雨にも負けず風にも負けず・蔵の街栃木

仕事を退き、第二の人生の山歩きを中心にした日常行動の紹介です。
 
2013/11/07 23:23:00|
必見!CC9アワーに美貌の語り部登場
若き美貌の語り部「稗田遼子」をご存知でしょうか。

今回栃木ケーブルTVのCC9アワー
11月8日の朝9:00〜9:30迄と 9日午後9:00〜9:30迄、
10日の朝9:00〜9:30迄と 各回30分放送されますので、
是非ご覧になって下さい。

実は彼女は小生のいとこの娘です。昨年の9月30日にも大平町の
図書館で朗読コンサートがあり母と二人で聴きに行きました。
その時の様子は雨にも負けず風にも負けずのブログのカテゴリー
の中の「母(111)」の所をクリックしていただくと、一番下に
[1−5件/111件中]NEXT 〉〉が記されています。そのNEXT
所を何度かクリックしていただくと46−50件の所に到達します。
その中に2012年9月30日のブログが載ってます。その中の和服
姿の娘さんが彼女なのです。

今回は栃木西ロータリークラブでの講演の録画放送ですが、是非
にもこの機会に一度プロの語り人の実力を聴いてみてください。

又、インターネットで稗田遼子で検索して頂きますと『語り人』
稗田遼子の世界
に辿り着きます。お時間がありましたらぜひ訪れ
て覗いてみては如何でしょうか。







2013/11/04 6:45:14|
尚仁沢湧水散策          11月4日
第六戦で今年無敗神話のマー君が2−4で負けた時は流れが変わったと思ったのに
昨夜の日本シリーズ最終戦は楽天が東北の絆をがっちり固めて初優勝!おめでとう!

悪天候で当初9月15日に予定の尚仁沢湧水トレッキングが1ヶ月半遅れで、やっと実現。
本日の参加者はボランティア仲間のOm君とOsさんとTnさんとTkさんとの5人。
昨夜の天気予報は午前中☂マーク午後から☁☀。目覚めたら気力を振り絞って☂を吹き飛ばそう!と思っていたが・・・深夜3時の時点では雨。4時に何人かにメールを送ると決行で合意。7時に集合し、鬼怒川河畔の佐貫観音にちょこっと立ち寄り、目座す尚仁沢に一目散。
こんな筋書きで間もなくこれから出発です。どうなる事やら・・・







2013/10/31 23:00:00|
陽紀ちゃんの七五三        10月31日
昨夜からお腹の調子が悪く、今日の七五三のお祝いに出席するのはかなり気が引けた。
山仲間のI君から、1日に武甲山に誘われていたが、朝の内に断りの電話を入れておいた。
中学の同級生のS君から、27日の同窓会見えてなかったけれどと心配の電話が入った。
法事と重なったので今回は出席出来なかったと告げると安心したようだ。この年のなると友の体調にも心配してくれるようだ。
ハーちゃんの七五三の和服姿はまだ三歳にもならないのに急にお姉ちゃんになったみたいで思わずはっとさせられた。
お嫁さんの親戚の方達(近所に住んでいる)がみんな出席してくれて楽しいひとときを母も堪能したようだ。
でも家に帰るとさすがに疲れたのか、何もせずに炬燵に横になって寝ていた。

お腹の調子が良くなかったので、あまり飲まず、喰わずだったが、家に帰ると悪寒を感じ、今夜のギターの練習は途中まで向かったがUターンして帰ってきた。3日後に発表会だが、エアギターのテクニックが必要になるかもしれない。







2013/10/31 22:30:30|太陽の陽子と和さん
木曽路の旅B           10月30日
今朝はよく眠れた所為か、頭がスッキリしていた。
8時に朝食をお願いしておいたが、ご主人が「これにて失礼します」とあいさつしてきた。これから土木作業に出かけるそうです。
60歳の御主人は民宿のトイレと風呂場の改築の借金返済で頑張っているようです。
今日は妻籠宿を歩くのかと思いきや、昨日車で流したので散策はカット。
寝覚ノ床に向かいました。今朝は太陽も顔を出し、木曽の山々も中央アルプスも雲間に見え隠れしました。寝覚ノ床の駐車場で木曽駒ヶ岳が全容を現しました。
一昨年登った時は駒ヶ根からロープウェーで千畳敷カールのイージーコースを取ったので、ここからの景色は全くの裏側になるのだろうか。でも荒々しさは全く同じだ。
寝覚ノ床は昔、福六の社員旅行で訪れたことがあった。せっかくなので下まで降りてみた。
正五さんは足が痛いので参加しなかったが、女性二人は元気溌剌で足捌きも軽快だった。
奈良井宿は想像していたよりも静かな町並みで、散策には一番相応しい処だと思う。
1qも続く町並みは道幅も広く、生活道路の町並み街道も車の数は少なく整然としていた。
観光協会に飛び込み、ここも全伝建指定ですかと尋ねると、部屋に飾ってある証明書を指さし昭和53年5月に選定されたと教えてくれた。でも馬篭は重伝建に指定されてないのですねと切り出すと、馬篭は長野県ではなく岐阜県なので重伝建のこと知りませんでした。とその情報を喜んでくれ、お礼にと切手を頂きました。
食べ物は勿論の事、いろんな店が混在していて木曽檜のワッパやお箸など、女性にとってはショッピングの楽しみもそれなりに味わえる良い処でした。。
民宿の朝食をたっぷり食べたので昼食は改めて取らず仕舞い。でも小生はこの時点で幾らかお腹が下痢気味になっていた。1時過ぎに木曽路の旅とお別れし帰路に着く。
と言っても帰路もだいぶ時間がかかり都心の混雑も手伝い帰宅は夜8時を過ぎていた。
帰路にもう一つの楽しみが味わえた。富士山が甲府近辺の高速道路から裾野までくっきりと姿を見せてくれた。勿論八ヶ岳の全容や甲斐駒と白根三山(北岳、間ノ岳、農鳥岳)、鳳凰三山も。







2013/10/31 22:00:00|太陽の陽子と和さん
木曽路の旅A           10月29日
民宿の一軒宿「こおしんづか」は木曽路に相応しい宿場のはずれの一軒宿だった。
障子戸を開けると土間があり、その奥に囲炉裏端。囲炉裏上部には天(あま)が設けられており、天棚(あまだな)あるいは火棚(ひだな)とも呼ばれる。これは囲炉裏上部に天井から吊るす木や竹製の板で、囲炉裏より大きく作られ、上部に舞い上がる火の粉を防ぐと共に、煙や熱を拡散させる働きがある。ヒエやアワといった穀類などを乾燥させたり、川魚などの食品を吊るし煙による燻煙で保存食を作ったりする。
自在鉤(じざいかぎ)は天井から吊るされた先端が鉤状のもの。自在とも呼ぶ。火力の調整がしづらい囲炉裏の火からの距離を調節するため、てこの利用や、筒の中に通した鉄や木の鈎の位置をずらすことによって、高さが変えられる構造を持つ。
この囲炉裏の印象が特に強烈だった。部屋の天井は真っ黒けだし、部屋にいるだけで目が渋くなった。思わず窓際の格子状のガラス戸を開けて部屋の煙を外に逃がした。
他の三人もびっくりしたようだが、でもこの雰囲気に感動を覚え、部屋も襖越しで、他の客がいたらどうなるのだろうかと心配になる。
その心配は直ぐに現実になった。我々の後にスレンダーな上品な外人のご夫婦が現れた。
日本人でも敬遠したくなるような民宿を求めてくるなんてなんとマニアックなんだろう!
とりあえず女将さんが、宿泊の対応と夕飯の時間を聴いてきた。6時半に決まった。
お婆ちゃんも出てきて、囲炉裏の槇の世話やトイレと風呂を案内してくれた。
冗談も絡めて混浴が希望だと女将さんをからかうと、混浴は無理だが、車で10分も行ったところに日帰り温泉があり、割引券で一人500円だというので行ってみた。天然温泉で露天風呂やサウナもあり、旅の垢を流せたが、正五さんは左足を火傷していて、痛々しかった。
食事の用意が進み、居間のテーブルに我々4人と外人さんお二人の料理が並べられた。
ここで初めて旦那さんが現れ、会話が弾む。「観光協会では、ご主人は民謡が好きだ」と聞いていたので訪ねると「よろしければ正調木曽節を」と言って戴く。
我々もギター伴奏で歌を歌いたいと申し込むと、外人さん次第との返事。
ブロークンの英語で何とか強引に許してもらえた?のかな。「山茶花の宿」と「北の旅人」を弾いて女性二人が歌うと“ブラボー!”と以外にも喜んでもらった。彼らはオーストラリアからの旅行者で今日と明日、木曽路(旧街道)を自分の足で歩き、明後日白骨温泉に泊まるんだそうな。
58歳と59歳の品のいいお二人に「我々の連れの女性はお幾つに見えますか」と聞くと間髪を入れず「トウェニーワン」 でもこれってちょとユウモア(エスプリ)が濃過ぎてないかい・・・
余興が澄んだところで、ご主人の木曽節が朗々と吟じられた。
合いの手は入らないし“なんじゃらほい”は“なんちゃらほい”なんだそうな。五七五七七調の歌詞は本来ノーブレスで歌うものらしいが、歌手が歌いやすくするため、ブレスするときに“よいよいよい”の合いの手を入れるようになたとか。それにしてもいい声だ。
話し方も田舎のオッチャンではなくまるでアナウンサー言葉。
囲炉裏についても、槇のくべ方や家人の座る位置など昔からの仕来りを丁寧に説明してもらった。落書き帳やアルバムには数多くの感想や、訪問した有名人の写真が整然と整理されており、髭の先々代や伊藤博文という名のお父さんの賞状などが垣間見られた。
とにかく、こんな面白い宿にしかも言葉がよく通じない外人さんと一緒に食事をし泊まれたことがラッキーだった。

翌朝宿の前にある「庚申塚」について碑文とその周りの説明文に探りを入れてみた。
栃木市の例幣使街道(嘉右衛門町通り)にも道の分岐路に庚申塚があり、足尾の庚申山も絡めて庚申塚と庚申講に前々から興味があったので碑文を模写してきた。

庚申碑について
庚申の日は六十日毎に巡ってくるので年内には6回ある。
また庚申を「三猿」などであらわし念仏を唱えて徹夜で世間話
などして朝になって解散する風習があった。庚申という名称は
道祖神と同様仏教本来のものであるが、「猿田彦神」と解して
いるむきもある。猿田彦は道しるべの神であったという説話で
中国度来の「道祖神説」とを混同して「妻の神」を祭っている。
(木曾地方は凡そ其の類である)
人は誰でも「三尸(さんし)の虫」という霊中が腹中に住んで
いて其の人の悪事や追失を天界に昇って天帝に告げ口すると
いう事が「道教」にあって江戸時代信仰されていた。
其処でこの日は寝ずの番で三尸の虫が天界に昇るのを防いだ。
是が庚申の祭りの要因である







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