荒海山登山中に今年初めてお目にかかったギンリョウソウ 葉緑素を持たず別名幽霊草とも呼ばれる
当初予定では5月13日が登頂予定日だったのに、今日まで延び延びになってしまった。 理由は簡単、痛めた足の所為であり、はたまた天気の所為で日延になった。 ここのところの雨で登山道はだいぶ荒れていそう。もともと藪漕ぎ覚悟の登りづらい山だ。 相棒が以前に登った事のある福島県と栃木県の県境の山、荒海山1580.4m(日本三百名山)を今日は上三依からチャレンジ。 この山は太平洋と日本海の分水嶺であり、男鹿川から鬼怒川と注ぐ一方、阿賀野川のそのまた源流、荒海川の源(みなもと)となるこの山を福島の人達は荒海山と呼び、栃木の人達は太郎岳と呼ぶ。実際山頂は2つあり、二等三角点は山頂から東北東約90mに位置する東峰でそこが太郎岳。 本格的に登山を意識して2年、たったの2年の経験で、まだまだ未熟だが、残雪の山でアイゼンやピッケルを使い、雪上の藪漕ぎ回避を経験。地図を頼りに踏み跡とマークを辿り、時には自分達でピンクのマークを付けながら登る。こんな経験が相棒の手解きのもと、積み重ねられた一年だった。
上記のようなブログになる筈だったのに、朝7:15から登り始め16:20入山沢林道の車止め、頭上高圧線鉄塔を望む駐車スペースに駐車しておいた車に9時間もかけて戻った末の、登頂断念報告になった。過去に天候の都合で未踏になった山は幾つか有るが、晴天なのに山頂直前で諦めた山は今回が初めてだった。 でも不思議に悔しい気持はまったくなかった。本来荒海山は北側の福島県の八総鉱山口から登るのが本ルート。相棒もそのルートで登頂していた。今回は相棒の発案で南側の上三依芝草山登山口のそのまた奥から登るルートを選択した。 PCのネットで調べると何人かの方々がトライしてて、登り口からの踏み跡とマークは少ないが急登と藪漕ぎがきつい割には、福島県からよりも短時間で登れると記してあった。 相棒と“短時間”に魅力を感じ、このルートを選んだのだが山の神様は二人に微笑んではくれなかった。登山口から30分も行った処に芝草山北登山口と太郎岳登山口の看板が有ったが、2〜300mも進むと薄い踏み跡は残っていてもペンキやテープのマークは全く見当たらず。取敢えず沢の奥まで突き進んだが手掛かりが見つからず、一旦引き返し、ルートの手前で最奥と思えるマークの処から直登を試みた。急斜面の樹林帯で踏み跡は殆ど無く、斜面は落葉などで登山靴が沈む程、柔らかくて滑り易く、斜面に這いつくばるような急登の連続だった。 急登を凌ぎ切れば、やがて荒海山に続く稜線に出て、稜線は踏み跡があると書かれてたのに、稜線に出ても人の通ったような踏み跡は見つからず。右手には芝草山の山容が眼前に、左奥には荒海山の山頂が樹林帯を通してよく見えた。天気も良く位置関係は逸脱する事はほぼないと確信してた。 頑張って頑張って聴きしに勝る藪漕ぎを何度も繰り返し、荒海山に対峙する無名峰山頂に何とか辿り着いた。登り始めて4時間以上経っており、クタクタだったので相棒に頼み11時過ぎにそこで昼食にした。でも疲れきってて食欲はなく、本音は纏まった休憩時間が欲しかったのだった。少し食べた方が良いと促され、コンソメスープを流し込みパンをほんの一口だけ食べた。今日の登山は体調はいいのに何故かいつもより疲れやすく息が直ぐに上がってしまうのだった。リュックが重い所為もある。北岳を目指す準備で水を4Lリックに詰めていたのだ。でもそれよりも急登とヘビーな藪漕ぎに体力を消耗させられてしまったのだった。 それとこの時点で、既に山頂についてる時間なのに、完全にルートを間違えた事に気付いてても、この難儀な道を引き返すのにはやたらに抵抗があるし、頑張って山頂に辿り着けば、下山は正規ルートを辿ってもっと楽なルートで下れると思っていた。まだまだ時間の余裕も有ったし、然したる不安はなかった。 昼食後藪漕ぎがなおも続く稜線を辿っていくと急に谷に落ち込んでしまい、目指す荒海山は右手奥に通り過ぎていた。地図をみ返すと完全にコースを外れていた。時計は12:30、ここで目の前、否、左手に荒海山の全容を手が届くくらい真近かに拝みながら、二人して登頂を断念した。 相棒はこのコースを勧めた事を詫びていたが、文句を言う積りはまったくなかった。何故ならこのコースを選んだ事に最初から何も反対していなかったから。結果論で失敗に文句は言えても何の足しにもならない。それよりも無駄といえば無駄だったかもしれないが得難い貴重な模擬遭難を経験できた。 その一つが藪漕ぎの実体験。若い時に日本アルプスを歩きまくった相棒でさえ、今回の壮烈な藪漕ぎは全くの初体験だったと語ってた。藪漕ぎといえば、千島笹、熊笹、根曲がり竹の藪漕ぎが一般的。特に根曲がり竹の藪漕ぎが厄介なのは皆さんご存じでしょう。笹竹類は細い芯の先端に葉があるだけで掻き分ければ容易に前進で来るが、今回はそれよりもっと凄まじい厳しい藪漕ぎを経験した。高さ1〜2m程の幼木が密生した翌檜(あすなろ)と、枝が奇妙に曲がりくねった身の丈ほどの石楠花の藪漕ぎは笹以上に厄介だった。それ以上に大変だったのはヤマグルマ。ヤマグルマの場合は総じて眼前の視界を阻み絡みついた屈強な枝は両腕で掻き分けても頭部・首・胴体・両脚に巻き付き、全身の自由な移動確保が大変で、たった一歩を踏み出すのが容易ではない。結局枝の上に体を浴びせ、その上に立って突き進むより対応がなかった。この対応に相当な時間と体力を消耗し、両腕の疲労極度になった。 それと、鳴き始めがゲロゲロと蛙の声のようなエゾハルゼミ、ウグイスやツツドリなどの野鳥の囀り、更に二人の必死な息づかい、麓の谷から聞こえてくる清流のせせらぎの音。これぞまさに静寂と神秘と恐怖の三つ巴の極致であり局地だった。 下りでも一筋、峰を間違えて入山沢ダムの上流側の沢に降りてしまい、その沢に沿って下ろうにも岩が滑り危険で、再度尾根を目指し急な岩肌をよじ登るが、体力も限界で大難儀。一つ間違えば滑落もあり得ると思うと、痙攣した足を拳で叩いてマッサージを施し、必死に鞭打ち極度の緊張の連続だった。高さ18mの入山沢砂防ダムに辿り着いた時には、心底助かったと思った。その場で下を向いたまま呼吸を整え、しゃがむ事も忘れ10分以上も立ちすくんでいた。 山頂に立てなかったのは悔いが残るが、こんな道なき藪漕ぎ登山を、延々9時間のあわや遭難?かと脳裏を過ぎるような登山を、体験出来たのだから大満足でした。一時は本当に遭難して帰れなくなるのではと心配。単独行で幾多の体験を積んだ相棒も、流石に一人だったらパニクっていたかもしれないと白状していた。帰りの林道で、荒海山のこのルートは二度とチャレンジしないと言いきった相棒ですが、今月中に小生の為に福島県からのルートでまた付き合って貰います。 今日は両足が攣ったり痙攣したり、足の疲れもさる事ながら両腕もパンパンになり、握力は殆ど無くなっていた。 万歩計は12,952歩。庚申山の3分の1しか歩いてないのに急登と道なき藪漕ぎ登山で疲労困憊し心身ともに滅茶苦茶に疲れた。だから帰りの運転は初めて相棒に代わって貰った。半袖の両腕は藪漕ぎで傷だらけになって痛々しい。 大袈裟にいえば九死に一生を得た山旅だった。 |