雨にも負けず風にも負けず・蔵の街栃木

仕事を退き、第二の人生の山歩きを中心にした日常行動の紹介です。
 
2012/10/20 18:07:56|法事と月命日
花魁道中と七七日忌
穏やかな土曜日の朝、風もなく気温も寒からずの好天に恵まれました。
今日は栃木市の歌麿まつりで花魁道中が行われる日です。
豪華絢爛な花魁(おいらん)の衣装を纏った花魁と御新造さんとその取り巻きを公募で募り、市内の一部を練り歩くのです。去年もありましたが午後東京に行く用が有って、午前中の蔵の街美術館前でしか花魁道中を見られませんでした。。楽しみにしていたのですが今年も親戚の七七日忌の法事が入り、結局見られなくなってしまいました。

七七日忌は9時20分に小山の御宅に伺い、小型バス2台でお寺に向かう。
10時から本堂で49日と位牌開眼供養を執り行い、バスにてお墓に移動し納骨。
60名を越える列席で、2週間前にも法事で訪れた喜久家にて会食。
2時過ぎに散会。

帰りに栃木の大通りを通ると、流石に何時もよりかなり多い観光客が屯していました。

今回は約10日間山から遠ざからなければなりません。
本年度の強気目標、にっぽん百名山20座(現在13座)が厳しくなってきました。







2012/10/16 23:19:02|にっぽん百名山
ぶらり山旅・雨飾山          10月16日

二日前に鳳凰三山を登ったばかりなのに、今日もまた、今年になってにっぽん百名山13座目の雨飾山1963mにチャレンジです。別に焦っている訳ではありませんが、今月はフリーの自由な時間が少ない事と、たまたまお天気に恵まれていたので、一昨日即断即決で相棒の同意を得たのでした。
今年1年間で15座は登りたかったのですが、この分なら、巻機山、高妻山、甲武信岳、金峰山、雲取山、浅間山、天城山、丹沢、平ヶ岳など20座も夢ではなくなってきました。

5時半に栃木ICを出発。7時25分に長野ICを降りて、国道19号からオリンピック道路(有料200円)を通り、白馬から国道148号で小谷温泉の奥の雨飾高原キャンプ場登山口に9時到着。その時点で駐車場と駐車場に納まりきれない車が沿道に70台位有りました。こんなに登山客が多いのにまずびっくりしました。天気が良いのと紅葉が重なったからなのでしょうか。

9時20分登山開始。1時間半近く歩いた頃、荒管沢への下り道で、雨飾山の頂上山群@が姿を現しました。
荒管沢に降りて、下から雨飾山の頂上Aを見上げた処です。
ブナが緑から黄色に黄葉し、ブナの樹林帯の中のカエデやオオカメの木の紅葉が彩りBを添えてくれます。
荒管沢を渡り、樹林帯を抜けると急斜面になり、2時間40分で尾根に出ました。クマザサに覆われた尾根の先にずんぐりな山頂が見えました。12時25分にやっと登頂。

今日も素晴らしい天気で、視界は360℃の大パノラマ。
でも、北アルプスの山々は白馬の雪渓を含め、霞雲に薄っすらと覆われ、鹿島槍や五竜岳、唐松岳の奥に槍ヶ岳や立山、乗鞍、御岳が存在感を現していました。妙高山は隠れていましたが焼山と火打山は錦秋の彼方に浮かんでいました。
糸魚川の市街地の先には日本海Cが真近に見られました。
そうです。雨飾山は新潟と長野の県境の山なのです。
2000mにも満たない山なのに、変化に富んで人気のある山だと実感できた山旅でした。
万歩計は19,146歩でした。

そうそう、雨飾山山頂から12:51にメールを飛ばしたのに電波が届かず、結局16:27に山を降りてからの送信になりました。
こんな事もあるのですね。







2012/10/13 22:35:00|にっぽん百名山
ぶらり山旅・鳳凰三山A         10月13日

寒くて眠れそうになかった山小屋でも、疲れていたからなのか、4時までぐっすり寝込んでしまいました。4時にトイレに行くのでヘッドランプで小屋の外のトイレに行くと、体の芯から震えがきました。5時過ぎに起きて、6時前に小屋の前に出ると、神秘的な御来光@が出迎えてくれました。
ラッキー!!今日は好天になりそうです。
朝食が6時過ぎになるというので、前の日におむすびを用意して貰い、6時前に地蔵岳のオベリスク目指して登山開始。手袋の指先はジーンと痺れて悴にでいました。身体もなかなか暖まりません。登山道のあちこちに霜柱が起ち、岩には氷柱(つらら)凭れ下がっていました。標高2500mを越えた山中では季節は既に冬支度なのですね。30分位急な山道を直登し、指の痺れも取れ、体も温まってきた頃、地蔵岳のオベリスクAが前方に見えてきました。紺碧の空に色ずいた紅葉が岩山を際立たせてくれます。オベリスクによじ登りたい衝動にかられ、途中までチャレンジしたのですが、登る手掛かりは確認できても、下りる時の事を考えると、老兵にはこれ以上の無茶は厳禁と、涙を飲むまでもなく簡単に諦めました。
2764mの地蔵岳は諦めて、最高峰の観音岳2840m山頂を目指しました。辿り着いた山頂からの眺めは最高でした。
登ってきた地蔵岳のオベリスクと赤抜沢ノ頭の二つのピークとその後ろに甲斐駒ケ岳の三角のピークが鮮やかに映し出されていましたB。その右肩には、遠く北アルプスの穂高連峰と槍ヶ岳が見え、左肩には乗鞍岳の全容。手前には南アルプスの甲斐駒ヶ岳、仙丈ヶ岳、手前に北岳、間の岳・・・
北東の方角には赤岳から蓼科山に続く八ヶ岳連邦、その右肩に浅間山、少し離れて瑞牆山や金峰山、秩父の山々など・・・
そして南には裾野から全容を現した富士山C
もう堪んないです!

楽あれば苦あり!10時10分に絶景の山を降りて標高差1740mを下って駐車場に突いたのは2時10分前でした。意外と短時間で下れたのですが、この標高差は厳しかったです。途中お昼もあまり食欲が出ず、帰りの中央道談合坂のSAで温かい東京ラーメンでお腹を満たしました。
今回も経験豊富な相棒に感謝!
万歩計は急降路を小股で歩いたためか23.436歩でした。







2012/10/13 21:10:02|にっぽん百名山
ぶらり山旅・鳳凰三山@         10月12日

昨夜はNHKの臨時ユースで、佐野市に大雨洪水注意報のテロップが流れ、我が家も夜中に大雨と雷雨。今朝4時半に起きて庭に出ると庭土はたっぷりと水を含んでいました。まだ薄暗い5時に相棒が遣って来て、5時15分に出発。今日は北関東道、関越から上信越道ではなく、圏央道を通って中央道で甲府の先の韮崎ICで下りました。
本日の目的地は南アルプスの鳳凰三山です。 7月31日、8月1日に登った甲斐駒ヶ岳と仙丈ヶ岳のどちらの山からも、北岳の左後方に聳えていた山群で、地蔵岳2764m、観音岳2840m、薬師岳2780mの3つの山頂をもち、地蔵岳には大岩の山頂オベリスクをもつ特徴のある山です。勿論、にっぽん百名山に指名されている名山です。
韮崎から国道20号を進み途中から細い山道に入り青木鉱泉へと向かいました。途中、凸凹道と簡易舗装道が交互しました。 9時過ぎに青木鉱泉(標高1100m)に到着し、既に20数台が駐車していた一画に、どうにか駐車場所を確保し、二日分1,500円の料金を払い、9時30分登山開始。
今日の予定は、青木鉱泉から鳳凰小屋(標高2390m)まで約6時間の標高差約1200mの登り詰めです。南アルプスの山の特徴として、麓山麓からの登山が多く、標高差が2200mにも及ぶ山もあるということです。今回も実際、青木鉱泉から観音岳山頂までの最大標高差は1700m強になります。本日の登り一方の登山の途中に、幾つかの滝が有りました。南精進の滝と鳳凰の滝は滝壺まで時間がかかるので省略しました。 白糸の滝@五色の滝Aは登山道からも見えましたので、ちょっと足を伸ばしてみてきました。標高2000m近い高所に、これだけの大滝が良くも存在するものだと感心しました。しかも水量も豊富で水はとても奇麗でした。どちらの滝も先週の妙高火打山の紅葉ほど艶やかでは有りませんでしたが、少し色どりを添えてくれていました。五色の滝を越え、鳳凰小屋が真近になった時、雲の隙間から地蔵岳のオベリスクBが顔をのぞかせました。今日は多くを望みませんが、明日の好天を信じて3時に山小屋(鳳凰小屋)に辿り着きました。上半身は汗びっしょりで濡れた下着のまま、山小屋の部屋に案内され、用意されたシュラフ(寝袋)に毛布を2枚かけて電気もランプもないタコベヤで丸く縮こまっていましたが、震えが止まりませんでした。今夜は氷点下になりそうだとの事。
山小屋も1週間後には閉鎖されるとか。もう冬なのですね。
本日の万歩計は意外と少なくて12,558歩でした。







2012/10/10 11:02:05|
我が友の病・・・癌! てっちゃん・・・お前もか・・・
突然・・・急変の告知!
その時・・・・・・・わ・た・し・は・・・・・・・?

10年前、妻が突然急激な痛みに襲われ、近所の病院では手の施しようもなく、救急車で自治医大に運ばれ、生死の境目で人工呼吸器の使用止む無しの状態で一夜を明かし、なんとか危篤状態を免れて、医師に多発性骨髄腫という血液の癌を告知され、余命2年半と告げられた時、医師の前でなんとか体裁は繕ってみたものの、頭の中は真っ白になっていた。
白亜の病院の外に出て、駐車場への道すがら、思わず涙が堪え切れず、娘から「お父さんしっかりして! お母さんは死んだんじゃないのよ! まだ生きる時間が残されているのよ!」と諭される程、狼狽していたのだった。彼女の勤めていた会社の健康診断で疑念が指摘され、検査入院で自治医大の精密検査を受ける様、入院を促されていた事は承知していたが、こんな大きな病気を抱えているとは、皆目知りようもなかったし、彼女の日常の行動からは考えられなかった。
だから、まさか彼女が難病中の難病、血液の癌に侵されていようとは思いもよらなかった事だった。
しかもそれまでの日常では、なんのサインも出ていなかったし、彼女はおくびにも出さなかったのだ。
実際、病気が進行し末期を迎えた時でも、告知された時ほどのショックは受けなかった。
多分それは心の準備が有るか無いかの違いからくるのだと思う。

こんな思いはもうないだろうと思ってた矢先、今日、同級生のU女子から電話で、友の病状の急変を知らされた。二か月前、日頃の無沙汰の詫びを兼ね、訪問した時には、元気に対応してくれた。
なのに、先月急変し入院を余儀なくされたとか。2週間の入院で、月末に一旦退院したものの、今月再入院を余儀なくされ、施療の余地なく来週退院の運び・・・
自宅に帰ってもどう仕様もないので、大学病院から指定された最寄りの病院に転院予定。これも妻の時に体験した事と同じだ。

電話を切った後、急に居た堪れなくなって、近所の友に確認を取った。
電話に出た彼もその事実を知っていたようだ。
今は午前中のお天気のように、心の中に黒く重い雨雲が漂い蠢いている。
Oh my God !
病床の友になんと声を掛けてあげたらいいのか・・・










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