつぎました。コップはつめたく白くひかり風に烈しく波だちました。
「さあ呑むぞ。一二三、」みんなはぐっと呑みました。私も呑んでがたっとふるへました。

 
 ここでも風は、一つの情景を作ります。〈白く冷たく波立つ〉世界は、みんなの心にある、これからの厳しさへの予感だと思います。そのような予感を抱きながらもなお、希望に燃えている心を描くために、冷たい水が用意されたのだと思います。
 そして、みんなで歌った〈ポラーノの広場のうた〉も風は持って行ってしまいます。それは、いつ消えるかわからないユートピア、しかし、しっかり掴まえておかなくてはならないもの、という暗示かもしれません。

 
 そして私たちはまっ黒な林を通りぬけてさっきの柏の疎林を通り古いポラーノの広場につきました。そこにはいつものはんのきが風にもまれるたびに青くひかってゐました。わたくしどもの影はアセチレンの灯に黒く長くみだれる草の波のなかに落ちてまるでわたくしどもは一人づつ巨きな川を行く汽船のやうな気がしました
 
 夜の野原の草の波を作る風の中で、なぜか作者は皆が一人づつ大きな川の中を行く汽船の様だと言います。それは草の波に埋もれる実風景かも知れませんが、個々の人と、とその共同体、を表している様にも思えます。それこそが一番大切なものだと。
 
 いつものところへ来てわたくしどもは別れました。そこにほんの小さなつめくさのあかりが一つまたともっていました。わたくしはそれを摘んでえりにはさみました。

 
「それではさよなら。また行きますよ。」ファゼーロは云ひながらみんなといっしょに帽子をふりました。みんなも何か叫んだやうでしたがそれはもう風にもって行かれてきこえませんでした。そしてわたくしもあるきみんなも向ふへ行ってその青い風のなかのアセチレンの火と黒い影がだんだん小さくなったのです。
 
 最後のみなの叫びは風が持って行ってしまい、キューストのところには、聞こえませんでした。最後を吹く風は〈青い〉風でした。プロローグの〈青いむかしふうの幻燈〉と同じように、最終的には、この場面はキューストの中に、一つの幻想のように残されていたのではないでしょうか。
 
 ここで問題となるのは、最終稿で削除される初期形です。そこではキューストは未来に向けての理想を述べ自分もファゼーロたちの仲間になりたいと言いながら、すぐに否定し、ファゼーロの姉ロザーロへの想いを確信すると同時に吹き消しています。
 この理想は、熱く読むものの心をとらえるものですが、物語の展開からすると、少し生硬だと思われます。また迷いの心が現れて、作者の納得できるものではなかったのかもしれません。
 物語の先駆形「ポランの広場」との関連とともに、次の稿に詳察したいと思います。
 
7、みんなのユートピアとキューストの今―エピローグ
 
 それから7年たちました。ファゼーロたちの組合は、苦難の中にも、〈面白く〉続いて3年後からは、〈立派な一つの産業組合〉を作って、ハムと皮革、酢酸、オートミールなどをモリーオやセンダ―ドまで販路を拡げていました。
 キューストは、組合の手助けや助言をしていましたが、仕事の都合でモリーオを離れ、農事試験場や大学で仕事を転々とした後、トキーオの新聞社で博物のコラムを書く生活をしています。そんなある日、キューストの所に、「ポラーノの広場のうた」の楽譜が届きます。 
 
ポラーノの広場のうた
 
   つめくさ灯ともす 夜のひろば
   むかしのラルゴを うたひかわし
   雲をもどよもし  夜風にわすれて
   とりいれまぢかに 年ようれぬ
 
   まさしきねがいに いさかふとも
   銀河のかなたに  ともにわらい
   なべてのなやみを たきゞともしつゝ、
   はえある世界を  ともにつくらん
 
 それは、見ただけでファゼーロ、ミーロ、ロザーロの歌とわかるものでした。
 それは、〈つめくさ〉の広場に、共に悩み、苦労の末につくりあげる〈栄えある世界〉がえがかれています。それは、ファゼーロたちとともにキューストも夢見たユートピアそのものです。
 ユートピアを作り上げたファゼーロたち、援助という形でしか参加できなかったキュースト、作者はそこに理想を作るものは実際に汗する人たちであることを、ある悲哀を持って書きつづったと思います。
 それがこの物語の放つ哀愁の根本となっていると思います。
 そこに作者の実人生を重ねることは簡単ですが、敢えて、物語の展開にのみ即して考え、作者が何を訴えたかったのか、今後も考えたいと思います。

 







永野川2016年10月下旬
25日
 薄曇り状態で気温が上がりません。
でも永野川岸を遡っていると日向ではコートが不要になりました。
公園の調整池のカイツブリはいなくなりました。もう飛べるようになって別の水辺に移って行ったのでしょうか。
 二杉橋から入りましたが、鳥影がありません。一瞬、ピーと鳴いて遡っていったのはイソシギでした。少し登った岸の草むらの下にコガモ4羽、この前より2羽増えています。
 中洲のあるところではセグロセキレイが1羽、2羽と飛びました。
一瞬、カワラヒワ10羽が川岸飛び立って西へ消えました。今冬初めて、確実な季節の変わり目です。
 上人橋の近くの川岸の草むらからキジ♂が2羽飛び立ってまた消え、近くの山林では珍しくコジュケイの声がしました。
その方向からカケスが1羽錦着山をめざして飛びました。錦着山にも棲息しているのでしょうか。
 以前も多数のカケスが移動していたことがありました。通り道なのに錦着山へはめったに昇りませんが、本当は観察範囲に入れてもよいのかもしれません。山の裏でトビが1羽舞いました。
 公園に入ると芝生をハクセキレイ3羽が歩いていました。
 川に、珍しくキセキレイ1羽水辺を歩きながら上に移動していき、それと絡まるようにセグロセキレイ3羽が動きます。ダイサギ1羽が川のなかで採餌していました。
 ハシブトカラスが10羽、空を旋回しました。ここでは珍しいことです。なにかあったのかもしれません。

 私が公園のシンボルと思っていたヤナギの大木がついに伐採されていました。昨年の台風で川を三分の一ほど覆う形で傾きながら生きていたので、伐採は仕方のないことかもしれません。
 枝は鳥の中継場所のようで、アカゲラやベニマシコなども来ていましたし、シメの見える場所と認められていました。木陰には多くの水鳥が来ていたし、水辺の枝は絶好のカワセミのポイントでした。また岸には草むらが深く、クイナが潜んでいたこともあったのですが、木と一緒に皆きれいになってしまったようです。
 少し上流の桑の大木が心配で見に行くと、カワセミが下って来て川岸に留りました。
 ここも岸がかなり削られて次の洪水では流されるかもしれません。土が露わになっているところには、いくつかの穴が見え、もしかして巣穴かもしれませんが、これでは外敵を防ぎようがありません。この木だけはなんとか残ってほしいと思います。
 民家のカシの木にヒヨドリ7羽、オナガ1羽、カケス1羽が争っているようでした。
 東の調整池にはアオサギ1羽、西にはヒドリガモが増えて17羽になりました。
 大砂橋近くの竹やぶでウグイス地鳴き、大岩橋近くでモズが3羽、川にはダイサギ2羽、カケスの声もしています。
 大岩橋の近くの北岸の林から道を挟んだサクラ並木に、エナガが24羽鳴きながら飛び川下へ再び移動していきました。こんなに多数見たのは初めてです。
 滝沢ハムのクヌギ林でシジュウカラ2羽、今日は静かでした。
 赤津川に入るとカルガモが、9羽、7羽、2羽……と多くなりました。
 永野川を下ってくると、ヒヨドリが27羽の群れ、オナガ19羽の群れが、西に移動していきました。オナガの群れもここでは珍しいことです。
 二杉橋の下にも今季初めて、カルガモが集まって来て、14羽、22羽の二群れが見えました。
 
 この10日間に、公園ではまた草が刈り取られて、冬の鳥の隠れ場はもうできなくなります。夏に枯葉剤が撒かれなかったのは救いでしたが、この時期の草刈りはどうしてもやめられないのでしょうか。
 カモも増え、カワラヒワも来ていよいよ冬鳥のシーズンです。
 
鳥リスト
キジ、コジュケイ、カルガモ、コガモ、ヒドリガモ、カイツブリ、ダイサギ、アオサギ、イソシギ、トビ、カワセミ、モズ、ハシボソカラス、ハシブトカラス、カケス、オナガ、シジュウカラ、ヒヨドリ、ウグイス、エナガ、スズメ、セグロセキイ、ハクセキレイ、キセキレイ、カワラヒワ、

 
 







「ポラーノの広場」―風と追憶が生み出すもの  (二)
 
4、「ポラーノの広場」―《広場》の現実―
 
 その五日後、ファゼーロたちは、広場の場所の見当がつき、キューストを誘います。キューストもすっかり引き込まれ、胸を躍らせてしまいまいます。
 夕暮れの野原を、今度はつめくさの明かりを頼らず、昼間作って置いた目印を目当てに進みます。暗く遠い目当ての木と反対に、つめくさの花は〈石英でできてゐるランプのやうに〉輝きましたが、道順を教えるものではありませんでした。
 次に目当てとなったのは、現実の現象―明かりに集まる甲虫の羽音、そして、楽器を奏でる音と人の話し声でした。そこは日の落ちた野原で〈何の木か七八本の木がじぶんのからだからひとりで光でも出すやうに青くかゞやいてそこらの空もぼんやり明るくなってゐ〉る程明るかったのです。
 ついに見つけた、と思ったとたん、そこには〈山猫博士〉―県会議員のデストゥパーゴがいました。この地方の顔役、ファゼーロの雇い主も従え、姉のロザーロにも興味を示す、《悪役》です。
 突然迷い込んだようなキュースト達は、招かれざる客でした。 
キュースト達の落胆に拍車をかけるようにデストゥパーゴの攻撃が始まり、ついに決闘になります。酔って子供にまで決闘を申し込む、山猫博士の人間的価値を浮き彫りにする描写です。
 デステパーゴが退場した後、それまで取り巻いていた人たちが、ここが選挙のための供応の場所で、酒も密造酒であることを暴露します。それも浅ましい人の姿です。
 デストゥパーゴのみっともない姿、周囲の節操のなさ、社会の現実が全開の描写で、ポラーノの広場の野原は終ってしまいます。
 さらにキューストは、意図せず雇い主の怒りを買ってしまったファゼーロを気にかけながら、役人の事なかれ主義でそのまま別れてしまいまったという現実も書き込み、そこから次章へと発展していきます。
 誰もが行って歌うことができ、歌が上手になる、美しい昔ばなしの現実を、作者はなぜ描かなければならなかったのでしょう。
 追憶という流れの中の一場面で、敢えて描かれた現実は、現実から発展していく物語であることを表し、単なるファンタジーの域を脱することができています。
 
5、インターバルとしての3ヶ月―風の吹かない日々
 
@「警察署」―現実の続き―
 キューストの案じたファゼーロの窮状が現実となり、ファゼーロは失踪してしまいました。そのことは警察に呼び出されるまで知りませんでした。
 キューストは山猫博士の仕業と疑いますが、山猫博士も行方不明でした。
警察官とキューストの対話は、現実の社会と、キューストの「信じる」尺度の違いが、漫画チックに表現されて見事です。
 
……
「君はファゼーロをどこかへかくしてゐるだらう。」
「いゝえ、わたくしは一昨夜競馬場の西で別れたきりです。」
「偽を云ふとそれも罪に問ふぞ。」
「いいえ。そのときは廿日の月も出てゐましたし野原はつめくさのあかりでいっぱいでした。」
「そんなことが証拠になるか。そんなことまでおれたちは書いてゐられんのだ。」……
 
……
「きみはファゼーロの居ないことをさっきまで知らなかったのか。」
「はい。」
「何か証拠を挙げられるのか。」
「はい、ええ、昨日と今日役所での仕事をごらん下さればわかります。わたくしはあれですっかりかたが着いたと思ってせいせいして働いていたのであります。」
「それも証拠にはならん。おい、君、白っぱくれるのもいい加減にしたまえ。テーモ氏からそう索願が出てゐるのだ。いま君がありかを云へば内分で済むのだ。でなけあ、きみの為にならんぜ。」……
 
 事実は違う方向に進みますが、この時点ではキューストは不安に駆られます。ファゼーロの姉ロザーロのかなしみの様子はまたキューストとは違った深いあきらめに包まれているようです。
 
……
すると出口の桜の幹に、その青い夕方のもやのなかに、ロザーロがしょんぼりよりかかってかなしさうに遠いそらを見てゐました。わたくしは思はずかけよりました。
「あなたはロザーロさんですね。わたくしはどこへさがしに行ったらいいでせう。」
 ロザーロが下を見ながら云ひました。
「きっと遠くでございますわ。もし生きてゐれば。」
「わたくしがいけなかったんです。けれどもきっとさがしますから。」
「えゝ、」
「デストゥパーゴはゐないんですか。」
「ゐないんです。」
「馬車別当は?」
「見ませんでした。」
「あなたのご主人は知ってゐないんですか。」
「えゝ。」
「捜索願をわざと出したのでせう。」
「いゝえ。警察からも人が来てしらべたのです。」
「あなたはこれから主人のとこへお帰りになるんですか。」
「えゝ、」
「そこまでご一所いたしませう。」
わたくしどもはあるきだしました。わたくしはいろいろ話しかけて見ましたが、ロザーロはどうしてもかなしさうで一言か二言しか返事しませんのでわたくしはどうしてももっと立ち入ってファゼーロと二人のことに立ち入ることができませんでした。そしてこの前山羊をつかまえた所まで来ますとロザーロは「もうじきですから」と云ってじぶんからおじぎをして行ってしまひました。……
 
 この、ロザーロの生も死もすべてあきらめているような状態、これはじっと不幸に耐えて来た人の姿と言えるでしょう。それに対し
 
……
わたくしはさびしさや心配で胸がいっぱいでした。そしてその晩から毎晩毎晩野原にファゼーロをさがしに出ました。日曜にはひるも出ました。ことにこの前ファゼーロと分れた辺からテーモの家までの間に何か落ちてないかと思ってさがしたりつめくさの花にデストゥパーゴやファゼーロのあしあとがついてゐないかと思って見てまわったりデストゥパーゴの家から何か物音がきこえないかと思って幾晩も幾晩もそのまはりをあるいたりしました。
 前の二本の樺の木のあたりからポラーノの広場へも何べんも行きました。もうそのうちにつめくさの花はだんだん枯れて茶いろになり、ポラーノの広場のはんのきにはちぎれて色のさめたモールが幾本かかかっているだけ、ミーロへも会いませんでした。警察からはあと呼び出しがありませんでしたのでこっちから出て行ってどうなったかきいたりしましたが警察ではファゼーロもデストゥパーゴも、まだ手がゝりはないが心配もなからうといふやうなことばかり云ふのでした。そしてわたくしも、どういうわけか、なれたのですかつかれたのですか、ファゼーロはファゼーロでちゃんとどこかにゐるといふやうな気がしてきたのです。……
 
 キューストのあきらめは、たくさん心配し、探し、警察を訪ね、結果として安全なのであろうという予感を得ます。それもあきらめと言えば言えなくもありませんが、ロザーロの悲痛を押し隠したあきらめとは別で、これは幸いな人のなせる技なのです。ここにも二つの世界の対比が描かれます。
 この章で、作者は、たとえ偽りのものではあっても「ポラーノの広場」を訪ねた後の現実を描きますが、そこにも二つの世界の違いを明確に描いて、主題にせまろうとしています。
 
A「センダード市の毒蛾」―現実の証明―
 
 キューストは、ファゼーロの行方も分からないまま、自分の現実の生活に追われていましたが、8月になって、「海産鳥類の卵採集の為に八月三日より二十八日間イーハトーヴォ海岸地方に出張を命ず。」というご褒美とも言える出張命令を受けて、〈イーハトーヴォ海岸〉―三陸海岸であろう―に出かけます。 それは〈イーハトーヴォ海岸の一番北のサーモの町〉―鮫―から、〈その六十里の海岸を町から町へ、岬から岬へ、岩礁から岩礁へ、海藻を押葉にしたり、岩石の標本をとったり古い洞穴や模型的な地形を写真やスケッチにとったりそしてそれを次々に荷造りして役所へ送りながら二十幾日の間にだんだん南へ移って〉行きます。
 これは、かつて三陸詩群―三三八「異途への出発」(一九二五、一、五 「春と修羅第二集」)から「峠」(一九二五、一、九、)―に詠み込まれた行程を下地にしています。
 詩群に描かれる、失意のうちに旅に出て、次第に豊かな海に癒されていく様子と同様に、キューストは、海辺の人達の暖かいもてなしに感激します。でもその幸せの中で、辛い仕事に耐えているロザーロや、疲れた体でもてなしてくれる人々を思い、〈わたくしは何べんも強く頭をふって、さあ、われわれはやらなければならないぞ、しっかりやるんだぞ、みんなの〔数文字分空白〕とひとりでこゝろに誓い〉ます。
 キューストは何を出来るかという事より、まず何かをやらねば、という思いだけで燃えています。
 この思いは、いつもキューストを力づけるもののようです。この結果、キューストのなし得たものは何か、これは今後考えて行くなかで重要なことになりそうです。
 旅の終りに、キューストはセンダ―ド―仙台か―の大学に行くために、センダ―ドのホテルに宿泊します。町には毒蛾が発生していました。
 ここでの状況は短篇「毒蛾」を下地にしていて、そのまま挿入した部分もあります。
 「毒蛾」は、大正11年7月下旬の、盛岡市の毒蛾発生を題材にしています。
岩手日報大正11年7月17日付に掲載された岩手県師範学校、鳥羽源蔵寄稿「毒蛾の発生」、7月19日付記事、20日付記事にその惨状が大きな紙面を割いています。
 「毒蛾」では毒蛾の発生に慌てる人々と冷静に立ち向かう人々が対照的に描かれます。そして花巻を思わせるハームキャの街では、きちんと防御されているにもかかわらず、発生はしていなかった、という事態と、蛾の毒性を確かめる実験のために苦労して1頭見つけたという皮肉めいた結末を描きます。
 毒蛾にやられて大騒ぎする人物が、ここでは〈マリオ競馬会の会長か、幹事か技師長のような〉偉い人でした。競馬について作者は肯定的な捉え方をしていますが、それを牛耳る一部の人に対してはよい感情を持っていなかったのでしょうか。
 「ポラーノの広場」では、それを行方不明だったデストゥパーゴと置き換えて、物語の方向付けをしていきます。それは毒蛾の発生という事件と絡めて見事な展開となっています。
……
そこへ立って、私は、全く変な気がして、胸の躍るのをやめることができませんでした。それはあのセンダードの市の大きな西洋造りの並んだ通りに、電気が一つもなくて、並木のやなぎには、黄いろの大きなランプがつるされ、みちにはまっ赤な火がならび、そのけむりはやさしい深い夜の空にのぼって、カシオピイアもぐらぐらゆすれ、琴座も朧にまたゝいたのです。どうしてもこれは遙かの南国の夏の夜の景色のやうに思はれたのです。私は、店のなにかのぞきながら待ってゐました。いろいろな羽虫が本統にその火の中に飛んで行くのも私は見ました。向ふでもこっちでも、繃帯をしたり、きれを顔にあてたりしながら、まちの人たちが火をたいていました。……
 
 デストゥパーゴの後をつけた、電燈の消された町の情景は、不思議な美しさをたたえて、デストゥパーゴへの糾弾の場面と対比をなしています。
 そこでデストゥパーゴの話すことは、キューストの想像と違っていました。
 ファゼーロの失踪とは関係ないこと、林の中で木材の乾留工場をやっていたが、薬品の相場の変動でうまくいかなくなり、密造酒に手を染めたこと、〈ポラーノの広場
では、それを逆に脅されて自棄になって酔っていたことなどでした。
 後にはこれが偽りだとわかるのですが、ここでは、キューストは信じて同情さえします。そこにもキューストの実社会とのずれが―幸せな人としての―が描かれます。
……
「ロザーロは変りありませんか。」デストゥパーゴは大へん早口に云ひました。
「ええ、働いてゐるようです。」わたくしもなぜかふだんとちがった声で云ひました。……
 
 最後にキューストとデストゥパーゴのロザーロに対する、微妙な思いが2行の中に描かれ、この表現も見事だと思います。
 
 この稿で取り上げた部分には、風は役所の上司の部屋にのみある扇風機が、いくらかの風を送っている場面と、ホテルで扇風機を独占する老人の身勝手さの場面でしか吹きません。「風の吹かない」世界も一つの象徴であると思います。(次稿に続く)

 
 
 
 
 







永野川2016年10月中旬
 よく晴れて、まさに探鳥日和でした。少し遅くなったのですが、11:00ころ出かけました。
 調整池の東の池はまた清掃されたようできれいになっていて、カイツブリの姿が見えず、あわてました。でも西の池に行くと親子の姿がありました。こちらの方が順光でよく見えます。ヒナの顔の模様は残っていましたが、もう親鳥とあまり変わらない大きさになっていました。ピッピッピと鳴きながら―後で調べると、これはヒナの声とのこと―親鳥と一緒に上手に泳ぎ、潜水もしていました。もう一羽の成鳥は以前からずっとここにいたので、あるいはこれは片方の親鳥かもしれません。アオサギ1羽、今季初、ヒドリガモ4羽の姿もありました。
 二杉橋から入ります。
水の量も減ってきれいに澄んで来ましたが鳥影は無く、ハクセキレイが1羽、セグロセキレイが2羽で連なって飛び、モズが高鳴きしていました。
 睦橋付近で、カルガモ14羽、今季初のコガモが2羽、まだ冬羽になっていません。
 ホオジロが2羽岸の草むらに飛び込みました。
 上人橋では岸の道路の電線にモズが留って高鳴きしていたかと思うと、今度は小鳥の声の鳴きまねになりました。人間から見ると何か遊んでいるようです。
 公園に入ると芝生でハシブトガラス11羽、ハシボソカラス4羽が芝を盛んにつついていました。芝刈り中で、虫が出て来たのでしょうか。
 公園の川ではセグロセキレイ3羽、それと久しぶりにツバメ3羽、ここで越冬するのでしょうか。
 水面すれすれに飛んでは水に触れていたのですが、これは水飲みでしょうか、採餌でしょうか。
 大岩橋の河川敷林で今季初ウグイスの地鳴きを聞きました。ヒヨドリが3羽、4羽と過ぎて行き、1羽のワシタカと思われるものが山林に消えましたが確認できませんでした。
 大岩橋から川を眺めてみるとダイサギ、アオサギ、チュウサギが河川敷を歩いています。今まで気付かなかったのですが、この位置は面白いと思います。
 大岩橋の北岸にいる時、川の方角からカケスが3羽飛んで、北の少し離れたに民家の屋敷林に消えました。これも今季初、腰の白さで確認しました。
 滝沢ハムの調整池、ここしばらく鳥がいなかったのですが、コサギが1羽来ていました。
 泉橋近くでは、川岸にミドリガメのあまり大きくないもの2匹、小さめのもの1匹見えました。やはりここで繁殖しているのでしょうか。少し不安です。
 新井町の赤津川ではカイツブリ2羽、バン1羽、カルガモ5羽は親子らしい大きさの違いがありました。休耕田に、ダイサギとチュウサギのコンビがここでも、つかず離れずの距離を置いていました。
 キジ♀の若鳥が1羽、民家の中から塀に飛び乗っていました。
スズメも、実った稲よりも刈り取った後の虫を探すのか、電線や刈田の上に多数見られます。
 私の観察範囲での赤津川の最上流点でワシタカが一羽舞い、田んぼの中の電線に留りました。黄色い脚、大きさ、嘴の様子などから、チョウゲンボウと確認できました。近くの休耕田に舞い降りた時、尾羽が扇状に拡がって、茶色い横斑も見えました。この付近は、時折ワシタカを見ることができます。以前コチョウゲンボウも確認できました。普通の田園ですが、私にとっては貴重な場所です。
 陶器瓦工場まで来ると川岸の低木でカワセミ発見。ゆっくり留っていて、嘴の赤が確認できました。私にとっては珍しい♀との出会いです。
 二杉橋近くの戻ると、イカルチドリの声が響いていました。
 時間的に問題か、と思いましたが、コガモ、ヒドリガモ、ウグイス、カケスなど今季初の出会いや、チョウゲンボウやカワセミにも会え、カイツブリの成長も見られ、天気もよく、よい探鳥となりました。
 
 13日、片柳町自宅にジョウビタキが飛来しました。
 
鳥リスト
キジ、カルガモ、コガモ、ヒドリガモ、カイツブリ、ダイサギ、チュウサギ、コサギ、アオサギ、バン、イカルチドリ、チョウゲンボウ、カワセミ、モズ、ハシボソカラス、ハシブトカラス、カケス、ヒヨドリ、ツバメ、スズメ、セグロセキイ、ハクセキレイ、ホオジロ