2011/04/13 17:29:02| 栃木百名山 | 赤雪山(620.6m) 4月13日 | | 2月26日以来の、久々の山歩き。
2月は19日、26日と仙人ヶ岳、石尊山等と、県南足利の未踏の栃木百名山にトライ中が、3月の東日本大震災の影響でスッカリ家に籠ってしまっていた。 だから今日は1ヶ月半振りのチャレンジ。 比較的安易な未踏峰、赤雪山。 先々週、HさんとF君が赤雪山から仙人ヶ岳まで縦走して、アップダウンが結構きついと聞いていたので、赤雪山のみを目指す。
9時15分に家を出発。 約1時間で松田湖ダム下に到着。 ここでも桜が満開だ。 ダム湖の少し上の赤雪沢駐車場に車を停め、10時半に登山開始。 山頂まで1.3qの、沢道と人工林間の山道を、40分の予定登行時間を10分以上オーバーして、11時20分頃に山頂到着。 1ヶ月半の、家に閉じ籠りっぱなしのブランクは、直ぐに足に現れた。 縦走どころではない。
下りは尾根伝いにダム湖へ続く1.7qのコース。 途中のヤシオツツジが満開で出迎えてくれた。 11時45分に下り始め40分後の12時20分に辿り着く。 HさんF君の二人なら往復1時間のコースだろうに・・・ 万歩計は6,980歩。
全行程中擦れ違った山仲間は2組のみ。 どちらも震災後初登山とか でも麓の駐車場には、石尊山も含めて平日にしてはまずまずの、数台づつ数えられた。
帰路は予定を変えて、猪子トンネルから石尊山を巻いて、小俣に出、50号から太田桐生ICへ。 3月19日に全線開通した北関東自動車道(太田桐生〜佐野田沼間新規開通)に初検算。 18.6qの開通区間で一番印象的だったのは、この間にトンネルが5個所あった事。 途中の出流原PAは、トイレ休憩のみ、飲食無で自販機が3台並んでいた。 北向きのトイレの窓からは、ワイドビューで北関東の美しい山並みが・・・と絶賛したいところだが、 山肌を切り刻まれた痛々しい姿は・・・ とても見せられたものではない。 思い過しでしょうか・・・ 大震災は、人間の手で大自然を傷つけたから、その怒りで・・・
でもこの開通は、いろいろと便利になりますね。 北関東の経済にとって、また私にとっても・・・ 今年の夏、信州の山にチャレンジする機会があるとすれば、時間の短縮以上に行動が楽になると事と思います。 常念岳に日帰り登山なんて事が出来るかも・・・
因みに通行料金は通常1,050円のところETC割引で750円。
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| 生後103日目 3月27日 | | | | 笑顔 寝顔 泣顔
結城に住む長男夫婦が、ガソリン給油が、待たずに満タン可になったので、午後孫娘を連れて遊びに来た。
釜石の悲報と、来る日も来る日も、震災と津波、放射能のニュースで気が重くなっていた母に、暫しの癒しと安らぎを与えてくれた。
母曰く
赤ちゃんの表情はいくら眺めていても飽きないね・・・
笑顔も寝顔も素晴しかったけど、この泣き顔は人に見せられない・・・よね
だって女の子なんですもの・・・
でも見せちゃいます。 |
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| 停電で想う事 この幸せは・・・ 3月17日 | 昨日の第3グループの停電はPM6:20からPM10:00まで。 我が家の暖房の準備は、ストーブを諦め、毛布とどてら。 それと少し熱めに、風呂を沸かしておいた。 念の為、小さなグラスに収まっている蝋燭には、事前に火を灯していた。 予定の6時20分になっても、テレビは消えなかった。 息子から心配の電話も入ったが、30分過ぎても部屋の電気は切れなかった。 昨日(15日)の午前中に、たっぷり停電し、それを甘んじて受け入れたので、今日は第3グループの中でも、自分達の住む地域は除外されたのではないかと、1人合点していた矢先、6時55分に蛍光灯の明りが消え、テレビのブラウン管がプツンと云う音とともに真っ黒になった。 ・・・・・矢張り来たか・・・・・
年老いた母は、まだ温もりの残る電気掘炬燵に体半分潜り込ませ、毛布を被って暖を採る。 カーテン越しの屋外は、まっ暗闇かと思いきや、月夜で明るく冴え渡っていた。 例外は、自家発電からなのか、それとも域外の為なのか、永野川の傍らに有る、市の水道局の庁舎の2階だけは電気が着いた儘だった。 まさに静か微かな蝋燭の灯りしか無い世界・・・ 母と二人だけの音の無い世界は、不安を呼び覚ますよりも、寧ろ、心穏やかにさせてくれる。 “こんな静かな世界も良いもんだね”と、座椅子を倒し毛布に包まった母の声。 でも、もし、これが被災地の現場だったら・・・ 一時間も過ぎた頃、脇に有ったギターを取り出し、昭和の歌謡曲、戦後の艶歌や童謡を何曲か弾いて挙げた。 “湖畔の宿” “あざみの詩” 愛染桂の主題歌“旅の夜風”“母になる日の子守唄” “南国土佐を後にして” “哀愁列車”・・・ 鼻歌を交えて聴いていた母が“譜面は何処に置いてあるの”と聴いて来た。 “耳学だよ。聴き間違いで編曲(変な曲)されているのも有るけどね・・・” 兎も角、私のギター演奏に聞き入ってくれているのだ。
“あなたのお母さんは偉い !! 子供のギターにじっと耐え忍んで聴いて挙げるんだから・・・母親だから我慢できるんだよね” 常日頃、そう言っているHさんにもの申す。 母は耐えているんじゃないよ・・・ 喜んで聴いてくれているんだからね・・・判ってないのは君だけだよ・・・と
30分も弾いていると、貧相な曲目アイテムも底を尽き、する事も無くなって、風呂に入る事にした。 まっ暗闇の風呂場に小さな蝋燭の灯りが炎の影を揺らし、鄙びた山奥の山小屋のような、何とも言えない装いを思い熾させる。 知らなかったが我が家にもこんな空間があったのだ・・・ 電気の無い世界が引き起こした発見だ。 停電も良いもんだなと、いつものプラス志向。 石鹸で体を流し、湯冷めを心配しシャンプーは避けて、湯舟で充分に体を温めて、風呂から出た。 途端にチャイムが鳴って、灯りが灯った。 9時ジャスト!! 10時まで1時間を残して、2時間の停電が終了・・・ 被災地の人々の事を考えると何も不満は言えないが、何不自由ない平凡な日常生活の、有り難さがしみじみと想い起される瞬間だった。 現地で、家族の情報や、水、食べ物、毛布やガソリン等、不自由な避難所の生活を強いられている人達の事を思うと、このブログは公開しない方がいいのかも知れません。 取り様によっては不謹慎だと思います。 従って非公開設定の積りで投稿しました。 でも、被災地の皆様の本当の苦しみを知る為にも・・・平凡の幸せを、幸せと感じない日常の戒めとして、敢えて削除しない事にしました。 どんな批判も甘んじて受けます。 |
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| 計画停電(輪番停電) 3月16日 | 東日本大震災で電力事情が悪化,14日(月)から計画停電が始まりました。
私の住む所は第3グループ。 14日は12:20〜16:00 15日は06:20〜10:00 16日は18:20〜22:00
実際には14日は停電は実施されませんでした。
昨日は震災当日も停電がなかったのに、震災後初めて停電を体感しました。
普段は感じませんが、色々と不便さを実感しました。
でも被災地の人達の事を考えると我が儘は禁句ですね。
今日は夜、停電の予定。
石油ストーブはここ数年使った事が有りませんでした。
吸引器具が無いので、買いに行こうかと思っていますが、無ければ無いで、我慢する積りでいます。
ペアーレは、11日の休館から連絡不能でしたが今日から再開されました。
11日のギター教室は、半期の最終日だったのですが、中止になり、振り替えはないそうです。
1年間無欠勤だった隔週金曜日のギター教室も、仲間と最終授業も受けられず、お別れも言えない儘、自主卒業です。
お世話になった馬場先生や仲間の皆様、特に定期コンサートのDVDを撮って戴いた石井さんには、心より感謝いたします。
猶、17日の栃の木ギター合奏団の練習も、会場の都合で休会になりました。
盛岡の弟嫁(義妹)の、釜石の親戚の安否が未確認でしたが、やっとメールが届き、不幸にも家を失った家族が2軒有ったそうですが、皆様命には別条が無いとの事。
安堵いたしました。
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| 大地震,岩船山,数か所大崩落 3月13日 | | ブログで岩船山の崩落を知りHさんと実施見聞ドライブ。
矢張り凄い崩落だ。
岩船山が真ぷたつに割れたよう・・・・・
最初の写真@Aは西側から撮ったもの。
近年立入禁止になっていたが、両側が切立った尾根に鉄橋が渡されていた所が大きく崩落していた。
今ではその手前に2体鎮座しているが、昔は其の先に奥の院が有った所だ。
幸いに山上の高勝寺の住職さんから当時の話が聞けた。
14:46分の地震当座は、右側の垂直の大きな壁の真ん中Aが崩壊したらしいが、地震が止んだ後、山が裂けた様になった所が東西に崩れ落ちたとか。(写真をクリックして貰うと約8倍位の大写しになります)
山上ではさぞや大きな音がと思いきや、然程ではなかったらしいが、麓の方では凄い音だったらしい。
東側からの写真Bは乗用車よりも大きな崩落した岩が3,4個ごろごろしていた。 クリック拡大で、途中に鉄橋が横たわって見えるでしょう。
写真Cは立入禁止の先の崩落現場。
南側の見晴らし台も今回の地震で地割れが入り、進入禁止にしたと云う。
岩船山は標高173m、下北半島の恐山と鳥取の霊峰大山と並ぶ日本三霊山と云われているとか・・・
高勝寺は南面の600段の石段と本堂、賽の河原堂や、県内では珍しい三重塔があり、立派な仁王門と三重塔は江戸中期の建立。
※ 文中の@ABCは左側の写真の上からの順番です
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