雨にも負けず風にも負けず・蔵の街栃木

仕事を退き、第二の人生の山歩きを中心にした日常行動の紹介です。
 
2012/09/04 19:18:05|にっぽん百名山
想い出の上高地・明神橋@
槍ヶ岳に登る為、上高地に入ったのは11年ぶりでした。
2000年6月14日、忘れもしないその日は、夜行日帰りのバスツアーで女房と一緒だったのです。
それ以前には、東京の三エスに勤めていた24才の時と、30才代に自社の社員旅行と2回しかなく、以外にも少ないのに驚いています。でも、その何れもが記憶に残る想い出深い上高地の訪問でした。
最初の上高地は確か1971年11月23日の旗日を絡めて、新宿からの夜行列車で、三エスの三課の流通倉庫で働いていた桑名弦さんの正月冬籠りの為の、荷上げ手伝いでした。新島々駅からマイクロバスで上高地に向かい、釜トンネルの路面がアイスバーンで、運転手さんが苦心していた事を良く覚えています。明神岳の中腹の大きなシラビソの木の下にリュック3個分位の荷物を埋めて、正月越冬に供えたのでしたが、当時登山靴ではなく、靴底の分厚いキャラバンシューズで雪の中を踏んだので、びしょ濡れになり、震えていた事を想い出します。その弦さんも数年後、穂高で雪崩にあい、遭難の報を新聞で知ることになりました。

福六の社員旅行は6月の梅雨の頃だったと思うが、20数名が参加し、河童橋の傍のホテルに一泊しましたが、余り天気が良くなかった事が想い出されます。青春真っ只中、登山には全く興味が無かったころでした。

そして3度目が女房が申し込んだバスツアーでした。半年前の暮に、医師から余命2年半を宣告され、2ヶ月の入院の後、リハビリと気分転換を兼ねてのトレッキング旅行でした。前夜10時に栃木駅前から乗り込んだツアーバスは3時前に沢渡に着き、車中仮眠の後、4時半に上高地行のシャトルバスに乗り換え、5時に大正池に到着。そこから田代池、ウエストン碑を廻って河童橋へ。病身の妻には相当にきついコースだった筈なのに、さらに岳沢登山口を通り明神池までの往復2時間以上のコースも歩きたいと言い出しました。
今考えれば、歩き切った彼女は肉体的精神的にも相当辛かった筈なのに、泣き言一つ言わず5時間近く歩き通しました。医師から余命を宣告されて、それを承知の妻の決まり文句、「山の森の林の空気を吸い込むと、身体の中が清められ、血液まで洗浄される気分になる。だから頑張って、早く病気を治さなくっちゃ!!」
結局妻と一緒に歩いた想い出の上高地の最深部は明神池であり、明神橋でした。今その橋に佇んでます。
そして今回は、そこから千の風に支えられ梓川の最深部槍沢から槍ヶ岳まで突き進んだのです。
橋も3年後の平成15年に建代えられ、昔の面影は有りません。でも懐かしい、愛おしい思い出の場所です。

橋の袂で、黄色い雨具を羽織って写真に納まっているのは、実はこの日、横尾からの下山中に降雨に見舞われたからなのです。急いでザックカバーとフード付雨具を用意しました。オーバーパンツは汗で蒸れそうだったので着用を避けました。徳沢に着くまでには本降りになっていましたが、徳沢を過ぎ明神館に近付くにつれて小降りになり、明神に着いた時には完全に雨はあがっていました。
帰りのバスの時刻の事も気懸りで、雨の中相当急いで歩きました。お陰で予定時間よりも速く明神に着いたのですが、相棒のスーさんに想い出の明神橋にちょことだけ寄りたいと申し出ると、彼は勘違いして、だから早足だったのか、と気を廻してくれました。
ここ2年間の登山経験で、本格的な雨中行軍は一度も体験していなかった自分に、来世から妻が雨を呼び、すっかり想い出を忘れていた自分に雨の中で頭を冷やさせ、呼び覚ませてくれたのです。
「そうだ、明神橋に寄らなくっちゃ!?・・・」と決めた途端に、不思議にも雨は止んでいたのです。

橋の袂で呟いたいつもの言葉です。
『想い出を呼び覚ましてくれた君の処へは、今暫らくはいかないよ。勝手で申し訳ないが、君の分まで余生を楽しんで、それから土産話を沢山もっていくから、それまでは待っててね。』

上高地には近いうちに必ずまた来ます。穂高を目指してね。
その時は明神橋にも必ず立ち寄ります。







2012/09/03 14:34:00|にっぽん百名山
槍ヶ岳を股にかけたメタボッコリと相棒!!
二人合わせて130歳の年寄の精一杯のパフォーマンス!!

どうにかこうにか槍ヶ岳の全景を短い足の股の間に納めました。

この絵をブログに乗せる勇気? 恥も外聞もかなぐり捨てた勇気?

カッコいい!とは如何見ても思えません???

巷からは・・・ いい年こいて良くやるよ!?・・・と聞こえてきそうです。

右膝にサポーターを巻いて脚が短く太いのが目につきますね。相棒は汗拭きのタオルを頬被り。



今回の山行きは車中泊と山小屋一泊の二泊三日の山旅でした。

全行程の時間は8月30日の午後9時40分〜9月1日の夜8時30分まで46時間50分での決行。
トレイルランナーの山猿日記のAさんならば24時間の日帰り決行が出来そうですね。
登山時間は8月31日が5:55〜15:55の10時間。
9月1日が8:20〜15:45の7時間25分で計17時間25分。
移動時間は8月30日が自宅発21:40で沢渡着翌日1:00。沢渡5:0発上高地5:20の3時間40分。
9月1日上高地発16:10で沢渡着16:40。沢渡17:00発で20:30栃木着の4時間で計7時間40分。

天気が悪く、視界が利かなかったのが理由で、1泊だけになりました。

山が深いので出来れば幾つかの山を縦走したかったです。



9月2日NTVPM8:00からの『いってQ!』でイモトアヤコが剱岳の岩登りを遣っていました。

ほんと!彼女は凄いですね。







2012/09/02 15:10:02|にっぽん百名山
ぶらり山旅・北ア槍ヶ岳A         9月1日

2時50分に小屋の窓を開けると外はガスっていて何も見えません。空気は然程冷たくは有りませんでしたが、雨は降っていませんでした。一時間置きに確認しますが一向に回復の兆しは見えませんでした。早起きは諦めて、5時過ぎに朝食を食べに下の食堂に下りて行きました。
食後、山小屋のフロント脇にあったパソコンが空いていたので、束の間、そのパソコンから絵なしのブログを6:08発信しました。
外は相変わらず霧の中でしたが、時折明るい太陽の光が霧を劈いて明るくしてくれます。6:45天気の回復を待ち切れず、荷物を小屋に預けて、槍の天辺を目指しました。
岩と鎖場と4つの鉄梯子を乗り越えて、7:11やっと念願の槍ヶ岳山頂@に立つ事が出来ました。5,6人が先着していて、意外と風が無く、ウインドブレーカー無しでも寒さは感じませんでしたが、視界はまったくゼロでした。それでも30分近く山頂に居た甲斐あって、ほんの束の間、雲の合間から青空を覗かせて、雲上に穂高の山々の稜線が垣間見られました。またブロッケン現象も体験できました。
混雑する夏のシーズンには順番待ちの行列が出来る鉄梯子Aも貸切状態でした。視界不良のお陰で高所恐怖症の不安も払拭され難なく昇り降り出来ました。

今日は、大喰岳3101mから中ヶ岳3084m、南岳3032mを縦走し北穂高岳迄は無理としても、大キレット見届ける予定でしたが、この天気で縦走を諦め、急遽下山する事に決定しました。
山を降りるだけといっても、これがまた大仕事でした。8:20肩の小屋から午後4時までに上高地に到着予定で下り始めました。
下りだすと、天気は回復してきて、振り向くと雲が晴れて、槍ヶ岳が全貌B出来る瞬間もありました。
だんだんと槍の姿が消えてゆきますC
槍の天辺からの景色は望めませんでしたが、これだけ槍の姿が拝めたのは大満足でしたし、運が良かったと感謝しています。
昨日は大苦戦した槍沢も下りは約半分の2時間50分で、11時10分に槍沢ロッジに辿り着きました。今日もここで昼食(宿泊した小屋のお弁当)を取り11時50分に横尾を目指しました。
横尾には1時に到着しましたが、この頃から雲行きが怪しくなってきました。
250円の自販機のコカ・コーラを飲みほして、歩きはじめると直ぐに梢を叩く雨音が聞こえてきました。木陰で、ザックカバーを取りだし雨具を着込みました。オーバーパンツは汗で群れるので半ズボンのままで雨の中を歩きました。
今までにも2,3回雨の体験は有りますが、本格的に雨中を歩くのは初めてでした。横尾から徳沢までは1時間10分の予定よりも10分早く2時10分につきました。休まずに明神に向かい、途中で雨も小降りになり、これまた予定より10分早い2時55分に明神館に着いて、想い出の明神橋にチョコッと立ち寄りました。
3:45カッパ橋に着くと、焼岳と岳沢からの雲を被った奥穂高がカッパ橋を挟み相対峙していました。
約7時間半の下山は流石に膝と足の筋肉には応えました。
バスで沢渡に5時前に着き横川SAで夕食し栃木着は8時30分でした。二日間で17時間半の登山時間(休憩含む)で総登攀距離はマラソンと同じの約42kmに及びました。
本日の万歩計は39,649歩。後3日後に65歳の誕生日を迎える老骨に鞭うって、我ながらよく歩いたと褒めてあげたい。







2012/09/02 11:53:00|にっぽん百名山
ぶらり山旅・北ア槍ヶ岳@         8月31日

憧れの槍ヶ岳3180mはやはり素晴らしい山でした。
今年は6月に40年振りにマッターホルン(チェルビーノ)を眺めてきましたが、日本のマッターホルンと称される槍も、真下から望む迫力は素晴らしく、圧倒されるものがありました。
登山途中に槍沢から見上げると、中央部手前の殺生ヒュッテの奥に槍ヶ岳@の全容が見渡せました。
上高地を5時55分に出発してから明神、徳沢、横尾まで梓川沿いの11qの歩き易い林道は約3時間、極めて順調でした。そこから槍沢ロッジまでの4qも殆ど走行タイム通りに約1時間20分で着きました。

天気は予報に反し上々で、変わり易い山の天気の所為か、途中で気配は有りましたが、登山中は雨には降られませんでした。
横尾を出ると直ぐ左手にロッククライマー憧れの的前穂高岳・屏風岩Aが梓川を挟み、見えてきました。今日も誰かこの岸壁を登っているのでしょうか・・・。右手奥の雲に覆われた山は北穂高岳かと思います。ここからでは槍の穂先は赤沢山や西岳その他の山々に阻まれ、まったく拝めません。

槍沢ロッジで、早めの昼食を取り、これからいよいよ本格的な登りに入ります。途中に槍見河原という処があり、ここから槍ヶ岳の穂先が見えるそうですが、本日は残念ながら穂先を拝めませんでした。しばらく進むと、川沿いに大きな雪渓Bが現れました。標高は2000mもいってないと思われます。今年は雪が多かったからなのでしょうか。中央のドームは水の流れで抉られたものです。50m以上その雪渓の上を歩きます。雪渓の上は空気が冷えていて心地よく、沢風が優しく頬を撫で歓迎してくれました。

右手に高く聳えていた赤沢山がやがて後方に離れだしました。
槍沢の中途で地図を眺めている相棒の後方の山Cは、左が西岳2758mで右が赤沢山2670mです。もう少し槍沢を登ると、二つの山の後方に形の良い常念岳2857mが姿を現しました。
これから、難儀な槍沢の登りが続きます。槍沢ロッジから槍ヶ岳山荘迄6時間弱の格闘になりました。でも途中で東鎌尾根の肩越しに槍ヶ岳の姿が見えた時は圧巻でした。雲に遮られる事無く全容が顕わになったのです。中央のたるみに650名収容できる槍ヶ岳山荘、その左のピークは大喰岳3101mでしょうか。しかしその眺めも長くは続きませんでした。少しずつ雲に隠されて行きました。そしてやっとの思いで4時に標高3000mを超す肩の小屋(槍ヶ岳山荘)に着いた時には、ほぼガスに覆われてしまいました。それでも時折、ガスの切れ目から、小槍が槍の左手に薄っすらと望めたのです。
山小屋の夕食は5時からでしたが、へとへとに疲れきった体に一気に流し込んだ、小屋の自販機で買った500mlのスーパードライ(売価750円)の味は格別でした。食後すぐに、畳半畳ほどの二段ベッドに潜り込みメールを打っていると、屋根を叩く雨音が聞こえてきました。
6時半に超早めの就寝、でも今朝の車中泊の寝不足で熟睡できると思っていましたものの、身体が火照り、筋肉痛の痛みも相俟ってなかなか眠つかれませんでした。そのうちに雨音も大きくなり雷鳴も轟いてきました。明日の朝の空模様が心配になりましたが、頭の痛み(高山病?)も忘れ、いつの間にか熟睡の登山道をまっしぐらに歩み始めて行ったようです。
もし明日雨ならば、この小屋に籠りもう一泊の予定です。
万歩計は29847歩。(もっと数字が多い筈?機械の調子が?)







2012/09/01 6:08:03|にっぽん百名山
槍ヶ岳の肩の小屋から  ライブ報告
このブログは、槍ヶ岳山荘で朝食を食べ終えた今、山小屋のフロントに備えられているパソコンを借用し、出発前に発信しています。3000mの稜線に建つ山小屋の外は霧の海で何も見えません。

一昨日の夜、9時にギターの合奏練習を終えてから、大急ぎで山の支度を整え、9時40分に家を出、高速道路をとばして、相棒と車で上高地入口の沢渡に向かいました。深夜1時に沢渡の第一駐車場に到着し、4時半まで車中で仮眠し、朝食を取った後、5時過ぎにタクシー相乗りで上高地に向かいました。
5時55分、カッパ橋をスタートし明神、徳澤、横尾、槍沢ロッジを経て、槍ヶ岳山荘迄、歩行距離約21qのロング登山を目指しました。
夕方4時に槍ヶ岳直下の槍ケ岳山荘に到着。登りだけで10時間の超ハードな行程でした。幸いお天気には恵まれましたが、途中で雨がぱらつくこともあり、山小屋で5時に夕食をとり6時半にはベッドに潜り込んだのですが、そのときには土砂降りでした。おまけに雷も鳴り響いていました。

今、朝食を済ませ、これから槍の穂先に向かおうと思いますが、外はガスっています。でもきっと晴れてくれることを祈ってこれから出発する予定です。

この続きは帰ってからご報告いたします。







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